キタ(大阪駅・梅田)旅行記(ブログ) 一覧に戻る
年末に友人と会うために出かけたとき、待ち合わせまでの時間を潰すために梅田界隈を散策しました。<br />梅田の東通り商店街から脇にそれるお初天神通は様々な飲食店が建ち並ぶところとして大阪では有名ですが、その名前の由来で通りの一番先にあるお初天神(正式名:露天神社)は訪れたことがある方が少ないかも知れません。<br />通商であるお初天神の「お初」は、元禄十六年四月七日に手代の徳兵衛と一緒に心中した遊女のお初に由来します。この心中話を元に近松門左衛門が「曾根心中」と言う有名な浄瑠璃話として書き上げ、大人気を博して、参詣回向の老若男女が大勢押し寄せて「お初天神」と通称されるようになったそうです。

お初天神をじっくり見てみよう

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2009/12/30 - 2009/12/30

3102位(同エリア4499件中)

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近鉄バッファローズ

近鉄バッファローズさん

年末に友人と会うために出かけたとき、待ち合わせまでの時間を潰すために梅田界隈を散策しました。
梅田の東通り商店街から脇にそれるお初天神通は様々な飲食店が建ち並ぶところとして大阪では有名ですが、その名前の由来で通りの一番先にあるお初天神(正式名:露天神社)は訪れたことがある方が少ないかも知れません。
通商であるお初天神の「お初」は、元禄十六年四月七日に手代の徳兵衛と一緒に心中した遊女のお初に由来します。この心中話を元に近松門左衛門が「曾根心中」と言う有名な浄瑠璃話として書き上げ、大人気を博して、参詣回向の老若男女が大勢押し寄せて「お初天神」と通称されるようになったそうです。

同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄
  • お初天神の見取り図です。阪急梅田駅から東通り商店街を経由して来ると北門に繋がる参道の入り口が見えてきます。天神社の中には3つのお社が祭られています。

    お初天神の見取り図です。阪急梅田駅から東通り商店街を経由して来ると北門に繋がる参道の入り口が見えてきます。天神社の中には3つのお社が祭られています。

  • 正門から見ると、こんな形です。天神さんの正式名称が大書されています。

    正門から見ると、こんな形です。天神さんの正式名称が大書されています。

  • 御祭神には少彦名大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真公がいらっしゃるそうです。<br />縁起から、この神社は昔淀川河口の中州にあった曽根島の鎮守に端を発し、渡辺一族がこの地へ移住してくるとそれに続く人々が集まり曾根村を形成するに至り、当祭神を以て産土神としたそうです。後の世に、菅原道真公が太宰府へ流される途次にこの地を通り過ぎたとき、露が深かったので「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば」と詠んだことにちなんで露天神社と呼ばれるようになったそうです。<br />また一説には、露の頃に社地に清水が湧出したことに由来するとも言われ、その清水は現在の「露の井戸」と言われています。

    御祭神には少彦名大神、大己貴大神、天照皇大神、豊受姫大神、菅原道真公がいらっしゃるそうです。
    縁起から、この神社は昔淀川河口の中州にあった曽根島の鎮守に端を発し、渡辺一族がこの地へ移住してくるとそれに続く人々が集まり曾根村を形成するに至り、当祭神を以て産土神としたそうです。後の世に、菅原道真公が太宰府へ流される途次にこの地を通り過ぎたとき、露が深かったので「露と散る涙に袖は朽ちにけり 都のことを思い出づれば」と詠んだことにちなんで露天神社と呼ばれるようになったそうです。
    また一説には、露の頃に社地に清水が湧出したことに由来するとも言われ、その清水は現在の「露の井戸」と言われています。

