2008/09/02 - 2008/09/21
5889位(同エリア6123件中)
xxtommyxxさん
- xxtommyxxさんTOP
- 旅行記14冊
- クチコミ0件
- Q&A回答0件
- 20,952アクセス
- フォロワー0人
古代ロマンの旅へ
古代遺跡探訪へ行ってみましょう。。。
-
ギリシャのアテネにやってきた。。。ギリシャと言って真っ先に思い浮かぶのは古代遺跡ではないだろうか。。。
その古代遺跡のハイライトはやっぱりアクロポリス遺跡になる。。。
2500年以上前にタイムスリップができるのが楽しみだった。。。
アテネの宿が街の中心のオモニア広場の近くだったので、オモニア広場から歩いていく。。。
オモニア広場は6本の幹線の交差点となっていて常に人と車で混雑していた。。。
その1本の幹線アティナス通りに入ると、遠くの丘にそびえ立つアクロポリス遺跡が目に飛び込んでくる。。。
アクロポリス遺跡を見ながら歩いていくと左側には現代のアゴラと名付けられたセントラルマーケットがある。。。
そこでは新鮮な魚介類や肉・野菜・果物が所狭しと並べられていた。。。
でもやはり海が近いだけあって魚介類の種類は豊富だった。。。
30-40cmの鯛が22€(約3500円)してたが、日本でも魚の値段なんてあまり見たいことないので、高いのか安いのかさえわからなかったが、久しく食べてない魚を腹いっぱい食べたくはなった。。。
東欧での食生活もいいものとは言えなかった・・・
安宿を探して泊まり歩いているが、それでも宿代や移動費が高いので、比較的セーブしやすいのが食費となる。。。
1日3食食べるときはまずない・・・
基本は2食で別に無理してるわけではなく移動とか、少し遅い朝食になると昼間はあまりお腹がすかないので食べないかスナック程度を少し食べるぐらいになっていた。。。
朝はパンとヨーグルトなどが主なもので、夜は1人ではレストランにも入りにくく、特にヨーロッパは家族や友人恋人と食事を楽しむって感じで、お一人様歓迎って感じの雰囲気はまったく感じられない。。。
だから入りやすいファーストフード系が多くなる。。。
世界的に有名なチェーン店もあるところもあるが、比較的高いので地元のハンバーガー屋とかケバブ屋には毎度毎度お世話になったものだった。。。
でもキッチンのある宿も少なくなく、普段日本では実家生活と言う甘えもあり自炊などしたことなかったが、背に腹は変えられないと自炊することもあった。。。
レパートリーはないが、野菜や肉を買って炒めるぐらいならできるし、パスタも茹でるだけなので後はトマトソースをかけて終わりとか、シンプルなものでごまかす。。。
時には米を炊くこともあった。。。
自炊は腹もふくれ安く上がるのでいいのだが、食材が余ると持ち歩かないといけなくなるので、毎日移動が続くときなどは自炊には向かなかった。。。 -
セントラルマーケットをさらに進むとアクロポリスの入り口になる。。。
入場料は大人12€学生6€だった。。。
この旅で大活躍した偽学生証があったが、ヨーロッパはそれも西側は偽物ではばれると聞いていたので、ハンガリーのブタペストで本物の学生証が作れると聞いてたので作っておいた。。。
作るには学生証らしいものを見せなくてはならない、それは顔写真が付いているほうがよかった。。。
ほとんどの人は日本の運転免許書を学生証といい作るようだが、俺は海外に免許を持ってきて失くしても嫌だと思い、タバコは吸わないが日本でタバコを自動販売機で買うときに必要な成人識別カードTASPOを作っておいた。。。
それを学生証といい本物の国際学生証が作れた。。。
だから俺の大学名はTASPO大学と印字されている。。。
本物の学生証を見せ堂々と6€払って遺跡に入る。。。 -
アクロポリスは丘の上にあるので登って行く。。。
朝の8時から開門するが8時には行けず9時頃に遺跡に着いた。。。
でもそこで目にしたのは巨大な遺跡ではなく、その巨大な遺跡が見えないぐらいの人だかりだった・・・
午前中が比較的空いてるかと予想して行ったが、まったくの逆で、世界各国のツアー客やアテネの市内ツアーのツアー客などほとんどが午前中に集中してた・・・
アクロポリス遺跡の目玉でもあるパルテノン神殿に続く階段も人が多すぎて、止まっては進み、進んではまた止まるといった感じで1歩足を出すのに時間がかかる。。。
ツアー客は集団で止まってガイドの説明を聞くので余計に進みにくくなっていた・・・
それでも古代遺跡パルテノン神殿を望みながら朝食を食べたいとパンとジュースを持参していたので、人をかき分けスペースを見つけジュースを1口飲んだ瞬間、「ピーーー」と笛が鳴り係員が飛んできて、ここは飲食禁止と怒鳴られた・・・
イスに座ってパルテノン神殿を見ても、パルテノン神殿でなく人の背中しか見れず、流れ作業のように人の波に乗って移動するしかなかった・・・
パルテノン神殿の半分は大掛かりに修復中で鉄骨の足場や大型クレーンがあり、アクロポリス博物館も改装中のため見れず、2500年前にタイムスリップを期待していたがまったく古代ロマンに浸ることなく押し出されるようにアクロポリスは出てしまった・・・
アクロポリスの周辺遺跡の古代アゴラやゼウス神殿などは比較的人も少なく落ち着いてみることができたが、この時期のアテネの日中は35度ぐらいで倒れそうなぐらい暑いのに、遺跡には影が少なく遺跡を見るより影を探すほうが先決というような感じになっていた・・・
今後ヨーロッパに来られる予定があるなら、冬がお勧めかもしれません。。。
寒いですが人は少なくホテルなどの料金は安く設定されてますし、観光に集中できそうです。。。 -
ギリシャに来て思った。。。
島に行ってみたい!!!
