その他の都市旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2002年4月、イスラエル軍は1平方キロメートルしかないパレスチナ自治区ジェニンの難民キャンプを30台あまりの戦車で包囲一斉砲撃し続け、数週間に渡って救急車やメディアを一切通ることを許さず、証拠隠滅のためにブルドーザーで瓦礫を土砂にするまで破壊し尽くしました。<br /><br />いわば子ども達が7割の難民キャンプを集団砲撃した虐殺です。<br /><br />ブルドーザーで子ども達やお年寄り、障害者が中にいるまま家を壊し続けたのです。<br /><br />イスラエル兵は子ども達に瓦礫となった自分達の家屋を壊させ、遅い!と怒鳴りながら破壊させ、最後には皆銃殺してしまったそうです。<br /><br />ありとあらゆる残虐行為が行われました。<br /><br />やっと封鎖が解かれた直後、危険なイスラエル兵士の目をくぐり抜け、街の様子と証言を集めた“Jenin・Jenin”というドキュメンタリーがあります。<br /><br />その監督はその後イスラエル兵に「ちょっと来い」と言われ、射殺されてしまいました。<br /><br />イスラエルはジェニンに虐殺はなかったと広報し、イスラエル人はこれはパレスチナ人のプロパガンダで仕組まれた映画だとして、公開されていません。<br /><br />でも映画を見れば、どう見ても造られたものではないことが明らかです。だからこそ見せないわけです。<br /><br />こちらにその映画の内容が書かれていました・・。<br />http://www.breast.co.jp/cgi-bin/soulflower/nakagawa/cinema/cineji.pl?phase=view&amp;id=162_jeninJenin<br /><br />虐殺後、国連が調査団を派遣するとして、緒方貞子さんが本当は現地に赴こうとしたのですが、イスラエルは国連に強い影響力を持っていて調査すら実現しなかったのです。<br /><br />子供達は来てくれてありがとう!ウェルカム・・・!と寄ってきて、人々は本当に温かく、困窮している生活なのに、食べ物屋さんでは子供達に手渡してただでくれようとするのです・・・。<br /><br />ここで説明すべき詳細は山のようにあるのですが、一度に書ききれないので少しずつ付け加えようと思います・・・。<br /><br />☆★そして、私の訪れた体験なのですが☆★<br /><br />このように、ジェニンのイメージは私にとって、壮絶な、瓦礫、土砂を経験した場所というものでした。<br /><br />ところが、ジェニンの人々は最高に親切で、心温かい人々のおかげで、家に泊めてもらったりして、ここが私の長い旅の中の最高の思い出の場所となったのです。<br /><br />さらに、ジェニンはパレスチナで最も北部にあり、他の地域よりも一番緑が豊かで水の溢れ出る、本当に美しいのどかな場所だったのです。<br /><br />イスラエルが分離壁を造ったりユダヤ人入植地として奪う土地は全て地下水が流れるところであるわけだけど、この虐殺作戦も緑豊かなジェニンであったからこそかもしれません。<br /><br />今に至るまで、よく、最高に美しい穏やかな曲を聴くと、ふと自然に、ジェニンの自然とそこに一緒にいた温かい家族が目に浮かんでくるんです・・・。<br /><br />そしてこの家族から、ジェニンとは、アラビア語で「天国、自然の恵みそのもの」という言葉だと知らされなるほど、と思いました。<br /><br />このジェニンの自然、そして何といっても人々の魅力、ありのままのジェニンを紹介したいと思い旅行記を載せていこうと思います。<br /><br />(まだ途中なのでまだまだ続きますよ〜)

虐殺のあったジェニン難民キャンプの優しくフレンドリーな人達 Part2

7いいね!

