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2月11日 メオバックからハザンへ 158km<br /><br />今日はここ数日に比べると長めの移動だ。 朝は昨日と同じ宿から数百メートル離れた店で食事をした。  お手洗いに行くと裏に木工の工場あるらしく木を切る音がする。 日本に帰れば趣味での木工が待っているが覗いて見たい気がしたが、トイレからはそこへいく道は無かった。  ベトナムの木工製品は近所のインテリア店に多く置いてある。 しかも、ベトナム製と言ってもアジアンテイストではなく、普通の日本の家具と変わらないのだが、そのインテリア店の向かいにあるホームセンターの木材の値段よりも安く立派な家具が輸出されている。 工場を見る楽しみは将来の旅行に取っておくことにして諦めた。<br /><br />朝食はラーメンだった。 エースコックっぽい麺だ。 なぜかラーメンにトマトが入っています。 もやしや牛肉、そして野菜もたっぷり入る。 相変わらず霧のような雨のようなもの、いや、ひょっとしたらこの町全体が雲の中にあるのかも知れない。 こんな寒い朝には暖かいラーメンの朝食はありがたい。 <br /><br />【写真】<br /><br />ここで店を切り盛りしているお母さん、上下黒いビニールレザーを着ていて、パンツはローライズで、服には鋲が打ってあり、背中には刺繍がしてあるヘビメタっぽい服装をしている。 当然、ジャケットは短めで、おへそだって出している。 娘さんはまだ、目覚めたばかりだったのだが、HUNG君もびっくりの驚愕の事実が発覚。 この人はこの子のお母さんじゃなくて、おばあちゃんだったのだ。<br /><br />【写真】【写真】【写真】<br /><br />そう言われてみればもう一人若い人が手伝いに来ていたが、その人がお母さんだったのかも知れない。 ここでは女の子は17歳までに殆ど結婚するという事だから、もし結婚して間もなく母親になったら30ちょっとでおばあちゃんになってしまうわけだ。 この「おばあちゃん」、絶対私よりずっと若そうだった。 私はベトナム人から「Bac(おじさん)」でも「Ong(おじいさん)」でもなく冗談で「Ky(ご先祖様)」というあだ名を付けられていたが、ここで言われると有り得なくもない表現かもしれない・・<br /><br />今日のウサギ猫はなんとタライの縁に寝ていた。 <br /><br />【写真】【写真】<br /><br />満腹になった私たちはホテルに戻った。 このホテルのバスルームで笑ってしまうのは「According to American Standard, American People Like」日本語で言うと「アメリカの標準に従ってアメリカの人が好きな」という意味だと思う。 このうたい文句はHUNG君も自分の部屋で発見していたらしく大笑い。 果たしてここにアメリカの人が来るのか・・ この地域の脅威はアメリカではなく中国だったはずで、しかもアメリカ人がここに立ち入るのは難しいと思うのだが・・ <br /><br />【写真】【写真】<br /><br />まとめてあった荷物を積み込み出発した。 もう朝の10時近くになっていた。  これからバイクの旅の初日に泊まったHa Giangの西回りのルートはGoogle Mapには載っていない。 地図が無い道を通るのはワクワクするが、前回の旅行でホーチミンの本屋買った地図にはちゃんと載っているので、走っている時の期待感は無かった。<br /><br />MEO VACまでは国道4cという一応名前だけは国道(しかしほぼ完璧に舗装済み)を通ったが、ここから先は176号線というローカルな道だ。  道路は比較的良好で、辺鄙な所だとしても、モン族の人や時折バイクも通りかかるので、去年のように人家も通行もない野生動物の声しか聞こえないジャングルの中の道路よりは全然マシだ。 寒さだけが問題だった。 能天気な旅行者の私は去年と同じく半袖、半ズボンで大丈夫だと思っていたので寒さ対策はあまり考えておらず、結局ライディングジャケットの下にはダウンジャケット、ライディングパンツの下にはGパンを履いていたのでゴワゴワするし、霧か雲かわからない雨と霞の中を走り続けるのはイマイチだった。  いつかもっと良い季節にこの場所に戻って来たいと思った。 HUNG君によると、9月は比較的天気もよく、収穫の時期なので田畑も綺麗だという。 <br /><br />【写真】【写真】<br /><br />暫く走ると見慣れない服装の人たちに出会った。 この民族衣装もお洒落で、ベルベットのような記事に銀色を使ったきらきら光る刺繍が施されている服を着ていた。 モン族は幾何学模様で原色の組み合わせの服だが、ロロ族の服はシックな感じだ。 その正体はすぐ分った。 巨大な看板でDan Toc Loloと書かれ、その後ろにはなんと英語でGood Jurney! See you againと書かれている。  ここはロロ族の村だった。 ロロ族はベトナムで3000人程度しか居ない本当の意味での少数民族だ。 看板の女性はもちろん美人なのだが、道路を歩いていた女の子二人、そしておばあさんもなかなかの美人だ。<br />  <br />【写真】<br /><br />そこから暫く走ると、また私のバイクのスプロケットからチェーンが外れた。 