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JRさんのH・Pに『ぶらり大阪まち歩き』という、おもしろいサイトがある。<br />駅からはじまるハイキングという、サブタイトルがついている。<br />http://pamph.jr-odekake.net/navi/hiking_extra02/<br />様々なコースがあるが、今回は私が生まれ育った『上町台地の寺町界隈を散策する』コースに沿ってぶら〜りとしました(前編)。<br /><br />後編・・・http://4travel.jp/traveler/megurokeibu/album/10263223/

ぶらり大阪まち歩き・上町台地の寺町界隈を散策するコース?

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2007/10/12 - 2007/10/12

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目黒警部さん

JRさんのH・Pに『ぶらり大阪まち歩き』という、おもしろいサイトがある。
駅からはじまるハイキングという、サブタイトルがついている。
http://pamph.jr-odekake.net/navi/hiking_extra02/
様々なコースがあるが、今回は私が生まれ育った『上町台地の寺町界隈を散策する』コースに沿ってぶら〜りとしました(前編)。

後編・・・http://4travel.jp/traveler/megurokeibu/album/10263223/

  • JR天王寺駅北口が今回の出発点です。<br />ぶらり歩きのルートは、JRさんのH・Pの地図を参考にして下さい。<br />http://pamph.jr-odekake.net/navi/hiking_extra02/<br />さ〜て、行きまっせ〜

    JR天王寺駅北口が今回の出発点です。
    ぶらり歩きのルートは、JRさんのH・Pの地図を参考にして下さい。
    http://pamph.jr-odekake.net/navi/hiking_extra02/
    さ〜て、行きまっせ〜

  • 天王寺駅から横断歩道を渡り、右へ道路を歩きます。

    天王寺駅から横断歩道を渡り、右へ道路を歩きます。

  • 市営バスターミナルを左折して細道へ・・・<br />少し坂道を下った所に、天王寺庚申堂が見えてきました。<br />本堂は1618年(元和4年)建立されたお堂であったが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失、現在の建物は1970年(昭和45年)大阪万博に造られた法輪堂を移築したものとのこと。

    市営バスターミナルを左折して細道へ・・・
    少し坂道を下った所に、天王寺庚申堂が見えてきました。
    本堂は1618年(元和4年)建立されたお堂であったが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失、現在の建物は1970年(昭和45年)大阪万博に造られた法輪堂を移築したものとのこと。

  • 四天王寺の南にあり、同寺の管下にある。<br />今から1300余年前(飛鳥時代)、我が国に色々の疫病がはやり、四天王寺の民部の郷僧都毫範(ごうはん)が、霊験を得て祈願をしたとき、庚申堂の本尊となった青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)が、16歳くらいの童子となり現れ、毫範に除災無病の力を与え、それによって病は去っていったという言い伝えがあり、時は701年(大宝元年)正月7日、庚申の日とされる。<br />以来、毫範の感得した青面金剛童子をこの地で祀られたのを開基とする。<br />我が国の庚申の始まりであり、以来庚申を祀ろうとするものは、皆当寺に来て、免許を得、尊天の分身を勧請するのを例としている。<br /><br />所在地:大阪市天王寺区堀越町<br />最寄駅:天王寺駅下車、北側出口玉造筋を東へ、社会保険事務所の手前を北へ約300M、左側にあり

    四天王寺の南にあり、同寺の管下にある。
    今から1300余年前(飛鳥時代)、我が国に色々の疫病がはやり、四天王寺の民部の郷僧都毫範(ごうはん)が、霊験を得て祈願をしたとき、庚申堂の本尊となった青面金剛童子(しょうめんこんごうどうじ)が、16歳くらいの童子となり現れ、毫範に除災無病の力を与え、それによって病は去っていったという言い伝えがあり、時は701年(大宝元年)正月7日、庚申の日とされる。
    以来、毫範の感得した青面金剛童子をこの地で祀られたのを開基とする。
    我が国の庚申の始まりであり、以来庚申を祀ろうとするものは、皆当寺に来て、免許を得、尊天の分身を勧請するのを例としている。

    所在地:大阪市天王寺区堀越町
    最寄駅:天王寺駅下車、北側出口玉造筋を東へ、社会保険事務所の手前を北へ約300M、左側にあり

  • 庚申寺を出て真っ直ぐ道を歩いて行くと人形浄瑠璃の黄金時代を築いた竹本義太夫の菩提寺の超願寺があります。<br />

    庚申寺を出て真っ直ぐ道を歩いて行くと人形浄瑠璃の黄金時代を築いた竹本義太夫の菩提寺の超願寺があります。

  • 大阪府大阪市天王寺区大道1-14-1  <br />JR大阪環状線 天王寺より 徒歩10分<br />6:00〜17:00<br />竹本義太夫の説明書あり。 <br />

