1978/08/04 - 1978/08/07
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アンタライさん
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西ベルリンのアウトバーンの出口から、東ドイツをトランジットし、130km先のポーランド国境に4時半に着く。
ポーランド入国まで、なんと1時間以上も掛かった。
グリーンカード(海外車両保険)のポーランド分がカバーされていないとの事で、特に必要ないんだけど6マルクも取られる。
所持金も細かく書かされた。
強制両替で貰っていた$15(1日$5)分のクーポンは480Zfであった。
しかし、情報によると、ヤミ両替だと$1が100〜130Zfらしい。
と言う事は、100Zfが政府価格で約700円、ヤミだと230円位と1/3になる。
クラコフに向けて、車の少ない田舎道を走る。何もないだだっ広い畑の景色が続くだけ。
小さな町に入ると、馬車の方が車より多く、東ドイツよりも、まだまだ、近代化に遅れている様に感じた。
時差が1時間あり、店はみな閉まって、町もひっそりとしていた。
ガソリンを入れよううとしたら、クーポンが無いと売ってくれないのである。
まあ、面倒くさい、システムだ事!!
クーポンはZielrona Goraの大きなホテルでしか、買えないらしいので、国境から90km走った。
Zielrona Goraの街に着いたのが、
旅行に出て 40日目 1978年8月4日であった。
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- 交通手段
- 自転車
-
Zielona Goraの学校にてポーランドの高校生達と
軍用車両は東ドイツ並みに数多く走っている。
やっとこ、Zielona goraに夜9時頃に着く。
9時と言ってもそんなに暗くはない。
この街は簡単な作りの新しいアパートビルが、沢山建てられている、意外と大きな街である。
街の人に通じない英語と、知っているドイツ語のユンタバーゲンで、ユースホステルの場所を聞いていると、古臭いバイクに乗ったポリスが止まった。
こりゃ〜、免許証を調べられるのかな? と思ったが、親切にもユースまで、先導して、連れて行ってくれた。
ユースに行くが、営業してないのか、泊めてくれないのである。
また、先導されて、今度は、こりゃ〜、高いホテルに連れて行かれるな! と覚悟しながら、付いて行くと、なんと、学校であった!!
ポリスが、ここに泊まっている先生に、私を泊めてくれる様に交渉し、先生が、了解し、この学校に泊まる事となる。
夏休みで空いている教室等を、林間学校の様な、同じポーランドの地方から旅行に来る学生達の、宿泊施設として有効利用している。
ポーランドからやっと、ホテルに泊まり、豪華な食事を楽しみにしていたのに、トホホ・・・。
学校泊まりとは・・・・。
しかし、この方がホテルなんかよりずっと楽しい!!
ポリスにも先生にも女の子達にも、言葉は丸っきり、通じないが、本当に親切にして貰う。
教室に簡易べッドを並べて15〜6歳の女の子達と一緒に寝るチャンスなんて、なかなかないよネ〜!! -
クラコフの聖マリア教会
簡易ベッドだが、結構、良く寝られた。
女の子達と朝食を取った後、私ひとりだけ先生方に呼ばれ、ビンを開け、 ほらっ! いい匂いだろう! と自慢そうに、コーヒーの香りをかがして、入れてくれる。
コーヒーはかなりの貴重品らしい。
西側のネスカフェを、持っていたんだけど・・・
知っていれば、お礼に飲ませてあげたかった!