去年の旅行はHUNG君のバイクが不調だったが、今回はハズレのバイクを引いたのは私のようだ。<br /><br />【写真】<br /><br />しかし、これまたHUNG君が直してくれた。 彼がこの一本のレンチを持っていなかったら今頃まだモン族の王の墓あたりに居たかも知れない。  今回はガイドではなく友人として旅に付き合ってくれたHUNG君だが、この辺りの準備の周到さはガイド時代と少しも変わっていない。  <br /><br />【写真】【写真】【写真】<br /><br />いきなりモン族の娘さんたちが集まっている所に出くわした。 どうもいつも眺めが良い所にいてくれる。 そこは家が数件道を挟んで点在している所だ。 男の子も少しいて、中国のドラマのDVDを持っていた。 ビデオCDかと思ったが、見せてもらうとDVDだった。 どうもここは電化されていてDVDが見られるようだ。 そういえば、道を走っていて20人ぐらい人が覗き込んでいる窓の先にテレビ画面がちらっと見えた。  映画館などの娯楽が少ないこの地域はDVDが主力のエンターティメントなのかも知れない。<br /><br />緑のベールをつけた女の子はこの旅行で1−2を争うの美人さん。 だっこしているのはお姉ちゃんではなくて、たぶんママ(推定16歳?) <br /><br />【写真】<br /><br />これがこの辺りのモン族の家、崖の途中にあり、良く目をこらして見ると飛行機の機内の通路ぐらいの道幅の道や階段が崖にジグザグになって上に伸びている。 まっすぐ上にはハシゴでもないと上れない角度だからそうなっている。 私がいる所の対岸の崖だが、この家のある山にはバイクや車が走れる道は「無い」この道路まで来るには崖を下って川を歩いて渡ってこちら側の崖を上ってくるしかない。 <br /><br />【写真】<br /><br />段々畑の拡大。 ここは棚田というよりは段々畑、畑で米を作っている。 しかも階段のように幅が狭いのが特徴で幅が広いのは傾斜がごく緩やかな一部だ。 山の斜面の角度が45度なら40cm幅の畑を作ると次の段までは40cmの高さになる。 直角二等辺三角形を想像してみると畑の幅と次の段までの高さが想像つく。 急斜面なのにあまり幅の広い畑を作ると次の段まで上れなくなってしまう。 この辺りでは50−60度ぐらいの斜面が平均で畑の段の幅は狭く、段と次の段の高さも大きい。  作物は水が少ないのでコーンと陸稲だという。 雨は降るが土が少なく砂利のような岩山に吸い込まれ下の川にあっと言う間に流れてしまうのだろう。 モン族で農業をやっている人たちはこの陸稲を市場で売って水稲を買っているという。 なんでも陸稲のほうが水稲よりずっと高値で売れるので自分たちでは食わないそうだ。 <br /><br />【写真】【写真】<br /><br />どんどん南西に進むと丁度昼ごろYen Minhに出た。  そしてまた行きと同じ食堂で昼食となった。  ここで赤モン族の人たちも見かけたがちょっとかっこいい感じの服装だ。 なんかくノ一っぽいいなせな感じだ。 手裏剣の一つでも持っていそうな感じだった。<br />【写真】【写真】<br /><br />ここで、料理を注文すると、うるさい懐かしいバイクの音がする。 去年1600kmぐらい旅をしたバイク、旧ソ連製(現ベラルーシ共和国)のMINSKの一団だった。 西洋人が数人乗ってきて、ベトナム人が2人併走していた。 HUNG君の顔見知りのようだったので聞いてみると前の会社(Voyage Vietnam)の元同僚だった。 一人は調子の良さそうな180cmぐらい身長のある体格の良いベトナム人でガイド、もう一人はHUNG君にバイク整備を教えたというメカニックだった。  彼らは半月をかけてベトナムの北部(ハザンだけではなくDien Bien, Lai Chau, Lao Cai, Ha Giang, Cao Bang Lang Sonとぐるっとベトナム北部を反時計回りに大回りするツアーの一団でドイツ人が2名、オランダ人、フランス人という構成だった。  去年A氏と私が乗ったバイクは無いかと表に出ると、2件隣の見慣れた親父があくびをしながら通りを歩いてきた。 「やばい!、また兵隊に拉致されて飲まされる!」と思い、逃げるようにレストランに戻った。   <br /><br />【写真】【写真】【写真】<br /><br />このVoyage Vietnamの営業部長から旅行前のブラックメールを受けていて、旅行前に暗い気分になったのだが、HUNG君と元同僚はそんなしがらみもなく、再会を楽しんでいるようだった。 HUNG君はもうバイクのガイドではなく、外務省に勤めている役人なのだが、こんな所に居るなんてまたガイドに戻ったのかと冷やかされたようだった。 やがて食事が終わり、私は2件先の家の親父に顔が分らないようにヘルメットをかぶって店を出て出発した。<br /><br />しばらく走ると斜面に大勢の人が出て畑を耕している所に出た。 この辺りでは珍しいか緩斜面だった。 どうやら、作付け時期の都合等で村人が協力して集中的に一つの畑を耕すらしい。 ここの人たちはモン族ではないとHUNG君は言っていた。 その証拠に彼らの喋っている言葉がかなり分ると言っていた。  多くの農民の人が私たちを見ながら何かを話している。 HUNG君は笑って私にこう言った。 「ほら、外国人が来ているよ、あんた挨拶してきなさいよ」「何言ってるんだ、こんな汚い手じゃきっと握手なんかしてくれないよ」という会話だったそうだ。  