2007/03/07 - 2007/03/07

39位(同エリア93件中)

0

30

amina

aminaさん

2002年4月、イスラエル軍は1平方キロメートルしかないパレスチナ自治区ジェニンの難民キャンプを30台あまりの戦車で包囲一斉砲撃し続け、数週間に渡って救急車やメディアを一切通ることを許さず、証拠隠滅のためにブルドーザーで瓦礫を土砂にするまで破壊し尽くしました。

いわば子ども達が7割の難民キャンプを集団砲撃した虐殺です。

ブルドーザーで子ども達やお年寄り、障害者が中にいるまま家を壊し続けたのです。

イスラエル兵は子ども達に瓦礫となった自分達の家屋を壊させ、遅い!と怒鳴りながら破壊させ、最後には皆銃殺してしまったそうです。

ありとあらゆる残虐行為が行われました。

やっと封鎖が解かれた直後、危険なイスラエル兵士の目をくぐり抜け、街の様子と証言を集めた“Jenin・Jenin”というドキュメンタリーがあります。

その監督はその後イスラエル兵に「ちょっと来い」と言われ、射殺されてしまいました。

イスラエルはジェニンに虐殺はなかったと広報し、イスラエル人はこれはパレスチナ人のプロパガンダで仕組まれた映画だとして、公開されていません。

でも映画を見れば、どう見ても造られたものではないことが明らかです。だからこそ見せないわけです。

こちらにその映画の内容が書かれていました・・。
http://www.breast.co.jp/cgi-bin/soulflower/nakagawa/cinema/cineji.pl?phase=view&id=162_jeninJenin

虐殺後、国連が調査団を派遣するとして、緒方貞子さんが本当は現地に赴こうとしたのですが、イスラエルは国連に強い影響力を持っていて調査すら実現しなかったのです。

子供達は来てくれてありがとう!ウェルカム・・・!と寄ってきて、人々は本当に温かく、困窮している生活なのに、食べ物屋さんでは子供達に手渡してただでくれようとするのです・・・。

ここで説明すべき詳細は山のようにあるのですが、一度に書ききれないので少しずつ付け加えようと思います・・・。

☆★そして、私の訪れた体験なのですが☆★

このように、ジェニンのイメージは私にとって、壮絶な、瓦礫、土砂を経験した場所というものでした。

ところが、ジェニンの人々は最高に親切で、心温かい人々のおかげで、家に泊めてもらったりして、ここが私の長い旅の中の最高の思い出の場所となったのです。

さらに、ジェニンはパレスチナで最も北部にあり、他の地域よりも一番緑が豊かで水の溢れ出る、本当に美しいのどかな場所だったのです。

イスラエルが分離壁を造ったりユダヤ人入植地として奪う土地は全て地下水が流れるところであるわけだけど、この虐殺作戦も緑豊かなジェニンであったからこそかもしれません。

今に至るまで、よく、最高に美しい穏やかな曲を聴くと、ふと自然に、ジェニンの自然とそこに一緒にいた温かい家族が目に浮かんでくるんです・・・。

そしてこの家族から、ジェニンとは、アラビア語で「天国、自然の恵みそのもの」という言葉だと知らされなるほど、と思いました。

このジェニンの自然、そして何といっても人々の魅力、ありのままのジェニンを紹介したいと思い旅行記を載せていこうと思います。

(まだ途中なのでまだまだ続きますよ〜)

PR

  • パート?の続き・・・<br /><br />本当に最悪な虐殺にあったというのに皆温かく、優しいんです。

    パート?の続き・・・

    本当に最悪な虐殺にあったというのに皆温かく、優しいんです。

  • 子ども達はこれまでのどこの地域よりもWelcome,Welcomeと私を歓迎してくれました。<br /><br />写真が大好きです。<br /><br />でも若者ぐらいになると、皆イスラエル軍に人間の尊厳を奪われる程の酷い扱い、虐待を受けてきたので、写真をとても避けたがります。<br /><br />