ギリシャに来るまでは島に行こうと思ってなかったので、何の情報も持ってなかったので、とりあえず政府観光局のインフォメーションセンターに行って、「島に行きたいんだけど」っと聞いてみる。。。
どこの島に行きたいの???
当然の返答が返ってきた。。。
しかし俺は島の名前なんて1つも知らない・・・
ギリシャの島のイメージは青い空に青い海それに白い建物だった。。。
「そんなのが見れる島がいいな」っと漠然と言ってみると、ギリシャの島は全部それだ!!!
ちょっとうっとうしそうに返答される・・・
どうしよう・・・どうしても島の名前を言わないとダメなのか???
最後に有名な島は???と質問すると、ようやくミコノス島とサントリーニ島が有名だ。。。っと島の名前が出てきた。。。
調べるとサントリーニ島のほうが安宿が多くあったので、そっちに行くことに決めた。。。 -
思い立ったが吉日とばかりにフェリー会社にチケットを買いに行く。。。
フェリー会社で学生証持ってるんだけどディスカウントは効く???と本物の学生証をここぞとばかりに見せる。。。
カウンターのねーちゃんは学割が効くのは26才までね!っとやさしく鼻で笑いながら学生証を返してくる・・・
くっそぉ〜年齢もごまかして作っておけばよかった・・・
ただこのおっさんがどう見ても26才以下には見えないが・・・
仕方なく正規の値段でチケットを買う。。。
33.5€で5000円ぐらいした。。。チケットは片道なので帰るのにも同等のお金が必要になる・・・
やっぱりヨーロッパ高いなぁ〜
フェリーの出航は翌日の7:25だった。。。
フェリーの泊まってるピレウス港まで、朝の5時に起きまだ暗いなか地下鉄に乗って行く。。。
港には大型船が何隻も泊まっていて、それぞれの行き先の島に向けて準備が行われていた。。。
早起きのおかげで出航1時間前に着いたので、比較的いい席がゲットできた。。。
一番安いチケットなのでデッキだったが、天気もよかったので気持ちよくクルージング気分が味わえた。。。
しかしさすがに8時間のクルージングは飽きてきて、早起きしてたのでうたた寝も多かった・・・
サントリーニ島には夕方に着いたので、その日は宿にチェックインして終わった。。。 -
次の日は島の中心のフィラや夕日が美しいイヤに行って、これぞギリシャの島という風景を堪能してたが、大事件が起こってしまった・・・
大事に大事に箱入り娘のように扱ってきた一眼レフカメラを一瞬ほんの一瞬の不注意で落としてしまった・・・
俺の目の前階段をカメラが3周ぐらい転げた・・・
もうそれは死刑台の13階段から転げ落ちるかのようにも見えた・・・
すぐに拾い上げ動作チェックをすると電源が入った。。。第一関門突破。。。
シャッターを押してみる。。。カシャっと音がする。。。第二関門突破。。。
もしかして壊れなかったのかと少し安堵の気持ちになる。。。
ZOOMレバーを回す・・・回るがレンズが伸びない・・・何度も何度も回すがレバーが空回りするのみ・・・
レンズがやられた・・・
一気にテンションが下がる・・・旅の終わりが脳裏をよぎる・・・
俺にとって旅にカメラは必要不可欠なものだった。。。
一眼レフカメラを持ち歩いてるからとっていい写真はまったく撮れないが、それでも撮るのが好きだった。。。
強引に手で伸ばすとレンズも最大までは伸びないが、少しはZOOMも効く。。。
しかしピントが合うのに時間がかかったするので、本体のほうも多少ダメージがあるようだ・・・
今は最低限の撮影はできているが、最近のカメラは電子制御なのでレンズと本体の接触が悪いだけでシャッターが下りなくなる・・・
完全に撮れなくなるのも時間の問題かも知れない・・・
そうなった時俺の旅も終わるのか???
