2007/07/01 - 2007/08/10
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zxc567さん
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一昨年夏に伊達市開拓記念館を訪れました。
伊達市は、明治3年に仙台藩一門亘理領主(伊達邦成)と
その(家臣達)による(集団移住)によって開拓されたという特異な開拓の歴史を持つ町です。
開拓は私財をもって行われました。
美術品や家宝の多くは開拓資金として売り払われましたが、
次代に伝えるべき貴重な品は残され、
開拓記念館で展示されています。
宮城県は明治三年から九回、二千七百余人が
新天地に希望を託し、朔北の荒野を目指しました。
渡航から開墾、農機具に至るまで
自賄いをしなければならず、粗末な居宅での越冬生活は
筆舌に尽くし難いものがありました。
更に明治四年の新政府による、
支配罷免は亘理城再興の夢をも奪いさり、
伊達邦成公は移民取締に、他の家臣は武士としてではなく、
農民となって生きることを余儀なくされました。
こうした新政府の中央集権化に加え、
凶作の日々が続きますが、進取の気質と不屈の開拓魂は、
伊達邦成公のもとに固く結束して
今日の伊達市の礎を築き始める事になりました。
北海道の中でも特異な歴史を持つといわれる伊達市。
しかし、現在では、道路や建物も移り変わり、町の中に開拓の頃の名残を探すことは難しくなってきました。
そんな町のあちらこちらに、
石碑が建っているのをご存じでしょうか。
遠い昔に建てられたものから、つい最近建てたものまで、
石碑には、その時々に生きた人の色々な思いが
刻まれています。
伊達の歌碑といえば、
すぐに思い浮かぶのが、地名にちなんだ歌碑。
亘理移住者の(文人・佐藤助三郎脩亮)が詠んだ
「街に名づくる言の葉」二十首をもとに、
伊達郷土史研究会の手によって、
夫々の地域に建立されました。
同研究会では、
こうした地名に縁のある歌碑を建て、
地名の由来とその和歌を広く、市民に知ってもらうのと、
佐藤脩亮を顕彰する意味も込めて、
昭和五十七年から文学碑としての歌碑建立事業に着手。
多くの方々の協力を得て、
平成元年に二十首十八基の歌碑を
完成させることができました。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 船 バイク
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