    大阪府大阪市天王寺区大道1-14-1
    JR大阪環状線 天王寺より 徒歩10分
    6:00〜17:00
    竹本義太夫の説明書あり。

  • 超願寺の前の道から四天王寺の南大門へと歩きます。

    超願寺の前の道から四天王寺の南大門へと歩きます。

  • 四天王寺南大門。<br />今から1400年以上も前、四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。 <br />のことです。 <br />『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、 自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために建立されました。

    四天王寺南大門。
    今から1400年以上も前、四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。
    のことです。
    『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、 自ら四天王像を彫り 「もし、この戦いに勝たせていただけるなら、四天王を安置する寺院を建立しましょう」 と誓願され、勝利の後その誓いを果すために建立されました。

  • 聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。<br />「四箇院」とは「帰依渇仰 断悪修善 速証無上 大菩提所」 つまり仏法修行の道場である“敬田院”、病者に薬を施す“施薬院”、病気の者を収容し、病気を癒す “療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として、四天王寺を建てられたといえるでしょう。<br />これらの施設は、中心伽藍の北に建てられたようです。<br /><br />

    聖徳太子が四天王寺を建てられるにあたって、「四箇院の制」をとられたことが『四天王寺縁起』に示されています。
    「四箇院」とは「帰依渇仰 断悪修善 速証無上 大菩提所」 つまり仏法修行の道場である“敬田院”、病者に薬を施す“施薬院”、病気の者を収容し、病気を癒す “療病院”、身寄りのない者や年老いた者を収容する“悲田院”の四つの施仏教の根本精神の実践の場として、四天王寺を建てられたといえるでしょう。
    これらの施設は、中心伽藍の北に建てられたようです。

  • 中門<br />中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。<br />東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作であります。 <br />

    中門
    中門は中心伽藍の南端、南大門の北に位置し、脇の間に伽藍の守護神である金剛力士 (仁王像)をまつっていることから俗に仁王門 と呼ばれています。
    東側が那羅延金剛力士、西側が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作であります。

  • 太子堂<br />聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、正式には「聖霊院(しょうりょういん)」といいます。太子信仰の中心となっています。<br />前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王が奥殿には太子四十九歳像( 1月22日のみ公開の秘仏)が祀られています。 <br />毎年2月22日の「太子二歳まいり」ではお太子様の知恵にあやかるべく、2歳前後のお子たちを連れたご家族で賑わいます。<br />奥殿基壇内(地下)にはご信者さんにより永代奉安された太子観音像[極楽・水子・施薬・知恵・厄除・子育の六観音]が安置されております。<br />他に毎月22日の太子忌法要、 六観音法要、 そして毎年10月22日経供養には信者さんより奉納された写経も併せて供養されます。

    太子堂
    聖徳太子をお祀りしているお堂(天王寺のご廟)で、正式には「聖霊院(しょうりょういん)」といいます。太子信仰の中心となっています。
    前殿には十六歳像・太子二歳像・四天王が奥殿には太子四十九歳像( 1月22日のみ公開の秘仏)が祀られています。
    毎年2月22日の「太子二歳まいり」ではお太子様の知恵にあやかるべく、2歳前後のお子たちを連れたご家族で賑わいます。
    奥殿基壇内(地下)にはご信者さんにより永代奉安された太子観音像[極楽・水子・施薬・知恵・厄除・子育の六観音]が安置されております。
    他に毎月22日の太子忌法要、 六観音法要、 そして毎年10月22日経供養には信者さんより奉納された写経も併せて供養されます。

  • 南鐘楼<br />正式名称は、鯨鐘楼といいます。<br />鐘は盤渉調の名鐘で、北の引導鐘の黄鐘調の音と並び称され、黄鐘調の陽春の音に対して、 秋の幽寂の響きを伝え、聖徳太子の引入浄土の御誓願により、 鐘楼から撞き送る響きは、 はるか極楽浄土に通じるといわれ、春秋の彼岸会、盂蘭盆会、大師会などは、特に鐘を撞して先祖供養をする人々が跡を絶ちません。<br />太子引導の誓願である由来によるのでしょう。

    南鐘楼
    正式名称は、鯨鐘楼といいます。
    鐘は盤渉調の名鐘で、北の引導鐘の黄鐘調の音と並び称され、黄鐘調の陽春の音に対して、 秋の幽寂の響きを伝え、聖徳太子の引入浄土の御誓願により、 鐘楼から撞き送る響きは、 はるか極楽浄土に通じるといわれ、春秋の彼岸会、盂蘭盆会、大師会などは、特に鐘を撞して先祖供養をする人々が跡を絶ちません。
    太子引導の誓願である由来によるのでしょう。