カメラ屋があればレンズを見てみるが、俺のカメラはSONY製でキャノンやニコンほど市場にも出回ってなく、日本で買っても5−6万するので海外ならあっても手が出ないかも???
カメラと心中するつもりでその場その場を楽しみ、写真を撮るしかない。。。
気分は落ち込んだまま3日滞在したサントリーニ島を後にしてアテネへと戻った。。。 -
サントリーニ島からのフェリーは早朝にピレウス港に到着した。。。
アテネ市内はもう見てたので、そのまま地下鉄に乗りアテネの鉄道駅ラリッサ駅へと向かった。。。
次の目的地はオリンピック発祥の地オリンピアだった。。。
オリンピアまでは直行便がなくLarissa−Kiato−Pirgos−Olympiaと乗り換えしなくてはならなかった。。。
PirgosからOlympiaはバスになる。。。
時刻表は島に行く前に調べておいて、6:06、11:06、15:06、23:06の列車が乗り継ぎよく行ける特急のようだった。。。
しかしそれに乗れなくてもローカルで行けば少し時間はかかるが問題ないと思っていた。。。
港からラリッサ駅に到着したのが6:09、3分遅れで列車の出発した後だった・・・
この3分が後々大きな障害となってくるとは・・・
チケット売り場でローカルのチケットを買おうとするが、LarissaからKiatoまでのローカルは本数があるが、KiatoからPirgos行きのローカルがないらしく、結局Larissaを11:06に出発した列車と同じ乗り継ぎになるということで、アテネのLarissa駅に5時間も列車待ちする羽目になってしまった・・・
駅には荷物預かり所があるが、1回2€(340円)もかかるので、節約のためと預けずに大きな荷物を背負ったまま片道歩いて20分のスーパーに朝食を買いに行く。。。
コッペパンとジュースを買い味気ない朝食にする。。。
11:06に出発した列車はKiatoで乗り換えPirgosに到着したのが16:00だった。。。
Pirgosからバスになるのでバスターミナルに向かう。。。鉄道駅から歩いて10分ぐらいの距離にあった。。。
オリンピア行きを見てみると16時発が出発した後だった・・・
その次が18時になるので10分遅れが2時間待ちとなり、またバスターミナルでも退屈な時間をつぶすことになる・・・
写真:メインスタジアム -
PirgosからOlympiaまでは1時間弱で着いた。。。
とりあえず今夜の宿を確保しなければならなかったが、オリンピアで知っている安宿と言えば1泊10€のユースホステル(YH)ぐらいしかなかった。。。
YHに直行するがフルと言って断られる・・・
困った事態になった・・・
ダメもとで近くのホテルやペンションなどに聞いてみるが安くて30€(5000円)もしてたので、とても泊まる気にはならなかった。。。
しかしこの時間から別の場所に移動する術もなかった・・・
もし朝の3分がなければ6:06の列車に乗れていれば、昼頃にはオリンピアに到着できていてその日のうちに遺跡を見学してオリンピアを出れていたかもしれないのに・・・
朝の3分遅れが悔やまれる・・・
オリンピアには2箇所のキャンプ場があった。。。
欧米人はテントや寝袋を持ち歩きキャンプ場を渡り歩く人たちも少なくなかったし、キャンピングカーで旅をしてる優雅なヨーロピアンも少なくなかった。。。
俺はテントも寝袋も持ってない、持ってるのはシーツのみ・・・
それでもここまで来たらとキャンプ場に行き泊めてくれるように頼む。。。
1箇所目が8€と言われる・・・
シーツで寝るだけなのに・・・
暗くなりつつあったが、もう1箇所のキャンプ場に行くと5€・・・仕方ないのでそこに泊まることにする。。。
外に野宿することを考えれば一応敷地内なので荷物などの安全性は高いし、トイレやシャワーも付いていた。。。
ただ手頃なベンチなどあればよかったが、そういうものはなく土の上で寝るか草の上で寝るか御影石の上で寝るか3つの選択肢しかなった。。。
土の上は凹凸が激しくマットなどないと寝るのはつらそうだった・・・
草の上はほどよいやわらかさがあったが、若干湿っていてそこで寝るとベタベタしそうだった・・・
そうなると消去法で御影石の上しか残ってなかった。。。
平らだし湿気もなかったが寝返りを打つたびに、最近また痩せたこの肉付きの悪い身体の骨が石に当たり痛かった・・・
しかしこの時期夜中でもそれほど寒くなくシーツだけでも一晩越せたのには助かった。。。
写真:ヘラ神殿 -
熟睡することもなかったので朝も早く目覚めた。。。
オリンピアには2泊しようと思っていたが、この状況ではもう1泊はつらいので1泊で出ることにした。。。
朝一にオリンピア遺跡を見に行く。。。
8時開門で一番にチケットを買う。。。後ろにも客らしき人はいてないので、遺跡を1人占めすることができた。。。
4年に1度開催されるオリンピックの発祥がこの地だ。。。
今年はオリンピックイヤーで北京オリンピックも大きな問題もなく成功のうちに閉幕した。。。
今でも聖火の採火はこの遺跡のヘラ神殿で行われているようで、古代オリンピックの歴史は紀元前8世紀にも遡るらしい。。。
その頃も現在と同じく4人に一度開催してたようで、競技内容は短距離走、格闘技、レスリング、円盤投げ、槍投げ、競馬などがあり今に通じているが、戦車競争などその当時ならではの競技もあった。。。
スタジアムは直線で192mあり当時は100mでなく192mで競っていたかもしれない。。。
1人きりの遺跡はとても静かでなんともいえない優雅な時間だった。。。
遺跡はほとんど崩れたものばかりだが、自分で想像しながら神殿を作り、そこで競ってる人たちがいて、大勢の観客もそこで熱狂していた。。。
少し古代にタイムスリップできた感じがしたが、さすがに9時を過ぎるとツアー客などがどっと押し寄せ、一気に現実の世界へと引き戻された。。。
人が多くなったので遺跡を後にし、キャンプ場に戻り荷物を取りオリンピアを出た。。。
写真:キャンプ場 -
オリンピアを後にしてパトラへと向かう。。。
パトラからはイタリア行きのフェリーが出てた。。。
さぁとうとうイタリアかと少しワクワクしてたが、旅先で出会った人たちからはイタリアは物価が高くてきつかったと言う話しを何人からも聞いていて、そっちのほうの覚悟もしっかりしていた。。。
パトラからのフェリーは深夜便になり、18:00に出発しイタリアのバーリという町に朝の10:00に到着する。。。
チケットは一番安いものなのでデッキ(船外)になる。。。
しかしこの時期、外で夜明かしはかなり寒そうなので、船内にソファーやイスが置いてありそこは暗黙の了解として使用ができるようになっている。。。
早めに乗船しソファーの確保に成功した。。。
ソファーだと横になって寝れるので多少楽に過ごせることができる。。。
しかし確保してからはそこから移動することができない・・・
みんなハイエナのごとくソファーを狙っている。。。
こういうとき1人は厄介だ。。。
トイレに行くのさえなかなか行きにくい・・・
でも安眠のためと多少の我慢はする。。。
その甲斐あって夜はソファーで寝ることができ、翌朝10時にフェリーはバーリ港へ入港した。。。 -
バーリからローマに向かう列車も夜行だったので、日中バーリで過ごすことになるが、バーリは見所がないので近くにアルベロベッロという世界遺産に登録されてる場所があったので、そこに行くことにした。。。
アルベロベッロにも行く予定はなかったので地図など持っていない・・・
しかし世界遺産に登録されてるぐらいだから、駅に行けばインフォメーションぐらいあるだろうと、バーリから私鉄に乗り1時間半揺られる。。。
アルベロベッロに到着するがインフォメーションらしきものは見当たらない・・・
駅員にこの辺の地図はあるか?と聞くが、ないと一言・・・
どっちに行けばいい?と聞くと、まっすぐ行けばいいの一言・・・
まっすぐ行くが普通の家並みが続くだけだった・・・
アルベロベッロは独特の建物でとんがり帽子の屋根の家が特徴だった。。。
そんな家見当たらない・・・
どうしようかなぁ〜日本人に会わないかなぁ〜っと思ってると神の助けか、前から日本人カップルが・・・
普段はあまり自分から話しかけたりしないが、ここぞとばかりに笑顔で「こんにちは」っと言い寄っていく。。。(ちょっと怪しげな奴に見えたかも・・・)
事情を話し、この辺りの地図を見せてもらいやっと地理が把握できた。。。
まったく逆の方向に来てた・・・
カップルに礼を言うと地図を2部持っているらしく1部くれた。。。
困った時の日本人頼りだね。。。
アルベロベッロの独特の家並みは、おとぎの国の家のようといえばいえないことがないというぐらいの感じだった。。。
日中とても暑かったのでジュースを飲もうとスーパーを探すが閉まってた・・・
平日なのにおかしいと思い、入口をよく見てみると9:00〜13:30、16:30〜21:00と書いてある。。。
昼休み・・・
働けよ!イタリア人・・・
イタリアもスペイン同様にシエスタがあるようだ。。。 -
イタリアに入りイラつくことやむかつくことが多かった・・・
東欧やギリシャでは感じなかったイラつきやむかつきだった・・・
そう思うと急に過去の記憶がよみがえって来た。。。
初めて海外旅行した12年前のこと。。。
ヨーロッパは数カ国回ったが、他の国では感じないイラつきやむかつきがイタリアだけで感じられた。。。
はっきり言えば人も国も悪かった・・・もちろん俺の主観だが・・・
それでイタリア人もイタリアも嫌いになった。。。
そうだ、俺はイタリアが嫌いだったんだ・・・
12年もの歳月に嫌いなこともすら忘れ、今回の旅のプランにイタリアを入れたときも初めて行くかのような気持ちでちょっとワクワクしてた。。。
しかしイタリア入国数時間で封印されてた奥底の記憶を見事によみがえられてくれた。。。
俺にとってのイタリアはブレてなかった。。。
やっぱり人も国も悪かった・・・もちろん俺の主観だが・・・
今回もやっぱりイタリアもイタリア人も嫌いだ!!! -
昔からよく言ったものに自分が嫌いなものは相手からも嫌われてると。。。
そうかも知れないと思った。。。
イタリアが嫌いだ嫌いだと思っているとイタリアも俺を嫌ったのか、ヨーロッパに入って以来2ヶ月間で雨や曇りなどほんの数日、2−3日ぐらいだったのに、イタリアに入って以来ほとんど青空を見ることがなかった・・・
ローマ初日もどんより曇っていた。。。
曇っていてはせっかくの遺跡も見栄えが悪いので、博物館なら室内なのでいいかと思いヴァチカン博物館に行くことにした。。。
ヴァチカン博物館はヴァチカン市国にある。。。
ヴァチカン市国はローマの一角にあるが立派な独立国家だ。。。
キリスト教カトリックの総本山でもあるこの地は、キリスト教信者が一度は訪れたいと思う憧れの地でもある。。。
面積は0.44k?で世界最小の国である。。。
0.44k?とは、東京ディズニーランドよりも我が愛する町にある鶴見緑地よりも小さいという大きさだった。。。
通貨はユーロで警察はなくイタリアに依存しているそうで、教皇の衛兵としてはスイス人衛兵が常駐してるという、複雑な?国のようだ。。。
2005年にヨハネ・パウロ2世が亡くなり、ベネディクト16世に教皇が変わったのは記憶に新しいかもしれない。。。
ヴァチカン博物館は人気とあって、朝早い時間にもかかわらず個人からツアー客まで長蛇の列ができていた。。。
列に並び順番待ちをしてるときにとうとう雨まで降り出してきた。。。
一体どれくらいぶりの雨だろう???近い記憶にはなかった。。。
博物館の中にはローマ時代の彫刻や壁一面の大きなタペストリーなどがあったが、ここの目玉は何と言ってもシスティーナ礼拝堂だろう。。。
そこにはそれまで筆などほとんど持ったことが無かったというミケランジェロが書き上げた「アダムの創造」や「楽園追放」「ノアの洪水」などが天井に書かれている。。。
正面には大傑作と名高いミケランジェロ晩年の作「最後の審判」が見事に描かれていた。。。
20世紀には日本が莫大なお金を出し大修復が行われ鮮やかな色が蘇ったらしい。。。
キリストのイメージは十字架に背負ってるか痩せ細ってるものが多いが、ミケランジェロの描くキリストは立派な肉体美をしていた。。。復活の後を描いたようだが、今までに見たことのないキリストに新鮮さを感じた。。。
博物館の後にはカトッリクの総本山であるサン・ピエトロ大聖堂に行ってみる。。。
ミケランジェロは元々は彫刻家で25歳のときに作り上げた「ピエタ」が置かれていた。。。
現在はガラス越しにしか見られないが、それでもその繊細さや完成度の高さは伝わってきた。。。
マリアに抱きかかえられてるキリスト・・・
石で作られているのに今にも動き出しそうで、もし触れることができたら温かさが感じられるのではないかと思うような存在感だった。。。
ヴァチカン市国では博物館でもなくサン・ピエトロ大聖堂でもなくミケランジェロに魅せられた。。。
写真:ヴァチカンのスイス人衛兵 -
ローマ2日目もどんより曇っていた。。。
この日は市内の散策に出た。。。
市内散策に出ると、結局のところローマの休日巡りになってしまう。。。
誰もが一度は観たことのあるであろう映画「ローマの休日」。。。
美しき王女と新聞記者のラブストーリー。。。
この時のオードリーヘップバーンの美しさは妖精にも勝っていたかも知れない・・・
1953年公開なのでもう55年前の作品になるのに、今観ても映画に引き込まれていく感覚は名作としか表現できない。。。
最後の記者会見の後、誰もいなくなった会場をグレゴリーペックが1人去る時の靴音が何とも寂しげで印象的だった。。。
