2008/03/26 - 2008/04/02
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hirobekさん
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満州時代 奉天と呼ばれていた頃の日本人には懐かしいであろう建築物が開発で高層ビル建築が激しい瀋陽にまだ残っていて、歴史を感じる旅でした。
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満鉄奉天駅 現在も瀋陽駅で現役
昔奉天駅1910年竣工1938年完成煉瓦と白い石材を使うQueen Anne式で日本では大正初期 それを多用していたオープンペディメント(三角破風)が中央と両翼についた外観。辰野金吾の名前から、辰野式(フリークラシック様式)と呼ばれた。
「王永江は竣工したばかりの奉天駅内で辻占いをして いる。
奉天駅の美しい意匠が好きでならなかった。
建築の知識などははないけれども、日本人の建てたこの駅舎は、人間でいうなら絶世の美女である。中央玄関のホールに折りたたみの卓と椅子を据えてじっとしているだけで、美女の胸に抱かれているような陶然たる気分になる。
ホールに歩みこむ前に駅前広場を歩いて少し遠くから駅舎の全容を見る。
折りしも夕陽を背負ったこの時刻は、美人が最も美しく見える。
感動のあまり「啊 !」だの「呀」だの「哎呀」だの、 王永江はしきりに声をあげた。
温かな桃色の煉瓦と純白の大理石とを組み合わせた駅舎は中央に大きなドームを頂き、両袖の尖塔にも同じ緑色の冠を載せている。日本人の造ったものに感心してはならぬ、と良心が囁きかけるのだが、やはり美しい。
意匠ばかりでなく、彼らの造ったものは精密だ。煉瓦は一枚の壁にしか見えぬほどきちんと積み上げており、しかも直角の部分はみな磨き上げられたような面取りを施してあった。
そうした細心の技術が、巨大なこの建築物の完全な美を保障していた。たとえば、美人はその肉体のどの部分を精査しても美しいように。」
浅田次郎著『中原の虹』から -
駅を入ると荷物検査を経てエスカレーター
駅舎の中もすばらしくもっと写真撮影したかったが撮影禁止だった。 -
宿泊は奉天大和ホテル 現在の遼寧賓館
満鉄経営の 奉天ヤマトホテル当初奉天駅に併設されていたが手狭になり満鉄が1929年に新築した。1929年竣工 設計は1924年設計コンテストで1等になった小野木横井共同建設事務所が設計を担当することになった。 実際は横井謙介(1870〜1942)の作品といえる。 奉天の中心広場の一等地に建設、様式建築の表現として横井の最後の作品。
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昔は大社交場でパーティー、音楽会、食事会で賑わっていたということが想像されるロビー。
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李香蘭もここでデビューしたとのメインダイニング
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ヨーロッパの城郭をイメージしたという王冠をつけたような塔の外観の夜景が美しい。
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耶蘇聖心堂 1878年竣工 1900年義和団事件で焼失、1912年改修再建
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改修中でもあり参拝者、見学者はゼロ。
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瀋陽でオリンピックサッカー試合も行われるので、海外からのお客が礼拝に来ることを考え大改修中。
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浅田次郎著『中原の虹』の主人公
張作霖 1875-1928年東北地方の大軍閥、張作霖とその息子張学良の官邸および私邸であった建物。1914年創建。東、西、中院の3院に分けられ中院は三進四合院の中国伝統建築、東院は欧風建築と中洋入り混じった当時の東北部の雰囲気が残る建築群は一見の価値あり。現在は一般公開されており、当時の貴重な文物などを見ることができます
1914年から1933年まで建築 されつづける 。張作霖、張学良の張氏帥府入り口
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上馬石
馬に乗る時にこれに足をかけて乗った。
格式のある家にだけ許された上馬石にも彫刻が施されていた。 -
三進四合院
四合院形式の屋敷
張学良も若いときはこの屋敷で過ごしている。 -
1920年代張府の子女の学校の送り迎え用の人力車
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議事庁
張作霖は、ここで会議を開いたのだろう。 -
張府で使用されていた西洋皿
張学良は洋食好みだったらしい -
同じ敷地内にある大青楼 ローマ風建築 1918-1922年建築3階建て高さ37Mもあり青い煉瓦を使用しているため大青楼と呼び歴史の舞台となる。張作霖の乗った列車が爆破されて即死状態でここに運び込まれる。
