2010/04/09 - 2010/04/09
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護国寺→鳩山会館(内部見学)→今宮神社→神田川→目白坂→東京カテドラル聖マリア大聖堂→胸突坂→関口芭蕉庵→水神社(神田上水の守護神)→椿山荘→講談社野間記念館前→蕉雨園→和敬塾本館(旧細川侯爵邸)→永青文庫(細川文庫)→新江戸川公園(旧細川庭園)→甘泉園公園→水稲荷神社→面影橋→山吹の里碑→氷川神社→南蔵院→目白不動→鬼子母神
護国寺月光殿(旧日光院客殿)
重要文化財 指定年月日: 1931.01.19(昭和6.01.19)
古いパン屋、看板、途中には、講談社やカッパブックスなど、書物の発行会社がたくさんありました。
鳩山会館(内部自由見学)外見と庭を撮影、階段の上に入場受付があるので、そこまでは、無料なので、内部を撮影した。
今宮神社、
明治十二年には虎烈刺病伝染除の祭典が執行され、病気平癒の御利益がある。
胸突坂 (むなつきざか)
目白通りから蕉雨園と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。坂下の西には水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれている。 東は関口芭蕉庵である。
昼食の為に、江戸川橋の交差点まで戻る。
江戸川橋近くの中華料理屋、ランチ780円豆腐カツが美味しかった。
椿山荘の正面から、トイレ休憩の為に、入る。
蕉雨園
明治時代に建てられた、田中光顕伯爵の元邸宅
広いお屋敷と立派な庭園があり、茶会などで使われている。
関口芭蕉庵
神田川の工事の時に住んだ所だそうです。
無料で、こんな素敵な庭が見れるなんて、
俳句があちらこちらにあった。
甘泉園
徳川後三卿の清水家の下屋敷の跡、名前の由来は、庭園の中央に湧き出している湧き水があり、その湧き水がお茶をいれるのに、適していたからだとの事。
予定にはなかった水稲荷神社によった。
古くは「富塚稲荷」「将軍稲荷」といわれた。江戸中期境内の大椋に霊水が湧き評判を呼んだことが、神社名の由来の一つであるという。
面影橋
看板のみが、あって、今は橋はない。
山吹の里碑 ここは、碑があるだけだ。
南蔵院
現在の境内には、元禄九(1696)年に神保長賢により寄進された山吹の里弁財天の石碑と手水鉢や、庚申塔、六地蔵、彰義隊九士の首塚などの石造物がある
目白不動堂(東豊山浄滝院長谷寺)
昭和二十年の五月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました。この不動は、かわいい、小さい。
鬼子母神
大いちょうがあり、あまり大きくて、一枚の写真には、写せなかった。
みみずくが、有名な鬼子母神、いろいろな所に同じ名前があって、10代の時に行ったのがこの鬼子母神だ、なつかしい〜
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄
- 旅行の手配内容
- その他
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護国寺
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護国寺
創建当時のものと伝えられる仁王門
門が趣があり、重厚な感じです。 -
護国寺
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イチオシ
護国寺月光殿(旧日光院客殿) 重要文化財 指定年月日: 1931.01.19(昭和6.01.19)
構造形式: 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、妻入、正面軒唐破風付
中門 桁行一間、梁間一間、一重、切妻造、総桟瓦葺 時代区分: 桃山 -
護国寺
しだれ桜は、まだだった。 -
護国寺
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護国寺
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古いパン屋、看板、途中には、講談社やカッパブックスなど、書物の発行会社がたくさんありました。
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鳩山会館
入口の表札、 -
鳩山会館
入ってから、坂道を登って行きます。 -
鳩山会館
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鳩山会館
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鳩山会館
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イチオシ
鳩山会館
煙突の所も鳩 -
イチオシ
鳩山会館
階段の上に入場受付があるので、そこまでは、無料なので、内部を撮影した。 -
鳩山会館
入口の上には、ステンドグラス、 -
鳩山会館
入口から外を振り返ってみました。 -
鳩山会館 外から覗いた庭。
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鳩山会館
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鳩山会館
裏のドアにも鳩がいます。 -
鳩山会館
窓にも鳩。 -
今宮神社、
元禄十年桂昌院殿発願により、護国寺建立の時、同所に鎮座し明治六年現在地に遷座した。
五社とは、天照大神宮・八幡大神・春日大明神・今宮大明神・三部大権現である。
明治十二年には虎烈刺病伝染除の祭典が執行され、病気平癒の御利益がある。 -
関口芭蕉庵
神田川の工事の時に住んだ所だそうです。 -
関口芭蕉庵
無料で、こんな素敵な庭が見れるなんて、 -
関口芭蕉庵
