トルヒーヨ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
1989年5月31日。(1ドル=3100インティ程度)<br />町で「TIME」誌を2700インティで買った。<br /><br />5月29日付なので、古いのかもしれない。<br />が、これがトルヒーヨで売ってあるものとしては、一番新しかった。<br /><br />とにかく1ドル以下でタイムが買えたのはうれしい。<br />この時期はもちろん日本語の文庫本などはすべて読み終えていたし、英語の本もほとんど入手できなかったからね。<br /><br />昨日買った「NEWSWEEK」は3000インティだった。<br />でも、ニューズウィークにはペルーの定価としては2ドルと印刷してあったんだけどね。<br /><br />ペルーはインフレが激しかったので、雑誌の定価もドル表示になっていたわけだ。<br /><br />この時期の新聞や週刊誌は全部、中国の民主化運動についての報道だった。<br />中国の天安門事件が起きるのが1989年6月4日。<br /><br />その直前なので、中国の民主化運動の行方について注目が集まっていた。<br /><br />僕も、南米の現地の英字新聞や、マイアミヘラルド、インターナショナルヘラルドトリビューンなどで情報を得ていた。<br />1989年というのは、日本でも7月23日に参議院選挙があった年で、社会党が大勝利をして「山が動いた」などの流行語が生まれた。<br /><br />しかしながら、日本では、何も変化しなかった。<br />中国の民主化は、全世界の反対にもかかわらず、共産党によって弾圧された。<br /><br />共産党はそれ以降、反日教育を徹底することで共産党の権威を確立し、生き延びている。<br />日本では社会党はこの勝利がピークで、どんどん力を失い、消滅していった。<br /><br />日本社会党がダメだったのは、実は中国や北朝鮮などの、海外の勢力の代理人だったから。<br />1989年だと、まだ北朝鮮を地上の天国だと宣伝していただろう。<br /><br />日本社会党の幹部は、北朝鮮に招かれて、大歓迎を受けていた。<br />国内では、国対政治で、自民党とは裏で結びついていて、実際に政権を取る能力も気力もなかった。<br /><br />しかし日本以外の世界は、1989年に大きく変わろうとしていた。<br />実際、この1989年11月には、ベルリンの壁の崩壊に象徴される、東欧諸国の自由化が起きた。<br /><br />この東欧自由化が最も激しかったとき、僕は中南米旅行を終えてロサンジェルスのホテル加宝にいた。<br />そして、米国のテレビニュースでその流れを観察していた。<br /><br />米国のテレビで日本と違うのは、番組の途中で特別ニュースが突然入ってくる。<br />ニュースを流すだけ流して、またもとの番組に戻るので、番組は途中で切れたままだってことね。<br /><br />日本ではバブルのピークだったのではないかな?<br />みんな着飾って遊び歩き、いいものを食って、いいお酒を飲んで、高級ホテルでエッチをしていたわけだ。<br /><br />それに比べて、僕は中南米を1人寂しく旅していた(涙)。<br />どちらがよかったかというとだね、そりゃバブルの中にいたほうがよかっただろうね(笑)。<br /><br />僕は次々と滅びた文明の遺跡を見て旅をしていた。<br />だから、日本の繁栄もいつかは滅びるだろうという意識があった。<br /><br />海外から見ると、日本の存在はとても小さいし、日本人個々の能力が高くないのはよく知っていたからね。<br />日本の時代はいずれ過ぎ去るはずだ、という確信は持っていたよ。<br /><br />その僕の遺跡を巡る旅のひとつが、トルヒーヨの郊外にある「HUACA DEL SOL(ワカデルソル)」と「HUACA DE LA LUNA(ワカデラルナ)」。<br />つまり、太陽のピラミッドと月のピラミッド。<br /><br />これは紀元150年から700年に栄えたモチェ王国の遺跡だ。<br />僕は「Lonely Planet」に書いてあった街角から、フォルクスワーゲンのミニバンに乗っていった。<br /><br />片道250インティ。<br />行ってみると、ピラミッドは巨大だったが、崩れていて、ただの山のように見えた。<br /><br />しかし、日干し煉瓦で作られているのがわかる。<br />ここも観光客は僕1人しかいなかった。<br /><br />月のピラミッドには穴が開いていたので、中に入ってみた。<br />ただ、持ってきた懐中電灯の電池が弱っていて、奥まで光が届かない。<br /><br />中に入ったが、穴はかなり深かったので、危険を感じて途中で探索を諦めた。<br />遺跡を見るときは、遺跡の中に入る可能性があるわけだから、懐中電灯の電池は新しくしておいた方がいいね。<br /><br />月のピラミッドと太陽のピラミッドは向かい合って作られていた。<br />月のピラミッドの上から見ると、右手に岩の丘があり、向かいの太陽のピラミッドとの間の平地はただの砂だ。<br /><br />この平地が、僕の見たところ2km×1kmという大きさ。<br />そこに僕以外、誰も人影がない。<br /><br />僕は神に祈りを捧げ、神と対話した。<br />遺跡に人がいないということはとても大切だ。<br /><br />この遺跡も、おそらくいま(2008年)は、観光客で一杯だと思うよ。<br />ワイワイガヤガヤと、人に混ざっていては、わざわざ遺跡を見る意味がない。<br />遺跡を見る意味とは、そこで滅びた文明と対話することなのだから。<br />無人の遺跡に1人、たたずむためには、まず神に選ばれていないと無理なんだよ。<br />帰りのバスを拾うために、遺跡から大きな通りまで30分歩いた。<br />すると、来た時と同じフォルクスワーゲンがやってきて、同じ車掌さんがいた。<br /><br />これが神が世界旅行者をこの遺跡へ導くための特別のフォルクスワーゲンだとわかった。<br />町へ戻って、次に、チンボテ行きのバスを調べる。<br /><br />トルヒーヨからチンボテまでバスで2時間。<br />そこから別のコレクティボに乗り換えて、カスマへ行けると知った。<br /><br />僕は何をしているかわかるだろうか?<br />僕は翌日、セチン遺跡へ行くつもりなんだ。<br /><br />さて、そのセチン遺跡とは、いったいなにか?<br />それは、チンボテの町の悪臭の謎とともに明かされるであろう。<br /><br />http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/south_america/huaca-del-sol_huaca-de-la-luna.htm

