2004/05/02 - 2004/05/02
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五黄の寅さん
大阪城の散策を楽しみました。午前中に淀川を周遊するランチクルーズ船に乗船してランチを摂った後JR桜ノ宮駅から環状線に乗車し大阪城公園駅で下車、大阪城公園に向かい天守閣に登りました。
- 交通手段
- JRローカル
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大阪帝国ホテル前から乗船、乗船後大川(淀川)を天満橋方面に下って戻ってくるコースです。
http://www.dsnavi.jp/spot/s0135.htm -
帝国ホテルの向こうに大阪城の天守閣が見えます。
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ランチクルーズ船です。ランチを食べながら80分のクルーズを楽しみました。
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天満橋付近を船内から見た景色です。左がOMMビル、右のビルが京阪天満橋駅です。
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クルーズ船から下船後大川に掛かる「源八橋」を渡って桜ノ宮駅に向かいます。
橋のたもとに石碑が建っていました。 -
JR環状線で大阪城公園駅で下車。構内に大阪城の模型が有りました。
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大阪城公園駅の中に司馬遼太郎先生の大阪城の歴史を語る文章が陶板レリーフになって飾られています。文章の一部を三枚の写真と共に掲載します。
「おごそかなことに、地もまたうごく。
私どもは、思うことができる。この駅に立てば、台地のかなたに渚(なぎさ)があったことを。
遠い光のなかで波がうちよせ、漁人(いさりびと)が網を打ち、浜の女(め)らが藻塩(もしお)を焼いていたことども。秋の夜、森の上の星だけが、遙かな光年のなかで思い出している。」
以下省略します。
全文は『司馬遼太郎が考えたこと 12』(新潮社)で読めます。 -
「海鼠形の台地の北の端は、いま私どもが眺めている。ここに西方(さいほう)浄土にあこがれた不思議の経典を誦(ず)する堂宇ができたとき、地は生玉荘(いくたまのしょう)とよばれ、坂があった。おさかとよばれた。堂宇の地は礫(こいし)多く、石山とよばれていたが、ここに町屋(まちや)がならんだとき、この台上にはじめてささやかな賑わいができた。
楼上から西をのぞみ、陽傾き、帰帆相次ぐころ、波のかなたの一の谷の崖に沈んでゆく陽日の華やぎは、ひと堂宇が去り、城ができたとき、日本の歴史は変わった。」
以下省略します。 -
「右の二世紀半、ひとびとは巨大なシャボン玉のなかにいた。あるいは六十余州だけがべつの内圧のなかにいた。
数隻の蒸気船の到来によって破れ、ただの地球の気圧と均等(ひとしなみ)になったとき、暴風がおこった。
この城は、ふたたび情勢の中心となり、政府軍が篭り、淀川十三里のかなたの京の新勢力と対峙(たいじ)した。」
以下省略します。 -
駅を出て大阪城に向かいます。
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青屋門を抜け極楽橋を渡って天守閣へ向かいます。
http://www.osakacastle.net/access/map.html -
木の間から天守閣が見えます。
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石垣の向こうに改装の終わった天守閣が見えています。
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極楽橋に向かって歩きます。
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橋から天守閣の正面が望めます。橋を渡ると刻印石広場に出ます。
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刻印石広場に来ました。
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石に刻まれている刻印の解説板です。大名の名前が見えます。
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刻印の一つです。次の写真に解説が有ります。
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若狭の大名の刻印ですね。
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いよいよ天守閣の下にやって来ました。
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間近に見上げた天守閣です。
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天守の下に青銅の大砲が鎮座していました。
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天守閣の内部は博物館になっています。入口まで階段で上がります。
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8階の展望台からの眺めです。向こうに大阪城ホールとOBP(大阪ビジネスパーク)の建物が見えます。
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天守閣広場を見下ろしてます。
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金の鯱が光っています。大阪府庁方面を見ます。大阪歴史博物館とNHKのビルが見えます。
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