2001/07/13 - 2001/07/31
5261位(同エリア6453件中)
takuさん
チェコ側国境の町ヘプ。約6年ぶりにチェコに来たが、入国の検査の簡略化にびっくりする。以前は、ビザも必要でありじっくりパスポートをチェックされたが、今回は、チラッと見ただけで、スタンプも押してくれなかった。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- シンガポール航空
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自転車も移動中です。
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プルゼニュ中央駅 13:53着
まずは両替をして、旧市街地まで歩いていく。途中方向がわからなくなって、迷ってしまうが、なんとか今日のホテルもゲット!プルゼニュ本駅 駅
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旧市街地の中にあるPenzion V Solni に泊まる。
1泊685Kc(1Kc=約3.3円)
(テレビ付、トイレ・シャワー付、朝食付) -
ここのテレビはNHKも見れる。なおかつビデオ入力端子があり、これまでの写真をチェックすることができた。部屋もかなり広い。
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聖バルトロミェイ教会
この教会は、1320年から1470年にかけて建てられた。聖バルトロミェイ大聖堂 寺院・教会
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聖バルトロミェイ教会の尖塔
この尖塔の高さは、103mでチェコNO.1の高さの塔である。聖バルトロミェイ大聖堂 寺院・教会
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尖塔の内部
この階段を昇らないと上には行けません。聖バルトロミェイ大聖堂の塔 寺院・教会
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聖バルトロミェイ教会の尖塔に登る。15Kc(学生)
シナゴーグ(ユダヤ教徒の教会)の赤くて丸い塔が見える。聖バルトロミェイ大聖堂の塔 寺院・教会
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ビール醸造博物館中庭
この博物館は1860年ごろまで実際モルトハウスとして使われていた。
ピルスナーはチェコで生まれたビールである。(日本で最も飲まれる黄金色のビールは、このピルスナー・タイプである)ピルスナーは、ピルゼン(プルゼニュのドイツ名)で醸造されたビールの呼称から由来する。ビール醸造博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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U Salzmannu(ウ・サルズマヌー)
プルゼニュで最も古い1637年創業のビア・パブ。
ビール0.5リットル:20Kcウ サルズマヌー 地元の料理
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旧市街地はこのような緑で囲まれている。
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誰かようわからん??
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2001年7月19日(木)
朝4:30ごろに目覚める。朝食までまだ時間があリ、時間をもてあそぶ。あまりに暇なので、チェコのお金を撮影しておく。このうち100Kc札だけを記念に持ち帰った。 -
Penzion V Solni
7:00朝食を食べる。かなりの量で残してしまう。
7:30用意をして出発。
チェックアウトの際に、オーナーのおばちゃんに、朝食の余りでつくったサンドイッチを頂く。ありがとう、おばちゃん。 -
プルゼニュ中央駅正面
プルゼニュ本駅 駅
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プルゼニ中央駅 8:05発 チェスケー・ブディヨヴィツェ行き (D761)95Kc
136kmの移動でたったの300円だった。プルゼニュ本駅 駅
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出発!
プルゼニュ本駅 駅
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沿線は小麦畑が多かった。
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小さな湖も多かった。
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予定通り9:55にチェスケー・ブディヨヴィツェに到着。到着後、ホテルを探しながら旧市街地を目指す。
(チェスケー・ブディヨヴィツェのドイツ語名はBudweiser。これを英語読みにしたのがバドワイザーである。)チェスキー ブジョヴィツェ駅 駅
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Penzion Centrum
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シングルがなくまたもダブルになったが、Penzion Centrum にする。ちょっとまけてもらって1泊900Kc(トイレ・シャワー付、朝食込み)
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家具がなかなか良い。またここの食堂は、ほんとに小さく、チェコの家庭にいるような気分になれる。朝頂いたサンドイッチを食べ昼食とする。
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聖ミクラーシュ教会の脇にある黒塔。高さ72m。1549年から1577年にかけて建てられた。とりあえず登れるものは、登っておく。15Kc(学生)
黒塔 建造物
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黒塔に登るのに、食べ物は禁止されているので、アイスクリームを急いで食べる家族。
黒塔 建造物
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黒塔の内部に釣られている鐘。これは最大のもので、重量が3429kgある。1723年鋳造。
黒塔 建造物
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みしみし音が鳴ります・・・
黒塔 建造物
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黒塔より
1辺133m、正方形のプジェミスル・オタカル?世広場。真ん中に見えるのは、サムソンの噴水。黒塔 建造物
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聖母祈りの教会とドミニカン修道院
黒塔 建造物
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サムソンの噴水:1721年から1726年にかけて制作
サムソンの噴水 モニュメント・記念碑
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黒塔の展望台
黒塔 建造物
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塩の門
この町は、16世紀には塩の取引が盛んだった他にも、醸造業、近郊で取れる銀の集積所として最盛期を迎える。しかし、1641年に大火が発生して、ほとんどの建物は焼け落ちてしまう19世紀に入ってヨーロッパで工業が発展しだした頃、チェスケー・ブディヨヴィツェとオーストリアのリンツを結んで、ヨーロッパで最初の鉄道馬車軌道が建設された。これが契機となってチェスケー・ブディヨヴィツェは復興する。 -
チェスケー・ブディヨヴィツェのバスターミナル
29番のバスでチェコ一美しいと言われるフルボカー城へ。バスターミナル(チェスキー ブジョヴィツェ) バス系
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30分程で到着:片道14Kc
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丘の上にあるフルボカー城を目指す
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フルボカー城
あいにく改修工事中であった。この城は、チェスケー・ブディヨヴィツェを建設したボヘミア王プジェミスル・オタカル2世が所有していたという記録があるが、誰が建設したかという記録は残っていない。フルボカー城 城・宮殿
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