『たった一人で、広大な遺跡の太陽のピラミッドと月のピラミッドを見て、神の導きを知る』@トルヒーヨ/ペルー

0いいね!

1989/05 - 1989/05

18位(同エリア21件中)

0

0

みどりのくつした

みどりのくつしたさん

1989年5月31日。(1ドル=3100インティ程度)
町で「TIME」誌を2700インティで買った。

5月29日付なので、古いのかもしれない。
が、これがトルヒーヨで売ってあるものとしては、一番新しかった。

とにかく1ドル以下でタイムが買えたのはうれしい。
この時期はもちろん日本語の文庫本などはすべて読み終えていたし、英語の本もほとんど入手できなかったからね。

昨日買った「NEWSWEEK」は3000インティだった。
でも、ニューズウィークにはペルーの定価としては2ドルと印刷してあったんだけどね。

ペルーはインフレが激しかったので、雑誌の定価もドル表示になっていたわけだ。

この時期の新聞や週刊誌は全部、中国の民主化運動についての報道だった。
中国の天安門事件が起きるのが1989年6月4日。

その直前なので、中国の民主化運動の行方について注目が集まっていた。

僕も、南米の現地の英字新聞や、マイアミヘラルド、インターナショナルヘラルドトリビューンなどで情報を得ていた。
1989年というのは、日本でも7月23日に参議院選挙があった年で、社会党が大勝利をして「山が動いた」などの流行語が生まれた。

しかしながら、日本では、何も変化しなかった。
中国の民主化は、全世界の反対にもかかわらず、共産党によって弾圧された。

共産党はそれ以降、反日教育を徹底することで共産党の権威を確立し、生き延びている。
日本では社会党はこの勝利がピークで、どんどん力を失い、消滅していった。

日本社会党がダメだったのは、実は中国や北朝鮮などの、海外の勢力の代理人だったから。
1989年だと、まだ北朝鮮を地上の天国だと宣伝していただろう。

日本社会党の幹部は、北朝鮮に招かれて、大歓迎を受けていた。
国内では、国対政治で、自民党とは裏で結びついていて、実際に政権を取る能力も気力もなかった。

しかし日本以外の世界は、1989年に大きく変わろうとしていた。
実際、この1989年11月には、ベルリンの壁の崩壊に象徴される、東欧諸国の自由化が起きた。

この東欧自由化が最も激しかったとき、僕は中南米旅行を終えてロサンジェルスのホテル加宝にいた。
そして、米国のテレビニュースでその流れを観察していた。

米国のテレビで日本と違うのは、番組の途中で特別ニュースが突然入ってくる。
ニュースを流すだけ流して、またもとの番組に戻るので、番組は途中で切れたままだってことね。

日本ではバブルのピークだったのではないかな?
みんな着飾って遊び歩き、いいものを食って、いいお酒を飲んで、高級ホテルでエッチをしていたわけだ。

それに比べて、僕は中南米を1人寂しく旅していた(涙)。
どちらがよかったかというとだね、そりゃバブルの中にいたほうがよかっただろうね(笑)。

僕は次々と滅びた文明の遺跡を見て旅をしていた。
だから、日本の繁栄もいつかは滅びるだろうという意識があった。

海外から見ると、日本の存在はとても小さいし、日本人個々の能力が高くないのはよく知っていたからね。
日本の時代はいずれ過ぎ去るはずだ、という確信は持っていたよ。

その僕の遺跡を巡る旅のひとつが、トルヒーヨの郊外にある「HUACA DEL SOL(ワカデルソル)」と「HUACA DE LA LUNA(ワカデラルナ)」。
つまり、太陽のピラミッドと月のピラミッド。

これは紀元150年から700年に栄えたモチェ王国の遺跡だ。
僕は「Lonely Planet」に書いてあった街角から、フォルクスワーゲンのミニバンに乗っていった。

片道250インティ。
行ってみると、ピラミッドは巨大だったが、崩れていて、ただの山のように見えた。

しかし、日干し煉瓦で作られているのがわかる。
ここも観光客は僕1人しかいなかった。

月のピラミッドには穴が開いていたので、中に入ってみた。
ただ、持ってきた懐中電灯の電池が弱っていて、奥まで光が届かない。

中に入ったが、穴はかなり深かったので、危険を感じて途中で探索を諦めた。
遺跡を見るときは、遺跡の中に入る可能性があるわけだから、懐中電灯の電池は新しくしておいた方がいいね。

月のピラミッドと太陽のピラミッドは向かい合って作られていた。
月のピラミッドの上から見ると、右手に岩の丘があり、向かいの太陽のピラミッドとの間の平地はただの砂だ。

この平地が、僕の見たところ2km×1kmという大きさ。
そこに僕以外、誰も人影がない。

僕は神に祈りを捧げ、神と対話した。
遺跡に人がいないということはとても大切だ。

この遺跡も、おそらくいま(2008年)は、観光客で一杯だと思うよ。
ワイワイガヤガヤと、人に混ざっていては、わざわざ遺跡を見る意味がない。
遺跡を見る意味とは、そこで滅びた文明と対話することなのだから。
無人の遺跡に1人、たたずむためには、まず神に選ばれていないと無理なんだよ。
帰りのバスを拾うために、遺跡から大きな通りまで30分歩いた。
すると、来た時と同じフォルクスワーゲンがやってきて、同じ車掌さんがいた。

これが神が世界旅行者をこの遺跡へ導くための特別のフォルクスワーゲンだとわかった。
町へ戻って、次に、チンボテ行きのバスを調べる。

トルヒーヨからチンボテまでバスで2時間。
そこから別のコレクティボに乗り換えて、カスマへ行けると知った。

僕は何をしているかわかるだろうか?
僕は翌日、セチン遺跡へ行くつもりなんだ。

さて、そのセチン遺跡とは、いったいなにか?
それは、チンボテの町の悪臭の謎とともに明かされるであろう。

http://homepage3.nifty.com/worldtraveller/south_america/huaca-del-sol_huaca-de-la-luna.htm

この旅行記のタグ

0いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ペルーで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ペルー最安 718円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ペルーの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから海外旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP