2002/08 - 2002/08
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mas98765さん
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ベルリンとライン川周辺都市を巡りました(昔の旅行記を後で編集したものです)。
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ジャーマン・レイル・パスを使ってドイツ旅行をしました。ジャーマン・レイル・パスはドイツの鉄道が乗り放題で、ライン川クルーズにも使えます。
これはドイツ新幹線(ICE)です。 -
横から見るとこんな感じで「ICE」と書かれています。
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中は日本の新幹線と同じです。最高速度も基本的に同じくらいでしたが、ローカル線と同じ線路を走るので、ところどころで歩行者のような速度になったり止まったりしました。
ドイツではICEの他、色々な電車に乗りました。 -
編集の都合上、時系列ではないのですが、まずはベルリンの写真をのせていきます。フランクフルトからはるばるベルリンにやって来ると、まずたどり着くのがこの「ティーアガルテン駅」つまり「動物園駅」です。その名の通り、隣にベルリン動物園があります。これが当時、事実上のベルリンの玄関でした。
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この建物の中にあった観光案内所でホテルを紹介してもらいました。最初そのホテルに行ってみたら何と工事中で、1階の部屋の呼び鈴を鳴らしたら、ヘルメットをかぶった人が出てきて「ゲシュロッセン(閉まっている)」と言ったので、観光案内所に引き返して抗議したら、電話で再度確認してくれて、一階は工事中でも二階は開いているということでした。それでも行ってみると開いている気配がなかったので、隣の店の人に尋ねて建物の呼び鈴を鳴らしたら、太ったおばさんがハアハア言いながら出てきて「やってるわよ」と憤慨していました。階段は真っ暗でしたが、部屋に通されてみると安い割りに清潔で快適な部屋でした。このホテルはチェックアウトしたときも夫婦喧嘩の真っ最中で大変でしたが、とても快適に過ごせました。
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ベルリンのシンボルは熊です。ちょっといたずらされていますが。
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これは動物園駅のすぐ近くにあるカイザー・ヴィルヘルム教会です。1888年に死去したヴィルヘルム皇帝のために建てられた教会です。
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よく見ると、塔の上の部分が壊れています。1943年に空襲で破壊されてしまいました。あえて修復をせず、戦争の悲惨さを伝えています。日本の原爆ドームのようなものです。
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下の部分はこんな感じです。
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ブランデンブルク門です。1791年にプロイセン王国の凱旋門として建てられました。かつては東西ドイツの境界線上にあり、ベルリンの壁が崩壊したとき、この門に人々が集まって喜ぶ様子が全世界に放送されました。
でも、わたしが訪れたとき何かおかしいと思ったら、何と絵でした。ワールドカップ開催を控え、サッカー関係の絵でした。 -
修復工事中だったのです。
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ブランデンブルク門からは、「ウンター・デン・リンデン」つまり「菩提樹の木の下で」という名前の通りが延びています。
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今は日本でもよく見かけますが、この自転車タクシーが当時新鮮でした。
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ドイツ連邦議会議事堂、つまりドイツの国会議事堂です。屋上にガラス張りのドームがあって面白いです。
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正面玄関はこんな感じです。
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ベルヴュー宮殿です。連邦大統領のベルリン官邸として利用されています。
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ベルヴュー宮殿の左横の建物には監視カメラがたくさんついていました。これが本当の大統領官邸なのかもしれません。
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ジーゲスゾイレ(戦勝記念塔)です。ティーアガルテンという広大な公園の真ん中に立っています。デンマーク戦争・普墺戦争・普仏戦争の勝利を記念して1872年に建てられました。
ロータリーの真ん中にあって、地下道があったのに気づかず渡るのに苦労しました。それから、周囲に道が放射線状に延びているので、帰りに道を間違えたのに気づくと中心まで引き返すはめになりました。 -
下の部分はこんな感じです。台座には、大勝利の様子を描いた銅版レリーフがあります。
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先端には女神ヴィクトリアの像があります。
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下の展望台は円柱に囲まれて、
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壁や天井もきれいです。
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螺旋階段を上ると上の展望台に出ます。
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ここからは、先ほどのベルヴュー宮殿や
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ティーアガルテンの森の向こうにテレビ塔やポツダムプラザをのぞむことが出来ます。
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東西ドイツを長い間分断していたベルリンの壁がイーストサイド・ギャラリーとして残っていました。いたずら書きのように見える絵が描かれていました。壊された壁のかけらはしっかり土産物として売られていて、それらしく鑑定書のようなものがついていました。物好きなわたしもつい買ってしまいました(買ったのは確かここではなく別の場所です)。
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これはテレビ塔です。1965年に建てられた旧東ドイツのシンボルで、高さは365mあります。
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入って、
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展望台に行ってみると、周囲の景色が見渡せました。
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川が見えます。シュプレー川といいます。
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これはすぐ下のアレクサンダー広場です。
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下に下りてみると、これがアレクサンダー広場です。ロシアのアレクサンダー1世の名前に由来します。
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これは赤の市庁舎です。
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赤の市庁舎の前にあるネプチューンの噴水です。
