2004/08/11 - 2004/08/12
46位(同エリア341件中)
哈桑湖さん
旧ドイツ領東プロイセンは、13世紀のドイツ騎士団領の創設により、始まりました。この地に、ドイツ人の植民が始まり、未開の原住民との血なまぐさい抗争や、平和的な混血を繰り返して、発展して行きました。1525年には、ケーニヒスベルク(現ロシア領カリーニングラード)を、首都とするプロイセン公国が誕生します。
偉大な哲学者イマヌエル・カントは、このケーニヒスベルクの町で、1724年に生まれました。カントはこのケーニヒスベルクの町を、こよなく愛していました。そして、大学から帰宅すると、毎日同じルートを、同じ時間に散歩していました。それゆえケーニヒスベルク市民は、カントの姿を見て、時計の針を直したとまで言われています。
第二次大戦後、ドイツの敗戦により、東プロイセンは、北半分がロシア領、南半分がポーランド領とされ、ドイツ人はこの地から、いなくなります。
私は2004年8月にカリーニングラードに、来たのですが、お年寄りのドイツ人を、満載したバスが次々にホテルの前に到着するのを、目にしました。彼らは、まだ子どもの時に、ドイツ敗戦により、この地を追出されたのです。
ソ連時代は、外国人がカリーニングラードに入ることは出来ませんでしたが、現在は立ち入り可能になって、彼らはやっと故郷を訪ねることが出来たのです。
バスから降りて来るドイツ人相手に、ロシア人がマトリョーシカ人形や琥珀を、露天で売っています。小学生くらいの子どもが、親の商売の手伝いをしていますが、なんとドイツ語で話しているのです。これには、びっくりしました。
もしヒトラーが、ソ連に攻め込まなかったら、このドイツのお年寄りたちは、まだこのケーニヒスベルクで、生活していたでしょうに。ドイツとソ連は、独ソ不可侵条約を結び、友好国でした。1939年には、ブレスト・リトフスクで、対ポーランド戦勝パレードを、ドイツ、ソ連両軍が、仲良くやっていたのです。
ところが、1941年6月22日、ヒトラーはバルバロッサ作戦を始動させ、ドイツ軍のソ連への、奇襲攻撃が始まります。ソ連軍は敗退を重ね、ついにモスクワ前面まで、ドイツの占領下に。
しかし、ソ連戦車T34の出現、ジューコフ将軍の登場、さらにはアメリカの参戦と、あいまってドイツ軍は退却を余儀なくされ、1945年にはドイツの東プロイセンにまで、ソ連軍はやって来ました。
ソ連兵が、ドイツ国内で最初に使ったドイツ語は、「フラウ コム(女、来い)」。そこには、略奪、暴行、殺人、まさに地獄絵図が、展開されていました。
これに対して、デーニッツ海軍総司令官のもと、東部ドイツ人の西方への避難を、海路で行うために、ドイツ海軍は、決死の救出作戦を、行いました。ケーニヒスベルク、ピラウ(現ロシア領バルチースク)、メーメル(現リトアニア領クライペダ)、ダンチヒ(現ポーランド領グダンスク)から、ドイツの避難民を、次々に移送しました
1945年4月30日、ヒトラーは自殺をし、第三帝国の後継者に、政治とは無縁で、生粋の職業軍人の、デーニッツを指名しました、。もうこのころには、西部ドイツ戦線では、ソ連の占領下になるよりは、アメリカに占領された方がましだとされ、銃声は聞こえなくなり、町には降伏を意味する、白いシーツが窓から垂れ下がっていました。ナチスの政治指導者たちも、戦争の終結を、望んでいました。
しかし降伏は、東部ドイツ人の救出を、放棄することにもなります。デーニッツは、ドイツ全軍の将兵に対して「義務を遂行せよ」と、声明を出しました。この後も、ドイツ海軍は、連合軍の無条件降伏を、受け入れるまで、東部住民の西方への、海路の移送が続き、大半の住民の救出に成功するという、偉業を成し遂げます。
戦後、デーニッツは、ニュルンベルクで、戦争犯罪人として、訴追されます。デーニッツに対する判決は、禁固10年。しかし、いかにこの裁判が、勝者による復讐劇であったにもかかわらず、デーニッツを、人道の罪では、裁けませんでした。
大戦中ヒトラーは、数多くの間違いを、繰り返しました。しかし最後の最後になって、デーニッツを、後継者に指名するという、正しい判断を下しました。なぜなら、もしデーニッツでなければ、ここに来ているドイツのお年寄りのかなりの方たちが、生きることができなかったと、思うからです。