いやいや、食事の時に手は洗ったがその前はチェーンが外れたのを直すのに油まみれだったし、手の汚れなんか気にしていたら泥道を走れないのでこっちの方から握手を求めるべきだったかもしれないと今更思う。<br /><br />【写真】【写真】【写真】<br /><br />このなだらかな斜面、旅から帰ってGPSの軌跡に写真を貼り付けてわかった事だが、P&J山の斜面だったようだ。 (注:P&J山は勝手に命名した名前) 手作業で耕している畑の周りでは水牛を使って耕している。  水牛は可愛いし、仕事もしてくれるし、乗れるし、乳も出してくれるし、食べられるし万能の生き物なのに、私たちのいる週の数日間だけで3000頭も凍死したという。 可愛そうだし、決して豊かには見えない農家の人の大切な財産でもあったろうと考えると胸が痛い。 牛と違って水牛は体毛がまばらにしか生えていない。 本当に寒さには弱そうだ。  幼児が2人だけでまるで遊園地の乗り物のように水牛に登ったり降りたりして遊んでいるのも見かけた。  また、川の中を人を乗せ、荷車を引いて進んでいる水牛も見た。 ハザン省の紹介でよく見る絵葉書のような景色が見えたのでHUNG君にクラクションで知らせ、写真を撮った。 ここは様々な色の作物を畑で栽培していて、絵葉書によると、秋の初めに来れば日本でいうと北海道の富良野のように美しいはずだ。  霧が出て、作物が無い冬の今でも十分美しい。 HUNG君に「なんでここで止らないの?」と言うと、「ここは行きも通って休んだ」と言っていた。 そんなバカなと思ったのだが、帰ってきて同じくGPSと写真の位置関係を照合(Geo Coding)してみると彼の言うとおりだった。 行きも写真を撮ったのだが角度的にP&J山は写っていないだけだった。 ここは正式にはクアンバパス (Quan Ba Path)と言う。 <br /><br />【写真】<br /><br />クアンバからは標高差400m程の日光のいろは坂のようなヘアピンを降り、いきなり標高200ぐらいの平地に出る。 ここからは川沿いに距離で320kmハノイまで下っても標高は150mぐらいしか下がらない。 そういう意味でもう既に「平地」と言っても良い高さだ。 そして、行きがけに通り過ぎた人が集まっていた橋にさしかかった。 そこにはまだモン族の人たちが大勢羽子板などをして遊んでいて、私たちもそこで一服しようという事になった。 バイクを停めると子供たちが寄ってきた。 MEO VACの公園にいた主に小学生の子供立ちではなく、ここは10台の子供が殆どだった。 私はHUNG君とは英語で会話をするので子供たちは私を「イギリス人」だと思ったらしい。 普通日本では英語を話していたら「アメリカ人」だと思うのが普通だが、ここはアメリカ人は普通は入ってこれないので「イギリス人」だと思ったのだろうとHUNG君は言っていた。<br /><br />【写真】【写真】<br /><br />お菓子はほぼ底を付いていたのだが、ここではチェキが大活躍、「私を撮って!」「私を撮って!」と圧倒的に女の子が要求してくる。  私も子供たちと羽子板で遊んだのだが、びっくりしたのは羽子板の羽。  日本の羽子板とそっくりで羽根も良く似ているのだが、錘の部分が日本だと丸い木のような木の実のような物で出来ているのに、こちらは「ライフルの薬きょう」だった。 やっぱり中越戦争とかの薬きょうがまだあちこちにあるんだろうなと思った。 <br /><br />【写真】<br /><br />チェキでかなりの数の写真を撮って、それを配った後、一人のおじさんが寄ってきた。  彼は私たちが日本から来たと伝えると、私たちにお茶をご馳走したいという。 彼は橋から数十メートル離れた家に私たちを招き居れ、奥の応接間のような所に私たちを通した。 子供がソファーでテレビを見ていたので子供たちを追い払い、私たちの為に座る場所を作ってくれた。 やがてお茶が出てきて、HUNG君を通じて話をしていたのだが、どうも話がしっくり行かない。「子供は何歳ですか?」と聞いても「10歳ぐらいだろう」というようなあやふやな答えしか戻ってこない。 私はチェキを出してきて、「お茶を頂いたお礼にご家族の写真を撮って差し上げましょう。 どうぞ、その子供さんたちと奥さんとそこへ並んでください」と言うと。 HUNG君が笑い出した。 「その子はうちの子じゃない、この人はうちの奥さんじゃない」と言ったという。   HUNG君もその時気づいたのだ。 ここはそのおじさんの家ではなくてたまたまそこにあった家だったという事を!  このおっさん、見知らぬ旅人を、とりあえず近くに建っている他人の家に上がらせてくつろいでいたのだった。 「んじゃ私たちは今まで関係ない人の家にいきなりこっちから入り込んで勝手にお茶飲んでたって事?」とP氏と大笑いした。 この家の奥さんも奥さんだ。 まるでこのおじさんの奥さんのようにかいがいしく私たちにお茶を入れたりお菓子を薦めたりしてくれた。  困惑しつつも感謝の気持ちを伝えて家から出た。 このおじさん、今度は「自分の家に是非来てくれ、もっと歓迎するから」と言っているという。 HUNG君の話ではこのおじさんの本当の家はここから5kmぐらい山を登った所だという。  私は「いやいやいやいや、もう薄暗くなりはじめた今の時間から5kmも山に歩いて登ったらそれだけで夜になってしまう」と伝え、丁重に断った。  