1989/07/29 - 1989/08/01
23位(同エリア156件中)
がおちんさん
日曜マーケットで有名なモンフン。
週に一度、田舎の小さな集落が少数民族で賑わいます。
ダイ族をはじめ、ラフ族、プーラン族、ハニ族、アク族等が、荷物を背負ってモンフンへ集り、商売をします。
それぞれが持ち寄った品を物々交換する光景も見られ、素敵な民族衣装や素朴な人柄と相まって旅行者に強い印象を与えました。
当時は相当に不便な場所でしたが、世界中からバックパッカーがモンフンを訪れていました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
-
1989年7月29日(土)
目が覚めると6時28分だった。
しまった!寝坊した。モンハイへ行くバスが出発するまで、12分しかない。
2分で荷物をまとめ、版納賓館からバス駅までひたすら走る。雨が降っているが構わず走る。屋根がある市場の中を通って行くので助かった。
バス駅に着いたのが出発の1分前。モンハイ行きのバスを探すが見つからない。係のオバサンに尋ねると、「あれだ」と叫んだ。私が乗るバスは出発しかかっていた。
「オーイ!」と大声を出して10メートルほど追いかけるとバスは停まってくれた。もう全身びしょ濡れだ。
バスは満員の客を乗せてモンハイへ向かう。途中で雨は上がったが、高度を増すにつれ寒くなってきた。
なんてこった。
上海でセーターとジャケットをあげてしまったことを悔やむが、もう遅い。 -
モンハイには2時間半で到着した。
すぐにモンフン行きの切符を買いに窓口へ行く。運良く12時発の切符が買えた。
モンフンへのバスはミニバスのうえ、9時半と12時の二便しかないので売り切れるのが早いのだ。
出発まで時間があるので、モンハイの町を散歩することにした。雨のせいで地面がぐっちゃぐちゃだ。
最初は気をつけて歩いてみたが、汚れを避けるのは不可能と気がつき、泥だらけのまま歩くことにする。 -
モンハイには大きな市場があり、大勢の人が集っていた。ここなら日用品は何でも揃う。
服が濡れて寒いので、ジーンズもどきを18元で購入して着替える。
ところが、モンフンに着いてバスを降りる時、股の部分が裂けてしまった。
ボロすぎるよー!
中国では地元民が着ている服にしておくのが無難だということを知った。 -
市場には牛やブタがウロウロ歩いていて、スキがあれば売り物の野菜を食べようと狙っている。
そのため商売をする人からは「シッ!シッ!」と追い払われている。
商品を横取りされたのか、ある人は天秤に使う重りを思いっきり牛に投げつけた。ボンという鈍い音がして牛は逃げるが、さらに追いかけて再び投げる。蹴りまでいれていた。全くすごいファイトだ。
そこまでするなら、牛やブタを市場内に入れさせないよう工夫すればいいのに。
よくわからん国だ。 -
モンフン行きのバスは20分遅れて出発した。
未舗装なので道が悪く、所々でスリップするが、終にはぬかるみにはまってしまった。
雨で道はヌルヌル、タイヤはツルツルで埒が明かない。
やがて乗客の全員が降ろされることになった。 -
もともと対向車のトラックがスタックしていたので、我々のバスが動けなくなった結果、道路を塞ぐことに。
田舎だから交通量は少ないが、数台のトラクターなどが渋滞した。
問題のバスは、ブンブン吹かすも全く動けず。 -
じゃあ、皆で手伝おうということで、乗客がバスを押すことになった。
私もこの写真を撮って、すぐに参加する。
ぬかるみを脱出するのに20分かかった。
やれやれ。 -
再びバスに乗ると大雨になった。
道はドロドロになり、運転手は必死に運転している。
窓からは広大な水田風景が見えるが、雨で霞む。 -
モンハイから1時間半でモンフンに着いた。
雨は一向に止まず、家の軒下で40分ぐらい雨宿りする。
集落はガラーンとしていて、歩く人も少ない。 -
ビニールを被った少数民族が通り過ぎて行った。
プーラン族の人たちだ。 -
背中に籠を背負っている。
きっと明日の市のためにモンフンへ来たのだろう。
雨は全く止む気配がない。 -
突然、メインストリートの方から怒鳴り声が聴こえた。
ハッとして見ると、豚がタケノコをくわえて逃げてくる。後ろからハニ族のおばさんが必死に追いかけてきた。
おばさん、石を拾って豚に投げる。
命中。
それでも豚はタケノコを放さない。ブーブー鳴きながら私の前を通り過ぎ、民家の中へ入っていった。
その決定的瞬間を撮った。 -
やがてハニ族のおばさんはタケノコを取り返して戻ってきた。雨でずぶ濡れだ。
売り物のタケノコを豚にかじられてしまい、おばさんは悲しそうに嘆いている。 -
意気消沈のハニ族おばさん。
元気出して!
でも、またきっと売るに違いない(笑)。 -
雨が小降りになったので宿探しをする。
モンフンには旅社が3軒あり、白塔旅社と名無しの旅社は3元。鳳凰旅社(フェニックスホテル)は3.5元だ。
ガンランパで会ったオランダ人男性とスウェーデン女性に再会し、名無しの旅社を勧められたので泊まることにする。
写真は宿のおばさん。 -
名無しの宿は漢族の経営。
おばさんは料理や洗濯から薪割りまで一人でこなす働き者だ。いつも怒鳴っているが、そのあと笑ったりするので怒っているわけではない。
何かと面倒を見てくれるのだが、地元の人をとっかえひっかえ部屋に連れて来ては「日本人見物」させるのでプライバシーはゼロに等しい。
でもとても親切な人。 -
おばさんはバケツや洗面器を並べて雨水を溜める。
お茶や料理にも雨水を使うのだ。
最初は驚いたが、雨水で入れた茶は美味かった。
この旅社には先の2人の他に、ケンブリッジ大学に通う2人のイギリス人も泊まっている。国際色豊かな宿だ。
旅社の人は中国語しか話せないけど、互いに身振り手振りで気持ちが伝わるから不思議だ。
それにしても、この宿は外国人を泊めて問題ないのだろうか。登記も無いし、どーなってるんだろう。 -
「一緒に食べよう」と食事に誘われた。
食べている間も、おばさんの質問攻めが続く。とても美味しいのに、味わって食べる暇が無い。
「ミシミシ、バーカヤロー」と大声で言われるのには閉口した。 -
1989年7月30日(日)
今日はモンフンのマーケットの日だ。あいにくの雨だが、メインストリートには多くの人が出ていた。
自転車のハンドルに吊るしているのは豚肉だ。
マイバックすら要らない、エコの究極形。 -
山からやって来たのはプーラン族の人たちだ。
売り物はなんだろう。屋根を葺くのに使うのかな? -
市を歩いていると、実にいろんな顔に出会う。
少数民族とはいえ、この人も中国人だ。
なんかイメージが変わるなー。 -
また、同じ民族でも村によって微妙に特徴が違うようだ。
こちらは黒を基調とした服のプーラン族。 -
こちらは青を基調としたプーラン族。
ホウキを売りに来ていた。 -
どんどん人が集ってきて、モンフンのメインストリートは大混雑になってきた。
マーケットの熱気はピーク。
すごい賑やかだ。 -
アク族もオリジナルのホウキを作って売りに来ていた
-
アク族は大きな銀の首輪と、小さな白い貝を腰に巻いている。
彼らが提げている麻のバッグは、「カイヤー」と呼ばれる独自のものだ。 -
モンフンに集る少数民族の中で、アク族はやや排他的な印象を受ける。
人なつっこいハニ族やプーラン族とは対照的だ。 -
しとしと小雨の降る中で、少数民族のマーケットは静かな賑わいを見せていた。カラフルな色の民族衣装が目に鮮やかだ。
商いに来た人たちが物々交換をする様子が面白い。一本のタケノコを数匹の魚と交換する際に、「もう一匹追加しろ」、「いや駄目だ」などのやり取りが、言葉がわからなくても理解できた。
おわん一杯の米が、同量のミーカンに交換できることもわかった。
まだまだ金に支配されていない人たちが羨ましい。 -
市場には牛や豚や犬、そして鶏までが参加している。
彼らの役目は掃除係だ。余ったものはないかとウロウロ歩いている。
そんな動物たちも、市が終わって夕方になると家に帰る。
あんなに賑やかだったのに、通りは再びガラーンとなるのだ。 -
モンフンには旅行者にありがたい食堂がある。ダイ族のIさんが経営する「傣味小吃」だ。
Iさんは材料を見せてくれてから、「炒めるか、煮るか、焼くか」と聞いてくる。また、食べたい量や辛さの度合いまで調整してくれるので、一人でも残さず食べることが出来る。
味もいけるので、以後モンフンに来る際は毎日通うことになった。
モンフンに来る少数民族の特徴や、周辺にある村の情報など、Iさんから教わったことは多い。
以後、彼とは長いつきあいとなった。 -
この日の料理。
牛肉炒めとタマゴのスープとご飯。
何度も通ううちに、酒代は受け取らなくなった。 -
店で働いていた、Iさんの姪のYさん。
表情や仕草が愛らしい娘さんだ。
Iさんに厳しく使われるので、見ていて可哀相になるほどだが、いつも笑顔を絶やさない看板娘だ。 -
1989年7月31日(月)
市の翌日、モンフンは静かな村になっていた。
今日は集落内を歩いてみる。 -
どこの国でも女性は井戸端会議が好きだ。
ここは打洛(ダールオ)に続く公道上だが、ダイ族の女性たちにとっては庭先のようなもの。
お喋りに余念がない。 -
きれい好きなダイ族は、日に何度も水浴びをする。
ガンランパなどと違い、水が不足しがちなモンフンだが、髪を洗う女性をよく見かける。 -
てんびんに沢山の草を載せて歩くダイ族の女性。
明るく、美しく、たくましい。 -
裸足で歩いている人が多い。
確かに、雨が降ると地面がぐちゃぐちゃになるので、靴をはいているほうが面倒かもしれない。 -
村を歩いていたら子供がついてきたので、一枚撮ってあげる。
照れた表情が可愛いなー。 -
水汲みは重労働だが、これも女性の仕事のようだ。
てんびんは左肩で担ぐ人が多い。 -
夕方、旅社の隣部屋に泊まっているダイ族の人に呼ばれて食事をごちそうになる。
糯米におかずをつけて食べてみる。辛いけど美味しい。コリッとした感触がしたので見てみると、カエルの頭だった。
「ウッ!」と驚くと、一同大笑い。
彼女たちはモンツォー(勐遮)から唐辛子を売りに来ていたグループで、明日の午後には地元に帰るのだという。
「モンツォーには八角亭もあるし、一緒に来ない?」と言われるが、もう手持ちの人民元が無い。田舎じゃFECは紙屑同然だ。西双版納では闇両替が無いので、人民元が切れたらアウトである。
16歳のHさんは、ダイ族の踊りや歌を披露してくれた。
ああー、せっかく少数民族の人たちと仲良くなれたのに、昆明に帰らなくてはならないなんて。
残念だー。
こんなことなら、もっと沢山チェンマネしておくべきだったー。
悔やんでも遅いけど。 -
1989年8月1日(火)
今日は平日だけど、朝市にはダイ族が大勢集っている。
昨夜、食事をごちそうになったダイ族の人たちも唐辛子を売っていた。
「8時のバスで帰ります。またね!」と手を出すと、Hさんは「あなたの手が臭くなるわよ」と言って握手した。
なるほど、手に青椒のニオイがする。
モンハイ行きのバスが出発する直前、窓から朝市の様子を撮った。
こんなに居続けたいと思った場所はない。
名残惜しい気持ちでモンフンを後にした。
※幸い、4日後に再訪することになりました。
雲南の旅 1989 (5) ダーモンロン・モンツォ・モンハイ〜版納周遊 へ続く
http://4travel.jp/travelogue/10421311
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