2006/07/30 - 2006/07/30
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nekotitiさん
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まだゆるキャラの(ひこにゃん)が人気が無く、門の前に(ひこにゃん)が立っていても人だかりは出来ない頃の話です。
おかげでゆっくり見て回る事ができました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車
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彦根城に向かう大手門通り(現在、キャッスルロード)です。
よく見ると道に対して、家の建て方が斜めになっています。普通は平行なんですが・・・・
これは敵が襲ってきた際に、軍勢を隠しておく事と敵の矢玉から身を隠す為にわざわざ斜めにして再現しているのだそうです・・・。 -
彦根城天守閣に上がる坂道です。
敵に攻め込まれ難い様に、勾配が急になっていて道幅も本来は狭くなっています。
観光客が見やすいように配慮してありますが・・・
それでも急な坂道です。 -
街道は建物から観るとこんな風に見えます・・・・。
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天守閣へ行くには、右側の石垣側になります。道は、左側の石垣へ通じています。
通路は谷間を利用して作られていて、敵を上から攻撃するようになっています。 -
この橋は敵が攻めてきた時に落とすモノです。
江戸期に出来た城でも、当時はまだ徳川政権が安定していないために、造りは(もし・・・)(たれば・・・)が充分に考えられています。 -
この門は口は狭く、攻撃のために上部に武者が置いておけるようになっています。
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天守閣です。
三層になっていて、木造になります。
天守閣によくお殿様が住んでいる居住区のように思う方々が多いですが、天守閣は戦国時代に出来た(火の見櫓)の変形したモノ・・・と思った方が良いかもしれません。
城主は御殿に暮らしていて、戦になった場合は天守閣に籠もり作戦本部として使います。
そのために造りは粗雑です。
派手好みの信長が、松永弾正の作った天守閣を真似てから流行始めました。
それ以前の城には、天守閣は無く武田信玄のような御殿と見張り台がある城が主流でした。 -
琵琶湖を望む眺望です。
天守閣の前にある広場から望む景色は、城主になり国を治める気分になりますね・・・ -
天守閣に入ると、最初にこの木組みに出会います。
曲がった張りを巧みに組み合わせ高い空間を作っています。 -
天守閣から出て、御殿のある方向に行くと天守閣も違う姿を見せます。
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ここから鉄砲(火縄銃)を打ったり、敵に石を落としたりする為の窓ができています。
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石垣も大阪城と違い、小石や大石を組み合わせて作ってあります。
谷間を下りていくような急勾配の坂を下って行きます。 -
下る途中から振り返ると天守閣が見えました・・・。
こんな坂を毎日上り下りした武士達が足腰を自然と鍛えられたと思いました・・・。 -
ケヤキ御殿と呼ばれる建物です。総ケヤキで作られているのだそうです・・・。
此処で井伊直弼は生まれました・・・。 -
玄宮園という彦根藩主が暮らした所に入りました・・・
回遊式の御殿になっていて、平安貴族が作っていて池があったり、御殿が並んでいます。 -
池の周りを歩くと、御殿群が見えます。
今は、八景園と言って琵琶湖の八珍味を頂ける料亭になっています。 -
赤い屋根の所で(抹茶)が頂けます。
僕は八景園は予約制で、中に入る事ができませんが、抹茶を頂く所では気軽に入ることができます・・・。
内部の写真は撮ってないですが・・・・ -
屋根の上に(アワビの貝殻)が乗っています。これは、鳥が巣を作るために茅葺き屋根の茅を持って行ってしまうので、裏側がキラキラしたアワビの貝殻を使っています。
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井伊直弼が部屋住み時代を過ごした(埋木舎)です。
(安政の大獄)を起こし、長州藩の吉田松陰を惨殺し攘夷志士に目の敵にされた彼の屋敷が現存しています。
これは、明治維新の際に家老に直弼後の城主が渡したために、個人の持ち物の為に潰されなかったそうです。
井伊家は、静岡県浜松市にある井伊谷の豪族です。家康に仕えたのは正式文書が残っていないため不明ですが、今川や武田に仕えたこともある豪族です。
そのために菩提寺は浜松市にある(龍譚寺)となっています。
井伊家は徳川を守るために忠誠を尽くしています。初代直政から(鬼の直政)と呼ばれるくらい徳川家に忠誠を誓っています。
関ヶ原では、赤鎧を着て活躍していますし、薩摩とも戦っています。 -
入り口です。
此処の中に入ることが出来ました・・・。
写真は撮ってありませんが、一つの入り口に対して中に入ると、二つの部屋に向かう通路が出来ています。
しかも玄関が特殊で、家の中なのに瓦が乗った廊下があります。
これは、もう一方の口からお女中達の会話が聞こえないようにするために、風を通して聞こえにくいようにしてあるのだそうです。
観たときはビックリしました・・・。
廊下が二つあって、外の様な造りになっていましたから・・・
家の中が、ですよぉ・・・ -
埋木舎の茶室に入る所の(開き戸)です。
この茶室は、元々は物置でした。直弼は(ちゃかぽん)と呼ばれる程(茶)(和歌・詩吟)(鼓)にのめり込みました。
部屋住みは、自分を鍛え教養を蓄える位しかやることが無かったのです。
茶室は粗末なモノですし、これが茶室??と思ってしまいます。
精神性を求める場合、これでも良いのかなぁ??と思いながらも、京都で観る茶室とは違っています。 -
天井は竹を竿縁にして、舟底天井になります。
広さは4畳くらいです。
明るく利休や他の茶人の作った茶室とはイメージが違っているような・・・ -
躙り口となります・・・
直弼は一応(若様)なので、家来は招かれると躙り口から出入りします。 -
直弼が学問を学んだ所です。手前の寝室と重なった二間続きの間取りです。
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直弼が飾ってある所から、茶室の方向をを観るとこん亜風に見えます。
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寝室の所がL次型に曲がっていて、左側に向かうと厠や浴場になります・・・。
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彦根で有名なネコグッズを売るお店です・・・。
初めて訪れた彦根には、暖かい人たちが沢山居て出会いが良かったです。
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