2010/05/04 - 2010/05/04
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ゴリさん
マニアな旅4日目。
この日はこの旅でもメインとなる日だ。孔明の墓や廟、馬超の墓、定軍山など、三国志でも終盤の舞台となった場所をめぐる。そして、最後に昨日行きそびれた張良廟まで行く。当初はバスで移動しようと思っていたが、かなりの数を周るので、昨日、蕭何追韓信処まで連れて行ったくれた感じのいいタクシー運ちゃんをチャーターした。
【全行程】
①関空⇒上海・浦東⇒西安
②西安⇒眉県⇒五丈原⇒宝鶏⇒
③⇒陽平関⇒漢中
④漢中⇔勉県
⑤漢中⇒西安⇒上海
⑥上海⇒関空
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7時起床。外は曇っている。昨日のように雨が降っていなくて幸いか。
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ホテルのバイキング形式の朝食。メニューも豊富でおいしい。
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約束の8:30にちゃんと迎えに来てくれた。
漢中から勉県に向かう。 -
勉県に向かう途中、中国の田舎らしい風景が広がる。天気もよくなってきて気分も盛り上がる。
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さすがに三国志の観光地。観光看板がある。
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漢中市街地から勉県まで約1時間。勉県は広くは漢中市に属するが、今の漢中市街地とは違う街となる。三国時代はこのあたりに孔明が拠点を構えて北伐を行っていたので、勉県に三国遺跡が集中する。
まずは、古陽平関。昨日いった陽平関は今の陽平関だが、三国時代はこのあたりが関所だった。 -
この橋を渡れば城壁がある。これは最近、復元された城壁だ。
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これが門。タクシーの運ちゃん、とても熱心に案内してくれる。ちなみにピンクの服を着た人は、運ちゃんの知り合い(の弟?)。勉県は不慣れなようで、勉県に入るときにピンクの兄ちゃんも乗り込んできた。この後、小間使いのように走り回ってくれた。
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城壁の上はこんな感じ。左手から敵が来る、つまり魏の方面になる。
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古陽平関の遠景。
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古陽平関の近くには馬超の像がある。
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そして次が武候祠。孔明の祠だ。
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この廟は、孔明が定軍山に葬られてだいぶ経った後、この地に改葬されたもので、最古の武候祠と言われている。ここが出来たのは劉禅の時代、つまり蜀がまだあったときのものだ。
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劉禅は諸葛亮を祀りたいという要請を退けていたが、ようやく263年に許可した。蜀も衰退してきたので、諸葛亮に守って欲しいという神頼みだったのだろうか。しかし、その願いも空しく、その年に蜀は滅びてしまった。
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ここには、諸葛亮像のほか、空城の計で用いたとされる琴を置いていたり、諸葛亮の発明品を文章で紹介するコーナーもある。奥の建物には諸葛祖宗神位なる位牌(木主)が安置されている。確かにここにあるものすべてがとても歴史を感じるものであった。
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そしてこれが孔明像!
五丈原の武候廟しかりで、この像も若干イメージと違うような気がする・・・。 -
ここはとても見どころが多い。何枚撮ったかわからないぐらいだ。これは質素倹約だったという絵。
1時間ほど周って武候廟を後にする。 -
そして次が馬超墓。武候廟からそれほど遠くない場所にある。
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父の馬騰が曹操に殺され、怒り狂った馬超が怒涛の勢いで曹操を攻める。最初は馬超の勢いすさまじかったものの、最後は曹操の反撃に合い孤立する。行き場を失った馬超は、そのまま劉備軍に加わった。
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5虎将軍にもなるぐらい勇猛であった。西涼出身であるが、晩年陽平関を守備したことにより、この地に葬られたのだ。碑には「漢征西将軍馬公超墓」と記されている。
これは曹操に敗れて劉備軍に入ったときのものと思われるが、負けたばかりで機嫌が悪いのか・・・。 -
大きな道沿いではあるが、中に入れば閑静である。道を挟んだ反対側にも馬超墓の石碑があるが、以前、このあたり一帯が馬超の墓だったが、道路を通すために分断されたそうである。哀れ馬超。
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馬超墓前の道。この道が馬超墓を分断したのだ。
ところで入場料だが、武候廟があれだけ見どころ多くて40元、馬超墓はほぼ墓だけで10元。なんとなく割高のような気がする。 -
