2008/01/12 - 2008/01/16
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bushiさん
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中国東北部(旧満州)の旅です。
この地は日本人にとって関わり深い地であることもあり一度は訪れたいと思っていました。
日露戦争で最大の激戦地である旅順(東鶏冠山、203高地)
奇跡的にもこの戦争に勝利してしまった日本は、ロシアの租借地であった旧満州地方をそのまま譲り受け、その地を関東州と地名をつけ以降、第二次世界大戦に敗北するまで関東軍による大陸支配(哈爾浜(ハルビン)・長春・瀋陽・大連)が続きました。
やはり日露戦争の旅順大戦が真冬だったということもあり、友人と話し合って一番寒い時期での旅を決めたのですが・・・
"ガイドさ~ん、今何℃ですか~?風強いし寒いしもういいよ、早く車戻ろう!"根性なしでした。
- 交通手段
- 鉄道
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203高地の祈念碑
乃木大将が戦死者たちの追悼のため建立したらしい
爾霊山とは203高地のこと乃木さんが考えたようですが、上手いね。 -
203高地から見下ろす旅順港
ここから世界最強といわれたバルチック艦隊を迎え撃てるぞ!やった〜♪って感じだったのだろう。
しかし、とんでもない寒さだ!
日本南地方出身の私には体験したことが無い寒さだ
およそ−15℃(強風)
昔の人は良くこんな状況下で戦っていたものですね -
東鶏冠山
ここはロシアの旅順大要塞があったところ
ロシア人って要塞作るのが上手だったようですね。 -
大激戦だったことを物語ってますね
弾痕の痕が・・・
もし、この時代に自分が生まれていたらと考えてしまいましたら、言葉を失ってしまいました。
こんなの嫌だ!
でも今とっても寒い、早く車に戻ろう! -
これは要塞の中で二階建てになっているの・・・
分かります? -
大連駅のホームです。
靄がかかり、なんともレトロな雰囲気が感じられます。
22:00頃発の寝台列車(ディーゼル機関車)で哈爾浜へ向かいます。到着予定は午前7:00頃です。 -
列車内の通路
-
列車に乗り込み焼酎のお湯割で乾杯!
本当に暖まった。良かった!
ポットが用意されていたので助かりました。
他のお客さんにご迷惑にならない程度で軽く宴会しました。 -
車窓が凍ってる。。。
あと写真は無いですがトイレが"ボットン"だったのよ。う、わーっ。。。なにこれ?
この時期の乗車内のボットン式トイレには気をつけましょうね。経験されている方は分かっていただけると思います。 -
哈爾浜に着きました。天候は晴天!
写真はアムール川が凍っちゃってスケート場になってしまってます。
正午なのに−28℃、川も凍るよね。
ガイドさんが寒中水泳やりませんか?だって・・・
一言、絶対嫌だ!
水中は外気より暖かいと言うのだ、本当なのか? -
氷の滑り台です。
-
滑ってみました。
意外と、怖かったです。 -
哈爾浜は100年前のロシア支配時代の面影が残っていました。
-
聖ソフィア大聖堂
1907年3月、帝政ロシアの兵士の軍用教会として創建。
ガイドさんが教えてくれたのですが、ここ哈爾浜には世界でも最大級の木造大聖堂があったとのこと、しかし、文化大革命によって焼失してしまったらしい。
もし、残っていたら世界遺産は間違いなかったでしょうね。残念だ。 -
ハルビン氷祭り
写真は北京オリンピック・イヤーだったこともあり、そのマスコット・キャラクターたちです。 -
ハルビン氷祭りは、
中国全国版ニュースで中継されるほど知名度の高い祭りです。驚いたのは会場が東京ドーム9個分とだだっぴろい。。。そこを一時間かけて見て回っても回りきれず、気温は日中(晴天)−28℃で今ここは氷の国であって体感温度は恐らく−40℃くらいだったのではないだろうか?今回の旅で一番寒さが体に堪えた気がします。
ガイドさんが、まだ回りますか?と聞かれ・・・
もういいです。と、即答。 -
ハルビン地ビール
-
ここからは長春です。
写真は旧満洲映画協会(満映)
関東軍支配時そのままの状態で残っていました。 -
これアップして良いのか?迷いましたが・・・
今も中国政府の庁舎として使われていて写真はNGなのですが車中からこっそりと撮りました。
旧関東軍指令本部です。 -
ファイブ・スター!
