2010/07/30 - 2010/08/02
224位(同エリア288件中)
Toshさん
コッコンまで行ったものの、賄賂を支払うのが嫌で越えなかった。とりあえずがプノンペンへ向かう。2日間滞在し、結局ラオス−カンボジアのボーダーを越え、ラオスに入国する事にした。賄賂がいるという情報は聞いていたが、2週間のビザが無料なわけだし、もしかしたら払わなくても良くなるかも知れない。もしかしたら賄賂は避けれるかもしれない。
体調:睡眠欲が戻り、薬を飲まなくても眠れるようになった。90%回復ってところか。しかし、まだ多少の症状は残っている。これがなくなれば全快だ。左側の脳、首筋、肩、肩甲骨と背骨の間、背中脇の下の神経が張っていて、首を回す旅に痛む。動きまわりすぎると、背骨と肩甲骨のリンパ球が膨れ上がり、仰向けに寝たり、椅子の背にもたれたりすると、そこから脳天に痛みが走り、首筋が太くなってくる。加えて、このリンパ球と首筋は味覚に影響しているらしい。食物が食道を通るとき、異物が通過するような感じがして味覚が無くなる。
宿:
「Capital Guesthouse」(プノンペン:7月30日-31日:2日間)
$3×2=$6×4,200KMR=25,200KMR
条件未満:インターネット接続無
「Riverside Guesthouse」(ストゥントレン:8月1日)
$5=20,000KMR
条件未満:インターネット接続無
出費: 3日間合計193,500KMR+$1
・宿泊費 45,200KMR
・飲食費他 76,500KMR
・交通費
コッコン−プノンペン 約18,000KMR
プノンペン−ストゥントレン $9=9×4,200KMR=37,800KMR
ストゥントレン−ラオスボーダー $4=4×4,000KMR=16,000KMR
・賄賂 $1(ラオス側イミグレ)
円換算は下記URLにてお願いします。
http://ja.exchange-rates.org/
旅する"ワケ"
http://4travel.jp/traveler/ichayaiouno/album/10448441/
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2日目、コッコンのボーダーまで行ったものの、越えないことに決めた。迷っていた所、オーナーが翌日30日にプノンペンに行くと言った。
俺もプノンペンへ行こうかな…と思い、バスは何時か、チケットはいくらか聞いたところ、自家用車で行くとのこと。
「行くのなら、荷台に乗っていけばタダでいいよ。但し、雨が降ってきたら、合羽を着てもらうようしか無いけどね。」とのオファー。
…まあ、それも面白いんじゃない?…
翌日の朝、わずかばかりの持ち金を渡して荷台に飛び乗る。
さあ、出発だ! -
宿を出て、コンクリートだかダートだか分からなくなった道をガタガタ揺れながらクルマは走っていく。
-
いやー!暑い!日干しになる!
-
道がよくなり、風通しも良くなった。
こうなると荷台も快適だなあ! -
陽が隠れた!涼しい!
いい感じ!
一方、雨は降らないだろうかとチト心配。 -
プノンペン空港に到着、さあてもう少しだ!
…と思いきや、クルマはここでストップ。 -
仕方ないので、ここからセントラル・マーケットまで歩くことにした…
日照りと風で、この日は体力が消耗していた。歩く気力がないので、宿主に図々しく、
「さっき渡した小銭(約18,000KMR)でお金が尽きてしまった。ガイドブックにはセントラル・マーケットまで$2と書いてある。どうか工面してくれませんか?」と言うと、
10,000KMRを返してくれ、別れ際に、
「Good Luck!」と言って送り出してくれた。いい人だよなあ。
コッコンには、いい人が多いのかも!? -
俺の原則に反し、声を掛けてきたモトドップに乗り、オリンピックスタジアムへ行く。
途中でストップして、位置を確認すると、$1がどうのこうの言ってきた。
多分、$1割増だとか言っているんだろう。なので、即降りた。
地図を見ても、何処か分からない。
1時間ほどさ迷いながら、やっと出たモニボン通り。
この通りを歩いて行けば、まもなく宿が見えてくる。 -
やっと着いたキャピトル・ゲストハウス!
