2007/11/11 - 2007/11/11
763位(同エリア1559件中)
TAKEおじさん
- TAKEおじさんTOP
- 旅行記953冊
- クチコミ132件
- Q&A回答0件
- 1,659,746アクセス
- フォロワー94人
会社の仲間(亀さん会)で、関東近辺を時々ぶらぶら歩くが、今回は浦賀を歩いて見た。浦賀は通勤圏のベットタウンでも有り、ペリー来航と灯台しか知らなかったが、一日では到底回りきれないほどの探訪スポットが有った。
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
浦賀駅集合
10時に浦賀駅集合で、会社の仲間(亀さん会)と浦賀探訪に出かける。昨夜からの雨と、天気予報は午前、午後とも「雨の確率60%」の中を物好き5人組であちらこちら歩いた。お天気は、誰が晴れ男なのか(自分では無い)、日頃の行いが良いのか(自分では無い)、散策中は雨に降られず、時折日も射してまずまずの天気と成った。 -
浦賀駅前の案内板は綺麗
浦賀駅の前に綺麗な案内図が有ったが、街のあちらこちらにも案内図や標識はしっかりとしていた。これなら、いい加減な地図でも街中を探索できる。 -
浦賀ドッグのドライドッグ
先ずは、駅からすぐの浦賀ドッグに行くが、残念ながら2003年に撤退した住友重機械工業の中は高い塀で中には入れない。浦賀ドックは1897年(明治30年)に日本で最初のドライドックとして誕生して以来、 艦船、日本丸や海王丸などの大型帆船、青函連絡船、 貨物船、タンカーなど1,000隻以上の船を海に送りだしてきて、 あの「咸臨丸」の修理や日本初の洋式軍艦「鳳凰丸」を造ったのもこのドックである。 -
クレーンも寂しそう
どこか見えるところは無いかと、しばらく歩いて行ったら、塀が低くなっているところが有り、背伸びすると何とかあのドライドッグを見ることが出来た。クレーンなど錆び付いており、敷地内はぺんぺん草が生えている。現在、跡地利用など市で考えているようだが、立派な文化設備にでも変身してくれたら良いのだがと切に思う。 -
大丈夫かな?
この地域は、海からすぐに山になっており大雨の後はがけ崩れもしばしば耳にする。ご覧の様なコンクリートで斜面を覆っているが、斜面の風化や浸食を防いでいると思われるがちょっと心配。 -
西叶神社 ロト神社?
浦賀港を少し行くと「叶神社」が有る。対岸にも「叶神社」が有るので、こちらは「西叶神社」とも言われている。「平家物語」に登場する文覚上人の源氏の再興の願いが叶いそうに成ったので「叶神社」として作られた。この「叶神社」はロト神社でも有る。叶をばらすとロトに成り、宝くじの必勝祈願には欠かせない神社である!?。 -
彫刻が素晴らしい
現在の社殿は天保13年(1842)に再建されたものだが、社殿をとりまくたくさんの彫刻は、後藤利兵衛という安房国(千葉県)の彫刻師の若い頃の作品で横須賀市の市民文化資産に指定されている優れもの。 -
七五三のお参りも
七五三のお参りも沢山来ていた。願い事がカノウ神社なのでご利益が有るかも。 -
川岸まで五間
何時の時代か、こんな標識が残っている。 -
陸軍桟橋は釣り場
浦賀港のこの桟橋は現在釣り場の名所となっているが、通称・陸軍桟橋と呼ばれ、昭和10年代に出来たものである。太平洋戦争終結後、この桟橋に南方からの引揚者が数十万人上陸し、帰国の第一歩を印した思い出深い桟橋である。ここにも「岸壁の母」が何人も居ただろう。 -
帆掛け舟?