  • 所在地:大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号<br />アクセス:<br />JR・地下鉄天王寺駅、近鉄大阪阿部野橋駅下車 北へ徒歩15分<br />地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ケ丘駅下車 南へ徒歩5分

    所在地:大阪市天王寺区四天王寺1丁目11番18号
    アクセス:
    JR・地下鉄天王寺駅、近鉄大阪阿部野橋駅下車 北へ徒歩15分
    地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ケ丘駅下車 南へ徒歩5分

  • 伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」 といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。 <br />その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6〜7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされています。<br /><br />

    伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」 といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。
    その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6〜7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な存在とされています。

  • 石舞台<br />亀の池の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます。<br />側面に彫られた「舞台講」とはこの舞台再建に寄進の労をとった大阪の材木問屋の集まり (講)の名称です。

    石舞台
    亀の池の上に架かっている石橋に組まれた舞台で、毎年4月22日に聖徳太子を偲んで行われる聖霊会舞楽大法要の際には、古来よりの作法にのっとり舞台上で舞楽が舞われます。
    側面に彫られた「舞台講」とはこの舞台再建に寄進の労をとった大阪の材木問屋の集まり (講)の名称です。

  • 北鐘楼<br />正式には、黄鐘楼といいます。北の引導鐘(ひとつ鐘)・鐘つき堂とも呼ばれ春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえすお堂です。このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。<br />当堂の鐘は天井裏にあり、綱を引いてつく形式のため鐘は見ることができません。

    北鐘楼
    正式には、黄鐘楼といいます。北の引導鐘(ひとつ鐘)・鐘つき堂とも呼ばれ春秋の彼岸にはお参りの人でごったがえすお堂です。このお堂の鐘の音は遠く極楽までも響くといわれ、先祖供養のための鐘の音が絶えません。
    当堂の鐘は天井裏にあり、綱を引いてつく形式のため鐘は見ることができません。

  • 五重搭<br />聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」とい<br />います。<br />塔の入口は南北にありますが、通常開放しているのは北側のみで、南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしています。<br />なお、この中心壁と外壁の各面に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆によるものです。<br />

    五重搭
    聖徳太子創建の時、六道利救の悲願を込めて、塔の礎石心柱の中に仏舎利六粒と自らの髻髪(きっぱつ)六毛を納められたので、この塔を「六道利救の塔」とい
    います。
    塔の入口は南北にありますが、通常開放しているのは北側のみで、南正面に釈迦三尊の壁画と四天王の木像をお祀りしています。
    なお、この中心壁と外壁の各面に描かれた仏画は山下摩起画伯の筆によるものです。

  • 西大門<br />元来、西の大門と呼ばれていましたが、戦後再建されてからは極楽に通ずる門の意味から極楽門と呼ばれるようになりました。<br />この門にはあまり他所ではみられない「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基ついていますが、これはブッダが教えを説かれることを表す法輪(チャクラ)を小さくしたもので、手で回すことにより「仏の法(のり)を教えて下さい」と挨拶代わりにしたのが起源です。

    西大門
    元来、西の大門と呼ばれていましたが、戦後再建されてからは極楽に通ずる門の意味から極楽門と呼ばれるようになりました。
    この門にはあまり他所ではみられない「転法輪」という手で回すコマ様のものが4基ついていますが、これはブッダが教えを説かれることを表す法輪(チャクラ)を小さくしたもので、手で回すことにより「仏の法(のり)を教えて下さい」と挨拶代わりにしたのが起源です。

  • 四天王寺の石の鳥居から出て、谷町筋を北へ(谷町9丁目方面)へ歩いて行くと、どこかで見たような模様の塀が見えてきました。

    四天王寺の石の鳥居から出て、谷町筋を北へ(谷町9丁目方面)へ歩いて行くと、どこかで見たような模様の塀が見えてきました。

  • 石の鳥居<br />日本三鳥居の一つ・吉野、銅の鳥居・安芸の宮島、木の鳥居・大阪四天王寺、石の鳥居。<br />扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、 ここが極楽の東門の中心である』の意です。<br />この額は箕の形をしており<チリトリ>のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しています。もとは木造でありましたが1294年に現在の石造となりました。<br />寺に鳥居は奇異に感じますが、 元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたもので神社に限ったものではありません。<br /><br />

    石の鳥居
    日本三鳥居の一つ・吉野、銅の鳥居・安芸の宮島、木の鳥居・大阪四天王寺、石の鳥居。
    扁額の文字は「釈迦如来 転法輪処 当極楽土 東門中心」と書いてあり、これは『 おシャカさんが説法を説く所であり、 ここが極楽の東門の中心である』の意です。
    この額は箕の形をしており<チリトリ>のように全ての願いをすくいとって漏らさない阿彌陀如来の本願を現しています。もとは木造でありましたが1294年に現在の石造となりました。
    寺に鳥居は奇異に感じますが、 元来鳥居は聖地結界の四門として古来インドより建てられたもので神社に限ったものではありません。

  • 播州浅野家の菩提寺吉祥寺です。<br />

    播州浅野家の菩提寺吉祥寺です。

  • 浅野内匠頭も参勤交代の途中必ず立ち寄ったといわれる。

    浅野内匠頭も参勤交代の途中必ず立ち寄ったといわれる。

  • 四十七義士の墓があります。<br />9:30〜15:30(経内自由)

    四十七義士の墓があります。
    9:30〜15:30(経内自由)

  • 義士の遺発髪、爪を埋めた。<br />中央に内匠守、右に大石内蔵助、左に大石主税、周囲が義士達の墓碑。 <br />

    義士の遺発髪、爪を埋めた。
    中央に内匠守、右に大石内蔵助、左に大石主税、周囲が義士達の墓碑。 

  • 谷町筋を歩き谷町9丁目付近に来ました。<br />道路沿いにある藤時寺にお参りします。<br /><br />弘仁年間(810〜823年)に藤原冬嗣の発願により、その甥の任瑞上人を開基として建立された。<br />藤原家を治める寺であるところから「藤治寺」と称し、代々藤原一門の祈願寺として栄えてきたが、江戸時代の1764年(明和元年)中興清範和上の代に九条尚実より、武運長久を祈るべき永代不易の祈願時たる旨辞を改めて授けられ、九条家祈願寺として幕末に至った。<br /><br />

    谷町筋を歩き谷町9丁目付近に来ました。
    道路沿いにある藤時寺にお参りします。

    弘仁年間(810〜823年)に藤原冬嗣の発願により、その甥の任瑞上人を開基として建立された。
    藤原家を治める寺であるところから「藤治寺」と称し、代々藤原一門の祈願寺として栄えてきたが、江戸時代の1764年(明和元年)中興清範和上の代に九条尚実より、武運長久を祈るべき永代不易の祈願時たる旨辞を改めて授けられ、九条家祈願寺として幕末に至った。

  • 明治初年の神仏分離の時、生玉十坊の1つ「地蔵院」を併合して「藤次寺」と改称し、今日に至っている。<br />広大な寺域に加え、慶長年間(1596〜1615年)加藤清正を大壇主として、建立された金堂をはじめ諸堂宇も1945年(昭和20年)の戦災で一切の建造物は灰燼に帰した。戦後の都市計画に伴う境内地の移転もあり、復興は遅れたが、1960年(昭和35年)に金堂、寺務所、庫裡などが完成した。 <br />所在地:大阪市天王寺区生玉町<br />最寄駅:谷町線「谷町九丁目」下車、交差点の西南角

    明治初年の神仏分離の時、生玉十坊の1つ「地蔵院」を併合して「藤次寺」と改称し、今日に至っている。
    広大な寺域に加え、慶長年間(1596〜1615年)加藤清正を大壇主として、建立された金堂をはじめ諸堂宇も1945年(昭和20年)の戦災で一切の建造物は灰燼に帰した。戦後の都市計画に伴う境内地の移転もあり、復興は遅れたが、1960年(昭和35年)に金堂、寺務所、庫裡などが完成した。
    所在地:大阪市天王寺区生玉町
    最寄駅:谷町線「谷町九丁目」下車、交差点の西南角

  • 谷町9丁目から道を左折(東へ)途中にある生國魂神社北側にある南北の真言坂を左折して上ります。<br />真言坂周辺は、生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていました。<br />そのうち、神社の北側には医王院・観音院(坂の西側)・ 桜本院・新蔵院(坂の東側)・遍照院・曼陀羅院(坂の下り口東側)の六坊がありました。<br />すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれました。<br />『攝津名所圖曾』(せっつめいしょずえ)巻之三には「生玉眞言坂」として階段の坂が描かれています。<br /><br />

    谷町9丁目から道を左折(東へ)途中にある生國魂神社北側にある南北の真言坂を左折して上ります。
    真言坂周辺は、生國魂神社の神宮寺であった法案寺をはじめとする生玉十坊が、明治の廃仏毀釈まで神社周辺で栄えていました。
    そのうち、神社の北側には医王院・観音院(坂の西側)・ 桜本院・新蔵院(坂の東側)・遍照院・曼陀羅院(坂の下り口東側)の六坊がありました。
    すべて真言宗であったので、この坂は真言坂とよばれました。
    『攝津名所圖曾』(せっつめいしょずえ)巻之三には「生玉眞言坂」として階段の坂が描かれています。

  • 天王寺七坂に数えられる、現在の真言坂は石畳の道で、静かな雰囲気をかもしだしています。<br />生國魂神社の北門前にある二基の常夜灯は、天満八軒家船着場にあったもので、万延元年(1860)の銘があります。<br />

    天王寺七坂に数えられる、現在の真言坂は石畳の道で、静かな雰囲気をかもしだしています。
    生國魂神社の北門前にある二基の常夜灯は、天満八軒家船着場にあったもので、万延元年(1860)の銘があります。

  • 北門から「いくたまさん」と親しまれている生國魂神社(いくくにたま)に入りましょう。<br />大阪最古の神社で、初代・神武天皇が上町台地の難波碕(現在の大阪城一帯)に、生島・足島大神をお祀りされたのが創祀と伝えられています。<br />

    北門から「いくたまさん」と親しまれている生國魂神社(いくくにたま)に入りましょう。
    大阪最古の神社で、初代・神武天皇が上町台地の難波碕(現在の大阪城一帯)に、生島・足島大神をお祀りされたのが創祀と伝えられています。

  • 生島神・足島神は、生國魂大神・咲國魂大神ともいわれ、伊邪那岐・伊邪奈美命の御子で、大八洲(おおやしま/日本の国土)の御霊です。<br /><br /><br />

    生島神・足島神は、生國魂大神・咲國魂大神ともいわれ、伊邪那岐・伊邪奈美命の御子で、大八洲(おおやしま/日本の国土)の御霊です。


  • 大地ならびに大地に生命の営みをつづけている一切を守護される神さまです。<br />ご祭神の「生」(いく)という意味は、生成、進歩、完成ということをまた「足」(たる)という意味は充実、繁栄、発展という意味だそうです。<br /><br />

    大地ならびに大地に生命の営みをつづけている一切を守護される神さまです。
    ご祭神の「生」(いく)という意味は、生成、進歩、完成ということをまた「足」(たる)という意味は充実、繁栄、発展という意味だそうです。

  • この大地に生を受けているあらゆるものの生命を御統括される「生成発展」「具足円満」の御神徳があります。『日本書紀』の孝徳天皇即位前期には、すでに鎮座されていたことが記されています。<br />「延喜式」名神大社。<br /><br />

    この大地に生を受けているあらゆるものの生命を御統括される「生成発展」「具足円満」の御神徳があります。『日本書紀』の孝徳天皇即位前期には、すでに鎮座されていたことが記されています。
    「延喜式」名神大社。

  • 芸能上達の神様、浄瑠璃神社に女性の守護神・鴨野神社など多くの境内社があります。

    芸能上達の神様、浄瑠璃神社に女性の守護神・鴨野神社など多くの境内社があります。

  • 太閤秀吉の大阪城築城に際し、現在の地に還りましたが、豊臣・徳川両家により御神域は守られ、さらに「難波大社」の尊称をもって広く朝野の崇敬を集めました。

    太閤秀吉の大阪城築城に際し、現在の地に還りましたが、豊臣・徳川両家により御神域は守られ、さらに「難波大社」の尊称をもって広く朝野の崇敬を集めました。

  • 江戸時代には上方文化の中心地として芝居小屋や見世物小屋が境内に軒を連ね、井原西鶴が矢数俳諧を行った境内は、近松門左衛門の『曽根崎心中』の冒頭「生玉社の段」でも知られ、松尾芭蕉ゆかりの地でもあるほか、米沢彦八の上方落語の発祥の地でもあります。

    江戸時代には上方文化の中心地として芝居小屋や見世物小屋が境内に軒を連ね、井原西鶴が矢数俳諧を行った境内は、近松門左衛門の『曽根崎心中』の冒頭「生玉社の段」でも知られ、松尾芭蕉ゆかりの地でもあるほか、米沢彦八の上方落語の発祥の地でもあります。

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  • 社殿は、鉄筋コンクリート造で「生國魂造」と呼ばれる特殊な様式になっています。<br />

    社殿は、鉄筋コンクリート造で「生國魂造」と呼ばれる特殊な様式になっています。

  • 鎮座地 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9<br />

    鎮座地 大阪府大阪市天王寺区生玉町13-9

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