あー、遠かった! -
そうか、ここはキャピトル・バスを運営している会社か。
シェムリアプからポイペトまで一度乗ったなあ。 -
$3の部屋
部屋に窓がなく、タバコ臭いのが難点だが、値段相応という感じだ。
また。換気が悪く、熱がこもるので寝苦しかった。そんな時は、冷たいシャワーを浴びてからねた。 -
3日連続して薬なしで眠れたので、ビールを飲むことにした。
シェムリアップで会ったジョー曰く、
「ビールは、SAPPOROかKLANGがうまい!」ということで、クランを飲んでみた。
久々に飲むビールは旨かったー! -
2階の共用ベランダから建物の前を走る道路を撮影
大きなビルの前にはパラソルがいくつも立っている。市場があるのか? -
建物の前の道路は活気がある。プノンペンは都会だ。
-
わずか2・3週間の間にかセントラル・バス・ターミナルの待合叙の一分が改装され、コンビニが出来ていた。
出発日の8月1日の朝食は、ここで買ってバスに乗り込んだ。
プノンペンにいる2日間、セントラルマーケット周辺でまだ歩いたことのない場所に行ってみた。
すると、新しい発見があった。ある通りに両替の店がずらりと並んでいて、川沿いを確認してから行くと、レートが川沿いよりも良かった。
やはり、どこでも市場周りのレートが一番良いらしい。 -
バスは立派なバスだった。
-
脇に書いてある文字から、彼は台湾からやってきたらしい。
カンボジアで羽を伸ばし、セカンドライフを満喫しているようだ。 -
停車場には、アヒルが4匹仲良く散歩していた。
…俺の方にやってくる…でも、君たち、どこを見てンの?
至近距離になっても、彼らは顔を挙げず、視線上にある俺の足をつつき始めた。
え?俺のあしが餌に見えるのか?
…そういえば、今までに色々な生き物に食われたなあ…蚊、ブユ、ヒルと…水虫…って、コレは違うか。ははは -
クラティエまではこんな風景が続く。
畑畑畑、ぽつりぽつりと人が住んでいる気配があるテント。 -
あららら!クルマがヒックリ返っている!
人の足が見える。
こんなんじゃ…
と思っていたが、近づいてよーく見てみると、まだ生きていた!凄い! -
みんなで助けた!俺も少し手伝った!
丸太をあちこちから持ってきて、てこにしてクルマを持ち上げた。
中にいる運転手は、どうやら意識ははっきりしているらしい。血も流してない。
どうやら大丈夫だ。財布をつかんだまま、テコでも離さない!
やがて、十分な隙間ができ、抜け出てきた。
骨が折れているかどうかは分からないが、十分一人で動いて歩くだけの力はあった。見かけは普通、人とも普通に話をしていた。
良かったー!
本当にラッキーな人だ! -
バスは再び走り始め、次の停車場に到着。
「これぞカンボジア!」という感じの所だった。 -
この草は…見たことあるなあ…沢山生えているぞ!
-
お昼休憩をしたあと、てしゅっぱーつ!
バスが動き出し、写真の丁字路で左折。 -
川イルカ(イラワジ・ドルフィン)で有名な町、クラティエでの1枚。
そういえば、俺の横にはここまで青年が座っていた。青年は、手に透き通った(ゴミ?)袋を持ち、その中にフランスパンが10本くらい入っていた。
パンからなのか、彼からなのかわからないが、とにかく嗅いだことのない異臭が出ていた。
彼は、お腹が空いては中に入っているパンをかじり、かじり終わったかと思うと袋に返した。
彼は、音楽が好きな様子。手に、ウォークマンを持ち、何本かテープを持っているようで、それを取っかえ引っかえかけて聞いていた。
音がウルサイ!
でも、そんな事は彼には関係なかった。
何時間かすると、飽きたらしく、ウォークマンをパンの入っている袋に入れた。
…へ?袋は食物入れでなく、バックだったのか?!…まあ、いいや…
そして、クラティエにとうちゃくすると、バスの前の方にある、荷物用スペースからリュックを取り上げ、さっそうとバスを降りていった。
カッコイイ!? -
クラティエを過ぎると、家は立っているものの、周りに畑は広まっていなかった。
-
どうやら、ここの住民は畑農業で生計を建てているらしい。
あちこちに焼かれて黒焦げになった木が立っている。
草木の燃えた灰を肥料にして新しい植物を育てるとは聞いていたものの、実際に見るのは初めてだった。
この土地の人は、これ以外に生きる手段を知らない。なので仕方ないとは分かっているものの、見ているうちに、
「え?こんなに木を焼いてしまって大丈夫なの?砂漠にならないの?」という素朴な疑問が湧いてきた。 -
おーっと自然が呼んでるかー?!
我慢できない人はいませんかー?