晩年オードリーヘップバーンが病に倒れNYの自宅からスイスの別荘に療養に行くのに、グレゴリーペックが自家用ジェットで送ったというから、なんともかっこいい話しだ。。。
映画で印象的な場所、真実の口やスペイン広場に行ってみるが、世界中の観光客が映画の真似をして楽しんでいた。。。スペイン広場ではオードリーがジェラートを食べていたが、今では飲食禁止になっていて警備員に注意されてる観光客が多かった。。。
コロッセオやトレヴィの泉にも行く。。。
トレヴィの泉はコインを後ろ向きで投げると願い事が叶うと言うので投げておいたが、帰ってガイドブックを見てみると、後ろ向きにコインを投げるとまたローマに戻ってくることができるということだったらしい・・・
あれ???俺イタリア嫌いやし、もう2度とローマも来なくてもいいと思ってるのに・・・
でもローマの街並みはどこを歩いていても歴史的建造物?と思えるような建物が多く、古い建物が古さを感じさせなく存在しているのにはこれが文化なのかと、日本のように新しいことがいいこと的な考え方はここには当てはまらないようだ。。。
写真:イタリアと言えばイタリアンジェラート -
ローマは2日の予定だったがもう1日伸ばしてもいいかと思い、宿のスタッフにもう1泊したい旨を伝えると、OK!OK!問題ないよと言って、お金は明日でいいよと言ったのに、翌朝お金を払おうとすると、今日はフルだから泊まれない。。。
はぁ???
昨日もう1泊っていったよな。。。
でも今日はフルになったからベットがない。。。
昨日言ったこと覚えてるよな。。。
でも予約が入っていっぱいになった。。。違う宿紹介するからそっちに行けばいい。。。
もうええわ・・・
他の宿に移るならもうナポリに行こうと思ったが、こんな日に限って天気がよかった・・・
ナポリ行きを夕方の列車にして、足早にもう一度ローマ市内を見て周りナポリへと移動した。。。
ますますイタリアが嫌いになった・・・
写真:スペイン広場 -
アテネからナポリは列車で3時間ぐらいの距離だった。。。
しかし俺の乗ったのは普通電車で、急行や特急のインターシティーやユーロスターに乗れば2時間ちょっとで着いてしまう。。。
ナポリと言うと美しい港町といった印象を持っていたが、港町ではあったが決して美しい町ではなかった。。。
道にはごみが見るところ見るところ落ちてるし、犬の落し物も大変多かった・・・
放し飼い?野良犬?も多いが、飼い主と一緒に散歩してる犬も多いのだがその飼い主の手にお散歩セット(落し物を拾うもの)を見たことがないのが驚きだった・・・
自由と言うかマナーがないと言うか・・・
しっかり下を見て歩かないとサンダルとかで歩いていると最悪の事態になることも・・・
しかし下ばかり見てると他の敵が・・・
原油高の影響かナポリもバイクが多く走っていて、結構乱暴な運転をする人が多い。。。
ナポリには細道で入り組んだ道が多いので、いつどこからバイクが飛び出してくるかわからない・・・
犬の落し物に気をつけてバイクに気をつけて、ナポリの町はキョロキョロしながら歩くことになった。。。
写真:2000年前のラテン語 -
ナポリから郊外列車で1時間、30kmぐらい離れたところにポンペイ遺跡がある。。。
紀元79年8月24日ヴェスーヴィオ火山が大噴火を起こし、一昼夜に渡って降り続けた火山灰は翌25日にポンペイの町を完全に地中に埋めてしまった。。。
一瞬にして失われた町は長く姿を消していたが、その姿をまた地上に戻すと町は1世紀の古代ローマの生活の様子そのまま伝えることになった。。。
壁の落書きは当時のラテン語をそのまま伝え、パン屋の跡や公衆浴場の跡に娼婦宿もあったというから、古代ローマ人の男も女を求め、女はお金を求めた構図は現代とも変わらないのには人間の性が感じられる。。。
ポンペイで有名なのは、男女の交わりを描いた絵で、これらはフォルム(市民広場)や浴場や多くの家や別荘で、よい状態で見つかったようで、そこからもポンペイは快楽の都市だったようだ。。。
しかし保存状態のいい絵やタイルなどはポンペイ遺跡でなくナポリの国立考古学博物館に保存管理されていた。。。
見に行くとこれが本当に2000年前のものかと思うほど鮮やかな色で描かれた絵やや原型のまま残ったタイル画など数多くあったが、あるべきところにない寂しさみたいなものもあった。。。
もちろん風化や損傷を防ぐために博物館に保存管理されているのだが、この絵がこのタイル画が遺跡の中にあればどれだけ生き生きと見えただろうかと思うと・・・
写真:パン屋跡 -
さて2000年近く前の紀元79年といえば日本では何時代だったのだろうか???
歴史にうとい俺にはまったくわからない・・・
俺の中で日本史の一番最初に出てくる年号は645年。。。
645年に大化の改新があったので聖徳太子の時代か???
それより500年以上前・・・
卑弥呼の時代だろうか???
縄文時代???弥生時代???
その時代ものが日本にどれだけ残っているかと考えると皆無じゃないかと思う。。。
そうするとこのポンペイで残されたものは、やっぱりすごく価値のあるものだろう。。。
しかしその時代に日本にも売春宿みたいなところがあったのか???
ちょっと興味があるが・・・
詳しい方はぜひご教授を願いたい。。。
写真:2000年前の男女の絵(外でしてるの・・・) -
「ナポリを見て死ね」と言う言葉があるが、これはナポリを見ると死なないとダメなのか???とつまらないことを考えながらカプリ島行きの高速艇に乗っていた。。。
目的は有名な青の洞窟を見に行くためだった。。。
しかし青の洞窟と言うのは洞窟の入り口がとても狭く少し波があったり潮が高かったりすると入れなくなる。。。
比較的夏場は天候が安定してるので入れる確率は高いが、冬場は7割の確立で入れないようだ。。。
天候が安定してるからと言って入れるか入れないは運次第になる。。。
確実に入りたかったらカプリ島のインフォメーションに連絡すれば今日の状況は教えてくれた。。。
ナポリ到着の日も、その翌日も、そのまた翌日もインフォメーションに問い合わせるが、入れないと言うことだったので、今日は4日目にしてようやく入れることになる。。。
それは1週間ぶりのオープンでもあったと教えてもらった。。。
俺は日程的に余裕があったので待つことができたが、タイトなスケジュールで旅行してる人たちはカプリ島まで来たけど見れなかったという人が、この1週間で何百人いただろうかとと考えながらカプリ島からの小型船に乗り換えていた。。。
青の洞窟を単純往復する小型船もあったが、せっかくなのでカプリ島を1周して青の洞窟に行く小型船に乗ることにした。。。
天気もよく凪のようだったので、とても暑かったが気持ちのよいクルーズができた。。。
1時間ぐらいで青の洞窟の入り口に来る。。。
そこには何隻もの小型船が順番待ちをし大渋滞といった感じだった。。。
そこから今度はボートに乗り換えることになる。。。
そのボートは4人しか乗れないので、順番がまわってくるまでそこで1時間ぐらい待たされることになった・・・
写真:青の洞窟、ちょっとピンボケ・・・ -
順番がやっときてボートに乗り込む。。。
ボートと洞窟入場料で10€(1600円)かかる。。。
それを払うととうとう入り口に向かう。。。
見るとボートが1台やっと入れるぐらいのスペースしかなかった。。。
だから入り口を抜けるときはみんなボートの上に寝るようにしてボートから頭が出ないようにした。。。
波が少し引いた瞬間をみて一気に入る。。。
青の洞窟に行った人からは中にいてる時間は短いので、目で見るかカメラごしで見るかのどっちかだと言われていた。。。
当然カメラごしに見る準備はできていた。。。
入った瞬間シャッターを押す・・・下りるまで時間がかかる・・・
暗すぎた・・・暗すぎてシャッタースピードが遅くなってる・・・
予想以上に中は暗かった・・・
しまった・・・設定を変えなければ・・・
暗い中必死に設定を変えるが、どんどんボートは出口のほうに・・・
急がなければと気は焦るばかり・・・
設定を変えて撮るがその頃には出口の手前に・・・
それでも何枚か撮るが、船頭から頭を下げろと号令が・・・終わってしまった・・・
ボートは洞窟の外に出ていた。。。
中にいた時間は2分あっただろうか???
