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金曜日、午前中のスペイン語のレッスンを終わって、午後1時に『ドニャルイーサ』の2階で待ち合わせをしていたワーホリさん夫妻と、アンティグアのバスターミナルからグアテマラシテイ行きのバスに乗る。<br />地図を見ながらオリエンテ社のバス乗り場を捜すがこれはすぐ見つかった。<br />グアテマラシテイはだだっぴろい上に、集中したバスターミナルがなく、会社ごとに小さなオフィスがあるだけなのでバス会社の位置が間違っていると捜すだけで大変なことになる。<br />しかしオリエンテ社はINGUAT(グアテマラ観光局)の地図通りの所にあった。<br />2.5Q(1ケツァル=50円)払って地図を買った甲斐があったということだ。<br />道端にバスが止まっていて、出発寸前だ。<br />バスは一応リクライニングシートだし指定席だが、古ぼけているのは致し方ない。<br />ここらで使っているのは全部合衆国の中古だという話だ。<br />出発したのは午後2時半、何事もなく舗装道路を跳ばしチキムラに着いたのは夕やみ迫る午後6時になった。<br />いきあたりばったりで中庭の広い『ウエスペーデ・リオ・ホルダン』を見つけて今夜の宿とする。<br />3人一部屋なら1人3Q(150円)とのこと。<br />しかし夫婦者と僕が一緒という訳には行かないよね。<br />寝る所が変わると性欲が異常に強くなる人もいる。<br />といって3Pをするほど親しい訳ではない。<br />気を使ってぼくはわざわざ7Q出して、別に1部屋取る事にする。<br />部屋の外の共同シャワーを浴びた後、中華料理屋でビールを飲みながら3人で食事をとり、その日は早く寝た。<br />翌日は4時半に起きた。<br />生来気が小さいので早起きの時は必ず夜中の1時、3時には目が覚めてしまう。<br />この日も例外ではなく、そのせいで少し頭がぼーっとしている。<br />バスは朝6時が始発だ。<br />僕は今日中にコパンの遺跡を見て、またグアテマラまで戻ってくる予定なので早く出る必要がある。<br />ワーホリさん夫妻はコパンの遺跡を見ることもあるが、もっと大きな目的があるんだ。<br />とういのは、グアテマラの滞在許可が切れてしまうのでそれをホンジュラスとエルサルバドルを通って再度入国し、また3ヶ月の滞在許可をもらうというのが最大の目的だ。<br />ただしこのためには72時間以上グアテマラから出ていなければならないという規則がある。<br />それでワーホリ夫妻は、そんなに急いでいた訳ではない。<br />だが、起きてしまえばついでだ、バスに丁度席もあったので一緒に行くことになる。<br />バスは午前6時にターミナルを出て8時半に国境に着いた。<br />このバスは国境までしか来ない。<br />国境は普通の山道にあった。<br />グアテマラとホンジュラスの国境のポストが10mほど離れて立っている。<br />一応道の真ん中に遮断機状のものがあって交通を止めている。<br />僕の場合は今日中に帰ってくるので正式の出国ではないらしい。<br />グアテマラ側で特別に5cm四方の普通の紙に出国スタンプを押してくれる。<br />この国境はコパンの遺跡を見るだけのために通る人が多い所なのだ。<br />出国税が3Q、ホンジュラスのポストでは入国税10L(レンピア)を要求される。<br />中南米の国境では国境を越えた所に必ず両替屋がいる。<br />闇といえば闇なのだが、彼らと入国審査官とはだいたい友達だ。<br />ここでも道端の木造の飯屋にいた。<br />レートは1Q=1.15L。つまり1L=約44円。<br />これははっきりとした闇のレートだ。<br />この時期のレンピーラの公定レートはU$1=2L(闇レートは3L)である。<br />つまり、1L(レンピーラ)は、正規のレートならば60円以上するわけだ。<br />それが、実勢レート(闇レート)では、40円ちょっとなんだからね。<br />入国管理のポストの横で、闇のレートで両替をするというわけだから、つまり闇レートは実質的には正規レートだといってもいいだろうね。