2010/05/16 - 2010/05/16
4024位(同エリア6020件中)
ひま人さん
平城遷都1300年祭が4月24日から開幕した。第1次大極殿も復元も完成し玉座も公開され、聖武天皇の時代を目の前に出来るようです。その時代に海を渡った若き遣唐使たちの活躍を体感できる「歴史館」が新たにオープンし、遣唐使船も復元公開されている。吉備真備や藤原清河など無事に日本へ戻れた人々、そして阿部仲麻呂や井真成など唐土に骨を埋めた人たちがおります。今回はその還れなかった井真成の墓誌を彼の故郷、藤井寺で見学し、吉備真備や普照などとともに招聘されて海を渡った鑑真和上を祀る唐招提寺を訪ね、平城宮跡へと歩を進めた。
写真は「大極殿」、間口44m、奥行き20m、屋根の高さ27mで平城宮最大の建物。発掘調査のデータや奈良時代の建物を参考に、平成13年から9年の歳月をかけ、「平城遷都1300年」の平成22年に完成。総工費280億円。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 観光バス JRローカル
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アイセルシュラホール、シュラとは修羅、舟の意。その修羅を形をデザイインした「藤井寺市立生涯学習センター」と「アイセルシュラホール」からなっている。
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アイセルシュラホールに展示されている、遣唐使で唐で亡くなった「井真成(いのまなり)」の墓誌(レプリカ)。平成16年中国西安市郊外の工事現場から墓誌が掘り出された。そこには日本からやってきた「井真成」という人物が、勉学に勤しみ、唐王朝に仕え、将来を嘱望されながらも36歳の若さで亡くなったことが記されていました。井真成は、中国や日本の歴史書に登場していない名前でした。無名の遣唐留学生の171文字の短いメッセージは1270年の時空を超えて甦ったのです。
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「井真成」墓誌蓋拓本。
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世界遺産、古都奈良の文化財「唐招提寺」。
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唐招提寺金堂。南都六宗の一つである律宗の総本山。多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真和上(がんじんわじょう)は、東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝宇3年(759年)に戒律を学ぶ人たちの修業の道場を開いた。「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の如宝の尽力により完成。現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える貴重な伽藍となっている。
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唐招提寺講堂。宮廷から平城宮の東朝集殿を賜って移築したもの。
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鑑真和上御廟。
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平城京第1次大極殿(木造、復元)。平城京の正門である羅城門(大和郡山市内に遺跡がある)と、平城宮の正門である朱雀門を結ぶ朱雀大路の延長上の平城宮北端中央に第1次大極殿があり、天皇の即位や元日朝賀などの国家儀式、外国使節歓迎の儀式がおこなわれ、遷都1300年記念に合わせて復元された。尚、平城宮には第2次大極殿院(遷都後の大極殿院)と想定されるところが、この東隣にある。
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大極殿内部。
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大極殿内にある高御座(たかみくら)、天皇の玉座。
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大極殿のし尾。屋根の鬼瓦にあたるもの。
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朱雀門、大極殿からみたもので、南にあたる。平城宮の正門。平成10年復元された、規模は間口25m、奥行き10m、高さ22m、二重の屋根。
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平城宮跡資料館、平城宮跡は奈良文化財研究所が昭和34年から毎年計画的に発掘調査を行っているが、その成果を総合的に分かりやすく展示している。
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平城宮歴史館の前に遣唐使船を復元展示している。
規模は全長30m、全幅9.6m、排水量300t、積載荷重150t。遣唐使の派遣は630年から894年まで20回計画、実際唐に渡ったのは15回。 -
平城京歴史館、平城京に都がおかれた時代は「遣唐使」とともに歩んだ歴史といえる。日本の国づくりの礎となるため、はるばる大海を渡り唐のすぐれた制度や技術・文化を持ち帰った遣唐使や留学生・留学僧たちの苦労と努力が、平城で見事に花開きました。それらの資料の展示、並びに2か所のシアターで映像ドラマが見れる。
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