HUNG君によるとこのおじさんのお誘いは昨日見かけた水を運んで崖を上ってきた女の子の次に思い出に残る記憶になったという。   <br /><br />【写真】<br /><br />ハノイの人からでもモン族の人からでも兵隊からも言われるのは総じて「新年、初めてお客さんを家に向かいいれる事はとても嬉しいことです」という言葉だった。 このおじさんもそう言っていたが、今回だけは残念ながらお誘いをお断りした。 そしてバイクに乗ろうとしたら、先ほど写真を何枚か撮ってあげた女の子二人組みが近づいてきた。 そして、訛りの全く無い綺麗な私に英語で「Thank you very much for the all pictures you gave us」と言って握手を求めてきた。 ちょっとびっくりだった。 <br /><br />【写真】<br /><br />Meo Vacのインターネットカフェにいたサイバーな子供たち、そしてここで流暢な英語を話す子供たち、ベトナム政府の同化政策が成功しつつあるのか失敗しつつあるのか分らないが、少なくとも教育の面では着実に一定の成果は上げているようだった。  ここもあと十数年して、この子供たちの世界になったら変わっているのだろうなと思った。 選択の自由があり、選択をしているのならばそれは個人の自由だが、文字が無く、言葉が通じつ教育も受けられず他の地域に住む選択が出来なくてこの厳しい生活を続けるというのは間違っている気がずっとしていたからだ。 もちろん、ここの人が不幸というわけではない、南部のような活気は無いものの、自給自足を主体としつつ伝統文化を守っているここの人たちはとてもよく笑い、そして実に生き生きとしていた。  日本でも外国人が道を歩いているだけでこんなに自宅(一部第三者の家にも)に招き居れてくれる地域があるのだろうか?<br /><br />Ha Giangの行きと同じホテルへ戻った。 HUNG君はきっと僕が「日本人は風呂が大好きなんだけど、この辺りって温泉とか無いの?」と聞いたのを覚えていて気にしてたのだと思う。 ハノイを出てから湯船があるホテルに泊まっていないのだ。 私は例の水汲みの少女と出会ってから別にシャワーでも良かったのだが、HUNG君はホテルの部屋のグレードを上げて湯船のある部屋を取ってくれた。 ここでのポイントは「ある」という事で、それが「使えるか」というのは別な話だ。 このホテルはハザンで唯一エレベータ」が「ある」ホテルなのだが、故障しっぱなしだった。 今回は湯船は「ある」のだが、「水道栓の位置とズレていて湯を張れない」湯船だった。 それでもシャワーでお湯を飛ばせば湯船に入れられるのだが、底からお湯を5cmぐらい入れるともうシャワーは冷水になってしまったので結局湯船は使えなかった。 一旦水になるとかなり時間を空けないとまたお湯が出ないのでシャワーは夕食後にすることにした。<br /><br />【写真】【写真】<br /><br />夕食に行くのにHUNG君はタクシーを呼ぼうとした。 しかしこの夜中、長さ1kmぐらいしかないこの町にタクシーなんて走っていない。 バイクに乗ってでも良かったのだが、結局歩きながら目的のレストランに行くことにした。 歩いても15分か20分の距離だったので別にどうって事は無かった。 レストランに着くとすごい騒音、いわゆる「コンパ」があちこちのテーブルで開催されている。 先に欧米人の人たちのグループがいたのだが、完全に圧倒されている感じだった。 私たちは席に案内され、座ると隣は若いベトナム人のグループだった。 これまたスーパー盛り上がっており、「イッキイッキ」みたいな飲み方をしている。 私たちはここでビールとこの店の名物の山羊鍋を注文した。  私は下痢もようやく治って(自らの意思で)ビールを一杯だけ飲むことにした。 旅の8割が終わり、P氏とHUNG君と私の3人は無事を祝って乾杯した。<br /><br />【写真】【写真】<br /><br />そのうち隣の席の酔っ払った若いベトナム人が私たちに声をかけてきた。 「日本から来たんだ」というと、「ようこそハザンへ、お酒をおごらせて下さい」と言ってビールを持ってきた。 色々話をしてみると、グリーンの制服を着ているのはこの町の警察学校の学生で、その他は大学生だという。  学生に酒を奢ってもらうなんて我々はひどい大人達だと思ったが、彼らの気持ちを汲んでビールを振舞ってもらった。 私はお礼にチェキで写真を数枚撮り、彼らに渡した。 この若者達は微妙な感じだった。 この中の一組の男女はデート状態でもうぴったり寄り添っている。 残りの男女は特に恋愛関係は無いような感じだった。 ベトナム人のカップルは日本人のカップルよりめちゃめちゃベタベタする。 こっちが恥ずかしくなるぐらい人前でもぴったりくっついて居て二人の世界に入っちゃっているし(大きなお世話?)ある意味日本より恋愛の面では物怖じしない。   たべたヤギ鍋は肉、おっぱい、野菜、油揚げ、モツなどが入っており、出汁も利いて少しスパイスが効いた辛めの味付けでとても美味かった。 しかし、残念ながら3人でも全部は食べきれない量だった。  この警察学校を含む学生グループ、酔っ払い運転でバイクに乗って帰って行った。 (いいのか?) <br /><br />私達もホテルに帰り、インターネットカフェに行こう店まで行ったのだが、もう閉店時刻間際だったのであきらめた。 <br />