<br />係官の目の前で、両替屋から20Qを23Lに替えて、10Lを払う。<br />ここからコパンの遺跡までのバスを捜すと、『あれで行くのさ』と教えてくれる。<br />見るとそれは、ありふれたピックアップトラックだ。<br />料金は最初5Lといっていたが3人で運転手と交渉して一人3Lになった。<br />しかしその後両替屋に聞くと1人2Lが地元の料金だそうだ。<br />旅行者はどんなにうまくやったつもりでも旅行者料金から逃げられないものさ。<br />ワーホリさんの奥さんを助手席に乗せて、もう1人がっしりしたアメリカ人と一緒にぼくらはピックアップの荷台に乗り込む。<br />国境から未舗装の山道を、いやあ跳ばすの跳ばさないのって、荷台にしがみついているのが精一杯だ。<br />アメリカ人の青年とも、出身地がモンタナ州というのを聞き出した所で、振動で舌を噛みそうで、口の中が血だらけになってはいけないと話すのを止めた。<br />後は落ちないように荷台に体を固定するので精いっぱいだ。<br />目をつぶっているとディズニーランドのスペースマウンテンみたいにがくんがくん揺れる。<br />このまま30分、コパンの町に着いた時にはすっかり疲れ果てていた。<br />アメリカ人は町の中心のソカロ(広場)で下りて宿を捜しに行った。<br />僕とワーホリ夫妻は、そのまま町を通り過ぎて終点まで行って、バスを下りる。<br />ここから遺跡までは歩いてすぐだ。<br />僕はとにかく、まずビールを飲む。<br />SALVA VIDA(安全生命)とは生命保険会社みたいな訳の解らない名前だが小びん1本で2L(90円)良く冷えているので、おいしい!<br />コパンの遺跡もなかなか良く整備されている。<br />入口で入場料4Lを払って建物の中に入ると、同じ建物の中が小さな博物館になっている。<br />そこから小道をたどり、林の中に入って行く。<br />途中で日本人が2人歩いてくるのに出会う。<br />日本人旅行者はあきれるほどどこにでもいるが、それはごきぶりみたいに同じ所に集まる性質があるせいだ。<br />ここまで来て出会うとは意外だ。<br />情報を入手しようと一応挨拶してみると、青年海外協力隊だという。<br />ここらをうろついてるレベルの低い中米旅行者に比べれば、まあまともな連中だ。<br />土曜日なのに人が少ないのはとても嬉しい。<br />パレンケの遺跡に行った時が丁度セマーナサンタの休日にぶつかって、貸し切りバスで来たメキシコ人観光客の大群でまるでTDL(東京ディズニーランド)に行ったみたいだった。<br />チチェンイツアでは日本からの団体とぶつかって押し合いへしあいして疲れてしまった。<br />この後訪れたインカの遺跡マチュピチュでも日本人観光客の団体バスの大群とすれ違って、危うく『正月の浅草浅草寺仲店現象』(狭い道に人がいっぱいで進むこともひき返すこともできない状態)を避けることができた。<br />そのくらい中南米の遺跡も日本人旅行者でいっぱいだ。<br />『中南米のジャングルの中に静かに眠る遺跡』などという旅行会社の宣伝を信じて行くと、修学旅行並みの込みようなのだが、みんな自分の旅行を素晴らしい経験だと思いこみたい(だって結構高い金をぼられてしまったのだから)ので、誰も本当のことは言わない。<br />結局、団体旅行でこういった遺跡を訪れる人ってどこかおかしいのだろう。<br />遺跡と一人で向き合って、死に絶えた文明と対話することができないのならわざわざ高い金を払って来る必要はないのだ。<br />林を抜けて遺跡へのゲートをくぐり、しばらく歩くと急に開けた。<br />地図を見るとここが中央広場みたいだ。<br />そこに確かに興味深い石碑が数本たっている。<br />グアテマラの有名なティカルの遺跡と比べると、こっちの石碑の彫りがぐっと深いのがわかる。<br />石碑のマヤ文字が浮き彫りになっているのもきれいだし、双頭の亀の彫刻なんかもある。<br />可愛いので頭をぽんぽんとたたいたりする。<br />右に曲がると見慣れた建物がある。<br />これはマヤのどの遺跡でもぶつかる球戯場だ。<br />ここの球戯場はチチェンイツアのに比べるとぐっと小さい。