1989/08/08 - 1989/08/10
8位(同エリア156件中)
がおちんさん
1989年当時、モンフンには「フェニックスホテル」というバックパッカーに人気の宿がありました。
曲靖出身の漢族による経営で、正式名は鳳凰旅社。
ただの旅社にすぎないのですが、宿の主人がアイデアマンで、ドラム缶で沸かした湯を使ったホットシャワーや、小川を利用した自然の水洗トイレなど、その快適さは僻地にいることを忘れるほどでした。
食堂と売店も完備され、夜になると旅の情報を交換する外国人旅行者で賑わいました。しかし、わずか数年で落ちぶれ、消え去ってしまった伝説的な宿です。
今日はそんなフェニックスホテルから、ハニ族の村を訪問します。
-
1989年8月8日(火)
しばらく体を洗えなかったので、今日はシャワーのあるフェニックスホテルに泊まることにした。
まだ建物も新しく、きれいな旅社である。モンフンを訪れる外国人旅行者には最も人気のある宿だ。
看板には鳳凰旅社と大きく書かれた横に縦書きで、
「Phoenix Hotel」と表記されている。
宿泊料金は3.5元と他の旅社より5角ほど高いため中国人客は見かけない。つまり防犯的にも安全性が高い。昨日まで泊まった名無しの旅社や白塔旅社では盗難騒ぎが多いが、「うちは安全だ」と宿の主人は自信たっぷりに言った。
写真の犬は宿で飼っている犬。賢くておとなしいが、なぜか、ハニ族だけには猛然と襲いかかるという不思議な習性を持っていた。
でも、どうしてハニ族だけになんだろう? -
フェニックスホテルは1階が食堂と売店になっており、客室は2階。
屋根に乗っている子供達は、屋上で沸かした湯をシャワー用のマスに入れる仕事もこなす。
そう、この宿ではホットシャワーが浴びれるのである。もちろん有料で申告制だが、景洪にある版納賓館だって夕方にならないとお湯が出ないのに、モンフンでいつでもホットシャワーが浴びれるというのは奇跡的なことだ。
西洋人バックパッカーが喜んで泊まるわけである。といっても彼らが自力でモンフンまで来るには相当に苦労しただろう。
熱いシャワーは、気合が入った旅行者のみが受けられる恩恵だ。 -
フェニックスホテルの従業員が夕食を食べるの図。小さな旅社だが、これだけの人数が働いている。
宿の主人はカンフー映画のラストに出てくる悪役のボス(ハン・インチェ)のような面構え。灰色のシャツを着た人がその人だ。
痩せていて口ひげを伸ばし、いつも雲南パイプをゴボゴボ吸っている。威張った態度なので余計にラスボスのイメージが強い。
どういう理由でモンフンに来たのかは知らないけど、西双版納を田舎だと馬鹿にし、故郷の曲靖の自慢をするのが常だった。下放されたのは間違いないだろう。
ある時、「日本製のガラスカッターが欲しい。金はいくらでもいいから買ってきてくれ」と頼まれた。次の機会に持参すると、「よし、お前はカッターの代金分、無料で泊めてやる」と言い放ち、金は払ってくれなかった(笑)。 -
フェニックスホテルの極めつけはトイレ。
なんと臭くないのである。実は下に小川が流れていて、天然の水洗トイレになっているのだ。
中国でトイレが臭くないなんて信じられない。快適にウンコできることが、これほど幸せなんてと再認識する。
それだけではない。朝のお勤めをしようとトイレにしゃがみ込むと、下の方から「キーィッ」と泣き声が聴こえたのである。
なんだ、一体? -
穴の下をのぞくと、そこには豚が。
つまり、この便所が臭くない理由は、水洗+豚のダブル効果によるものだったのだ。
しかし、下で待たれているとなかなか排便できない。
すると豚は「キィーッ」と甘えた声で鳴いて催促するのである。
なんとかひねり出すと、即座にムシャムシャ。
そして沈黙。
再び排出。即座にムシャムシャ。
用を済ますまで、豚はどかない。 -
最初は緊張するが、慣れたらどうってことない。
「お早う、今日もよろしく」と言ってトイレに入る。
用を済ますと、豚も何処かへ去って行く。
※ちなみに、この頃の少数民族の村には便所は無く、村人の排泄物はすべて動物が処理を担っていました。雲南では田舎に行けば行くほど、トイレ問題では臭い思いをせずに済みました。 -
汚い話が続いたので話題を変えて。
フェニックスホテルは早朝のみ米線屋としても営業していた。ここの主はやり手である。
近所のダイ族お姉さんが働きに来ていて、美味しいミーカンを作ってくれた。
彼女は18歳で、リクエストすれば孔雀踊りを披露してくれた。
美しい! -
1989年8月9日(水)
今朝は歩いてハニ族の村へ行くことにした。