馬超墓のあたりは勉陽鎮というが、次は魏と蜀の戦いがあった定軍山(定軍山鎮)へ向かう。
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勉陽鎮でもそうだったが、定軍山鎮でもこんなのぼりが多くたっている。観光開発に力を入れているのだろうか。
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定軍山に着いたが、最初に行ったのがいかにも最近作りましたというこんな感じのテーマパーク。
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そして、一度山を下りて違う道から上ると、今度も、いかにも作りましたというテーマパーク。
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定軍山といっても広いので、ずっと遊歩道のようになっているようだ。こんな像もあって、感じはでているのだが。
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像からの眺め。
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そして、民家の裏側にひっそりとあった、古定軍山の碑。
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ここは魏の夏候淵と蜀の黄忠が戦った場所。老齢ではあったが猛将夏候淵を討ち取った黄忠の碑があった。この戦いで劉備は漢中をとることができたのだ。
挙兵してからともに戦ってきた夏候淵が戦士したと聞き、曹操が漢中まですっ飛んでくることになったのだ。 -
定軍山からおりてきた麓には、孔明の墓がある。死んでも魏に睨みをきかすために、遺言によってこの地に葬られた。
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入り口横には孔明の一生が描かれている。丁寧に彫られているので、思わず見入ってしまう。
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全国重点文物保護単位でも、Aを4つももらって感激。
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しばらく自然公園のようになっているが、奥まったところに武候墓がある。
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そしてこれが武候墓。質素倹約の生活そのもの、墓には副葬品は何も入れるな、と言ったそうな。
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墓園には諸葛亮の享年である54にちなみ54本の木が植えられ、今でも通し番号がついている。ただ、今では54本もないようであるが。
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面白いことに、さらに奥に行けば、もうひとつの墓がある。なんでも、1799年に総督の随行員であった男が風水に通じていると自称していたようで、本当の墓はこっちだ!と言ったそうな。それを信じ、総督が勉県知事に命じて、もうひとつの墓を作ったらしい。
ややこしい。 -
もうひとつの墓の前には石碑が建っており、「漢丞相諸葛忠武候之真墓」とある。「真」とつけていること自体があやしいものだ。ちなみに、この碑は1916年に建てられた。
何せ1800年も前のことだから、どっちが本当の孔明の墓かはわからないのだろうが、見た感じ、明らかに「真」と書いていないほうの、下にある墓が本物だと思った。 -
「真」の墓の裏側を上っていくと、展望台のようになっていた。定軍山がすぐそこに見える。
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ここにもいろんな展示があった。
これは「泣いて馬謖を斬る」の場面。街亭の戦いで、孔明の指示に従わずに大敗した馬謖を孔明が責めている。馬謖のなんとも情けない顔が印象的だ。 -
これは劉備と劉禅(と思われる)。
劉禅が無能な皇帝だったからといって、ここまでひどく描いてしまうとかわいそうになってくる。劉備もたいがいではあるが・・・。 -
武候墓も見るところが多く、孔明を偲びながら周ったので、1時間ほどかかってしまった。
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次に向かったのが劉備が漢中王になった場所。あいにく鍵がかかっており中には入れず。
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小さな村のなかにひっそりとあるので、どうも当時を回想できなかった。
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そして次に行ったのが楊修墓。
夏候淵が死んで漢中をとられ、それを奪還しようと曹操が劉備を攻めるが、うまくいかない。そこで曹操は「鶏肋(けいろく)」と言って漢中から去った。鶏肋とは、文字通り鶏の肋骨であり、捨てるには惜しいが、肉がついておらず取るに足らない、という意味だ。なお、この言葉を唯一解釈することが出来た楊修は、勝手に軍を撤退させたかどで曹操に斬られたと言われている(諸説あり)。この戦いの後、219年、曹操の魏王に対抗して、劉備は漢中王になったのだ。 -
あの道からあぜ道を歩いてきた。
しかし、武候墓の後に行ったからか、とても貧弱な墓に見える。楊修もひとかどの人物であったろうに、今となっては哀れなものだ。 -