<br />形も一番初めに見たオアハカ(メキシコ)のモンテアルバン遺跡のものを思い出す。<br />そこを過ぎるとコパンの遺跡の真打ち、碑文の階段が現れる。<br />階段の中央にマヤの人像数体が立っている。<br />今はその修復作業をやっているようだ。<br />更に奥に進むとピラミッドの中に入る道がある。<br />懐中電灯を取り出して中へ入る。<br />通路はそれほど深くないが、奥で2つに分かれている。<br />こういう思いがけないことを予期して懐中電灯を持つというのは旅行者の常識だね。<br />コパンの遺跡をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、上ったり下りたり、上から見たし下から覗いたり、2時間ほどうろついて遺跡の外に出る。<br />別の場所にも何やら遺跡があるらしくゲートを出た所に矢印があって道が続いている。<br />疲れているがせっかくなので、ワーホリ夫妻と3人で励ましあって歩く。<br />道は林の中を曲がりくねってどこまでも続く。<br />途中で白人旅行者3人が反対方向から帰ってくるのに会うので、何があるのか聞くが『何もない』との返事。<br />それでも進むと開けた所に出た。<br />あれえ!向こうに見えるのはコパン遺跡の管理事務所ではないか。<br />反対に歩いたのに、出発点に戻ってしまった。<br />狐につままれたような気分だったがまた歩いて戻ることを考えると嬉しい。<br />この不思議な体験をワーホリ夫妻と僕は『コパンのミステリーゾーン』と名付けた。<br />先程バスを降りた場所へ戻る。<br />ワーホリ夫妻はミニバスに乗って、サンペドロスーラとエルサルバドル国境行きの分かれ道、ラエントラーダへ向かう。<br />3日後にはまたアンティグアのカフェ『ドニャルイーサ』で会えるだろうさ。<br />僕はここから朝来た道を逆にたどるだけだ。<br />簡単なものさ、と考えていたらなかなかバスが来ない。<br />スペイン語で、いつ国境行きのバスが来るか尋ねてみる。<br />『国境行きのバスはいつここに来るんですか?』<br />『国境行きのバスなんかないよ』が答。<br />おいおい、冗談じゃないぜ。<br />いくらラテンアメリカの人の答がいい加減だってこんな答は予期してなかった。<br />少し焦って、また別の人に同じことを聞く。<br />『バスはないよ。ピックアップならあるけれど』<br />ほっとした。僕が乗って来たのはまさしくそのピックアップだ。で、そのピックアップはいつここに来るのだろう。<br />『ピックアップはここへは来ない』 <br />何だって、じゃあどこから乗れるの?<br />『プエンテ(PUENTE)のところで待てばつかまるよ』が答。<br />はてさてプエンテって何だっけ。<br />これは困った。<br />いつも肌身離さず持っている、LAで買った小型の『コリンズジェム英西辞典』を、今回はアンティグアのホテルに置き忘れてきていた。<br />まあいいや、プエンテが何でもその場所さえ解ればいいのだ。<br />方向を教えてもらって歩き出す。<br />途中で3〜4人の人にプエンテはどこにあるか聞きながら歩く。<br />最後の人に『プエンテはどこですか』と聞いたら、こいつは馬鹿じゃないかという顔をして『ここだよ!』と言われてしまった。<br />そこは橋の上だった。<br />なーんだ。プエンテって橋のことだったんだ。<br />スペイン語の動詞活用を接続法過去までほとんど暗記してるからって、こんな簡単な単語を忘れるようではまだまだ、だね。<br />もちろんフランス語の PONT NEUF、英語のPONTOON の語幹PONTはスペイン語ではPUENTEと変化することぐらい、ちょっとでも欧米の言葉に通じていれば常識だったよなー。<br />ちょっと恥ずかしいかも…。<br />早起きでぼーっとしていた上に、遺跡を歩き回ったので正常に頭が働かない。<br />若者が2人、橋のたもとに座り込んでいるので、仲間に入って座り込む。<br />ここに国境行きのピックアップが来ることを、彼らに話しかけて確かめる。