    子ども達はこれまでのどこの地域よりもWelcome,Welcomeと私を歓迎してくれました。

    写真が大好きです。

    でも若者ぐらいになると、皆イスラエル軍に人間の尊厳を奪われる程の酷い扱い、虐待を受けてきたので、写真をとても避けたがります。

  • 運転手のアハマドが、暗くなってきたので、イスラエル軍がやってくるかもしれないので、もう少しで帰ろうと初めて怯えていそうに言ってきたので、その通りにしました。<br /><br />彼は私が水を買おうとすると、水以外にも、お菓子まで買ってくれてしまったのです・・・。<br /><br /><br />

    運転手のアハマドが、暗くなってきたので、イスラエル軍がやってくるかもしれないので、もう少しで帰ろうと初めて怯えていそうに言ってきたので、その通りにしました。

    彼は私が水を買おうとすると、水以外にも、お菓子まで買ってくれてしまったのです・・・。


  • イスラエル軍の進入、虐殺を止めようと、抵抗した10代、20代の若者が殺される度にポスターになり、あちこちに貼ってあります。

    イスラエル軍の進入、虐殺を止めようと、抵抗した10代、20代の若者が殺される度にポスターになり、あちこちに貼ってあります。

  • シュワルマ(北アラブ地域一帯の伝統的な肉を巻いたサンドイッチ)屋さん。<br /><br />Welcome!Thank you for coming!Welcome...!と何度も何度も言ってくれたのです。

    シュワルマ(北アラブ地域一帯の伝統的な肉を巻いたサンドイッチ)屋さん。

    Welcome!Thank you for coming!Welcome...!と何度も何度も言ってくれたのです。

  • 難民キャンプで一番貧しい大変な生活をしている人達なのに、お店の売り物のシュワルマを作って、なんと子どもに手渡してくれようとしたのです。<br /><br />私はあまりに悪いので、断ってしまったのですが、後でシリアでこの写真を見せて話したら、これは本当にもらって欲しいので、断ったら逆に悲しくなるのだと言っていました。<br /><br />そうだったんだー・・・。

    難民キャンプで一番貧しい大変な生活をしている人達なのに、お店の売り物のシュワルマを作って、なんと子どもに手渡してくれようとしたのです。

    私はあまりに悪いので、断ってしまったのですが、後でシリアでこの写真を見せて話したら、これは本当にもらって欲しいので、断ったら逆に悲しくなるのだと言っていました。

    そうだったんだー・・・。

  • 若者は本当に酷く虐げられてきたので写真を一枚も撮れませんでしたが、虐殺当時まだ生まれて間もなかったり訳が分かっていなかったくらいの子ども達は本当に写真好きで近寄ってきてます。

    若者は本当に酷く虐げられてきたので写真を一枚も撮れませんでしたが、虐殺当時まだ生まれて間もなかったり訳が分かっていなかったくらいの子ども達は本当に写真好きで近寄ってきてます。

  • 私が買おうとすると、ドライバーの方が水やお菓子を買ってくれようとするので、私が出すと言っても買ってくれてしまいました・・・。<br /><br />本当に優しい・・。

    私が買おうとすると、ドライバーの方が水やお菓子を買ってくれようとするので、私が出すと言っても買ってくれてしまいました・・・。

    本当に優しい・・。

  • 車からもWelcome...!<br /><br />本当に人懐こい・・・!

    車からもWelcome...!

    本当に人懐こい・・・!

