2010/03/21 - 2010/03/21
409位(同エリア1204件中)
みにくまさん
彦根城博物館は、江戸時代の彦根藩の政庁であった表御殿を復元したもので、昭和62年彦根市市制施行50周年を記念して彦根城博物館として開館しました。
井伊家に伝わる多数の美術工芸品や、能や茶器の愛蔵品、古文書の展示のほか、表御殿の中央に占める能舞台や藩主が日常生活を営んだ「奥向き」は、御座の間や茶室、庭園が復元されており、館そのものが博物館として楽しめます。
前回こちらの博物館を訪れた際は、”井伊家伝来の馬具”というテーマで展示をしていましたが、今回は”能の小道具”。
定期的に展示物を入れ替えているみたいで、何度来ても同じものということがなく、けっこう楽しめると思います。
またこの博物館の凄いところは、館内の写真撮影が認められているところです。
フラッシュや三脚の使用禁止など、一部制限はありますが、重要文化財を含む展示物の写真を自由に撮ることができるというのは、私にとってとても嬉しいことです。
井伊家伝来の馬具について紹介した旅行記は↓ですが、彦根城本編と一緒になってしまっているので、とても重いです(写真118枚)
◎ 国宝 「彦根城」
2009/09/19
http://4travel.jp/traveler/minikuma/album/10379501/
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彦根城博物館
開館時間 8:30〜17:00(入館は16:30まで)
休館日 12月25日〜12月31日
観覧料 一般500円・小中学生250円 -
テーマ展 井伊家伝来 能の小道具
3月12日〜4月13日
今回はこちらのテーマに絞って紹介していこうと思います。 -
中啓 金地蓬莱図 江戸時代 本館蔵
能の中でも特別に神聖視される翁が手にする扇です。
金地に紺色で空と海をあらわし、大海原をただよう大亀の背に蓬莱山を描いています。
蓬莱山は、不老不死の仙人が住むと伝えられるところ。松竹梅が生い茂り、その周囲には、二羽の阿吽の鶴が飛来しています。
長寿の象徴である翁にふさわしい意匠です。 -
中啓
★ トップ写真 ★
中啓(ちゅうけい)は扇の一種。親骨が要よりも外側に反ったかたちをしており、折りたたんだとき、銀杏の葉のように天のあたりがひろがる。 -
中啓
日本で発明された扇は骨の片面に紙を貼ったものであった。やがて中国に輸出され、両面に紙を貼る形態に改造された。これが室町時代に日本に再輸入され、「中啓」、「末広」(すえひろ)・「雪洞(ぼんぼり)」・「沈折(しずめおり)」などのデザインが生まれた。 -
羽団扇 昭和2年(1927) 本館蔵
主に天狗の役が使う団扇。
13枚の羽は、模様をそろえるために、一羽の鳥から羽を採取したと考えられています。 -
能面 真角 江戸時代 本館蔵
真角は、霊の男の面。演目「船弁慶」では、音量の平知盛の役柄に使われます。眼球の周りの金の輪は、この世の存在でないことを示しています。
この能面は、満面が黄土彩色で、額の上部やこめかみの筋に特色があります。
演目「船弁慶」の知盛の役柄では、他に三日月や怪土などの能面を使うこともあります。 -
太刀拵(たちごしらえ) 江戸時代 本館蔵
演目「船弁慶」で、亡霊の平知盛が源義経を襲うために手にする武器は長刀(なぎなた)ですが、その腰には太刀を佩いています。太刀は武器としての役割だけではなく、太刀を佩くことができる身分、すなわち知盛の身分の高さを示すものだともいえます。
これは、金梨地に犬を平文で所々にあしらっています。 -
太刀拵(たちごしらえ) 江戸時代 本館蔵
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竜戴(りゅうたい) 大正〜昭和時代 本館蔵