2月11日 メオバックからハザンへ 158km

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2008/02/11 - 2008/02/12

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Garmin

Garminさん

2月11日 メオバックからハザンへ 158km

今日はここ数日に比べると長めの移動だ。 朝は昨日と同じ宿から数百メートル離れた店で食事をした。  お手洗いに行くと裏に木工の工場あるらしく木を切る音がする。 日本に帰れば趣味での木工が待っているが覗いて見たい気がしたが、トイレからはそこへいく道は無かった。  ベトナムの木工製品は近所のインテリア店に多く置いてある。 しかも、ベトナム製と言ってもアジアンテイストではなく、普通の日本の家具と変わらないのだが、そのインテリア店の向かいにあるホームセンターの木材の値段よりも安く立派な家具が輸出されている。 工場を見る楽しみは将来の旅行に取っておくことにして諦めた。

朝食はラーメンだった。 エースコックっぽい麺だ。 なぜかラーメンにトマトが入っています。 もやしや牛肉、そして野菜もたっぷり入る。 相変わらず霧のような雨のようなもの、いや、ひょっとしたらこの町全体が雲の中にあるのかも知れない。 こんな寒い朝には暖かいラーメンの朝食はありがたい。

【写真】

ここで店を切り盛りしているお母さん、上下黒いビニールレザーを着ていて、パンツはローライズで、服には鋲が打ってあり、背中には刺繍がしてあるヘビメタっぽい服装をしている。 当然、ジャケットは短めで、おへそだって出している。 娘さんはまだ、目覚めたばかりだったのだが、HUNG君もびっくりの驚愕の事実が発覚。 この人はこの子のお母さんじゃなくて、おばあちゃんだったのだ。

【写真】【写真】【写真】

そう言われてみればもう一人若い人が手伝いに来ていたが、その人がお母さんだったのかも知れない。 ここでは女の子は17歳までに殆ど結婚するという事だから、もし結婚して間もなく母親になったら30ちょっとでおばあちゃんになってしまうわけだ。 この「おばあちゃん」、絶対私よりずっと若そうだった。 私はベトナム人から「Bac(おじさん)」でも「Ong(おじいさん)」でもなく冗談で「Ky(ご先祖様)」というあだ名を付けられていたが、ここで言われると有り得なくもない表現かもしれない・・

今日のウサギ猫はなんとタライの縁に寝ていた。

【写真】【写真】

満腹になった私たちはホテルに戻った。 このホテルのバスルームで笑ってしまうのは「According to American Standard, American People Like」日本語で言うと「アメリカの標準に従ってアメリカの人が好きな」という意味だと思う。 このうたい文句はHUNG君も自分の部屋で発見していたらしく大笑い。 果たしてここにアメリカの人が来るのか・・ この地域の脅威はアメリカではなく中国だったはずで、しかもアメリカ人がここに立ち入るのは難しいと思うのだが・・ 

【写真】【写真】

まとめてあった荷物を積み込み出発した。 もう朝の10時近くになっていた。  これからバイクの旅の初日に泊まったHa Giangの西回りのルートはGoogle Mapには載っていない。 地図が無い道を通るのはワクワクするが、前回の旅行でホーチミンの本屋買った地図にはちゃんと載っているので、走っている時の期待感は無かった。

MEO VACまでは国道4cという一応名前だけは国道(しかしほぼ完璧に舗装済み)を通ったが、ここから先は176号線というローカルな道だ。  道路は比較的良好で、辺鄙な所だとしても、モン族の人や時折バイクも通りかかるので、去年のように人家も通行もない野生動物の声しか聞こえないジャングルの中の道路よりは全然マシだ。 寒さだけが問題だった。 能天気な旅行者の私は去年と同じく半袖、半ズボンで大丈夫だと思っていたので寒さ対策はあまり考えておらず、結局ライディングジャケットの下にはダウンジャケット、ライディングパンツの下にはGパンを履いていたのでゴワゴワするし、霧か雲かわからない雨と霞の中を走り続けるのはイマイチだった。  いつかもっと良い季節にこの場所に戻って来たいと思った。 HUNG君によると、9月は比較的天気もよく、収穫の時期なので田畑も綺麗だという。

【写真】【写真】

暫く走ると見慣れない服装の人たちに出会った。 この民族衣装もお洒落で、ベルベットのような記事に銀色を使ったきらきら光る刺繍が施されている服を着ていた。 モン族は幾何学模様で原色の組み合わせの服だが、ロロ族の服はシックな感じだ。 その正体はすぐ分った。 巨大な看板でDan Toc Loloと書かれ、その後ろにはなんと英語でGood Jurney! See you againと書かれている。  ここはロロ族の村だった。 ロロ族はベトナムで3000人程度しか居ない本当の意味での少数民族だ。 看板の女性はもちろん美人なのだが、道路を歩いていた女の子二人、そしておばあさんもなかなかの美人だ。
 
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そこから暫く走ると、また私のバイクのスプロケットからチェーンが外れた。 去年の旅行はHUNG君のバイクが不調だったが、今回はハズレのバイクを引いたのは私のようだ。