  • パレスチナの子ども達は皆必ずピース!をします。<br /><br />世界一願いを強く込めて、訴えているのです。

    パレスチナの子ども達は皆必ずピース!をします。

    世界一願いを強く込めて、訴えているのです。

  • 2週間前に、20代の青年が車を運転中に進入してきた覆面のイスラエル兵に撃ち殺された現場です。<br /><br />私はこのことを、とても詳しいウェブサイトhttp://0000000000.net/p-navi/info/でチェックして見ましたが、現場に来られて、こんなジェニン市の中心のサークル状になっている大通りで堂々行われていたとは思っていませんでした。<br /><br />どこのニュースもパレスチナでの被害は9割方報道しない中、このサイトで私は情報収集して、パレスチナのどここの街で何が起こっているかを確認して行くことが出来ました。<br /><br />

    2週間前に、20代の青年が車を運転中に進入してきた覆面のイスラエル兵に撃ち殺された現場です。

    私はこのことを、とても詳しいウェブサイトhttp://0000000000.net/p-navi/info/でチェックして見ましたが、現場に来られて、こんなジェニン市の中心のサークル状になっている大通りで堂々行われていたとは思っていませんでした。

    どこのニュースもパレスチナでの被害は9割方報道しない中、このサイトで私は情報収集して、パレスチナのどここの街で何が起こっているかを確認して行くことが出来ました。

  • ドライバーのアハマドおじさんは、そろそろいつイスラエル軍が侵入してきて何をしでかすか分からず危ないから帰ろう、と怯えてきたので、難民キャンプから出ました。<br /><br />近くに、パレスチナの警察署がものすごいたくさん破壊されていたので、写真を撮ろうとすると、彼は尋ねてみるから待って、と言いました。<br /><br />そこは、唯一パレスチナ人が銃を持っている自警団のような場所で、入ってみると銃を持った20代そこそこの若者3人がいました。<br /><br />しばらくドライバーと話していました。彼らはちっとも怖い感じがなく、座っているとパレスチナのハーブティーを出してくれ、立ってアハマドと話している時、肩からぶら下がっていた銃が私の方に向いてるのに気づいたもう一人が、それを持っている人に話しながら動かしてくれたり、気配りに優しさを感じた・・。<br /><br />パレスチナ人特有の優しさだ。<br /><br />イスラエルの検問所では、パレスチナ人と通る時は、通る間中、銃口をこっちに向けてきて、常に焦点を当ててくるのに比べて、彼らは日々そういう扱いを受けていることへの抵抗、痛みを感じて自然に他者への扱いがとても敏感で親切になるのだ。<br /><br />結局この日は夜だったので撮影は出来ないことになりました。

    ドライバーのアハマドおじさんは、そろそろいつイスラエル軍が侵入してきて何をしでかすか分からず危ないから帰ろう、と怯えてきたので、難民キャンプから出ました。

    近くに、パレスチナの警察署がものすごいたくさん破壊されていたので、写真を撮ろうとすると、彼は尋ねてみるから待って、と言いました。

    そこは、唯一パレスチナ人が銃を持っている自警団のような場所で、入ってみると銃を持った20代そこそこの若者3人がいました。

    しばらくドライバーと話していました。彼らはちっとも怖い感じがなく、座っているとパレスチナのハーブティーを出してくれ、立ってアハマドと話している時、肩からぶら下がっていた銃が私の方に向いてるのに気づいたもう一人が、それを持っている人に話しながら動かしてくれたり、気配りに優しさを感じた・・。

    パレスチナ人特有の優しさだ。

    イスラエルの検問所では、パレスチナ人と通る時は、通る間中、銃口をこっちに向けてきて、常に焦点を当ててくるのに比べて、彼らは日々そういう扱いを受けていることへの抵抗、痛みを感じて自然に他者への扱いがとても敏感で親切になるのだ。

    結局この日は夜だったので撮影は出来ないことになりました。

  • アハマドはその代わりに、と、世界で2番目に出来たキリスト教会を見せてあげる、と言いました。<br /><br />私が撮ろうとした攻撃された施設よりも、ジェニンの良い遺産を知って欲しいのでしょう。<br /><br />世界に2番目に古い教会がパレスチナにあるとは知らなかった。<br /><br />彼はイスラム教徒だけれど、パレスチナではキリスト教もイスラム教も皆本当に仲間なのです。