竜の立物をつけた冠り物。立物とは、冠のいただきにつける竜や虎の作り物のこと。竜神などの役柄の時に身につけます。
演目「竜虎」は、雲間の竜と風の中の虎が対峙する内容です。竜と虎の役柄はそれぞれ、竜の形をした冠り物の竜戴と虎の形をした虎戴を冠りました。 -
太刀拵(たちごしらえ) 江戸時代 本館蔵
金梨地に卍文様を散らした糸巻太刀拵。太刀は武器としての役割だけではなく、太刀を佩くことで武将であることを示しています。
太刀は打刀が普及するまで、戦闘用・儀礼用共に最も一般的な日本刀であった。
しかし室町時代頃から打刀が一般化するに伴い、徐々に儀礼的な非実戦的なポジションへと追いやられる。
とはいえ打刀が普及した後も、上級武士は太刀を使用したし、太刀が姿をほとんど消してしまった江戸時代にも、甲冑着用時には打刀を太刀風に佩びるべく無駄な努力をするなど、その武人としての日本刀として、誠に大きな存在で在り続けたと言えよう。 -
剣 大正〜昭和時代 本館蔵
剣は、武蔵坊弁慶が不動明王の姿を象った山伏姿で登場する演目「安宅」や、中国を舞台とした「鍾馗」や「張良」で使われます。
剣の刃の部分も木でできています。 -
法螺 大正〜昭和時代 本館蔵
狂言でも能と同じように、必要に応じて様々な小道具が使われます。
山伏が手にする法螺は、狂言の演目「蝸牛」でも使われます。
山伏は、蝸牛(かたつむり)を知らない太郎冠者に、蝸牛の貝に見立てて法螺貝を見せ、自分を蝸牛だと信じ込ませます。 -
経箱 昭和6年(1931) 本館蔵
演目「輪蔵」に使われる経巻を入れる箱。
「輪蔵」は、北野天満宮の霊験のあらたかさをあらわす内容。北野天満宮に参詣した旅僧の前に、普建・普成の2人の童子を左右に伴った傅大士が現れ、経巻が披露されます。 -
数珠 大正〜昭和時代 本館蔵
山伏などが手にする数珠。
演目「船弁慶」では、源義経を襲ってきた平知盛の亡霊を武蔵坊弁慶が数珠を手に祈り伏せ退散させます。
数珠は、ただ手にするだけではなく、祈り伏せる動作を強調するものでもあります。 -
斧 大正〜昭和時代 本館蔵
斧は演目「谷行」で使われます。
「谷行」の内容は、山伏の修行に同行した少年の松若が、修行の途中で病気になり、山伏の掟によって谷へ投げ落とされて絶命します。しかし、山伏一同の蘇生の祈りにより松若は助かります。
斧は山の木々を打ち払い、谷底から松若を助け出すときに使われます。 -
能面 深井 江戸時代 本館蔵
中年の女の面。
人生の年輪を重ねて、憂いを含む表情をしています。
目元がいくぶん窪み、やや伏目がち作られ、演能の際は、顔を伏せると泣いているような表情になります。
子を失った母親を主人公にした、演目「隅田川」をはじめ”狂女物”と呼ばれる曲などに使われます。 -
釣針 昭和3年(1928) 本館蔵
演目「玉井(たまのい)」に使う釣針。
彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)は、兄から借りた大切な釣針をなくしてしまいます。
探し求めて入った海の底で、竜王が釣針を探し出してくれます。
釣針を誇張するために、大きく作られています。 -
薬袋 昭和3年(1928) 本館蔵
演目「寝覚」で使う薬袋。
「寝覚」は、信濃国(長野県)の寝覚の床という場所にいる薬師如来の化身である三帰の翁が、天皇の使いである勅使の訪問を受けて、不老長寿の薬を与えるという内容。 -
絵馬 江戸時代 本館蔵
演目「絵馬」に使われるもの。
「絵馬」は、天皇の使いである勅使が、絵馬を掛ける節分の日に伊勢神宮へ着くと、万民のために雨露の恵みを受ける白絵馬を持った女老が現れて、どちらを掛けるかで争い、結局両方を掛けて、自分たちは伊勢の二柱の神だと明かして消えるという内容。