<br />30分ぐらいだらーんと待っていた。<br />ピックアップを待つ間考えていたのは、まあ特に急いでいる訳じゃないのだからコパンの町に泊まっちゃおうかということだ。<br />なかなか人も親切だし、町もソカロ(中央広場)をはじめ石畳の小綺麗な町だからね。<br />しかし遂に、我が待望のピックアップは到着した。 <br />朝乗った時は日本人3人とアメリカ人の兄ちゃんの4人だけだったが、こりゃどうだ…、なってことだ。<br />助手席に3人乗ってるのを始め、ピックアップの荷台には荷物と人間と鶏がひしめきあっている。<br />何とか詰めてもらって隙間を作り乗り込むがつかまる所がない。<br />小麦粉の袋みたいなものの上に乗り、その袋の端をしっかりつかむ。<br />朝と違って今度は上り坂で、しかもこんなに人や荷物を載せているのだからそんなにスピードは出ない。<br />しかし、でもでこぼこ道で突然ぼーんと飛び上がる時がある。<br />僕の下の小麦の袋ごと跳び上がるのだからヒヤッとしてしまう。<br />乗っている人や荷物を少しづつ降ろしながらピックアップは国境に着いた。<br />ここまで来たのは3人だけだった。<br />僕の他は地元の人のようだ。<br />ピックアップを降りて背伸びをする。<br />ぐったり疲れてしまった。<br />運転手は料金は5Lだと言う。<br />僕は料金が2Lだと知っているので2L丁度渡して、さっさと国境のポストへ向かう。<br />運転手が僕の背中で、何か叫んでいるが気にしない。<br />また別の馬鹿な日本人旅行者からボリなさい。<br />グアテマラへの再入国は朝もらった紙にホンジュラスの出国スタンプをもらいグアテマラに提出すれば済んだ。<br />これでコパンの遺跡を見て無事再入国出来たというわけだ。<br />チキムラ行きのバスは国境に止って待っている。<br />これが最終のバスだという。<br />運よく間に合ったらしい。<br />ほっとしてビールを飲む。<br />GALLO(雄鶏)という名前で、 1,5Q(75円)だ。<br />チキムラに戻って昨日のホテル『リオホルダン』に行くと何故かとても喜んでくれた。<br />部屋代1泊7Qを6Qにまけてくれた上に、シャワー付きのいい部屋をくれた。<br />この翌日コパンと対立関係にあったというキリグアの遺跡を訪れる。<br />ここでは『バナナリパブリック』の帽子をかぶったアメリカ人(実は旅行の神様)と遭遇した。<br />僕は『バナナリパブリック』のTシャツを着ていた。<br />それは別の機会に話そう。<br />だって、ピックアップの話を書いているうちに、あの揺れを思い出したのか、どっと疲れが出てしまったのさ。<br /><br />http://www.midokutsu.com/cam/cam029.htm

《グアテマラからホンジュラスのコパン遺跡へ日帰りする》

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1989/04 - 1989/04

73位(同エリア77件中)

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みどりのくつした

みどりのくつしたさん

金曜日、午前中のスペイン語のレッスンを終わって、午後1時に『ドニャルイーサ』の2階で待ち合わせをしていたワーホリさん夫妻と、アンティグアのバスターミナルからグアテマラシテイ行きのバスに乗る。
地図を見ながらオリエンテ社のバス乗り場を捜すがこれはすぐ見つかった。
グアテマラシテイはだだっぴろい上に、集中したバスターミナルがなく、会社ごとに小さなオフィスがあるだけなのでバス会社の位置が間違っていると捜すだけで大変なことになる。
しかしオリエンテ社はINGUAT(グアテマラ観光局)の地図通りの所にあった。
2.5Q(1ケツァル=50円)払って地図を買った甲斐があったということだ。
道端にバスが止まっていて、出発寸前だ。
バスは一応リクライニングシートだし指定席だが、古ぼけているのは致し方ない。
ここらで使っているのは全部合衆国の中古だという話だ。
出発したのは午後2時半、何事もなく舗装道路を跳ばしチキムラに着いたのは夕やみ迫る午後6時になった。