国家第一級文化遺産の証です。 -
ファイブ・スターの正体は、満州国皇帝の宮殿です。
ガイドさんがいうには、
本来、皇帝宮殿ともあれば世界遺産になっていてもおかしくないのだが満州国というのは日本国が勝手に作った偽りの国という解釈で世界遺産に推薦できないとのことでした。 -
緝熙楼
皇帝の住居で即位してから終戦まで13年間暮らしたとのこと。
宮殿の建設が間に合わず塩の専売公社だったこの建物をとりあえず(仮の)宮殿として使用したらしいのだが、何故ずっと居たのかな? -
皇帝溥儀さんの寝室。
狭いぞ。。。 -
溥儀さんの書斎。
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皇后婉容さんのプライベート・ルーム
何年も建物内から一歩も外に出してもらえず、この部屋で毎日アヘンを吸っていたとのこと・・・寂しかったんだろうね。 -
勤民楼
勤民楼は溥儀さんが政務や典礼を行うところ、すなわち仕事場ですね。
この玄関前で溥儀さんと関東軍司令官と日満の協合を行ったとのこと。 -
溥儀さんの政務室
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玉座
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溥儀さんお気に入りの中庭
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同徳殿
溥儀さん家族の宮殿として日本人よって建てられた。
溥儀さんは日本人が盗聴器を仕掛けていると疑い結局一度も寝泊りすることはありませんでした。
小さくて狭い緝熙楼とは違い広く豪華な建物でした。 -
同徳殿大広場
映画ラストエンペラーのロケでも使われた。 -
日本間
清国皇帝だったお方の宮殿に日本間とは・・・ -
溥儀さんの数少ない楽しみのひとつがビリヤード
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この写真をよく見ていただきたい
奥のピアノですが鍵盤がボロボロなの分かりますか?
なぜか?
溥儀さんは満州国が日本の傀儡国であって自分は飾り物、日本に利用されていることを不満に感じ、その全てのストレス怒りをこのピアノにぶつけたのでしょう・・・孤独だったんだ。 -
中国東北部のお酒
かなりHotなお酒でした。
やはり極寒地ではこのくらいhotなお酒でないと体が暖まらないのでしょうね。 -
これより瀋陽です。
世界文化遺産に指定されている瀋陽故宮 -
瀋陽故宮は、盛京皇宮とも呼ばれ、清の太祖ヌルハチ(1559〜1626年)と清の太宗ホンタイジ(1592〜1643年)によって、元、明朝の旧城を基礎に建立された。その建設は1624年に始まり、1636年に完成した。1644年、清の世祖順治帝(1638〜1661年)が北京に遷都した後には、清王朝の副都宮殿となったとのこと。
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崇政殿内にある透かし彫りの竜紋の玉座
ここで太宗ホンタイジが政務を行ったらしい
それから世祖順治帝が北京に遷都した際に紫禁城へ移し清朝最後の皇帝溥儀が紫禁城を終われる際に持ち出しここ瀋陽故宮に戻した。とか、だから北京故宮(紫禁城)の玉座は偽物で瀋陽故宮の玉座が本物であるとガイドさんがいってましたが・・・本当ですかね? -
伝統的な満州人の住まい
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写真の右側が漢字で左側が満州文字
今では満州語を話せる人がいないらしい。 -
夕方、瀋陽を後に列車にて大連に向かいます。
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旧満鉄本社ビル
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当時の満鉄マンホール
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いよいよ旅も終わりに近づいてきました。
写真は大連港
終戦後、ここから多くの日本人が引揚げ船に乗り帰国しました。
満州は楽園だ!と、大きな夢をもって移住した人々たち・・・どの様な想いだったのか? -
引揚げ当時の大連港の写真です。
ガイドさんから聞いた話ですが、当時10歳くらいでここ大連港から引揚げた多くの方が旅行者して戻ってこられ、その時にほとんどの方が昔の面影が残っているねって、昔を懐かしみ涙されるとのことです。
感動した。
ものすごく寒かったけど、楽しかった!
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