しかし、もう、出すタイミングを逃しちゃった・・・
3人の先生の内、1人だけが英語の単語を、少しだけ知っている位で、ほとんど、ジェスチャーでの会話であった。
写真を撮って、お礼の手紙と共に、後日送った。
Zielona Goraの街に戻り、色んな人に聞いたり、連れて行って貰ったりして、やっとHotel Holandで16L分のガソリンクーポンを買う事が出来た。
クラコフ方面に走り、昼過ぎに小さな町で昼食を取る。
ジェスチャーと、人の食べている皿を、指しながら、オーダーをする。
英語をほんの少しだけ喋れる男が話しかけに来て、少し通じると、他の地元客の羨望の眼差しを一人受け、得意満面になっちゃって、支払いまで、してくれたのである。
どこへ行っても、西側の50ccのバイクが珍しいのか、それとも日本人が珍しいのか、すぐに、人々が沢山集って来る。
Wroclawの嫌いなレンガ敷きの道を走り、クラコフまで220km手前の、Opoleのスチューデントホテルに、ここにも又、人に連れていって貰い、学割 Zf100で泊まる。
東ドイツのカップルの旅行者も、一緒にチェックインしていて、彼らにとっては、宿泊代Zf100が信じられない位、高額らしく、恐ろしく驚き、深刻な顔をしていた。
ヤミでたった、$1なのに?
多分、昨日のポリスの親切も、私がユースに泊まろうとしてた位だから、所持金も少ないと思って、連れて行ってくれたお金の掛からない宿泊場所が、学校だったのだろう。
このホテルで、夏休みに帰郷せずに、残っていた英語専攻してる、ポーランドの女子大生2人に、部屋に話に来る様、招待される。
チョコレートまで持っちゃって、ハッチャキになって、部屋に行ったら、なんだよ〜! 男も居るじゃん!! ガッカリよ!!
夜中の2時まで、真面目な話をしちゃったよ。
英語の難しい単語が分らず疲れたが、楽しく、有意義でもあった。 -
クラコフの広場
久々のフカフカのベッドと掛ぶとんが気持ち良く、グッスリと寝た。
今日はクラコフに向けて走る。
昼はレストランでスープ、サラダ、カツレツにウォッカまで飲んじゃって、Zf50である。
政府両替で350円、ヤミだと120円だもんね。
お金は、ほとんど使っていない。
夜9時頃にクラコフに着く。スチューデントホテルをやっと、捜し当てるが、冷たく接客され、泊まれないの一言。
これだから、わしゃ〜、都会は好かんのよね!!
古い街で観光客が多いと、どこの街も同じで、泊まるにも食事するにも混んでいて、事務的と言うか、冷たくされる事が多い。 やはり田舎が良い。
テント張ったりも、面倒くさいけど、キャンプにする。
キャンプ場も混んでいて、Zf60も取られる。
キャンプ場だけ見てると、西側となんら変わらない。
街中で豪華なステーキの夕食をとる。 -
クラコフの街 トラックの代わりの馬車が現役
ガイドブックも無いので、どこに観光ポイントがあるのか分らず、広場と城に行き、これで、もう都会の観光は充分。
教会には、祈りを捧げに来た沢山の人々がいた。
ポーランドの方々の、信仰心の強さを感じさせられた。
クラコフの観光も終わりにして、60km離れたアウシュビッツに向かう。
途中いつもの豪華な楽しみの食事を取ると、残りの金がZf13となる。 -
アウシュヴィッツ強制収容所跡
至る所に花が飾られていた。
ここは多分、現在と変わってない。
駐車料金と映画でポーランドZfを全て使い果たしてしまう。 -
ビルケナウ収容所跡
家族連れの人々が、花とロウソクを飾っていた。
ここビルケナウの3段ベットの宿舎を、1人で見に入るのは、不気味で怖かった。
ここも、多分、現在と変わらない。
この時期も20カ国位の言葉で石碑があった。
少し違うのが、人数と表現かな?
この時の英語版を書き写してある。
Four million people sufferd and died here at the hands of the Nazi muerdere's
between the years 1940 and 1945
合計3時間の見学であったが、反戦を強く感じた1日であった。
80km先のチェコとの国境Cieszynniに6時半に着く。
1日$10の強制両替の国チェコへと入国。
パリを小さくした様な、素敵な街プラハを見学して、西ドイツに抜けるまで、色んな思い出が出来た東欧の旅、バイクのヨーロッパの旅は、
まだまだ続く・・・・・。
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