男性が2,3人バスから出て行った。
…と思っていたら、おばちゃんも同じ数だけ出て行った。
いやー、木に葉っぱがついててよかったねえ、バッパさん。 -
ストゥントレンにやっと到着。
いやー!7時半に出発して色々あって、着いたのは4時半になっちゃったよ!
でも…あれ?…チョット違うぞ!何だ?…
いつもならモトドップがウジャウジャいるのに、ここにはいない!何で?! -
町を歩いて、理由が分かった。
バス・ステーションからメコン川に歩いて生き、行き止まりをぐるっと見回すと、ほとんどのゲストハウスが見えてしまったのだ。
なるほどねえ。これじゃあねえ。
この日宿泊したのは写真左の建物、リバーサイドゲストハウス。$5
有線インターネットがあったが、遅い上に、1時間4,000KMRと高かったので使うのは止めた。
ボーダーへのチケットは写真右の建物の更に右の建物にあるバス会社で買った。$4だった。 -
久々に夕陽が沈んでいくメコンを見た。
やっぱりメコンはいい。 -
ここは恐怖のイカサマツーリスト会社!
-
ゲストハウスを訪ねると、主人が現れてこの名刺をくれた。
部屋は$3からあるのか、なかなかいいんでない?
チケットもここで売ってるのか。
でも、$5ではなあ…
翌日、バスの時間になると、なぜかここに連れてこられた。
…バス会社でキチンとチケットを買ったのになぜ?…
と思っていると、彼が出てきた。
そして、「8時半のバスは故障して来れない。」と言い、
「バスは、12時半になる」と加えた。
…修理が終わるまでそんなに時間がかかるハズはない…
そう思い、チケットを買ったバス会社に行って確認した。
すると、故障はウソで、8時半に出発するのは自分一人しかいないのでバス(ミニバン)が出ないと言う事が分かった。
…何だい、キチンとしたチケットを買ったと思ったのに、ミニバンだったのかい…
で、
「12時半のバスは大丈夫なのか?」と聞くと、
「大丈夫、そのバスは大きいバスで、クラティエから着く。1人でも必ず乗れる。」との事だった。
インチキ宿主の所に帰って行くと、
「俺を信じてくれ。バスは1時に来る。」
…あれ?12時半だったんじゃないの?…
更に彼は、
「今から、別のお客さんが来る。必ずボーダーまで送っていくから、口出ししないで欲しい。」と言った。
やがて、西洋人が3人来た。
彼らは、デッド島までのチケットを既に買っていた。
彼は、彼らにボーダーを越えたければ、2.5ドル支払うように要求した。
彼らは、なぜそのお金が必要なのか問いただしていた。
だが、オーナーは引き下がらない。
本当は彼らを助けたかった。だが、命に関わることじゃあないのでやめた。
ぼられる金額は150円足らず。ボラれるもボラれないも彼らの腕次第。
今回は彼らの攻防をじっくり見させてもらった。
やがて、ミニバンが来た。
彼は、俺に乗るように言い、彼らも観念し、彼に1.5ドルを支払い乗り込んだ。
今回は、オーナーの粘り勝ちだった。
ストゥントレンからラオスに向かうみなさん、ここのゲストハウスのオーナーには気を付けてください。
チケットを買う際には、バスはどこから出るのか確認してから買いましょう。 -
ドルとリエルのレート表示。
なぜか、ドルからリエル交換するレートが、リエルからドルに交換するレートを逆転していた。
ボーダーに近い町だからか?いや違う。ポイペトでも、コッコンでもこんな表示はみなかった。
これまで見たことがない珍しい表示だった。 -
ここのコーヒーは旨かった。1杯1500KMR
出発日の朝はここで朝食も食べた。ヌードル4,000KMR -
バス時間まで、時間があったのでマーケットも見たなあ。
ストゥントレンはプノンペンよりも野菜が豊富だった。
玉葱、にんにく、生姜…これなら、自炊すれば、自分のタイプの料理がつくれるよ… -
ここでは、到着日の夕食を買った。これが結構旨かった。
病み付きになり、翌日の昼食もここで買って食べた。 -
どうやらここはアサリの産地らしい。山積みにされたアサリがどっさりと置いてある。
-
一緒にボーダーを超えた仲間たち。
手前、左側はスペインから。
後ろのカップルはオーストラリアから。
彼らはチケットを買って置いたのにもかかわらずボラれた。
俺も正直$1ぼられそうになったが、必死に矛盾点を突いて抵抗した。
待ち時間に"バス会社"に行き、
「バスが故障したって言うけど、修理に3時間もかかるはずはないだろう?」と言うと、
「壊れたのでなく、ボーダーに行くのが1人だったからミニバンが出なかった」と会社の前に停車しているミニバンを指差して言った。
再び、インチキ・オーナーの所に戻り、バスが1時出発だと知らされると、
また、"会社"まで歩いてきて、
「バスは1時になったのか?いったいどっちを信用すれば良いんだ?」と苦情を言うと、
今度は、インチキ・オーナーに電話をかけて、会社に呼んだ。
俺は、オーナーに
「
「彼の言う事と、アンタの言うことにはいつでもズレがある!どうなってるんだ?」
と食ってかかった。
すると、オーナーは、
「俺を信用しろ、彼は英語ができない。必ずバスは1時までに着く」
…あたりまえだろ?バスは会社の前に3台も停まっているミニバンのどれかなんだから…
「本当だな?追加料金なしで、1時には必ずボーダーへのバスに乗れるんだな?」と念を押したので$4のままとなった。
今回は、執拗な要求に抵抗してボられなかった。
でも、お金を払う覚悟はしていた。
命が危険と分かれば、お金を払って前に進めばいい?$2と命は引換にできないのだから。 -
さて、とうとうボーダーでの交渉だ。
ボーダーの手前でミニバンが停る。
それにしても寂しいボーダーだ。道路に遮断機が降りているだけかい!?
ミニバン運転手はしきりに、「ラオス側のミニバンを用意しては、4人だと安くなるよ」と勧めていた。
俺は、「歩いて行くから」と言い、
他の人達は、「チケットが無駄になるから、モーターバイクにする」と言って断った。
まずは、カンボジア側ボーダーへ。
小屋にはカンボジア人?がたくさんいた。正直何をしているのか分からない。
俺達は、係員にパスポートを預けた。
しばしすると係員が、
「ワンダーラー」と言った。
…お、来たぞ!…
すると、すかさず、オーストリア青年が、
「わかりました、払います、でも、レシートをくれませんか?」と返した
…賢い!…
この一言で、相手はノックダウンしたらしい。黙って出国のハンコを押してくれた。
かくして、賄賂無しで通過した。
イミグレを出た後、「ヤッター!よくやったねえ!」と皆で彼を大ボメした。
目的1つ目をクリア。 -
今度は歩いてラオス側のイミグレへ。
そこには二つのほったて小屋があった。
初めのほったて小屋に行くと、主婦らしき人が2人いて、一人が赤ん坊を抱いていた。
…なんか、係員の妻らしいような…
赤ん坊を抱いるほうがイミグレーション・カードを渡してくれた。
記入し、彼女に渡し、次のほったて小屋に向った。
いよいよスタンプを押してもらう。
他の3人は大使館でもう既にビザを取得している。俺は15日間はタダだ。
だから、賄賂などいらないはず。
チッチャな窓らしきところがスッと開いた。
一人ずつパスポートを渡す。
暫くして、
「トゥー・ダーラー」と言ってきた。
すかさず、オーストリア青年は、
「レーシートをください」というと、
ビシャッ!
窓がシマッタ。
暫くして、窓が空き、今度は、
「ワン・ダーラー」
…お?値下がりしたぞ!…
で、今度は俺が、
「日本人は、ビザが無料でもらえると言っていた。入国料はいらないはず。このお金はどういうお金ですか?もし何かあったら、空港か大使館に電話するようにと言われたんですけど、電話を貸してもらえますか?」と言うと、
「いいよ」と係員は言ったものの、
ピシャッ!
窓を閉めた。
…おいおい、電話は貸してくれないのかよ…
しばらくして、再び窓が空き、
「ワン・ダーラー」
これで、オーストリアの青年は観念し、彼女と自分の分2ドルを係員に渡した。
正直、おれは暇だから明日まで坐禅をくんで、ブツブツ言いながら時折禿頭をなえ、座り込みをしようかなと思った。
でも、もし、他の人達のパスポートも返ってこなかったら迷惑だろうとをかかると思いったので1ドルを渡した。
まあ、1ドルで通過出来たのは良かった。
オーストリア人に感謝。 -
あ、そういえば、カンボジアで道行く現地人に1つ習ったことがある。
バイタクの断り方だ。
バイタクが寄ってきて声をかけたら、運転手に顔を向けずに手をこんなふうに上げて。 -
手のひらをひらりと返す。
2・3度ひらりひらりと繰り返すと、並の運転手は声を書けなくなる。
そうでない人はめげずに声をかけてくる。その時は無視し続けるべし。
じゃあ、またねーカンボジア!
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