    アハマドはその代わりに、と、世界で2番目に出来たキリスト教会を見せてあげる、と言いました。

    私が撮ろうとした攻撃された施設よりも、ジェニンの良い遺産を知って欲しいのでしょう。

    世界に2番目に古い教会がパレスチナにあるとは知らなかった。

    彼はイスラム教徒だけれど、パレスチナではキリスト教もイスラム教も皆本当に仲間なのです。

  • イスラエル領内にあるキリスト教会は、欧米の観光客が来るのでイメージ戦略で決して壊したりせず観光名所とするのですが、パレスチナ領内の教会はイスラエル軍はしょっちゅう嫌がらせで破壊しまくっています。<br /><br />いちいちニュースになどならないのを知ってです。<br /><br />ここも既に破壊されていて、真っ暗だったのでフラッシュをたくと、初めてそこにイスラエルのユダヤのダビデの星が落書きされているのが判明しました。

    イスラエル領内にあるキリスト教会は、欧米の観光客が来るのでイメージ戦略で決して壊したりせず観光名所とするのですが、パレスチナ領内の教会はイスラエル軍はしょっちゅう嫌がらせで破壊しまくっています。

    いちいちニュースになどならないのを知ってです。

    ここも既に破壊されていて、真っ暗だったのでフラッシュをたくと、初めてそこにイスラエルのユダヤのダビデの星が落書きされているのが判明しました。

  • 階段も破壊され、修復途中でした。<br /><br />明かりがあり、誰か教会関係者が中にいるようでした。

    階段も破壊され、修復途中でした。

    明かりがあり、誰か教会関係者が中にいるようでした。

  • イスラエル軍は破壊した建物、家々にユダヤ教のダビデの星を落書きすることを建国当初から行っています。<br /><br />この教会の門にもそれが落書きされていたことがフラッシュで分かりました。

    イスラエル軍は破壊した建物、家々にユダヤ教のダビデの星を落書きすることを建国当初から行っています。

    この教会の門にもそれが落書きされていたことがフラッシュで分かりました。

  • この後、ジェニンからエルサレムの宿へと帰ろうとすると、突然イスラエル軍が検問所を封鎖してしまったということを知りました。<br /><br />アハマドはなんとか帰る方法をバスの事務所で探してくれたが、スペシャルタクシー(外国人などが使える、料金は高いが確実に送り出してくれる)がある、と言ってくれたが、私はすぐ帰るつもりで現金がなかった。<br /><br />すると、アハマドは親戚の家に泊めてあげるとすぐに言ってくれ、電話をしてくれたのだ。<br /><br />彼の家には今妻が出かけていて、ここではそういう場合はその家には泊められない、だから子どもがいっぱいいる従兄弟の家に泊めてくれるという。<br /><br />とりあえず見に行って、判断しようと思った。<br /><br />その後私はこの40日間の旅で一番の思い出深い、特別な3日間を過ごすことになったのです。<br /><br />続く・・・<br /><br />

    この後、ジェニンからエルサレムの宿へと帰ろうとすると、突然イスラエル軍が検問所を封鎖してしまったということを知りました。

    アハマドはなんとか帰る方法をバスの事務所で探してくれたが、スペシャルタクシー(外国人などが使える、料金は高いが確実に送り出してくれる)がある、と言ってくれたが、私はすぐ帰るつもりで現金がなかった。

    すると、アハマドは親戚の家に泊めてあげるとすぐに言ってくれ、電話をしてくれたのだ。

    彼の家には今妻が出かけていて、ここではそういう場合はその家には泊められない、だから子どもがいっぱいいる従兄弟の家に泊めてくれるという。

    とりあえず見に行って、判断しようと思った。

    その後私はこの40日間の旅で一番の思い出深い、特別な3日間を過ごすことになったのです。

    続く・・・

この旅行記のタグ

7いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

イスラエルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
イスラエル最安 538円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

イスラエルの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP