2009/05/30 - 2009/05/31
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フルリーナさん
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2009年イタリア田舎の旅の後半は、フランチェスコの足跡をたどります。
まず、長年訪れたかった、フランチェスコが聖痕を受けたヴェルナの修道院を訪れます。
ここは、巡礼客用に宿泊施設あり、そこに一泊しました。
ヴェルナのサンクチュアリは、大自然の中、フランチェスコが愛した鳥や風や木々に囲まれて、まさに身の引きしまるような霊気に満ちた場所でした。
そんな中でシスターやブラザーたちと共に、祈りを共にし、緑の中を散歩し、フランチェスコが、こもり祈った洞窟の中をめぐることができた「時」は、さまざまな思いを運んできてくれました。
※写真・文章の無断転用は禁止します
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アッシジは私にとって特別な場所。
・・・いえ、訪れた人すべてが、きっと特別な空気を感じる場所なのだと思います。
私にとってアッシジとの出会いは15年前。
http://4travel.jp/traveler/fururina/album/10193869/
震災の2年前に親友と共に訪れ、その翌年に親友が天国に旅立ちました。
そして1997年9月26日、アッシジ大震災。
私的なことでも、その数年前、私の根幹が折れてしまうような出来事にあいました。
崩れたアッシジの町や、ばらばらに崩壊した壁画をニュースで見て、自分を見ているような気がしました。
(もういちど、アッシジに行ってみよう。)
そうして震災の1年後、まだ地震の爪あとの痛々しいアッシジを訪れました。
そこで出合ったのは、フランチェスコと同じように、気の遠くなるような修復作業に励む人々の姿でした。
崩れた壁画は痛々しかったけれど、一つ一つの壊れた欠片を丁寧に修復している人々の中に、壊れたダミアーノの石を一つずつ積み上げていく、フランチェスコを見たような気がました。
何度壊れたって、何度倒れたっていいんだ。
もう一度、ひとつずつ積み上げていけば。
もう一度立ち上がる力を、私たちは、この、いのちの中に受けているんだ。
アッシジの風の中からあの時わたしが受け取った思いです。 -
ヴェルナ修道院の外観。
切り立った山の崖に建てられています。
*
聖フランチェスコは、以前からとても大好きな尊敬する聖人でした。
でも、特別な存在ではありませんでした。
むしろ、アッシジという場所が、先に特別なものになった、というほうが近いのかもしれません。
そうした中で、2005年、私にとって大きな出逢いを与えていただいただきました。
フランシスコ会の根本昭雄神父。
http://4travel.jp/traveler/fururina/album/10043038/
チャリティーコンサートがご縁で、ネットで知り合い、同郷ということもあり、何度かお会いしたり、メールでのやりとりの中で、たくさんの思いを頂きました。
初めて六本木のヨゼフ修道院でお会いした時、
「私たちをあなたの道具としてお使いください」
と、フランチェスコの祈りの一節をはさんで祈ってくださったことを思いだします。 -
ヴェルナ修道院の門
*
根本神父はイエスさまを愛し、フランチェスコを愛し、二人のように、病み苦しむ貧しい人々の中で共に生き、働かれた方でした。
南アフリカやロシアでエイズの方々のために献身的な働きをされている途中で、一時帰国中に結核に倒れて2008年に帰天されました。
その前の年の12月、昏睡状態から奇跡的に回復したとお聞きし、クリスマスに病室にプレゼピオを持ってお見舞いに伺いました。
「神父様、小さなイエスさま、ここに飾りますね」
そう言って小さなイエス様のお人形を見せると、それまで穏やかだった目が、右目だけが急に、とてつもなく悲しそうに苦しそうにゆがみ、大粒の涙が流れ落ちずに、ずっと右目だけに浮かんでいました。
今、根本神父も、イエス様のように十字架を負っていらっしゃるのかもしれない。
なんだかわからないけれど、そう思ったことを思い出します。
そういえば、根本神父が病気が発見されて入院したのはアッシジの震災からちょうど10年目の9月、フランチェスコが聖痕を受けたのも9月でした。 -
門から修道院へ続く木立
*
根本神父が天国に召されたあと、ヴェルナに行こう、と思いたちました。
フランチェスコが聖痕を受け、イエス様と同じように血を流し、苦しみをその身に受けた山。
15年前のアッシジから始まった時間の中で起こった、さまざまな出来事や、その中で与えていただいた思いを、巡らしつつ・・。
フランチェスコの風に吹かれながら・・
根本神父の風に吹かれながら・・ -
ヴェルナ修道院は、アレッツォの北に位置しています。
イタリアの国立公園内に位置しているこの場所は
豊かな自然に囲まれています。
この山・ラ・ヴェルナは、1213年の5月8日にキウージの領主オルランド伯爵がフランチェスコに譲りました。
そのいきさつは、こうです。
フランチェスコと仲間の一人兄弟レオとロマーニャに行く途中スポレートの谷を後にした旅の途中、ある村の広場で説教を始めました。
この広場には祝宴に出席するためにたくさんの貴族が集まっていたのですが、そのなかに、かねてからフランチェスコを尊敬していたオルランド伯という人がいました。
オルランド伯はフランチェスコの話に大変感動し、祝宴の後、フランチェスコの元を訪、長い間フランチェスコと語り合い、そしてある申し出をしました。 -
(以下『聖フランシスコの小さき花・続』(聖母文庫より引用)
「ところで、兄弟フランシスコよ、わたしはトスカーナに一つの山をもっております。そこはたいそう静かな上に自然のままなので、巷を離れて贖罪に励もうとする人や、孤独な生活を望む人には申し分のない場所のように思われるのです。この山は、アルベルナと呼ばれています。もし、この山があなた自身と仲間のみなさんの気に入るなら、喜んでこれをお譲りしたいのですが、いかがなものでしょう。」
ところが、ちょうどそのころ、聖フランシスコ自身もまた、思いのままに黙想に専念できる、静寂な場所はないものかと、あちこち手を回して捜しているところでした。それで、彼はこの申し出を聞くと、まず、いつもご自分の小羊のためにご心配くださる神をたたえ、つぎに、オルランド伯にお礼の言葉を口にしながらこのように申し出ました。
「領主様、あなたがお帰りになられたら、わたしはさっそく仲間を二人、あなたのもとへ送るようにいたしますゆえ、どうか彼らをその山へ案内し、見せてやってください。そこが祈りや贖罪のために申し分のない場所とわかりましたら、わたしとしては、それをあなたからのすばらしい贈り物として喜んでいただくつもりです」
こうしてフランチェスコはオルランド伯からベルナ山を譲り受け、、仲間の兄弟二人がヴェルナを下見に訪れて、そこに切り落とした枝を使って粗末な小屋を建てました。 -
彼らから、ヴェルナがすばらしく静寂で黙想に適している場所かを聞いたフランチェスコは
『わが息子たちよ、大天使ミカエルにささげる断食と苦行の時期が近づおります。ところで、わたしはいま、神と栄光に輝く乙女マリアと、聖なる天使たちの誉れと栄光のため、また祝福されたアルベルナ山を贖罪によって、キリストから聖なるものとしていただくためにも、神のみ旨からわたしどもに用意されたアルベルナ山上で、この断食と苦行の時期を過ごすことこそ、何よりも神のご意思にかなうものと心から信じているのです』
(聖フランシスの小さき花・続より)
と言い、アッシジの兄弟マッセオ・デ・マリニャーノと、リェティの兄弟アンジェロ・タンクレディと兄弟レオの4人はヴェルナへの旅へと出かけました。
4人は、歩いている時も修道院での生活のように、聖務を唱え、神について語り合い、また沈黙を守り、
食べることと眠ることについては何の心配もせずに、夜が来て休息の時間になったら、パンを少しばかり恵んでもらい、歩くのをやめて『神がご心配くださる場所』で休む・・・
というぐあいに、旅をしたそうです。
旅の道中、フランチェスコは悪魔からの攻撃にあったり、主と語り合ったり、空中に持ち上げられて祈ったりします。そんなさまざまな奇跡を、3人の兄弟たちは目撃します。
そして、4人がベルナ山の頂に来ると、道のそばにある1本の樫の木の下で休みを取りました。
フランチェスコは、しばしあたりの様子と景色に心を奪われていると、たくさんの鳥たちがフランチェスコを取り囲むようにして、肩に、膝に、腕や両手の上にとまり、うれしそうに美しい声でさえずりました。
『愛する兄弟たちよ、いまわたしは、われわれの小さき兄弟や姉妹である小鳥たちがみな、私どもの訪問にこのように喜んでくれていることから察して、わたしどもがこの場所に住まいをいただき、この静かな山頂で、たとえわずかな時間でも暮らすことが、われわれの主イエズス・キリストのみ旨にかなうものであることを確信します』
(『』部分、聖フランシスコの小さき花・続』より) -
フランチェスコたちを、喜びさえずりながら迎えてくれた小鳥たち。
小鳥たちは750年以上たった今でも、
聖フランチェスコを慕い、訪れる巡礼者や旅人を
かわいらしくも美しい声で迎え入れてくれます。
裸足でぼろ布のような僧服一枚で
長い道のりを、さまざまな苦難にあいながら登ってきたフランチェスコたち・・。
でもそこにはいつも小鳥たちや天使たちがよりそい、励ましていたのでしょう。
フランチェスコたちがが見た梢の間から差し込む光・・
フランチェスコたちが聞いた小鳥たちの声・・
わたしたちも、光や小鳥たちの声、風の音にやさしく迎え入れていただきます -
実は、フランチェスコは、ここヴェルナに来たころ、修道会に大きな悩みを持っていました。
フランチェスコが始めた小さき兄弟たちの集まり、それは、すべてを捨て、自らもっとも貧しいものとして托鉢をしながら、貧しい人々、病気の人々への働きをしながら共に祈り、生きる小さな兄弟たちの集まりでした。
しかし、教皇から修道会を認可され、フランチェスコを慕って集まる人々が増え、修道会が大きくなるにつれ、それはフランチェスコの理想とするものとは、だんだんずれが生じてきたのです。
そしてフランチェスコの理想のように、完全に托鉢のみによって生きようとする修道士たちと、大きくなった修道会をまとめるために、ある程度の財産や教会法を学んだりすることが必要と考える修道士たちとの間で対立が起きてきたのです。
そのような問題を抱えながら、フランチェスコはどのような思いで、このヴェルナを訪れたのでしょう。 -
おりしも、私が訪れた2009年はフランチェスコ会創立800年。
800年前に、フランチェスコが教皇インノセント3世により会の規則を許可を頂いた年が、フランシスコ会成立年となっているそうです。
フランチェスコ会は大きくなりましたが、イエスさまを、フランチェスコを慕い、ならい、清貧の中で、貧しい人々、病気の人々、苦しんでいる人々のなかにイエスさまを見出し、仕えた、たくさんのシスターやブラザーをうみだしてきました。
名もなき、たくさんのフランチェスコのように生きた人々が、ほんとにたくさんおられたのだと思います。
マザーテレサも、故根本神父も、イエスさまやフランチェスコを愛し、慕い、尊敬する中で、あのように生きられたのだと思います。 -
建物と岩壁の間を通って聖域へ向かいます。
すがすがしい、いのちのそこまで洗われるような空気です。 -
聖域には、バジリカやいくつかの聖堂、そして聖痕礼拝堂、そして、フランチェスコや兄弟たちが篭った岩場がいくつもあります。
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フランチェスコのベッド
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フランチェスコが休息を取ったベッド。
どんなふうに休んだのかが想像できないほど
小さなところでした。
もちろん、ベットといっても岩です。 -
フランチェスコはオルランド伯の心遣いに感謝しつつも、清貧を固く守ることを兄弟たちとともに心に刻みます。
そして、霊に満たされたことばと、生活の注意を与えると、このように話しました。
『「以上が、わたし自身とあなたがたがしなければならない、生活のあり方です。
わたしはどうやら、自分の死期があまり遠くないように感じられます。
そこで私としては、孤独の中に、神と自分の関係を本来のあるべき姿に戻すため、神のみ前で、涙とともに自分の罪を心から嘆きたいのです。
そこで最後に、兄弟レオに一つ頼みがあります。それは、あなたがよしと判断される時、いつでもほんのわずかなパンと水を、私のところまで届けてくださることです。また、そのほかのどんな理由があっても、世間の人が私の所へ来ることのないよう見張ると同時に、あなた自身も、彼らといっさい、かかわりをもつことのないようにしてもらいたいのです」
こう言い終えると、フランシスコは兄弟たちに祝福を与え、そのまま真っすぐに例のぶなの木のそばにある、できたばかりのいおりに引きこもってしまいました』
(『聖フランシスの小さき花・続』より) -
『それからしばらくして、乙女マリアの被昇天の祝日が近づくと、聖フランシスコは、この聖母の祝日(8月15日)から始まる、大天使ミカエルの四旬節を、一段ときびしい孤独の中で過ごすのを望むあまり、人びとからより遠く離れた、さびしい場所を捜すことにしました。』
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写真はヴェルナ修道院のパンフレットより
sasso spicco
『この四旬節中のある日のこと、聖フランシスコは、魂の高まりを感じるままに、祈りをしようといおりを出て、とある岩の下のくぼみの中へ入ってゆきました。
その足もとには身の毛もよだつ断崖がぱっくりと口を開け、はるか下の谷底まで、真っすぐに落ち込んでいました。
すると、まったく突然、悪魔がすさまじい物音を立てながら、恐ろしい形相で現われ、彼を投げ落とそうと襲いかかりました。
聖フランシスコは逃げ場を失ったまま、この悪魔の恐ろしい形相と向かい合っているうちに、やがて耐えられなくなると、手や顔、そして体のすべてを使って、やっとのことで岸壁の方へ向きを変えました。
そして彼は、つかまるものを手当たりしだい、手さぐりで捜しながら、その間も神に己をおまかせしました。
しかし、ご自分のしもべが耐えられる以上には、決してこころみることをなさらぬ神は、これをごらんになると、さっそく彼がしがみついていた岩を奇跡で彼の体にそってへこまされ、そのなかへ彼をとりこまれました』
(『聖フランシスコの小さき花・続』より)
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前のパンフレットの絵の場所がここです。
フランチェスコが篭った岩場はいくつもありますが、
ここは、庵の近くにある祈りの場所だったそうです。
この場所が、はたして『小さき花』に書かれている場所かどうかはわかりませんが、この場所は、小さき花の前の記述の箇所を思い起こさせられる場所でした。
深い岩の裂け目の中の静かな場所。
フランチェスコが40日間の断食の中で、イエスさまがゲッセマネで祈られたように、
イエスの受難の苦しみを思い、また悪魔からの苦しみを受けながら祈り続けたといわれています。 -
フランチェスコが籠り、祈った洞穴。
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フランチェスコが聖痕を受けた後、兄弟レオーネは誘惑を受けたといわれています。フランチェスコが自分から遠い存在になってしまう・・・そんな思いがレオーネを襲ったようです。
そして、レオーネはフランチェスコが親しく手紙を書いてくれた昔を思ったのではないかと、ヨンゲルセンの『アッシジの聖フランシス』の中でかかれてあります、
そしてそんなレオーネの心を察したフランチェスコは、レオーネに羊皮紙を持ってくるように頼み、それに、『いただいたお恵みへの感謝のために』を書き記し、それを裏返し、旧約の太祖アブラハムの祝福を用いて記しました。
この写真に記されている文がその祝福です
『主がおまえを祝福し、お守りくださるように!
主が、お顔をおまえの上に輝かし、おまえをおあわれみください!
主が、お顔をおまえの上に向け、おまえに平安をお与えくださるように。
主が、・・(兄弟レオーネよ!)・・おまえを祝福してくださるように』
(引用『アシジの聖フランシスコ』イエンスJヨルゲンセン著 平凡社)
レオーネはの暗い思いは飛び去り、彼はこの羊皮紙を大切に懐にしまっておいたそうです。この羊皮紙は彼の死後、聖フランチェスコ教会に受け継がれ、今でもその聖物納室に保管されているそうです。 -
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フランチェスコは聖痕を受けた直後に、そのあふれる喜びと感動と感謝の祈りを書き綴っています。
『いただいたお恵みへの感謝のために』
あなたは聖く、主なる神、私たちの天の王、軌跡を行いたもう唯一の神
あなたは強く、偉大で、いと高きお方
あなたは全能、天地の尊い父、そして王
あなたは三位一体の主、神々の主
あなたは善、全き善、最高の善、主、生ける真の神
あなたは愛、知恵、謙遜、忍耐
あなたは美、安全、平和、喜び
あなたは私たちの希望、正義と節度、私たちのあらゆる富
あなたは柔和、私たちの保護者、防御者、護衛
あなたは私たちの避難所であり、力
あなたは私たちの信、希望、愛
あなたは我らの魂の甘美な慰め
あなたは無限の善、この上なく偉大な主なる神、全能、善、慈悲
そして我らの救い主 -
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この旅行記へのコメント (2)
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- デコさん 2010/01/09 06:45:33
- 工事中、お邪魔しています
- 先ほどは、ご訪問&メッセージをありがとうございました♪
フルリーナさんの温かいお言葉にいつも感謝です。
ひとつひとつ、フルリーナさんのお気持ちを読ませていただきながら
ヴェルナ修道院を見せていただいています。
とっても励みになるお言葉も見つかり、
元気をいただけました(~~)
この続きを楽しみに、またお邪魔させてくださいね。
- フルリーナさん からの返信 2010/01/12 22:45:06
- RE: 工事中、お邪魔しています
- デコさん
ご訪問コメありがとうございます。
またまた、書けずに頓挫しておりますが・・・
ヴェルナの空気はほんとに特別なものでした。
木立も洞窟も聖堂も・・
あの特別な何かをお伝えできればいいんですけれど・・・
つたない文章力で悩んでおります(笑)
またよろしくおねがいしますね〜。
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