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内部はすべて洋室で洋式生活
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張作霖が開設した辺業銀行
1920年北京で開業後 1926年7月瀋陽開設
「辺業」とは「開辺創業」 The Frontier Bank
ドイツ人の設計de1930年に落成 -
当時の銀行内部の状況を再現した蝋人形がリアル
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張氏帥府事務所 ダンスホール用に1925年建設
土地面積3291平方メートルもあり、
張氏父子が各国の要人を接待するのに使われた。
1階のホールだけで100平方メートル -
瀋陽故宮
清朝 1625年ヌルハチが遼陽から都を置く
2004年に北京の故宮と並んで世界遺産に登録された瀋陽故宮。女真族を統一したヌルハチが後金を建国し、都を瀋陽に移した際に創建されました。皇宮全体には楼閣や庭園が並び、その華麗で堂々とした様は規模は小さいながらも北京故宮に引けを取らない存在感。建物は地方色濃厚で、漢民族、満州民族、モンゴル民族の様式が融合しており、皇帝主催の大典に使われた大政殿はモンゴル族のパオを模して作られました -
巻き付いた龍は漢族と屋根の天辺の飾りはチベット、屋根は満州族と三つの建築様式が融合しているという。
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崇正殿内部
木に金の漆を塗った皇帝の玉座の屏風 -
水晶の見事な花瓶
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中院にある鳳凰楼 故宮の中で最も高い3階建て
張氏帥府の大青楼はこれよりも高く作られている。 -
遼寧省博物館に掲示されていた。
瀋陽の町は井の字形で形成されていたことがわかる。 -
瀋陽名物 老辺餃子店で八宝茶で喉を潤す
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餃子、シュウマイに舌鼓
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老辺餃子店の名物 氷花煎餃
まるで雪の結晶のよう -
瀋陽の老舗 李連貴店燻肉大餅店の燻肉大餅
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瀋陽の庶民的な軽食 HEZI(小箱)という意味
中身はニラ玉でヘルシー -
遼寧賓館前の中山広場で朝ローラースケートを楽しむ人々、後ろは1913年朝鮮銀行 中村與資平設計 1937年満州興業銀行。
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満州赤十字社奉天分社 中山広場東側
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ロシア建築
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奉天市公署(市役所)現在は継ぎ足し高くして瀋陽市人民政府
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満州中央銀行 満州貨幣を発行していた
奉天千代田支店 その後遼寧省総工会 現在閉館
瀋陽市和平区南京北街312号
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満鉄が設立した唯一の大学満州医科大学1922年4月に奉天に設立。 1935年建立の講堂付属図書館
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機械類の輸入業務の藤田洋行奉天支店。
現在は秋林公司の 瀋陽支店
和平区中山路 -
城内最大の繁吉順糸房:奉天城内一の高層建築であった。1925年頃竣工華街の中華バロック
四平街路 -
1925年竣工横浜正金銀行奉天支店 内部を吹き抜けにした設計者宗像主一中村與資平から独立して間もない頃の作品
一時は中国人民銀行であったが現在は工商銀行 8 中国最大の商業銀行 工商銀行 -
1922年竣工の東洋拓殖奉天支店満州事変時は関東軍司令部が置かれた。
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奉天第1中学1919年創立
当時は貴族学校と称されていた。
一時は瀋陽第39中学校と称していたが、民国年間は中山中学と称す。
半円筒形に飛び出た玄関は昔のままとのこと -
満州医科大学付属病院
現在は中国医科大学付属病院 -
朝食は油条と豆乳
がもっともスタンダード -
1937年築の奉天三井ビル:設計は東京の建築事務所の松田軍平「空軍大楼」のプレートが埋め込まれていた。
中山広場で最後に建てられた日本時代の建築で、装飾が少なくなっているシンプルな建築。
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