勉県で最後に行ったのが、木牛流馬処というところ。孔明は魏に攻めるにも、物資の運搬が非常に困難であった。そこで、木牛流馬を開発し、物資の大量輸送に成功したのだ。手押し車などではなく、自動で流れるように動いていたようだが、どんなものだったのかは解明されていない。
ここはいわば工場跡地であるが、ただの草地で、こんなところか?という場所であった。 -
作りかけている絵はあったのだが・・・。
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さー、勉県を後にして、一路、張良廟へ。
勉県を出たのが16時前だったので、時間がない!昨日も通った道を、再び北上する。 -
どんどん山に入っていく。
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勉県から走ること2時間、ようやく張良廟に到着!乗ってるほうも疲れたが、運ちゃんもさすがに疲れた感じだった。無理言ってすまない・・・。
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ここも相当歴史が古い。何せ劉邦が項羽を破って漢を作ったとき、張良はほどなく引退してここで隠居生活を送ったのだから。紀元前200年ごろのことだ。
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岩に彫っている文字も古そうだ。
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張良は少し高いところで、音楽を奏でていたようだ。
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漢朝を作った大功労者でも、野心を持った韓信は劉邦に殺され、かたや張良はここで隠居して人生をまっとうした。どちらも英雄の生き方だが、感慨深いものがある。
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張良廟は漢中と宝鶏の間に位置する。この道をずっと行けば、宝鶏にもいけるし、西安にも通じる。孔明が北伐したときも、ここを通ったかもしれない。そして、漢を建てた張良にあやかって、通るときは必ずここにお参りしたのではないか。
かなり無理をした行程であったが、来てよかった。 -
張良廟への道は褒谷道である。途中、一部で桟道が残っている場所があった。昔の行軍の大変さを思いながら、漢中へ向かった。
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漢中に着いたのが20:30。運ちゃん、12時間ずっと運転&ガイドをしてくれた。とても親切だったので、チップもはずむ。
そして昨夜も行った店で焼きそばを食べる。とてもうまい! -
漢中の街並みを見ていると、とても昔のことを回想できるわけない。今日はたくさんの遺跡を周ることができて、とてもいい1日であった。
~⑤へつづく~
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この旅行記へのコメント (2)
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- スーポンドイツさん 2010/05/31 17:43:43
- 素晴らしいです。
- おぉ〜ハンサムなはずの錦馬超さま〜
こんなイラストを残されて墓を分断されて・・恨みますぞ〜(笑)
定軍山、テーマパークにするならついでに黄忠・厳顔ハッスルじいちゃんたちの実戦も見せてほしいものです。
>劉禅が無能な皇帝だったからといって、ここまでひどく描いてしまうとかわいそうになってくる。劉備もたいがいではあるが・・・。
噴出してしまいますね。
アホに徹したからこそ蜀はしばらく保てたといいますが・・
武候祠、張良廟、さすが立派ですねぇ。
盛りだくさんの一日、一緒に旅をさせていただいた気分でハイテンションになりました。
すーぽん
こうしてPCの前で見るとただただ感動ですが、実際の行程は厳しかったのでしょうね。
- ゴリさん からの返信 2010/05/31 19:41:46
- RE: 素晴らしいです。
- すーぽんさん、ありがとうございます!
> おぉ〜ハンサムなはずの錦馬超さま〜
> こんなイラストを残されて墓を分断されて・・恨みますぞ〜(笑)
はい、私もそう思いました。
道沿いにあった馬超像もイマイチでしたし、中にあった像も写真に撮ったのですが、イメージが崩れるので、今回は掲載しませんでした。
孔明もそうなのですが、漢中あたりの方との、顔の感性が違うのでしょうか・・・。
人気のある武将なので、もっとイメージを大事にしないといけませんよね。
> 定軍山、テーマパークにするならついでに黄忠・厳顔ハッスルじいちゃんたちの実戦も見せてほしいものです。
そうなんです。それらしき像もなく、ちょっとがっかりの定軍山でした。
> >劉禅が無能な皇帝だったからといって、ここまでひどく描いてしまうとかわいそうになってくる。劉備もたいがいではあるが・・・。
> 噴出してしまいますね。
> アホに徹したからこそ蜀はしばらく保てたといいますが・・
あの絵は思わず笑ってしまいました。ちょっとこれはないやろ、と。
後世に名を残すにしても、いいように残しておかないと怖いですね。
> 武候祠、張良廟、さすが立派ですねぇ。
この2つと、武候墓は見ごたえありましたよ。
次行くとしても、この3つはまた行きたいですね。
> こうしてPCの前で見るとただただ感動ですが、実際の行程は厳しかったのでしょうね。
いえいえ、私はタクシーに乗っていただけですから。
バスで回ろうと思うと、大変だったと思います。
遺跡が離れているところもありましたので、かなり歩かなくてはいけないので、その部分が大変だったと思います。
あとは最後の遺跡めぐりだけです。
お楽しみに〜。
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