無料で、こんな素敵な庭が見れるなんて、
俳句があちらこちらにあった。 -
水神社(神田上水の守護神)があるので、別名「水神坂」ともいわれている。
胸突坂(むなつきざか)下の西ある。
胸突坂(むなつきざか)
目白通りから蕉雨園と永青文庫(旧細川下屋敷跡)の間を神田川の駒塚橋に下る急な坂である。
坂がけわしく、自分の胸を突くようにしなければ上れないことから、急な坂には江戸の人がよくつけた名前である。
ぬかるんだ雨の日や凍りついた冬の日に上り下りした
往時の人々の苦労がしのばれる。胸突坂 名所・史跡
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水神社(神田上水の守護神)
大木 -
大泉寺
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椿山荘
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椿山荘の正面から、トイレ休憩の為に、入る、
その後に、出たら、フロンと近くの沢山の人でびっくりした。ちょうど、学校の入学式をしていた人達が降りてきたようだ。
椿山荘のフロントから、庭を撮って見たら、
けっこう、良く撮れた。 -
講談社野間記念館前
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イチオシ
蕉雨園 明治時代に建てられた、
田中光顕伯爵の元邸宅
広いお屋敷と立派な庭園があり、茶会などで使われている。
普段は、入れないそうです。 -
和敬塾本館(旧細川侯爵邸)
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永青文庫(細川文庫)
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新江戸川公園(旧細川庭園)
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イチオシ
新江戸川公園(旧細川庭園)
回遊式泉水庭園
大きな池を中心として、その周囲の園路を歩きながら、様々な風景の移り変わりを観賞出来るように計画された庭園の様式の一つです。 -
新江戸川公園(旧細川庭園)
門から入り大泉水への視界が展開されます。そして園路を進むにしたがって、池や背後の山並みの眺めの移り変わりを、また振り返った時、池を借景とした松声閣の眺めを楽しむことが出来ます。また樹林の中の山道をしばらく登った時、樹間から眺められる大泉水の眺めが印象的です。そして園路にそって池を一周し、最初に見た風景を振り返るように設計されています -
新江戸川公園(旧細川庭園)
湧水を利用した流れは「鑓り水(やりみず)」の手法をとりいれて、岩場から芝生への細い流れとなり、その周辺に野草をあしらっています。 -
新江戸川公園(旧細川庭園)
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新江戸川公園(旧細川庭園)
細川家下屋敷の庭園の跡地をそのまま公園にした回遊式泉水庭園です。目白台台地が神田川に落ち込む斜面地を活かし、変化に富んだ景観をつくり出しています。 -
新江戸川公園(旧細川庭園)
正門
今度は、誰かとゆっくり回りたいと、女性群はさかんに言っていました。 -
神田川の桜
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甘泉園公園
徳川後三卿の清水家の下屋敷の跡、名前の由来は、庭園の中央に湧き出している湧き水があり、その湧き水がお茶をいれるのに、適していたからだとの事 -
イチオシ
甘泉園公園
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予定にはなかった水稲荷神社によった。
天慶四年(941年)俵藤太秀郷朝臣が旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請した。古くは「富塚稲荷」「将軍稲荷」といわれた。
江戸中期境内の大椋に霊水が湧き評判を呼んだことが、神社名の由来の一つであるという。 -
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面影橋
看板のみが、あって、今は橋はない。 -
面影橋
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山吹の里碑
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山吹の里碑
ここは、碑があるだけだ。 -
南蔵院
現在の境内には、元禄九(1696)年に神保長賢により寄進された山吹の里弁財天の石碑と手水鉢や、庚申塔、六地蔵、彰義隊九士の首塚などの石造物があるほか、墓地内には、相撲年寄である片男波、粂川、雷、音羽山,二子山、花籠などの墓がある。また、三遊亭圓朝作「怪談乳房榎」にゆかりの寺でもある。 -
南蔵院
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南蔵院
庚申塔、 -
目白不動堂(東豊山浄滝院長谷寺)は、元和四年(1618)大和長谷寺第四世小池坊秀算が中興し、関口駒井町(文京区)にありましたが、
昭和二十年の五月の戦災により焼失したため、金乗院に合併し、本尊の目白不動明王像を移しました
この不動は、かわいい、小さい。 -
鬼子母神
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鬼子母神
大いちょうがあり、あまり大きくて、
一枚の写真には、写せなかった。 -
鬼子母神
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鬼子母神
-
鬼子母神
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