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しかし、これまたHUNG君が直してくれた。 彼がこの一本のレンチを持っていなかったら今頃まだモン族の王の墓あたりに居たかも知れない。  今回はガイドではなく友人として旅に付き合ってくれたHUNG君だが、この辺りの準備の周到さはガイド時代と少しも変わっていない。 

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いきなりモン族の娘さんたちが集まっている所に出くわした。 どうもいつも眺めが良い所にいてくれる。 そこは家が数件道を挟んで点在している所だ。 男の子も少しいて、中国のドラマのDVDを持っていた。 ビデオCDかと思ったが、見せてもらうとDVDだった。 どうもここは電化されていてDVDが見られるようだ。 そういえば、道を走っていて20人ぐらい人が覗き込んでいる窓の先にテレビ画面がちらっと見えた。  映画館などの娯楽が少ないこの地域はDVDが主力のエンターティメントなのかも知れない。

緑のベールをつけた女の子はこの旅行で1−2を争うの美人さん。 だっこしているのはお姉ちゃんではなくて、たぶんママ(推定16歳?)

【写真】

これがこの辺りのモン族の家、崖の途中にあり、良く目をこらして見ると飛行機の機内の通路ぐらいの道幅の道や階段が崖にジグザグになって上に伸びている。 まっすぐ上にはハシゴでもないと上れない角度だからそうなっている。 私がいる所の対岸の崖だが、この家のある山にはバイクや車が走れる道は「無い」この道路まで来るには崖を下って川を歩いて渡ってこちら側の崖を上ってくるしかない。

【写真】

段々畑の拡大。 ここは棚田というよりは段々畑、畑で米を作っている。 しかも階段のように幅が狭いのが特徴で幅が広いのは傾斜がごく緩やかな一部だ。 山の斜面の角度が45度なら40cm幅の畑を作ると次の段までは40cmの高さになる。 直角二等辺三角形を想像してみると畑の幅と次の段までの高さが想像つく。 急斜面なのにあまり幅の広い畑を作ると次の段まで上れなくなってしまう。 この辺りでは50−60度ぐらいの斜面が平均で畑の段の幅は狭く、段と次の段の高さも大きい。  作物は水が少ないのでコーンと陸稲だという。 雨は降るが土が少なく砂利のような岩山に吸い込まれ下の川にあっと言う間に流れてしまうのだろう。 モン族で農業をやっている人たちはこの陸稲を市場で売って水稲を買っているという。 なんでも陸稲のほうが水稲よりずっと高値で売れるので自分たちでは食わないそうだ。

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どんどん南西に進むと丁度昼ごろYen Minhに出た。  そしてまた行きと同じ食堂で昼食となった。  ここで赤モン族の人たちも見かけたがちょっとかっこいい感じの服装だ。 なんかくノ一っぽいいなせな感じだ。 手裏剣の一つでも持っていそうな感じだった。
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ここで、料理を注文すると、うるさい懐かしいバイクの音がする。 去年1600kmぐらい旅をしたバイク、旧ソ連製(現ベラルーシ共和国)のMINSKの一団だった。 西洋人が数人乗ってきて、ベトナム人が2人併走していた。 HUNG君の顔見知りのようだったので聞いてみると前の会社(Voyage Vietnam)の元同僚だった。 一人は調子の良さそうな180cmぐらい身長のある体格の良いベトナム人でガイド、もう一人はHUNG君にバイク整備を教えたというメカニックだった。  彼らは半月をかけてベトナムの北部(ハザンだけではなくDien Bien, Lai Chau, Lao Cai, Ha Giang, Cao Bang Lang Sonとぐるっとベトナム北部を反時計回りに大回りするツアーの一団でドイツ人が2名、オランダ人、フランス人という構成だった。  去年A氏と私が乗ったバイクは無いかと表に出ると、2件隣の見慣れた親父があくびをしながら通りを歩いてきた。 「やばい!、また兵隊に拉致されて飲まされる!」と思い、逃げるようにレストランに戻った。  

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このVoyage Vietnamの営業部長から旅行前のブラックメールを受けていて、旅行前に暗い気分になったのだが、HUNG君と元同僚はそんなしがらみもなく、再会を楽しんでいるようだった。 HUNG君はもうバイクのガイドではなく、外務省に勤めている役人なのだが、こんな所に居るなんてまたガイドに戻ったのかと冷やかされたようだった。 やがて食事が終わり、私は2件先の家の親父に顔が分らないようにヘルメットをかぶって店を出て出発した。

しばらく走ると斜面に大勢の人が出て畑を耕している所に出た。 この辺りでは珍しいか緩斜面だった。 どうやら、作付け時期の都合等で村人が協力して集中的に一つの畑を耕すらしい。 ここの人たちはモン族ではないとHUNG君は言っていた。 その証拠に彼らの喋っている言葉がかなり分ると言っていた。  多くの農民の人が私たちを見ながら何かを話している。 HUNG君は笑って私にこう言った。 「ほら、外国人が来ているよ、あんた挨拶してきなさいよ」「何言ってるんだ、こんな汚い手じゃきっと握手なんかしてくれないよ」という会話だったそうだ。  いやいや、食事の時に手は洗ったがその前はチェーンが外れたのを直すのに油まみれだったし、手の汚れなんか気にしていたら泥道を走れないのでこっちの方から握手を求めるべきだったかもしれないと今更思う。

