2007/12/09 - 2007/12/21
1419位(同エリア1810件中)
神戸さん
シリア・ヨルダン隊商の道13日のツアーに参加しました
旅行中天気に恵まれて毎日快晴、歩きが比較的多かったが、すべて快調に過ごせました。温度も日本より若干高めで、普通の冬の装束で十分、日本へ帰った日が寒く感じられる状況でした。バスの移動も沢山でした。文明の十字路、東西交流の文化の栄えた地域でキリスト教、イスラム教の対立、共存、融合が歴史の上で繰り返されいろいろ感じさせられる旅でした。中東情勢については、イスラエル建国以来紛争が続いていますが、現地では、取り敢えず平和で、皆が生き生きとしており、旅行者には親切で、日本への期待は大きく、また今までも平和的な援助を沢山してきた日本は感謝されています。
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[ペトラ]1985ユネスコ世界遺産。アンマンから南に約170km、ヨルダン高原からアカバのあるワディアラバに至るルートの入り口にあり、隊商にそのルートを通らせることで栄えていた。
ペトラは岩の意味。ナバタイ人の都市BC3-AD1人口4>万人程度、AD106年ごろからローマ化される。741年に大震災があり忘れられていたが、1821年スイス人により発見された。墳墓の集まり。ナバティア人は死後の来世を信じておりその祭祀のための祠、墳墓が美しい
シークまでの馬の道と歩道 -
[ペトラ]
オベリスク墳墓 -
[ペトラ]入口からシーク入口まで約1km、シークは約1km、エルハズネからファサード通りを通り柱廊どおり凱旋門までが約2km、レストランからエドディルまでが急な坂と階段で約1km。よく歩きました。ラクダや馬車もあるが素晴らしい景色を見ながら大抵は歩く。
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[ペトラ]
見えたエルハズネ -
[ペトラ]エルハズネ
インディージョーンズのロケ地。
ファラオの宝庫BC1世紀のアリタリス3世の父、オボタス1世の墓といわれる。様々な国の影響を受けた彫刻がある。手前のシークから見えてくるエルカズネの美しさは最高である。ここから先は右にナバテア人の王家の墓を見ながら、列柱通りを通りテメノス凱旋門、カスルエルビント神殿(ファラオの娘の城)がある -
列柱通り
シルクの墓・王家の墓などを見ながら徒歩でカスルエルビント神殿(ファラオの娘の城)まで歩く。ここにホテルがありたいていはここで戻る。
エドディルへは階段道を行く。 -
[エドディル]
ナバティア人は来世を信じておりたくさんの祠や墳墓を築いた。エルハズネだけでも素晴らしいがさらに奥の山に1世紀中ごろ造られた高さ45m、幅50mのナバタイ人の神殿がある。エルハズネより大きいがつくりは簡素である。以前はこのあたりに修道士が住んでいたので修道院跡の意味でエドディルという名前が付いている。ここまでの山道は相当きつい。長い階段道を -
[ワディーラム]ヨルダン南部、アカバ、サウジアラビアの国境に近い砂漠にある。映画「アラビアのロレンス」はこの砂漠地帯で撮影された。ベドウインがトヨタのポンコツの4WDで案内してくれる。
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[ジェラシュの遺跡]
アンマンの北約50Kmにある。ローマ人が2000年前にアラブに作ったローマ都市の中で最も華麗で壮大で東洋のポンペイとも言われるがまだ全部は発掘されていない。遺跡としては大規模である。まだ十分に発掘されていないが素晴らしい遺跡。
しゃしんはハドリアヌス凱旋門 -
[ジェラシュの遺跡]アレキサンダー大王がこの地帯を襲った紀元前332年頃から集落として存在していた。その後50-60年頃から、ローマ帝国の繁栄に伴い、劇場や神殿など建物も増えて行った。7世紀に入ってペルシャ軍が襲来し、636年にはイスラム軍に完全に征服された。その後8世紀の大地震で建物の多くが崩壊。19世紀にドイツ人に再発見されるまで廃墟となっていた。写真はフォーラムで非常に広い。
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[ジェラシュの遺跡]
南劇場 -
[ジェラシュの遺跡]
アゴラを望む。まだ発掘が殆どされていんないがその規模がわかる。 -
[ジェラシュの遺跡]
列柱通り、ポンペイよりtはるかに大きく素晴らしい遺跡で今後の観光資源として立派なものと感じた。 -
[アンマン]
ヨルダンの首都。人口は180万人と言われるが、イラク戦争以来大量の避難民が流入して、殆どがアンマンに住んでいる。アンマン城塞に国立考古学博物館がある。死海文書の青銅板が展示されている。1947年に羊飼いにより偶然発見されたユダヤ教エッセネ派が書いた世界最古の旧約聖書と言われる。イエスキリストの秘密があるかもしれないが、解読が進んでいない。
城塞から見る旧市街・劇場が見える。 -
[マダバ]
アンマンの南30km。人口10万人のうち30%はキリスト教という町で、ビザンチン時代の教会が多い。キリスト教に関する場所も多い。 セント・ジョージ教会は560年頃に建てられたギリシャ正教の教会で、床にエルサレムを中心とするパレスチナの古地図がモザイク画として残されていることで有名。地図としてもかなり正確で詳細な出来栄え。
セントジョージ教会の世界最古のパレスチナ地図 -
[ネボ山]
マダバの西10、死海とパレスチナを見下ろす山。旧約聖書のモーゼを記念して教会が4世紀に建設されたとされる。ガスがかかって遠くは見えないが、草原の向こうがパレスチナという説明に納得。世界遺産の碑、フランシスコ教会のモザイクなど観光。
写真は蛇に変わったモーゼの杖で教会の高台にある。 -
[アズラック城]
元はローマ時代に軍事拠点として建てられたもの。黒い玄武岩で作られており、正面の扉は一枚板の石材。敷地は200m×180m、2階建てで台所、モスク跡などが残っている。アラビアのロレンスが1917年に指令室として使用したという。 -
[アムラ城]
8世紀ウマイヤ朝のカリフが狩りの館として建てた。浴場、サウナも残っている。20mの深さの貯水槽がありロバが回りながら水をくみ上げていた。レセプションホールと寝室にフレスコ画が残っている。ベドウインが住み着いていたので煤で黒くなっているがイスラム圏では珍しい人物、動物などが描かれているフレスコ画が残る。 -
[アカバ]
紅海に面するアカバはヨルダン随一のリゾート地。海がきれいでグラスボートで海底を見れるが、サンゴなど鑑賞できるが、ここも同じでペットボトルやゴミが揺ら揺らしている。対岸はイスラエル。
アカバ要塞の遺跡が残っている。大きなヨルダン国旗が掲揚されている。大きなユルダン国旗はアンマンでも見たが本当に大きい。 -
[モーゼの泉]
モーゼの泉はモーゼが杖で叩くと水が出た岩という伝承地。いくつもある一つ。
キングスハイウエイアルノン峡谷に向かう途中にある。 -
死海への道標
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[死海]
浮遊体験海抜マイナス390m世界最低の地点、スウエイミーにあるホテルで死海体験と昼食。ヨルダン川が流れ込む湖は最低点なので流れ出ないで水分が蒸発して塩分が残り30%(普通の海水は3%)の辛さ、長さ72km、幅16kmで琵琶湖の1.5倍。真黒な泥が肌に良いということで全身泥だらけ。波打ちぎわは石ころばかりで泥はない。
浮かんで新聞を読む -
[死海]
泥パック
立ち寄ったお土産店でパック用の死海の泥を売っている。
以上でヨルダンの旅は終わりです。シリアもご覧ください。
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