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ベルリンの路面電車です。
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これは旧西ベルリンの目抜き通りで、クーダム(クアフュルステンダム)通りといいます。ここには「ストーリー・オブ・ベルリン」という所があって、ベルリンの歴史を最先端の視聴覚技術で紹介していました。
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これはポツダム広場の駅です。東西ドイツの統一を象徴して、あちこちで再開発工事が進んでいました。この駅は閉まっていました。
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これはソニー・センターです。
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中はこんな感じで、
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モダンなつくりでした。
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ペルガモン博物館にも行ってみました。中近東の古代遺跡の展示が充実している博物館です。建物入口でも写真を写しましたが自分が写っているので公開しません。
これはペルガモンの祭壇といって、現在のトルコに紀元前2世紀にあったペルガモン王国の祭壇です。この博物館にはこのような巨大なものが丸ごと入った部屋がいくつもあります。 -
これはイシュタール門といってバビロニアの都バビロンの中央北入口にあった門です。レンガ造りで、牡牛やシリシュ(想像上の動物)のレリーフがあります。
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ベルリン動物園にも行ってみました。中華街の入口ではないかと思う門ですが、これが入口です。入口に象の彫像があって東洋的です。当時、動物の種類が世界で最も多い動物園だったらしいです(今もそうかな)。欧米の動物園は動物保護に観点が置かれて面白くないものが多い印象を持っていましたが、この動物園は面白かったです。
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こんな感じで案内板があります。当然ドイツ語で書かれています。
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定番のゾウです。
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これは水牛の仲間でしょうか。
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ツキノワグマが無防備な格好でくつろいでいました。他にもいろいろな動物が面白い表情を見せていましたが、
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中でも一番よかったのがホッキョクグマです。この動物園には何頭もいて、
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食事の時間が来て、飼育員さんが肉の塊を放り投げると、
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見事にキャッチしました。
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変わって、これはフランクフルト駅です。日本からの直行便はフランクフルト行きですから、最初に来たのがここです。
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駅の中です。駅の中の観光案内所で、駅の近くで安くてバストイレ付のホテルを紹介してもらいました。ホテルは駅のすぐ目の前で、部屋もきれいでしたが、
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このあたりにはホームレスの人がたくさんいました。危険な目に遭うことはありませんでした。
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フランクフルトの町はマイン川沿いにあります。マイン川はライン川の支流です。
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同じくフランクフルトの町です。とんがっているのが確かメッセです。日本で何とかメッセというように、見本市の会場です。当時、ヨーロッパで一番高い建物だったようです。
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レーマー広場です。フランクフルトの観光地の一つで、賑わっていました。
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向かい側です。真ん中の建物で、神聖ローマ皇帝の戴冠式後の祝宴が開かれたようです。このあたりの前では、
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大道芸人さんが芸を見せていました。
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フランクフルトの路面電車です。
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ゲーテハウスです。詩人として有名なゲーテの生家です。
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このように絵が並んだ部屋とか、彫刻が並んだ部屋とか、いろいろありました。
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これはゲーテの肖像画のようです。
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これは直筆の原稿のようです。
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ゼンケンベルグ自然博物館に行きました。
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恐竜の骨格標本や
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始祖鳥の化石がありました。始祖鳥は最初、ドイツで発見されました。
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動物の剥製も並んでいました。
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時系列に胎児の標本が並んでいるところもあってびっくりしてしまいます(実は、少し前に訪れた上海で同じような標本を見ていたのでそれほど驚かなかったのですが)。
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手前にそびえているのは確か、シロアリの巣です。
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「タカアシガニ」と日本語で書かれていたのには驚きました。唯一の日本語です。
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マインツからコブレンツまで船に乗ってライン川下りをしました。
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船室にいては面白くないので上にあがります。こんな風に椅子が並んでいて座ることができます。
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船はあちらこちらに停まって進みます。お客さんが乗り降りします。見所では、複数の言葉で案内放送が流れます(日本語もありました)。
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ここはリューデスハイムです。一面にブドウ畑が広がります。
