2008/04/19 - 2008/04/22
840位(同エリア1339件中)
satoshi.s2さん
- satoshi.s2さんTOP
- 旅行記1440冊
- クチコミ27件
- Q&A回答0件
- 1,185,127アクセス
- フォロワー101人
トラピックス主催、「桂林・漓江下りと広州」に参加して中国旅行を楽しんできました。
台風が近づいていたようですが幸いにも初日の雨以外漓江下り、桂林観光等は雨も降らず素晴らしい旅行仲間24名にもめぐまれ、一人で存分に楽しんできました。
一日目
⇒関空から広州空港(JAL直行便)⇒<広州市内観光>西漢南越王墓博物館⇒陳氏書院⇒沙面散策⇒夕食(広東料理)⇒広州空港⇒桂林空港⇒ホテル(金龍航空大酒店) 桂林泊
二日目
ホテル⇒桂林漓江下り(4時間30分)・船内で昼食(中華料理)⇒<陽朔観光>西街散策⇒穿岩古榕(大榕樹景区)⇒月亮山⇒世外桃源⇒工芸品店⇒夕食(名物ビーフン付桂林料理)⇒夢幻漓江(雑技バレイ)⇒ホテル 桂林泊
三日目
ホテル⇒<桂林市内観光>七星公園⇒工芸品店(通寶芸術中心)⇒畳彩山⇒芦笛岩⇒昼食(四川料理)⇒独秀峰⇒王府東路・承伝殿⇒象鼻山⇒自由市場⇒夕食(桂林名物料理)⇒桂林駅(1等寝台列車)⇒広州へ 車中泊
四日目
広州駅着⇒朝食(レストラン富利嘉)⇒<広州市内観光>鎮海楼(広州博物館)⇒総合民芸品店⇒昼食(飲茶料理)⇒広州空港⇒関空(JAL直行便)⇒
広州市(こうしゅうし、广州市, 廣州市, 拼音: Guǎngzhōu, 粤拼: Gwong2 zau1)は
中華人民共和国南部広東省の省都であり、華南地区全体の行政的中心でもある。副省級市として省と同様の経済的な権限を与えられている。人口約713万人。ただし流動人口が約300万程度と推定され、実質の常住人口は約1,000万人とみられる。北京市、上海市に次ぐ中国第3の大都市。昔から羊城と愛称され、また花城、穂城の名もあり、穂(拼音: sùi)と略称される。地下鉄、高速道路網が発達している。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 船
- 航空会社
- JAL
- 旅行の手配内容
- その他
-
沙面(さめん)
中国の中で最も西洋情緒の色濃い場所であろう沙面は、珠江白鵝潭北岸に浮かぶ楕円形の0.3k?ほどの小島で、西洋古典主義的な特色を持つ建造物が多いことから、近年になって国家レベルの文物重点保護単位に認定され、“広州第九景”と呼ばれる。ここからの珠江白鵝潭の眺めは実に素晴らしい。
元は珠江の堆積で作られた砂州で、かつては中流沙、拾翠洲などと呼ばれていた。宋から清代にかけて、広州対外通商の要地であり、観光名所でもあったが、アヘン戦争では重要な防御地となった。戦争終結後は英・仏両国の租界となり、現在の名称に改められた。1859〜1862年の支流の開掘工事で北岸から乖離してしまい、現在は島東部の石橋で結ばれているのみである。東西には沙面北街、大街、南街の3本が、南北には沙面一〜五の5本の主要道路が走る。また東橋、西橋、新西橋と623路が連絡している。島内には勝利賓館、沙面賓館、白鵝潭賓館、広州国際海員クラブ、ポーランド領事館などの迎賓施設や、テニスコート、海水浴場などの娯楽施設がある。
沙面は中国近代史上重要な立場を占める、国家レベルの重点文物保護単位であるが、それは島内に現存する租界時代の建造物によるところが大きい。1859年、海外諸国の租界地となって以降、イギリス、フランス、アメリカ、ドイツ、日本、イタリア、オランダ、ポルトガルなどの領事館や銀行が相次いで建てられた。1945年抗日戦争勝利後、国民党政府に接収管理されたが、1959年周総理が視察に訪れた際、それらの西洋建築物を保護し、一般に開放して観光地化を推進する政策が執られた。 -
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
-
昔の八頭身美人お嬢さん、ただいま中国語勉強中。習った中国語がどの程度通じるか確かめるため旅行に参加れたそうです。(その意欲に尊敬、敬服します)
-
-
-
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
satoshi.s2さんの関連旅行記
広州(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
38