2010/08/29 - 2010/09/01
37942位(同エリア49774件中)
shinkoさん
- shinkoさんTOP
- 旅行記90冊
- クチコミ14件
- Q&A回答5件
- 289,517アクセス
- フォロワー8人
8月末沖縄に行ってきました。沖縄戦跡を辿るのと美ら海水族館が主な目的でした。台風上陸で大変でしたが、それなりに楽しめました。前半は南部へ。なんとも言えない重い体験でしたが、平和な今が当たり前でないことを改めて思いました。ひめゆりでは元女子学生の方のお話を聞く機会があり、体験談に体と心が震え、アブチラガマの壕もNGOの方に案内してもらい、その暗闇の深さを実感しました。重いけど絶対に忘れてはいけない歴史です。写真はガマを出たときに見た青空です。青い空、白い雲、サトウキビの緑、照りつける太陽、はっきり覚えています。
-
8月29日羽田出発。国内線は久しぶりですが、飲み物もお茶以外有料になったのですね。
-
ひめゆりの塔へ。黙祷してから中へ。
元ひめゆり学徒の方の体験を拝聴する。看護要員として240名が豪の病院に配置された。米軍が迫る中、突如戦闘地で『解散』命令。100名余りが犠牲に。酷い指示です。 -
もう高齢になった生存者の方のお話には胸がつまります。時間が止まっているかのように友人の名前が次々出て鮮明に事実を話して下さる。
終わったら私の所に来て『よく聴いてくれました』と頭を下げられ…。親や親戚の体験とダブって涙涙…。 -
その後館内を廻る。撮影は禁止。出口からの写真を撮る。足取りが重くなる。館内で印象的だったのは、やはり体験者の話を綴った証言本の数々がある『鎮魂』の部屋でした。
-
動員から解散までの外の解説版。
-
次に首里城へ。正殿内1Fの玉座。この下が世界遺産です。
-
この足元の遺構が世界遺産。
-
中は割愛。出口から下り道脇の階段を下へいくと。
-
首里城抗戦の時の日本軍司令部の陣があった場所がある。
-
翌日、NGOの方に案内されて南東部玉城(タマグスク)にある糸数アブチラガマの壕に入る。ひめゆり学徒の方も居たそうです。
-
地図の場所をアップ。
後日元ひめゆり学徒の方が入っての感想は『ずいぶんキレイになった』とのこと。当時は負傷兵や脳症患者もいて叫び声や匂いですごい状況だったとか。 -
ガマの地形。約270mに600名が入っていたとか。
日本軍の陣地、病院、住民の隠れ家、と順に3つの役割の場所となったそう。
真っ暗なのでヘルメットに懐中電灯を照らし入る。 -
中で懐中電灯を消すと本当に真っ暗で何も見えなかった。足場も悪い。ガソリンの焼け焦げた跡も。
避難民は6/23の沖縄戦終結後も2ヶ月このガマにこもり、米軍に収容されたのは8/22だとか。 -
平和祈念公園へ。平和の礎と資料館へ。
-
軍人・市民・国籍を問わず沖縄戦でなくなった方すべての礎がある。出身地別に刻まれている。ここでもNGOの方に説明を受けて具体例を聞かせてもらった。司令官の名前も見つけた。
-
海側にある平和の火から礎を見る。
-
-
資料館へ。内部は撮影禁止。
ここにも体験者の『証言』の数々が。戦争で沖縄県民50万の約1/4が犠牲になった。 -
5F展望室から。
-
展望室から平和の礎を見る。
-
出口の結びの言葉。館内は撮影禁止。なのでパンフレットの写真を写したのでピンボケです。
-
3日目に本島に台風上陸。行くはずの行楽地もすべて朝から閉館、路線バスも全て運休、飛行機も欠航。『ためしてガッテン』再放送にも台風情報が。あ〜ぁ…
-
こんなふうで浜も危険です。ホテル1F吹き抜けも通行禁止。これもめったにない貴重な体験かも(笑)。
台風は沖縄にとって水不足解消になり暑さも防げるので、なくては困る自然現象だそうです。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
23