  • 正門からの参道には、猿田彦大神の像が安置されています。

    正門からの参道には、猿田彦大神の像が安置されています。

  • 少彦名大神も安置されています。露天神の主祭神であり、医薬、薬学の神と言うことです。

    少彦名大神も安置されています。露天神の主祭神であり、医薬、薬学の神と言うことです。

  • しめ縄を架けるしめ柱が立っています。しめ柱には「定醫薬禁厭」「人咸蒙恩顧」と書かれていて、「医(学)薬(学)禁厭(病を癒す祈祷の業の意)を定む 人(は)咸(みな)恩顧(御利益の意)を蒙る」と読むことができるそうです。<br />その奥には、御本社が見えます。

    しめ縄を架けるしめ柱が立っています。しめ柱には「定醫薬禁厭」「人咸蒙恩顧」と書かれていて、「医(学)薬(学)禁厭(病を癒す祈祷の業の意)を定む 人(は)咸(みな)恩顧(御利益の意)を蒙る」と読むことができるそうです。
    その奥には、御本社が見えます。

  • しめ柱には、第二次大戦中の大阪大空襲で襲来したグラマン機による機銃掃射の弾丸跡が残っていました。

    しめ柱には、第二次大戦中の大阪大空襲で襲来したグラマン機による機銃掃射の弾丸跡が残っていました。

  • 本社の横には水天宮 金比羅宮の社殿があります。その縁起によると、御祭神は天の御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神他二柱とあります。<br />また、縁起によると、水天宮は、久留米藩蔵屋敷内に寛政九年六月に有馬公殊によって建てられたそうです。明治維新に伴って藩屋敷は新政府へ返上され、御神霊は、丸亀藩蔵屋敷の金比羅宮に合祀され、更にその丸亀藩蔵屋敷も上げ地になって高松藩蔵屋敷の金比羅宮に合祀され、堂島中二丁目に遷座されたそうです。明治四十二年の北の大火でそのお社も被災し、露天神社の境内社として斎祀されるようになったそうです。

    本社の横には水天宮 金比羅宮の社殿があります。その縁起によると、御祭神は天の御中主大神、安徳天皇、大物主大神、崇徳天皇、住吉大神他二柱とあります。
    また、縁起によると、水天宮は、久留米藩蔵屋敷内に寛政九年六月に有馬公殊によって建てられたそうです。明治維新に伴って藩屋敷は新政府へ返上され、御神霊は、丸亀藩蔵屋敷の金比羅宮に合祀され、更にその丸亀藩蔵屋敷も上げ地になって高松藩蔵屋敷の金比羅宮に合祀され、堂島中二丁目に遷座されたそうです。明治四十二年の北の大火でそのお社も被災し、露天神社の境内社として斎祀されるようになったそうです。

  • 天神さんと言うことで、御神牛がお祭りされています。<br />神牛舎という舎に安置されている御神牛は、「神牛さん」「撫で牛さん」と呼ばれ、自分の体が病んでいるところと神牛さんを交互に撫でると神牛さんが身代わりになって下さるあるいは神牛さんの霊力で病が平癒するとの言い伝えがあり、信仰が古来より続いているそうです。<br />菅原道真公は、生まれたのが丑年の承和十二年六月二十五日丑の刻で、亡くなった後の祭祀が営まれたのも延喜五年八月十九日丑年の丑の日と言う縁があるそうです。また、存命中も牛が好きで、ある夜に夢を見てから更に好きになり、自ら牛の姿を絵に描いたりして親しく祀ったそうです。<br />天神さんが学問の神と言うこともあり、学業成就の参拝客も多いそう。

    天神さんと言うことで、御神牛がお祭りされています。
    神牛舎という舎に安置されている御神牛は、「神牛さん」「撫で牛さん」と呼ばれ、自分の体が病んでいるところと神牛さんを交互に撫でると神牛さんが身代わりになって下さるあるいは神牛さんの霊力で病が平癒するとの言い伝えがあり、信仰が古来より続いているそうです。
    菅原道真公は、生まれたのが丑年の承和十二年六月二十五日丑の刻で、亡くなった後の祭祀が営まれたのも延喜五年八月十九日丑年の丑の日と言う縁があるそうです。また、存命中も牛が好きで、ある夜に夢を見てから更に好きになり、自ら牛の姿を絵に描いたりして親しく祀ったそうです。
    天神さんが学問の神と言うこともあり、学業成就の参拝客も多いそう。

  • そのすぐそばには、「曾根心中 ゆかりの碑」を見ることが出来ます。

    そのすぐそばには、「曾根心中 ゆかりの碑」を見ることが出来ます。

  • この日は昭和四十七年に曽根崎中一丁目の有志のよって建立された碑だそうです。<br />元禄十六年四月七日堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町平野屋手代の「徳兵衛」がこの露天神の天神の森にて情死し、近松門左衛門により「曾根心中」として劇化され、歴史に残る大成功を収めたそうです。以降、露天神社がお初天神と通称されるようになった理由です。「曾根心中」は何度も繰り返し再演され、今でも多くの人々の回向が絶えず、恋の成就を願う若人が数多く参拝しているそうです。

    この日は昭和四十七年に曽根崎中一丁目の有志のよって建立された碑だそうです。
    元禄十六年四月七日堂島新地天満屋抱えの「お初」と内本町平野屋手代の「徳兵衛」がこの露天神の天神の森にて情死し、近松門左衛門により「曾根心中」として劇化され、歴史に残る大成功を収めたそうです。以降、露天神社がお初天神と通称されるようになった理由です。「曾根心中」は何度も繰り返し再演され、今でも多くの人々の回向が絶えず、恋の成就を願う若人が数多く参拝しているそうです。

  • 「この世の名残、夜も名残。死に行く身を例うれば、あだしが原の道の霜。一足ずつに消えてゆく。夢の夢こそあわれなれ。あれ数ふれば暁の。七つの時が六つなりて残る一つが今生の。鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり。(中略)誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。取伝え貴賤群衆の回向の種。未来成仏疑いなき恋の。手本となりにけり。」<br />近松門左衛門の「曾根心中」より<br />文楽の「曾根心中」に出てくるお初と徳兵衛が大写しにされた看板があります。

    「この世の名残、夜も名残。死に行く身を例うれば、あだしが原の道の霜。一足ずつに消えてゆく。夢の夢こそあわれなれ。あれ数ふれば暁の。七つの時が六つなりて残る一つが今生の。鐘の響きの聞き納め。寂滅為楽と響くなり。(中略)誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。取伝え貴賤群衆の回向の種。未来成仏疑いなき恋の。手本となりにけり。」
    近松門左衛門の「曾根心中」より
    文楽の「曾根心中」に出てくるお初と徳兵衛が大写しにされた看板があります。

  • 正門近くには「神泉 露の井戸」があります。それ自体が神社「御井社」となっており、御祭神は御井神、祓戸四柱の大神だそうです。<br />社殿の真下には御井戸があり、かつては四天王寺の亀の井、清水寺の井、二つ井戸などと共に「浪速七名井」の一つと称され、梅雨時期には清水が井戸縁からあふれ出ていたそうです。社地の前を通る池田街道を行き交う人々の貴重な飲料水ともなっていたそうです。現在では地下鉄や高層ビルの建設などに伴って地下水脈が寸断されたのか、水位が著しく低下しているそうです。

    正門近くには「神泉 露の井戸」があります。それ自体が神社「御井社」となっており、御祭神は御井神、祓戸四柱の大神だそうです。
    社殿の真下には御井戸があり、かつては四天王寺の亀の井、清水寺の井、二つ井戸などと共に「浪速七名井」の一つと称され、梅雨時期には清水が井戸縁からあふれ出ていたそうです。社地の前を通る池田街道を行き交う人々の貴重な飲料水ともなっていたそうです。現在では地下鉄や高層ビルの建設などに伴って地下水脈が寸断されたのか、水位が著しく低下しているそうです。

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