カリーニングラードの町には、荒果てたドイツ風の建物と、醜悪なクヴァルティーラ(社会主義独特の箱型の集合住宅)が、入り混じっており、調和が全く取れていないのが、ユーモラスですらあります。もしケーニヒスベルクの持ち主が、ドイツ人のままだったら、西部ドイツのような、美しい街なみだったのでは。ああ、戦争さえなければ。
私が出会った、カリーニングラードの、ロシア人の大学生は、ペレストロイカの混乱時に、食料、衣類や医薬品を送ってくれた、ドイツに感謝していました。そして、現在も、町を綺麗にしてくれると。あの、ナチス・ドイツのソ連侵攻に対しては、「悪いのは、ドイツの指導者で、ドイツ国民ではない」と、きっぱり。
ドイツ時代の建物には、銃弾の跡が見受けられ、かつての激戦がしのばれます。また、大勢の故郷を追われたドイツ人を、目にします。このドイツ人と、ロシア人が、笑顔で接しているのです。
ドイツ政府は、カリーニングラードの返還要求をしていません。これからも、この地は、ロシアのままでしょう。しかし、カリーニングラードを代表する人物は、今後もイマヌエル・カントだと思うのです。町を歩いていると、戦争は無意味だと実感します。そしてカリーニングラードの町自身が、カントの唱える永久平和を、呼びかけているようにすら、感じるのです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- アエロフロート・ロシア航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大聖堂です。
ドイツの援助で、修復されました。 -
カントのお墓は、大聖堂の裏に。
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カントのお墓。
あの時代に、永久平和を唱えていたとは、凄いですね。
忙しすぎて、結婚はしませんでした。
最期の言葉は、「エス イスト グート(これでよし)」 -
大聖堂の2階は、博物館。
第二次大戦前の大聖堂です。 -
第二次大戦終了時です。
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イマヌエル・カントです。
昼食には、毎日友人を呼んでいました。
親友はいたれど、真友はいなかったようです。
チーズが、大好きだったようです。
あと、健康食品として、毎日アロエを、食べていましたが。 -
大聖堂と、モンスターハウスです。
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別名モンスターハウス。
プロイセン軍国主義の象徴とみた、ソ連政府は、ケーニヒスベルク城を、爆破。
この跡地に、ソビエト人民の家を、建築しようとしました。
しかしこのお城には、地下室があったため、建築のさなかに、建物が傾いてひびが。入ってきました。
それゆえ、建築は途中のままで、そばには寄り付けないように、柵がしてありました。
女性ガイドさんは、お城に住んでいた人たちの亡霊が、この地を、ロシアに渡すものかと、悪さをしていると。
この醜悪な建物は、「モンスターハウス」と、呼ばれています。
ところで、このモンスターハウスが、現在修復され、ショッピングモールにされるようです。 -
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琥珀博物館です。
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ナチス時代は、ゲシュタポの建物として使用。
ソ連時代は、КГБ(KGB)の建物として
ロシアになってからは、ФСБ(ロシア連邦保安庁)建物として、今に至る呪われた建物。 -
ロシアの建築。
劇場。 -
大学です。
ドイツ文字が、見えます。 -
このような廃墟みたいな建物が、いくつかあります。
弾痕も見えます。 -
ガイドさんです。
ともかく、よく食べます。
とても明るい方です。
しかし、日本で人気のゴルバチョフさんの話題になると、厳しい表情になり、「日本人の彼に対する評価は、間違っている」と、きっぱり。
この方のみならず、ロシア女性は、力強いです。
そしてよく働きます。
ソ連の崩壊して、国はカオスの状態に。
でも、今は立ち直ってきました。
ロシア女性のふんばりが、相当あったと思います。
外交辞令ぬきで、脱帽です。 -
まだ、この頃のロシアは,大変な時期でした。
ドイツの援助で、町を綺麗にしています。 -
ドイツの援助で、町の修復です。
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ドイツ時代の建物です。
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チェチェン人のアーティストの家です。
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チェチェン人のアーティストが、描いた油絵です。
絵の題名は、「デモクラシー」
ロシアの国旗の色をした卵から、デモクラシーの蛇が、生まれてくるという意味です。
チェチェンとロシアとの戦争を、悲しんでいました。 -
イギリス空軍の無差別爆撃で、ケーニヒスベルクは、瓦礫の山に。
しかし、この通りだけは、奇跡的に、無傷でした。
非戦闘員の殺害は、国際法違反なんですけれどね。
まあ、ドイツ人として生まれ、アメリカ人になった、マレーネ・ディートリヒは、「イギリス、アメリカが善で、ドイツが悪なので、ドイツへの無差別爆撃は、正しい」と言っていましたけどね。
あと、敬虔なクリスチャンの蒋介石総統は、原爆投下は、戦争を終わらせるための上帝(キリスト)の恵みだと、おっしゃっていますね。
マレーネが、戦後ベルリンに来たときに、一人のドイツ娘から、唾を吐かれて、ショックを受けましたが。 -
かつて、ドイツ人が、住んでいた家です。
カリーニングラードとなった町に、ソ連の人が、移住して来ます。
彼らは、ドイツ人が残していった、家具や食器を、そのまま使用しました。 -
ここに、やって来たソ連兵たちは、水洗トイレを初めて見て、ここに顔を突っ込み、喜んで洗ったようです。
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北方4島が、ロシア領ということの、正当性の度合いに比べて、このカリーニングラードがロシア領ということの、正当性のほうが、はるかに低いです。
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イチオシ
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カント像です。お花が。
プロイセンは、スラブ人、その他の未開の原住民との混血が、進んで発展してきました。
さらに、カトリックを国教とするフランスから、新教徒のユグノーが、逃げてプロイセンにやってきました。
ドイツ人の勤勉、規律正しさは、このユグノーが、もたらしたものです。
プロイセンの中心都市である、ケーニヒスベルクは、海外交易としての要地でもありました。
こういった、コスモポリタン的な町である、ケーニヒスベルクの地に、カントは生をうけたので、偉大な哲学者になったと思うのです。
言い換えれば、ケーニヒスベルクが、カントを生んだのです。
カント自身、このケーニヒスベルクについて、「一国の中心をなす大都会、官庁や大学があり」「人や世界を知るのに、ふさわしい場所と言えよう」と、述べています。
なお、ケーニヒスベルクは、このような背景があったため、ナチスの人種論理に対しては、冷淡な態度でした。 -
今でも、健在なレーニンさん。
でも、カリーニングラードを、代表する人物は、レーニンさんじゃないです。
レーニン像の前には、ごらんのように、お花がないです。 -
バルチースクに入る検問所
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ピョートル大帝。
この地はロシアだと。 -
ドイツ軍のブンカー
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現在は、簡易ホテル。
ここの2階から、ヒトラーは演説。
「アイン・フォルク アイン・ライヒ アイン・フューラー(一つの民族
一つの国家 一人の総統」 -
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教会です
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内部はロシア正教会に。
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ピョートル大帝
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子どもたち。
もうドイツは、この地の返還は、諦めています。 -
バルチースクには修復された綺麗な建物が。
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旧ドイツ領のザームラントに。
オスト(東)プロイセンのドイツ人を救出するために、ここでドイツ、ソ連軍の死闘が。
1945年、ドイツ陸軍最精鋭部隊である大ドイツ師団が、奮戦をしていました。 -
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内海は、きれいじゃないです
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猪が沢山いるようです。
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ドイツのお年寄りたち。
バスで次々とやってきます。 -
故郷を見に。
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子どもの頃は、ドイツ領オスト・プロイセンでした。
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あの家並みの向こうはリトアニア。
ガイドさんは、ソ連時代は、クライペダまで行けた。
でも今は国境がある。
リトアニア人は、ロシア人を好きでない、と寂しそうに。
バルト3国のロシア人は、マイノリティーに転落して、地元民から、いじめられています。
リトアニア人は、杉原千畝さんのことを、あまり知らないようです。
ナチス占領下のリトアニアでは、ユダヤ人の殺戮に、リトアニア民兵が協力したからです。 -
高台
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日本の東芝です
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ドイツ時代は、証券取引所
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サバ一尾400円
高いです。
ロシアは物価高いです。
日本と同じです
どうやって生活しているのか。
中国は安いですが。 -
カリーニングラード空港
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この旅行記へのコメント (3)
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- frau.himmelさん 2010/12/16 14:00:34
- ドイツ絡みでお邪魔しました
- こんにちは♪
カリーニングラード(ドイツ名ケーニヒスベルク)という町は恥ずかしいことに全く知りませんでした。
ドイツとは深ーい因縁があった町なのですね。
深い悲しい歴史があった街なのに、その当時住んでいたと思しきドイツ人の旅行客が訪れているとのこと、すばらしいことですね。
浦潮斯徳さまの文章がまた面白い! 惹きこまれます。
抜粋すると
マレーネディートリッヒのあの言葉、ちょっと…と思っていましたら、やはりドイツ娘に唾を吐かれましたか?
敗戦後、ドイツ館にやってきたソ連兵が水洗トイレを初めて見て顔を突っ込んだくだり…、私の旅行記「グムンデンのトイレ博物館」と被ってとても面白かった!
それから浦潮斯徳さまの思いが伝わってくるところも随所に…。
北方4島がロシア領という正当性に比べて、カリーニングラードがロシア領というのはおかしいと書いていらっしゃる…。
カリーニングラードを代表する人物はレーニンではなく、カントだとのくだりに 浦潮斯徳さまの思いを見たように感じました。
またお邪魔します!
- 哈桑湖さん からの返信 2010/12/16 19:21:39
- RE: ドイツ絡みでお邪魔しました
- > カリーニングラードを代表する人物はレーニンではなく、カントだとのくだりに 浦潮斯徳さまの思いを見たように感じました。
ご訪問ありがとうございます。ソ連が崩壊したあと、ウクライナの留学生から、カリーニングラードが、カントグラードかカントになるとお聞きしました。
実際、カリーニングラードの大学生の一人も、スターリンの同志が、町の名前では良くないと。まだ町は荒れ放題。ドイツの援助なしでは、無理でした。リトアニア、ラトビア、エストニアに続いて、このロシアの飛び地・カリーニングラード州を加えバルト4国になると冗談を、言っていました。
しかしプーチン大統領になり、石油収入でロシアは力をつけました。プーチンさんのリュドゥミラ婦人の故郷とあって、町はかなり綺麗になったようです。あのモンスター・ハウスも、ショッピングモールに。プーチンさん自体、ソ連へのノスタルジーがあるので、カリーニングラードは、カリーニングラードのままでしょう。
この地を訪れて、北方領土は、戻らないと思いました。ポーランド、チェコ、リトアニア、ロシア、デンマーク、ベルギー、フランスは、大戦後ドイツの領土一部を奪いました。国境の変更は、ヨーロッパでは、もう認めないのです。プーチン大統領が就任したときに、「歯舞、色丹を返還して、平和条約を結びましょう」と言ってきたときに、何とかしていればこの二つだけでも日本になったのに。もう一つも戻りません。残念です。
本日は12月16日ですが、1944年12月16日は、ドイツ軍最後の反撃・ラインの守り作戦が、発動された日です。無条件降伏をつきつけた連合軍に、襲いかかります。油断していたアメリカ軍は、大勢捕虜になったり戦死します。
マレーネ・ディートリヒは、このとき、アメリカ軍を慰問に訪れていました。マレーネと親密な関係を結んだアメリカ兵は、次々死んでいったようです。
この最後の反撃をもとに、アメリカ映画「バルジ大作戦」が出来ました。この映画で、若いドイツの戦車長が歌うパンツァー・リート(戦車の歌)は、一躍有名になります。
ただ映画の内容は、デタラメです。アメリカ兵の捕虜を、ナチスの親衛隊が射殺するシーンがありますが、実際は雪中で濃霧のため、アメリカ軍の捕虜に発砲したようです。
この事件は、マルメディ事件として、アメリカでは有名になります。戦後、武装親衛隊の大勢の指揮官が、裁判にかけられます。ヨアヒム・パイパーは、この事件に対して、射殺命令を出してはいないが、部下のしたことは、いかなる事であれ、指揮官の責任と述べ銃殺刑(絞首刑は、犯罪者として処刑。銃殺刑は、軍人として名誉ある処刑)を、請願します。
パイパーが、捕虜を正しく扱ったということや、イタリアでユダヤ人を助けたことを、証言する者もいましたが、ナチスへの憎悪から、退けられます。
しかし年月の推移とともに、ドイツに対する憎悪も弱まり、この被告たちは、保護観察つきで、突然釈放され、この事件はうやむやのまま終わります。
パイパーは、大戦を生き延びましたが、フランスの寒村で翻訳業で、ひっそりと生活していたのですが、フランスの共産主義者のテロリストに殺害されます。
日本では、マニアには、パイパーは好意的に受け止められ、タミヤの模型 にパイパーがあります。
あと、カリーニングラード紀行ですが、バルチースクの写真を入れれば完成ですが。
あと、ユーチューブに、「バルジ大作戦」をいれると、戦車長の歌うパンツァ・リートが、出てきます。
有名な映画で、サンダース軍曹が出てくる「コンバット」は、ドイツ人によれば、「コンバットという嘘っぱちの映画で、一つだけ正しいことがある。それは、連合軍がノルマンディーに上陸したことだ」と。
- frau.himmelさん からの返信 2010/12/18 16:57:45
- RE: RE: ドイツ絡みでお邪魔しました
- 浦潮斯徳さま
またまた興味深いお話ありがとうございます。
「バルジ大作戦」なつかしい〜!
ユーチューブで「パンツアー・リート」聞きました。
すっかり忘れておりました。しみじみとしたいい曲ですね。
その頃の戦争の音楽と言ったら「史上最大の作戦マーチ」の
あのワクワクするような賑やかな曲がすぐ浮かんできますが、
いい曲もいろいろありましたね。
その時代はほとんどがハリウッド映画でしたが、ドイツ軍の軍服が
とてもカッコよかったと思いました。(まだ若かったです…)
浦潮斯徳さまのコメントはコピーして、知らない人物が出てきたら
調べています。それでまた面白い事実を見つけたり…と、楽しんでいます。
ところで、リンツ編に取りかかろうと思いいろいろ調べていますが
ヒトラーとリンツ、非常に深い関係があったのですね。
検索でゾクゾク引っかかります。
知らなかったのは私だけ? 無知をさらけ出してしまい恥ずかしいです。
教えてくださって有難うございます。
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