早朝に宿を出発。途中、まだモヤのかかるダイ族の村に寄っていく。
静寂な村の中、女の子が裸足で歩いてきた。
なんとも幻想的な眺めだ。 -
一昨日、自転車で走った道を歩くのだが、やはり時間が相当かかってしまう。
太陽が昇るにつれ、暑さも厳しくなってきた。
日陰で休み休み行かないと、日射病になりそうだ。 -
ここもダイ族の村。川で村人が沐浴していた。
髪を洗ったり洗濯物を棒で叩く様子がとても魅力的に映った。
もちろん全員が女性。
現実とは思えないような光景だった。 -
女性の裸を撮るのは失礼かと思ったが、いやらしい雰囲気は全く無かった。
おばさんに「あなたも入りなさい」と言われ、他の人も大笑い。
靴を脱いで足を水につけると、思ったより冷たかった。
暑さも引いたので、再び歩き始める。 -
今日訪ねるハニ族の村は遠い。
歩いても歩いてもたどり着かない。
ちょうどハニ族の人が農作業をしていたので、あとどのくらいかかるか聞いてみよう。 -
「ノ・ガマチョー・バーロン」(バーロン村に行きます)と、覚えたてのハニ語で話してみると、みんな一斉に山の方を指差した。
もう近いと言う。
「インナ・ヌツァツァ」(今日は暑いですね)と言うと、
「オウ」(そうですね)と笑った。 -
ゆるやかな山道に差しかかり、ふと後ろを振り返るとモンフンの盆地が遠くに見えた。
本当にすぐ近くなのかなー?
もう3時間以上も歩いているのだ。 -
行く手にバーンと登場した「外国人進入禁止」の看板。
これを見るだけでちょっと緊張が走る。
当時の西双版納にはこの看板があちこち立っていた。
でも、なんか嫌な感じだ。
よほど見られたくないものでもあるのかも。 -
道班という道路管理を担う建物があった。
のどが渇いてしかたないので水を所望する。人の良さそうなおじさんが濁ったお湯をコップに注いでくれた。
ここにはハニ族やラフ族のおばさんたちもいてワイワイ話している。ハニ族の村はもうすぐだと言う。またしても皆が指をさした。
ラフ族の女性はナシのような果物をくれた。ちょっとえぐい感じで、初めて経験する味だった。
礼を言って出発する。
子供がおねしょをしたらしく、地図を描いた布団が干してあった。 -
道中、よく見かけた蝶(あるいは蛾?)
きれいな色だけど、なぜか泡を出しているのが不気味。 -
途中まで一緒に来てくれたハニ族の人が、「ここを下りていけば村だよ」と教えてくれた。
細い道を下り、小川を越えて急な坂を登ると、ハニ族の足跡(裸足)が所々についていた。
森の中に入っていくとハニ族村の門が現れる。ここをくぐると村が見えてきた。
モンフンからここまで4時間。
寄り道したとはいえ、ちょっと遠すぎるよー。 -
山の中腹に点々と高床式の家が建っている。
村に入っていくと、数匹の犬が吠えかかってきた。噛まれたらえらいことになる。後ずさりしていると、村の青年が犬を追い払ってくれた。
彼は一声発しただけだが、犬は途端におとなしくなった。 -
一見すると誰もいないような気がするほど静かだ。
そりゃあ、電化製品があるわけでもないから当然か。むしろ私達の環境のほうが騒音だらけなんだよな。
と、思っていたら、どこから見ていたのか、あっという間におばさんが20人ぐらい集ってきた。皆、手にはハニ族の刺繍や小物を持って、「5元!10元!」と商売を始めた。
まったくもう、ハニ族のおばさんたちは村でもそうなのかと、ちょっとガックリ。ただ、モンフンの市で見たようなきれいな服を来た人は少なく、シャツなどは真っ黒だ。
あるオバサンから「うちに来なさい」と言われ、着いて行く。 -
可愛い豚の親子。
ハニ族は豚を大切に扱っているのが見て分かった。
反対に犬の立場は低いようで、どの犬も痩せてガリガリ。人間の排泄物を主食にしているんじゃないかと思うくらい。
子供がそのへんでウンコすると、犬は便を争って食べ、また子供のお尻をきれいに舐めあげていた。
きれいなような汚いような。
やっぱ汚いよ。 -
おばさんの家に入ると、3人の子供と2匹の犬がいた。
部屋の中は真っ暗で、いろりの煙が目にしみる。
犬は私を威嚇するが、おばさんがちょっとブツブツ言うとだまってしまう。犬はいたって忠実だ。
ある時など歯をむき出して「ウーッ」と唸っていたところ、
3歳ぐらいの子供が腹をチョコンと蹴っただけでキャインと鳴いて逃げていった。
おばさんの名前はヨム。彼女はお茶を出してくれ、布に包んだ民族服や小物を出してきた。作りがしっかりしていて、土産用ではなく、自分達が使う品物だ。せっかく遠い道のりを来たので、足にはめるクボン(脚半)を買うことにする。
困ったのは、代金を値切って交渉が成立したのに、金を払う段階になると再び値を吊り上げることだ。
「じゃ、要らない」と何度もつき返し、ようやく品を手にした。 -
そろそろモンフンに帰るため、村を出ようとしたら知っている顔の人が現れた。モンフンでハニ語を教えてくれたヌマというおばさんだ。手にはみやげ物を持っていて、こっちへ来いと言う。
これは断れない。結局ヌマからもビーズ細工のアクセサリーを買った。
ヌマとヨムの二人もモンフンに用事があるというので、一緒に村を出ることにする。
道中、ヌマは私が他の人から物を買ったので「不好」と不機嫌だったが、買った値段を聞くと何度もうなづき、「お前は好」と言ってくれた。私がホッとすると再び「不好」と言ってからかう。
最後は私が抱きついて「好!」と言うと、彼女は嬉しそうに笑った。
いつの間にか心が打ち解けたようだ。 -
ヌマとヨムは重い荷物(薪や野菜)を背負っているため、額にたくさん汗をかいている。私が代わってあげると言っても「お前には無理だ」といって聞かなかった。
ふたりは2時間歩いた所にあるダイ族の村に寄るという。
「今日はここに泊まるのでお前も来い」と言われるが、私は先を急ぐことにした。別れ際、100メートル以上離れても、二人はまだ立ってこちらを見送ってくれた。
ヌマがくれたトウモロコシを食べながら歩く。結局モンフンまで4時間かかり、フェニックスホテルに着いたときはヘトヘトになってしまった。今日は8時間以上歩いたことになる。
でも、少数民族の人と仲良くなれて嬉しい。
(写真はフェニックスから眺めるモンフンの集落) -
夜、フェニックスの食堂で旅行者たちと話をした。ドイツ人、フランス人、オーストラリア人など、国際色豊かだ。
ある日本人青年は「どうしても未開放のダールオに行きたい」と言う。捕まってもいいから国境まで行ってみたいのだそうだ。
翌日、その青年は歩いてダールオに向かって旅立って行った。きっと丸2日はかかるだろう。でも、そうしたくなる何かがモンフンにはあるのだ。私が少数民族の村を訪ねたくなったように。
人それぞれ、いろんな思いを持ってモンフンにやって来る。
彼の成功を祈って乾杯した。 -
1989年8月10日(木)
翌日、モンフンの通りでヨムに会った。ヌマは後で来るという。
昨日までの態度とは何か違うのを感じた。今まではカメラを構えると「1元!」と言っていたのに、ヨムは自分から「写真を撮ってくれ」と私に頼んできたのだ。
この日以降、ハニ族から物を売りつけられることも無くなった。
さて、明日はプーラン族の村を訪れてみよう!
雲南の旅 1989 (9) モンカンへ〜少数民族ロードを迷い歩く に続く
http://4travel.jp/travelogue/10428133
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この旅行記へのコメント (2)
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- kaz-ykさん 2010/02/10 12:40:56
- 始めまして
- がおちんさん 今日は
小生のブログにお越し願い、旧い写真をご覧頂き感謝します。
足跡を辿りお邪魔しました。旧きよき時代ですね!
有効利用のトイレは、聴いていましたが、現物見るのは、初めてです。
「豚」に催促されるとは
インドネシアでは、池の上にトイレあり、鮒、鯉が、処分してくれると
スイスのシオン城のトイレは、5F位の高さのお城の突き出た部分が、トイレで、pooは、レマン湖にマッシグラと
20年も以前に、こんな奥地を、探求されたとは、凄い。
これこそ「旅」の醍醐味ですね 深謝
- がおちんさん からの返信 2010/02/10 13:13:35
- RE: 始めまして
- kaz-ykさん
こんにちは。
ああ、もうこちらに来ていただいたのですね。どうもありがとうございます。
実は、昭和47年に父親が香港旅行に行き、街の喧騒ぶりやアバディーンの水上生活者のことを土産話に聞かされたのが印象深く残っていたんですが、kaz-ykさんの写真を拝見して当時の香港の様子がよくわかりました。
そして竹のカーテンの写真、いろいろと考えさせられました。
> pooは、レマン湖にマッシグラと
なんと、スイスの城は空中トイレだったのですね(笑)。
勉強になりました。
またお邪魔させていただきます。
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