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ライン川の両岸には沢山の城が見えます。いくつかの写真を載せます。これはエーレンフェルス城といって、廃墟になっているらしいのですが結構目立ちました。
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これはラインシュタイン城です。ライン河畔で最も美しい城の1つと言われるそうです。プロイセンの王子フリードリッヒが税関を城に改築したものです。
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ライヒェンシュタイン城です。
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これはバッハラッハの町です。
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川の中州に船のようなものが現れました。プファルツ城です。14世紀に税関として建てられたものだそうです。
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グーテンフェルス城です。ホテルの文字が見えます。
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突然、ローレライの音楽とともに、ミスローレライと思われる女の人が乱入して来ました。
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前方右手に岩山が見えます。
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これがかの有名なローレライです。この辺りは昔、川幅が狭く岩山が迫って危険な場所で、船が転覆して遭難する事故が多い場所でした。人々は、岩山にローレライという女の人が出没して、その歌声にうっとりしているうちに舵を誤ってしまうのだと考えたようです。昔は危険だったのかもしれませんが、日本のどこにでもあるような崖でした。
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船は先に進みますが、
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昼食を食べておかなければなりません。船室に行ってスパゲティを食べました。食べかけの写真ですみません。
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これはマルクスブルグ城です。ライン河面より150mの高台にあります。ライン河畔にある城の中で最も当時の姿を残しているといわれています。
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シュトルツェンフェルス城です。13世紀に建築されました。1689年にフランス軍に破壊された後、再建されました。
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エーレンブライトシュタイン要塞が対岸に見えてきました。いよいよコブレンツに到着です。
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船を降り、電車でフランクフルトに戻るため駅に向かいました。突然雨が降ってきました。迷ってしまって、傍らの店の人に道をききながら、走って何とか目的の電車の時刻に間に合いました。ホームで何かの案内放送がありましたが聞き取れないので、ほぼ時刻どおりに到着した電車に乗って順調にフランクフルトに戻りました。ところが、そろそろ到着かという時間になってもフランクフルト中央駅に着きません。停車駅の名前も時刻表に見当たらず、心細くなってついに乗客の一人に中央駅はまだかと尋ねてみると、何とこの電車は中央駅には行かない別の電車でフランクフルトを通り過ぎてかなり走っていることが判明しました。慌てふためいて電車を乗り換え、何とか戻りました。
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日を改めて、電車でボンに行ってみました(というより、先にケルンに行ってから引き返してボンに行ったのですが、編集の都合上まずはケルンより近いボンの写真をのせます)。これはボンの駅です。
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ボンはのどかな町ですが、東西ドイツ統一前は西ドイツの首都でした。
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ボンといって思い出すのは、ベートーヴェンです。ここにはベートーヴェンの生家があります。一家はこの家の一部を借りていて、ベートーヴェンは22歳までここで過ごしたそうです。
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ベートーヴェンの生家の庭です。中はあいにく撮影禁止でしたが、ベートーヴェンが使ったありとあらゆるものがあって面白かったです。
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ケルンにやって来ました。これはケルンの駅を少し離れて眺めたものです。
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ケルンの駅を出ると、こんな感じで目の前に塔がそびえています。世界遺産として有名なケルン大聖堂です。近すぎて全体が写真に収まりません。
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これが精一杯です。
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仕方がないので、少し離れて写真を撮りました。
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螺旋階段で塔のてっぺんに上ることが出来ます。
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塔の上からの眺めです。
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鐘もありました。
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大聖堂の内部はこんな感じです。
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ここがミサを行う場所ですね。
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ケルン大聖堂は、ステンドグラスがとても綺麗でした。
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綺麗なので
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いくつか載せます。
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大聖堂のすぐ隣にあったローマ・ゲルマン博物館に行ってみました。ローマ時代の遺跡や美術品が並んでいます。
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これは、ルキウス・ポブリキウス記念碑といって、高さ15mあります。上部にはギリシャ語で「酒を飲んで永遠に生きよ」と彫られているそうです。この位置の下に、
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ディオニソスのモザイクを見下ろすことが出来ます。古代ローマ人の日常生活を描いたもので、まさにこの場所で発見されたものがそのままになっているのだそうです。
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他にも古代ローマに関する様々なものが展示されています。
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例えば、ライオンと戦う人の像です。
ベルリンとライン川周辺都市を早足で見てきました。以上で今回のドイツ旅行記は終了です。
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