この絵馬には阿形と吽形の馬が描かれています。 -
稲富流砲術伝書 江戸時代 1608年9月 本館蔵
稲富一夢筆 斎藤半兵衛・半弥宛
幕府の鉄砲方を勤めた稲富一夢(1552〜1611)が創始した、稲富流砲術の伝授書。銃を扱う心構えから始まり、銃の構造や火薬の調合法、命中精度を高めるための姿勢や呼吸法、引き金の引き方等が説かれています。
一夢は一時井伊家に召し抱えられ、井伊家初代直政(1561〜1602)の時代にその家臣に砲術を教えました。そのため、本伝書をはじめ、彦根藩士宛の伝書が数点現存します。 -
橘紋金象嵌火縄銃 銘 国友籐兵衛充俶 江戸時代 本館蔵
たちばなもんきんぞうがんひなわじゅう くにともとうべえじゅうしゅく
近江国(滋賀県)国友村を本拠地とする国友鉄砲鍛冶は、戦国時代に鉄砲の生産地として発展し、江戸時代初期に幕府御用を務め、江戸時代を通じて彦根藩とも深い関係にありました。
本銃は、江戸後期に活躍した国友籐兵衛家10代充俶の作。全長126.5cm、銃身長93cm、外記カラクリをもつ火縄銃で、4匁(15g)玉が用いられます。
照準器である元目当の手前に、井伊家の橘紋が金で象嵌されています。 -
橘紋金象嵌火縄銃 銘 国友籐兵衛充俶 江戸時代 本館蔵
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真懐石 井伊直弼作 江戸後期 本館蔵 重要文化財
茶会で行われる懐石という食事ついて、もっとも正式な真式懐石の精神・様式・使用道具について記したもの。
展示部分では、禅宗寺院で行われる懐石をもとにした、応量器という容器を用いる形式を説明しています。
直弼はこうした茶書を数多く執筆し、弟子の育成に努めました。細かな推敲の様子に、茶の湯の研さんに熱心な姿がうかがえます。 -
諸神本懐集 井伊直弼写 江戸時代 本館蔵 重要文化財
井伊直弼(1815〜1860)は、井伊家の菩提寺・清凉寺(彦根市)で参禅し、禅の思想に大きな影響を受けました。
本冊子は、浄土真宗の本願寺第3世覚如の子・存覚(1290〜1373)の著作「諸神本懐集」を直弼が書き写したもの。
禅に限らず、広く仏教を学ぼうとする姿勢を知ることができます。懇意にしていた真宗寺院の住職だった従兄弟の影響もあったと思われます。 -
能舞台
博物館の中央に建つ能舞台は、江戸時代の寛政12年(1800)にこの場所に建てられた由緒ある舞台です。
この能舞台は、表御殿が取り壊された後、井伊神社境内に移され、その後井伊家か彦根市に寄贈されて、昭和25年(1950)には沙々那美神社境内へ移築、さらに昭和38年(1963)に護国神社境内へ曳家により移されました。
そして昭和62年(1987)博物館の建設を機に本来あった場所、彦根城博物館へと移築復元しました。 -
能舞台
屋根・柱などの形式、また橋掛り(はしがかり)や鏡板(かがみいた)の葉冠(ようかん)からみて、格式ある舞台としての規格が整っているのが分かります。
この能舞台の特徴は、舞台・後座(あとざ)・橋掛りの下から見つかった漆喰製の桝(ます)にあります。この桝には音響を高める効果があり、当時十分な配慮のもとに設計されていたことがうかがえます。 -
能舞台
◎ おしまい
今回のテーマは”能の小道具”なので、それに関連した展示品を中心に紹介しました。
常設展や表御殿の紹介は、前回の旅行記に紹介してあります。
この博物館は展示品も多く、全てが写真撮影可能なので、全てをくまなく見て回ったらかなりの時間がかかってしまいます。
復原された表御殿も含め、見応えのある博物館なので、姫路城を訪れた際は、是非立ち寄ってみることをおススメします。
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