【写真】【写真】【写真】

このなだらかな斜面、旅から帰ってGPSの軌跡に写真を貼り付けてわかった事だが、P&J山の斜面だったようだ。 (注:P&J山は勝手に命名した名前) 手作業で耕している畑の周りでは水牛を使って耕している。  水牛は可愛いし、仕事もしてくれるし、乗れるし、乳も出してくれるし、食べられるし万能の生き物なのに、私たちのいる週の数日間だけで3000頭も凍死したという。 可愛そうだし、決して豊かには見えない農家の人の大切な財産でもあったろうと考えると胸が痛い。 牛と違って水牛は体毛がまばらにしか生えていない。 本当に寒さには弱そうだ。  幼児が2人だけでまるで遊園地の乗り物のように水牛に登ったり降りたりして遊んでいるのも見かけた。  また、川の中を人を乗せ、荷車を引いて進んでいる水牛も見た。 ハザン省の紹介でよく見る絵葉書のような景色が見えたのでHUNG君にクラクションで知らせ、写真を撮った。 ここは様々な色の作物を畑で栽培していて、絵葉書によると、秋の初めに来れば日本でいうと北海道の富良野のように美しいはずだ。  霧が出て、作物が無い冬の今でも十分美しい。 HUNG君に「なんでここで止らないの?」と言うと、「ここは行きも通って休んだ」と言っていた。 そんなバカなと思ったのだが、帰ってきて同じくGPSと写真の位置関係を照合(Geo Coding)してみると彼の言うとおりだった。 行きも写真を撮ったのだが角度的にP&J山は写っていないだけだった。 ここは正式にはクアンバパス (Quan Ba Path)と言う。

【写真】

クアンバからは標高差400m程の日光のいろは坂のようなヘアピンを降り、いきなり標高200ぐらいの平地に出る。 ここからは川沿いに距離で320kmハノイまで下っても標高は150mぐらいしか下がらない。 そういう意味でもう既に「平地」と言っても良い高さだ。 そして、行きがけに通り過ぎた人が集まっていた橋にさしかかった。 そこにはまだモン族の人たちが大勢羽子板などをして遊んでいて、私たちもそこで一服しようという事になった。 バイクを停めると子供たちが寄ってきた。 MEO VACの公園にいた主に小学生の子供立ちではなく、ここは10台の子供が殆どだった。 私はHUNG君とは英語で会話をするので子供たちは私を「イギリス人」だと思ったらしい。 普通日本では英語を話していたら「アメリカ人」だと思うのが普通だが、ここはアメリカ人は普通は入ってこれないので「イギリス人」だと思ったのだろうとHUNG君は言っていた。

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お菓子はほぼ底を付いていたのだが、ここではチェキが大活躍、「私を撮って!」「私を撮って!」と圧倒的に女の子が要求してくる。  私も子供たちと羽子板で遊んだのだが、びっくりしたのは羽子板の羽。  日本の羽子板とそっくりで羽根も良く似ているのだが、錘の部分が日本だと丸い木のような木の実のような物で出来ているのに、こちらは「ライフルの薬きょう」だった。 やっぱり中越戦争とかの薬きょうがまだあちこちにあるんだろうなと思った。 

【写真】

チェキでかなりの数の写真を撮って、それを配った後、一人のおじさんが寄ってきた。  彼は私たちが日本から来たと伝えると、私たちにお茶をご馳走したいという。 彼は橋から数十メートル離れた家に私たちを招き居れ、奥の応接間のような所に私たちを通した。 子供がソファーでテレビを見ていたので子供たちを追い払い、私たちの為に座る場所を作ってくれた。 やがてお茶が出てきて、HUNG君を通じて話をしていたのだが、どうも話がしっくり行かない。「子供は何歳ですか?」と聞いても「10歳ぐらいだろう」というようなあやふやな答えしか戻ってこない。 私はチェキを出してきて、「お茶を頂いたお礼にご家族の写真を撮って差し上げましょう。 どうぞ、その子供さんたちと奥さんとそこへ並んでください」と言うと。 HUNG君が笑い出した。 「その子はうちの子じゃない、この人はうちの奥さんじゃない」と言ったという。   HUNG君もその時気づいたのだ。 ここはそのおじさんの家ではなくてたまたまそこにあった家だったという事を!  このおっさん、見知らぬ旅人を、とりあえず近くに建っている他人の家に上がらせてくつろいでいたのだった。 「んじゃ私たちは今まで関係ない人の家にいきなりこっちから入り込んで勝手にお茶飲んでたって事?」とP氏と大笑いした。 この家の奥さんも奥さんだ。 まるでこのおじさんの奥さんのようにかいがいしく私たちにお茶を入れたりお菓子を薦めたりしてくれた。  困惑しつつも感謝の気持ちを伝えて家から出た。 このおじさん、今度は「自分の家に是非来てくれ、もっと歓迎するから」と言っているという。 HUNG君の話ではこのおじさんの本当の家はここから5kmぐらい山を登った所だという。  私は「いやいやいやいや、もう薄暗くなりはじめた今の時間から5kmも山に歩いて登ったらそれだけで夜になってしまう」と伝え、丁重に断った。  HUNG君によるとこのおじさんのお誘いは昨日見かけた水を運んで崖を上ってきた女の子の次に思い出に残る記憶になったという。  