ここから、浦賀燈明堂に歩を進めていく途中に、なにやら道路沿いのコンクリート壁にご覧のような帆掛け舟が刻してあった。殺風景の道路にも、アクセントが有って良い。もう少し、絵が良ければもっと良いのだが。 -
燈明堂は慶安元年(1648)
浦賀は観音崎灯台で有名だが、その前身と成る燈明堂に足を運ぶ。30分近く歩いて、燈明堂に着き、駐車料金1日千円のゲートが有ったが、係員は誰も居なかった。それでも、燈明堂の周りには、何組か観光に来ていた。慶安元年(1648)幕府の命によって築造された燈明堂は観音埼灯台にバトンタッチするまで,約220年間にわたって一日も休まず夜間の海上安全の守り役として活躍したが,明治五年(1872)に廃止された。現在の建物は平成元年に再建されたものだ。 -
江戸時代から浦賀港入口を照らしていた
江戸の昔から灯台が有ったとは驚かされる。一晩で菜種油を1升使ったそうだ。如何にも江戸らしい建物に見える。 -
首切り場
燈明堂のある付近を地元の人「首切り場」と呼んでいる。江戸時代この辺りに浦賀奉行所の処刑場が有って,罪人の首をはねたところらしい。なにやら、怖い気がしてくる。 -
海にはヨットが
沖には、沢山のヨットや船が航行していた。 -
クロガネモチは赤い実
浦賀湾の対岸に渡ろうかと来た道を戻る道路沿いに、クロガネモチが丁度赤い実をつけていて、思わず見とれてしまう。 -
渡し舟が来た
対岸に渡るには、浦賀の渡しだ。浦賀湾には橋が無いので、観光では無く実用的な渡し舟だ。海路を浦賀海道と言って市道2073号線としても認定されている。 -
浦賀の渡し
大人150円の便利な船で、粋な待合所も有り、ブザーを押して待つと船を出してくれる。 -
3分の船旅
わずか3分の船旅で一服する間もない。朝7時から夕方6時まで運航しており、12時から1時間、昼休みが有る。子供は50円、ペットも50円。 -
東の叶神社
今度は、東の「叶神社」に向かう。こちらの「叶神社」は元禄5年(1692)に浦賀村が東と西に分かれたとき、西の叶神社を本宮、東の叶神社を若宮と呼んだそうな。 -
勝海舟断食の跡
神社の左側から200段を越える石段を頑張って登ると、勝海舟断食の跡がある。万延元年に咸臨丸で太平洋横断をしたときに願をかけ、水垢離し断食をしたという。 -
浦賀ドッグの慰霊塔
山頂(浦賀城址)には、浦賀ドッグで亡くなった人の慰霊塔も有る。 -
眺めも良い 房総半島が
房総半島も一望できる。写真では、よく見えないが行きかう船が本当に多い。 -
芭蕉句碑?
山頂への石段を登り始めてすぐ左側に 「丹ょ起丹ょ起と 帆ばし良寒き 入江哉」という、芭蕉句碑のが有るが、本当に芭蕉が来たとは思えないが。 -
勝海舟の井戸?
本殿の右奥には、勝海舟の水垢離した井戸が有るが、これも本当かしら? -
観音崎自然博物館
もう、お昼を過ぎたので(12時半)、そろそろお昼御飯にしようかと思い、ガイドブックに出ていた海が見える海鮮レストランを探したが満員で入れなかった。仕方なく、観音崎灯台方面に歩いて行ったが、40分歩いてもレストランが見つからず、灯台の入り口の博物館まで来てしまった。 -
魚(スズキ)料理とワイン
ここのレストランで昼食にするが、新鮮な魚料理にありつけて、ワインも飲めて、ま、合格か。しかしながら、ここで1時間以上もワイワイしてたいたので、後の予定が押せ押せになって失敗してしまった。無計画の恐ろしさと飲み始めると止まらない性のせいか。 -
観音埼灯台は、わが国初の洋式灯台
後は、灯台と防衛大の棒倒しが予定らしきもので、棒倒しが3時には終わるので両方は無理かと思ったが、2兎を追ってしまった。急いで歩き、観音崎灯台には2時半に着き、慌ただしく写真を撮るのみで、中には入らなかった。観音埼灯台は、わが国初の洋式灯台として、フランス人ヴェルニーの監督のもとに建てられ、明治2年1月1日(旧暦)に点灯された。現在の灯台は、関東大震災直後に建られた3代目で、小学生の頃に遠足で来たはずだが、覚えてなかった。 -
浦賀水道を1日700隻もの船
狭い浦賀水道を1日700隻もの船が往来するが、行きかう船が良く見える。燈明堂と観音崎灯台をダブらせて、江戸の昔からの灯台を想う。 -
棒倒しは白組の勝ち
時間も2時40分を過ぎて、慌ててタクシーを呼んで防衛大に一直線で向かう。棒倒しは3時頃から表彰式とあったので、間に合うかギリギリの時間だった。防衛大の正門に着いたのは2時55分で、遠くから大歓声が聞こえて、グランドめがけて、走る、走る。グランドに着くと同時にシャッターを押すが、どうも寸前に試合は終わったらしい。写真の様に白組?が勝ったようで勝どきを上げている。辛うじて棒が立っている状態を撮れたから良いかと思い直すが、2兎を追うのは難しいものだ。 -
F1戦闘機
構内を少し見学して、今回の散策はここで解散。浦賀駅まで歩いて15分の道のりで、今日一日で2万歩以上歩いた事になる。浦賀では、まだまだ見られなかった所が沢山あり、またこの次の楽しみに取っておく。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
31