また小型船に乗り換えカプリ島の港に帰るのだが、ボートの船頭がチップを要求してくる。。。
1€渡そうとすると「NO」と言われ5€札を見せられる・・・
「はっ・・・」と言うと、こっちの客は夫婦で20€くれたぞと言ってくる。。。
確かに欧米人夫婦は20€渡していた・・・
そんなことするからチップの額が上がるんだと、かたくなに1€を差し出す。。。
それでも受け取ろうとしないから、ポケットにしまおうとすると慌てて奪い取るようにもっていった・・・
気分の悪い幕切れだった・・・
まぁここはイタリアだとむかつくと思うようにしてた。。。
小型船に戻り写真をチェックするが、ボートが揺れているので、結局すべてピンボケの写真しか撮れてなかった・・・・
ナポリから青の洞窟往復で1万円近いお金がかかったのにと、肩を落として帰路につくことになった・・・
写真:イタリア唯一のいい思い出でおいしかったピザ1枚800円 -
もう見るとこ見たしさっさとイタリアを出たかった。。。
次の日はチュニジア行きのフェリーに乗る予定だったが、情報ではナポリの港から出てると聞いていたが、実際はナポリから南へ55km下がったサレルノという町の港から出てた。。。
出発の日は朝からどんより雲っていた・・・
夜行のフェリーだったので夕方ごろ宿を出たが、昼からは本格的に雨が降り出していた。。。
ナポリ駅からローカル線に乗って1時間ぐらいでサレルノに到着するのだが、たった1時間だったのに15分も遅れて到着した・・・
サレルノも激しい雨が降っていた。。。
サレルノなんて2−3日前にしった町なのでもちろん地図などなく、港の場所もわからなかった。。。
駅のインフォメーションも閉まっていたので、とりあえず歩き出すと交番みたいな場所があり警官がいてたので聞くと2−3kmあるのでバスで行けとと言われる。。。
この雨で30分近く歩くのもきつかったのでバスに乗る。。。
バスはどんどん町から離れて行く・・・
20分ぐらいすると運転手がここだと教えてくれる。。。
そこにはターミナルらしき建物もなかった・・・
イタリアからチュニジアと言うと国際線になるので、ターミナルがないのもおかしいと思ったが、ゲートにいてた人に聞くと、あそこで待ってろと指差された先には屋根しかないバス停のような場所があった・・・
あれか???っと思うが、行ってみると3人の待っていた。。。
チュニジアに行きたいけどここでいいのか???と聞くと、私たちもチュニジアに行くと親子が教えてくれた。。。
時間を見ると6時半だった。。。
出発時間までターミナルでのんびりしようと思ってたのがかなりの誤算になった。。。
雨風があり屋根しかないので雨はしのいでるが風はしのげない・・・
親子にチケットを買いたいというと8時かららしいと教えてくた。。。
どっか行こうにも外は雨で、バスで来る途中に見てても何もなかったのでここで待機するしかない・・・
この旅初めてパーカーを出し寒さをしのぐ。。。
8時になりチケットを買いに行くが11時に来いと言われる・・・
震える身体をさすりながら待つ。。。
イタリアの最後がこれかと気力もなくなっていく・・・
少しずつ人が集まり出すがツーリストでなくイタリア人とチュニジア人ばかりだった。。。
ツーリストが来てくれると心強いのになぁーっと思ってると、バックパックを背負った人が来た。。。
ツーリストだと思うと、まさかの日本人だった。。。
ここでこんな状況で日本人に出会えるとは、何と心強いとお互いに思ったらしい。。。
11時には乗り込めてるはずの船はまだ着てない・・・
12時ごろ船が入ってきてチケットの発売も始まる。。。
でもそこからもなかなか乗り込めず、結局船に乗り込めたのは2時前になっていた・・・
出国審査でイタリアの出国スタンプが押され、これでやっとイタリアとおさらばできる。。。
イタリアなんてもう絶対来ないと心で叫んでイタリアの旅が終わった。。。
今回のイタリアの旅で確信できたことは、やっぱりイタリアは大嫌いだと言うことだった・・・
写真:ナポリ市街と一夜でポンペイを沈めたヴェスーヴィオ山
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
21