【写真】

ハノイの人からでもモン族の人からでも兵隊からも言われるのは総じて「新年、初めてお客さんを家に向かいいれる事はとても嬉しいことです」という言葉だった。 このおじさんもそう言っていたが、今回だけは残念ながらお誘いをお断りした。 そしてバイクに乗ろうとしたら、先ほど写真を何枚か撮ってあげた女の子二人組みが近づいてきた。 そして、訛りの全く無い綺麗な私に英語で「Thank you very much for the all pictures you gave us」と言って握手を求めてきた。 ちょっとびっくりだった。

【写真】

Meo Vacのインターネットカフェにいたサイバーな子供たち、そしてここで流暢な英語を話す子供たち、ベトナム政府の同化政策が成功しつつあるのか失敗しつつあるのか分らないが、少なくとも教育の面では着実に一定の成果は上げているようだった。  ここもあと十数年して、この子供たちの世界になったら変わっているのだろうなと思った。 選択の自由があり、選択をしているのならばそれは個人の自由だが、文字が無く、言葉が通じつ教育も受けられず他の地域に住む選択が出来なくてこの厳しい生活を続けるというのは間違っている気がずっとしていたからだ。 もちろん、ここの人が不幸というわけではない、南部のような活気は無いものの、自給自足を主体としつつ伝統文化を守っているここの人たちはとてもよく笑い、そして実に生き生きとしていた。  日本でも外国人が道を歩いているだけでこんなに自宅(一部第三者の家にも)に招き居れてくれる地域があるのだろうか?

Ha Giangの行きと同じホテルへ戻った。 HUNG君はきっと僕が「日本人は風呂が大好きなんだけど、この辺りって温泉とか無いの?」と聞いたのを覚えていて気にしてたのだと思う。 ハノイを出てから湯船があるホテルに泊まっていないのだ。 私は例の水汲みの少女と出会ってから別にシャワーでも良かったのだが、HUNG君はホテルの部屋のグレードを上げて湯船のある部屋を取ってくれた。 ここでのポイントは「ある」という事で、それが「使えるか」というのは別な話だ。 このホテルはハザンで唯一エレベータ」が「ある」ホテルなのだが、故障しっぱなしだった。 今回は湯船は「ある」のだが、「水道栓の位置とズレていて湯を張れない」湯船だった。 それでもシャワーでお湯を飛ばせば湯船に入れられるのだが、底からお湯を5cmぐらい入れるともうシャワーは冷水になってしまったので結局湯船は使えなかった。 一旦水になるとかなり時間を空けないとまたお湯が出ないのでシャワーは夕食後にすることにした。

【写真】【写真】

夕食に行くのにHUNG君はタクシーを呼ぼうとした。 しかしこの夜中、長さ1kmぐらいしかないこの町にタクシーなんて走っていない。 バイクに乗ってでも良かったのだが、結局歩きながら目的のレストランに行くことにした。 歩いても15分か20分の距離だったので別にどうって事は無かった。 レストランに着くとすごい騒音、いわゆる「コンパ」があちこちのテーブルで開催されている。 先に欧米人の人たちのグループがいたのだが、完全に圧倒されている感じだった。 私たちは席に案内され、座ると隣は若いベトナム人のグループだった。 これまたスーパー盛り上がっており、「イッキイッキ」みたいな飲み方をしている。 私たちはここでビールとこの店の名物の山羊鍋を注文した。  私は下痢もようやく治って(自らの意思で)ビールを一杯だけ飲むことにした。 旅の8割が終わり、P氏とHUNG君と私の3人は無事を祝って乾杯した。

【写真】【写真】

そのうち隣の席の酔っ払った若いベトナム人が私たちに声をかけてきた。 「日本から来たんだ」というと、「ようこそハザンへ、お酒をおごらせて下さい」と言ってビールを持ってきた。 色々話をしてみると、グリーンの制服を着ているのはこの町の警察学校の学生で、その他は大学生だという。  学生に酒を奢ってもらうなんて我々はひどい大人達だと思ったが、彼らの気持ちを汲んでビールを振舞ってもらった。 私はお礼にチェキで写真を数枚撮り、彼らに渡した。 この若者達は微妙な感じだった。 この中の一組の男女はデート状態でもうぴったり寄り添っている。 残りの男女は特に恋愛関係は無いような感じだった。 ベトナム人のカップルは日本人のカップルよりめちゃめちゃベタベタする。 こっちが恥ずかしくなるぐらい人前でもぴったりくっついて居て二人の世界に入っちゃっているし(大きなお世話?)ある意味日本より恋愛の面では物怖じしない。   たべたヤギ鍋は肉、おっぱい、野菜、油揚げ、モツなどが入っており、出汁も利いて少しスパイスが効いた辛めの味付けでとても美味かった。 しかし、残念ながら3人でも全部は食べきれない量だった。  この警察学校を含む学生グループ、酔っ払い運転でバイクに乗って帰って行った。 (いいのか?)

私達もホテルに帰り、インターネットカフェに行こう店まで行ったのだが、もう閉店時刻間際だったのであきらめた。

  • 朝食はラーメン

    朝食はラーメン

  • 30代のおばあちゃん

    30代のおばあちゃん

  • 器用にタライの縁で暖を取る痩せた猫

    器用にタライの縁で暖を取る痩せた猫

  • アメリカ人はいないけど、アメリカンスタンダード

    アメリカ人はいないけど、アメリカンスタンダード

  • 道路は岩山を縫って走る。

    道路は岩山を縫って走る。

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