2010/05/24 - 2010/05/24
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名犬デブイヌさん
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ハレ(Halle/Saale)はザーレ河畔にある町です。毎年4月から9月まで、ギービッヘンシュタイン麓の船着場から遊覧船でザーレ川クルーズを楽しむことが出来ます。今回は遊覧船でザーレ河畔の古城の町ヴェッティンを訪れてみることにしました。ヴェッティンはザクセン、テューリンゲン地方を治めた有力な諸侯の家名のもととなった町です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船
PR
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遊覧船の乗り場はハレ・ギービッヘンシュタインの麓にあります。コースは様々で、詳細はホームページで確認せねばなりません。ヴェッティン行きはシーズン中のレギュラーコースで、毎週水・土周航です。天候等に左右されることがある故、出発30分前までに最低15人程度客が集まらなければ船はでません。
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乗船チケット。往復16ユーロ。旅程ですが正午に出発して戻ってくるのが18時。かなり長丁場の旅です。途中ヴェッティンで1時間半の観光タイムがあります。
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船上から進行方向を眺めてみました。ヴェッティンはハレよりも下流にある町です。
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橋の上にはレトロ路面電車が走っていました。ここは毎年8月末に行われるランタン祭の舞台でもあります。
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ギービッヘンシュタイン城。船が出発し、城からどんどん離れていきます。
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大きく湾曲した橋が見えてきました。結構高い橋です。川の左対岸は中州になっています。ここはY字路になっており、船は右に進路をとり橋をくぐっていきます。
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橋をくぐってしばらく行くと運河があります。この付近の川には大きな落差があるため、運河で水面の高低を調整しているのです。運河を通過するのなんて、生まれて初めての体験です。
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運河の中。運河の前後をぶ厚い鉄のゲートで遮断しているので、船は大きなプールに浮かんでいる状態です。進行方向であるトロータ側の水面方がハレ側よりも低くなっているので、この運河で水の高さを下げるのです。
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あれよあれよという間に運河内の水が少なくなっていきました。もう1メートルほど下がったでしょうか。
これからまだまだ下がります。水が抜かれていく間、船は結構揺れました。 -
かなり下がりました。2メートル以上は下がったと思います。これで進行方向トロータ側の水面と同じ高さになりました。運河の管理人さんによってゲートがゆっくりゆっくりと開いていきます。
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接岸の際に岸に結びつけたロープを船長さんが外しているところ。
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閘門が開きました。いよいよ出発です。
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運河を越えると進行方向右手に大きな工場群が見えてきました。何の工場なのかは不明。操縦士さんのガイドによるとトロータ港という港があるのだとか。写真はコンテナの集積場。船を横付けする設備は立派で綺麗なのですが、はたしてまだ稼働しているのかどうか…。まぁ週末故に工場がお休みで稼働していない風に見えているだけかもしれないですが。
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ブラシュヴィッツ(Braschwitz)という地域にさしかかった時、興味深いものを発見しました。自動車を渡すフェリーボートです。
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正面から見たところ。自動車だけでなく、オートバイ、自転車、そして人間も可のよう。河畔地域ならではの光景なのかもしれませんね。
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船はザルツミュンデ(Salzmünde)という地域にさしかかりました。進行方向左手に大きな建物が見えてきました。これ、穀物貯蔵庫だそうです。窓ガラス等が割れているので今は廃墟なのかな。
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ドイツの初夏の風景で、私が一番美しいと思うのがこの黄色い絨毯。物凄く広い畑一面を菜の花が覆っています。初夏のみずみずしい緑色とこの鮮やかな黄色のコントラスト。自然が織りなす芸術ですね。
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ザーレ河は流れが緩やかな流域が多いせいか、遊覧船の他にも個人ボートやカヌーををしばしば見かけました。ビューんと高速で走り去っていくものもよいけど、川辺に船を寄せて川涼みを楽しんでいるのは気持ちよさそうでした。
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ヴェッティン到着です。ザーレ河畔から望むヴェッティン城、想像していた以上に雄大で美しいです。お城とザーレ河、素晴らしいロケーションですね。あ、この部分はUnterburgと言われるところです。
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Unterburgを背後から。
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こちらはOberburgです。現在小学校の校舎として用いられているのだとか。
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船が岸に横付けされ、いよいよ1時間半の観光タイムです。まず地図に従って町のマルクトに向かいました。ここがそうなのですが坂の上にある狭い狭いところ。ホテルとレストランがそれぞれ一件ずつありました。
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マルクトの脇にあった塔。19世紀頃の年号が刻まれていました。
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薬局。営業してるのかなー。
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ヴェッティンの市庁舎です。割と立派な建物ですね。ガイドブックによると、建物の歴史は17世紀にまで遡ることが出来るとのこと。
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正面に刻まれていたレリーフ。そのすぐ下にAnno 1660とあります。ラテン語でAnnoは年。ということは1660年という意味。レリーフないの文字は潰れてしまっていて解読不可能。
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市庁舎の入口前はこのようなトンネルになっています。中がどうなっているのか気になりましたが土曜日故入れませんでした。この塔の上に登れたらいいだろうなー。高所恐怖症だけど(笑)。
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市庁舎の裏へと続く道があったので「ザーレ河を見下ろせるのでは」ないかと思い歩いていきました。眼前に突如広がったのがこの風景。逆光故にちょっと暗めになってしまいましたが、黄色い絨毯がなんとも鮮やか。やっぱり綺麗だな、ザーレ河畔。
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市庁舎沿いに歩いていくと、Oberburg/Mittelburgの入口に着きました。門も何もなく自由に入れるのかと思いきや、このお城の全敷地は小学校、音楽・芸術学校、ギムナジウムのもので、自由に立入りできなくなっているのだそうです。
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でも、ちょこっとお邪魔して写真撮影しました。Oberburgの遺構の一つSchalenturmという塔の跡だそうです。正面の高い建物、これは比較的新しそうですね。
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町のインフォメーション発見。Mittelburgの建物内にありました。土曜日の午後に開いているインフォメーションって珍しい。インフォメーション内には本屋さん(ヴェッティンの歴史に関するもの)と歴史博物館があります。町の地図は無料で貰えます。職員さんがいらっしゃったので、見所を教えてもらいました。親切な方で色々教えてくださいました。
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Mittelburgの建物です。丁度写真奥手が先程訪れたインフォメーションです。小学校っぽい建物が並んでいました。
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上の建物丁度正面。船の上から見えた茶色い方の建物の丁度裏側に当たる部分です。これも教室なのかな?
トラックで荷物を搬送している人がいたので、ひょっとしたら倉庫なのかもしれませんね。 -
今度は船の上から見えた白い建物Unterbergの探索です。ここも学校施設で、ギムナジウムとして利用されているそうです。特に「敷地内立入り禁止」という看板もなく、門も開いていたので中に入って写真を撮らせてもらいました。
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Burg-Gymnasiumという学校の看板です。不思議な絵がついているということは芸術系のギムナジウムなのかな。こういう古城を学校に再利用した例はハレにもあります。ギービッヘンシュタインの芸術学校がそうですね。
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城の中に入ってみました。写真右奥にあるのがWinkelsches Palaisという建物です。なんか教室っぽかったです。写真正面に見える掲示板は、このギムナジウムで学ぶ学生さん達用の案内板です。
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Rittersaalと書かれた地下壕への入口。Rittersaal、騎士の間ぐらいの意味なのかな。施錠されていて中には入れませんでした。ここは一体どういう目的で使われるのでしょうか。
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写真左手が、船の上から見えた白い建物の裏側にあたります。こんなに色々な建物があるとは思わなかった・・・。写真右手奥、半円状のアーチを描く建物が何やら賑やかだったので訪れてみると・・・。
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そこは観光客も立ち寄ることができるカフェテリアでした。もっと時間があったら立ち寄ってお茶でも飲めたのですが・・・。建物の前には芝生が広がっています。
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ヴェッティンの町並み。小高い丘の斜面に家が建てられており、平地はごく僅かしかない模様。生活、不便だろうなー。城に登る前、この付近を少し歩きましたが、商店らしきものは殆どありませんでした。どこで買い物等するのでしょうかね。
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再びOberburg方面へ。観光地図にあったニコライ教会(Nikolaikirche)を訪れてみることに。小さいながらも長い歴史のありそうな建物です。残念ながら中には入れず。中からピアノやら弦楽器の音が聞こえてきました。音楽学校の生徒さんが使ってたのかも。
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教会脇にあった石版。2度の世界大戦で命を落とされた方々の名前が刻まれていました。戦没慰霊碑みたいですね。しかし石版の文字は薄くなっていて殆ど解読不能でした。
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さらにその脇に比較的新しい石版発見。ヨハン・エルンスト・グリュックという人物の功績を称えたものみたいです。17世紀中葉から18世紀初頭に活躍されたのかな。Marienburg/Livlandの牧師で、Livlandとモスクワで学校を建てた人。そして最初のラトビア語(Lettisch)聖書の翻訳者とありますね。
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Große Kirchgasseという通りを示す看板。画面上のが旧式で、下のが最近できたっぽいです。町の整備は進んでる模様。しかし、それはメイン通りのみで、路地裏にはいるとボロボロの建物が軒を連ねています。
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これがGroße Kirchgasse。石畳で風情ありますが、右側の廃墟がいただけない・・・。整備すれば景観よくなるのに。まぁ、こういう通りを整備して、例えば飲食店なんかを作っても観光地としてはまだまだなので商売できないのかな・・・。
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一通り丘の上にある主要な建物を見終えたので、船の乗り場近くまで戻ってきました。一つ気が付いたのは、ヴェッティン城は町のどこにいても見えるようになっているということ。日本風でいうと城下町なのか。お城の麓は写真のように芝生が敷かれた公園になっており、市民と観光客の憩いの場になっています。
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ここヴェッティンにもありました。渡し船です。さっきブラシュヴィッツで見たのよりも船のサイズは大きめでした。一度渡ってみようと思ったのですが・・・。これ無料じゃなくて有料でした。といっても、メチャメチャ高額ではないですが。子供と年金受給者が10セント、人(14歳から)が20セント、自転車(人を含む)が30セント、原付40セント、バイク50セント。自動車が1ユーロ。トラックが3.5ユーロ、バスが5ユーロ、農作業機が7ユーロ。
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車が降りてきました。お金はいつどのタイミングで払うんだろうか・・・。
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1時間半なんてあっという間に過ぎ去りました。再びハレに向けて出発です。再出発の10分ぐらい前にに船の桟橋のゲートが開き再び船内へ。この時必ずチケットを見せなければなりません。気温はいい具合に上っており、ポカポカ陽気はとても心地よかったです。ゴロンと寝ころびたかったです。客席の後の方はがらがらだったので、最後尾で一人ふんぞり返って河畔の景色を眺めていました。
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さよならーヴェッティン。天気もよかったし、沢山綺麗な建物もみることができたしほんと満足な旅になりました。8月にはお祭りがあるそうなのでまた来てみようかな。今度は陸路で。
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船首側。行きは船尾側の方が混雑していたのに、帰りは船首側が大人気でした。なんでだろうー?みんな、時々行き交う自家用クルーザーやカヌーに乗ってる人に手を振っていました。
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向こうから同じくハレからやってきた遊覧船がやってきました。結構遅い時間、4時過ぎなのにどこへ向かうのだろう・・・。後で調べたらPeissnitzという小型の遊覧船でした。
河畔を観察していると、釣りをする人、クルーザーを停めてお茶を楽しむ人、丘の上で寝っ転がっている人等々、様々にこのポカポカ陽気を楽しんでいました。 -
午後5時半過ぎ、船は再びトロータの運河に入っていきました。まだ運河内の水位は低いです。これから徐々に高くなります。写真の中央奥、すでに水門から水が流れ出ているのがわかります。
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船が運河内に収まると、閘門付近から流れ出る水の勢いがますます激しくなりました。船が徐々に上昇していくのがわかります。水位が下がっていった行きとは違い、水位が上がっている間船は物凄く揺れ、船首がどっかんどっかん壁にあたっていました。
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水位はだいぶ上がってきました。下から上へズンズン上がっていく光景は奇妙でした。揺れたのは怖かったけど。
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運河内に水がたっぷり溜りました。ざっと2メートル以上は水位が上がったでしょうか。これで閘門の向こう側の水位と等しくなり出発可能となります。遊覧船の旅も残すところあと僅かです。
何とか無事ギービッヘンシュタイン下の船着場に到着しました。長い長い6時間の旅がようやく終わりました。 -
観光インフォメーションで買った、ヴェッティン城が描かれた布袋です。
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この旅行記へのコメント (2)
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- しょうちゃんさん 2010/09/19 16:09:07
- RE: マルクト・プラッツの塔
- 名犬デブイヌさん 今日は 旅行記楽しく拝見。ところで、マルクト・プラッツにある塔(19世紀)は1866年と読めますので、普奥(プロイセン・オーストリア帝国)との戦争勝利を記念する塔でしょう。もし、戦死者を弔う塔であれば、亡くなった兵士の名前が記されています。1966年の戦争記念碑は、戦場だったチェコのHradec kralove(ケーニヒ・グレーツ)にあり、毎年7月上旬の週末にパレードがあります。
- 名犬デブイヌさん からの返信 2010/09/20 22:24:14
- RE: RE: マルクト・プラッツの塔
- 書き込みありがとうございます。
そうだったんですね。いやー、全然知りませんでした。
情報提供ありがとうございました。
> 名犬デブイヌさん 今日は 旅行記楽しく拝見。ところで、マルクト・プラッツにある塔(19世紀)は1866年と読めますので、普奥(プロイセン・オーストリア帝国)との戦争勝利を記念する塔でしょう。もし、戦死者を弔う塔であれば、亡くなった兵士の名前が記されています。1966年の戦争記念碑は、戦場だったチェコのHradec kralove(ケーニヒ・グレーツ)にあり、毎年7月上旬の週末にパレードがあります。
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