いきあたりばったりで中庭の広い『ウエスペーデ・リオ・ホルダン』を見つけて今夜の宿とする。
3人一部屋なら1人3Q(150円)とのこと。
しかし夫婦者と僕が一緒という訳には行かないよね。
寝る所が変わると性欲が異常に強くなる人もいる。
といって3Pをするほど親しい訳ではない。
気を使ってぼくはわざわざ7Q出して、別に1部屋取る事にする。
部屋の外の共同シャワーを浴びた後、中華料理屋でビールを飲みながら3人で食事をとり、その日は早く寝た。
翌日は4時半に起きた。
生来気が小さいので早起きの時は必ず夜中の1時、3時には目が覚めてしまう。
この日も例外ではなく、そのせいで少し頭がぼーっとしている。
バスは朝6時が始発だ。
僕は今日中にコパンの遺跡を見て、またグアテマラまで戻ってくる予定なので早く出る必要がある。
ワーホリさん夫妻はコパンの遺跡を見ることもあるが、もっと大きな目的があるんだ。
とういのは、グアテマラの滞在許可が切れてしまうのでそれをホンジュラスとエルサルバドルを通って再度入国し、また3ヶ月の滞在許可をもらうというのが最大の目的だ。
ただしこのためには72時間以上グアテマラから出ていなければならないという規則がある。
それでワーホリ夫妻は、そんなに急いでいた訳ではない。
だが、起きてしまえばついでだ、バスに丁度席もあったので一緒に行くことになる。
バスは午前6時にターミナルを出て8時半に国境に着いた。
このバスは国境までしか来ない。
国境は普通の山道にあった。
グアテマラとホンジュラスの国境のポストが10mほど離れて立っている。
一応道の真ん中に遮断機状のものがあって交通を止めている。
僕の場合は今日中に帰ってくるので正式の出国ではないらしい。
グアテマラ側で特別に5cm四方の普通の紙に出国スタンプを押してくれる。
この国境はコパンの遺跡を見るだけのために通る人が多い所なのだ。
出国税が3Q、ホンジュラスのポストでは入国税10L(レンピア)を要求される。
中南米の国境では国境を越えた所に必ず両替屋がいる。
闇といえば闇なのだが、彼らと入国審査官とはだいたい友達だ。
ここでも道端の木造の飯屋にいた。
レートは1Q=1.15L。つまり1L=約44円。
これははっきりとした闇のレートだ。
この時期のレンピーラの公定レートはU$1=2L(闇レートは3L)である。
つまり、1L(レンピーラ)は、正規のレートならば60円以上するわけだ。
それが、実勢レート(闇レート)では、40円ちょっとなんだからね。
入国管理のポストの横で、闇のレートで両替をするというわけだから、つまり闇レートは実質的には正規レートだといってもいいだろうね。
係官の目の前で、両替屋から20Qを23Lに替えて、10Lを払う。
ここからコパンの遺跡までのバスを捜すと、『あれで行くのさ』と教えてくれる。
見るとそれは、ありふれたピックアップトラックだ。
料金は最初5Lといっていたが3人で運転手と交渉して一人3Lになった。
しかしその後両替屋に聞くと1人2Lが地元の料金だそうだ。
旅行者はどんなにうまくやったつもりでも旅行者料金から逃げられないものさ。
ワーホリさんの奥さんを助手席に乗せて、もう1人がっしりしたアメリカ人と一緒にぼくらはピックアップの荷台に乗り込む。
国境から未舗装の山道を、いやあ跳ばすの跳ばさないのって、荷台にしがみついているのが精一杯だ。
アメリカ人の青年とも、出身地がモンタナ州というのを聞き出した所で、振動で舌を噛みそうで、口の中が血だらけになってはいけないと話すのを止めた。
後は落ちないように荷台に体を固定するので精いっぱいだ。
目をつぶっているとディズニーランドのスペースマウンテンみたいにがくんがくん揺れる。
このまま30分、コパンの町に着いた時にはすっかり疲れ果てていた。
アメリカ人は町の中心のソカロ(広場)で下りて宿を捜しに行った。
僕とワーホリ夫妻は、そのまま町を通り過ぎて終点まで行って、バスを下りる。
ここから遺跡までは歩いてすぐだ。
僕はとにかく、まずビールを飲む。
SALVA VIDA(安全生命)とは生命保険会社みたいな訳の解らない名前だが小びん1本で2L(90円)良く冷えているので、おいしい!
コパンの遺跡もなかなか良く整備されている。
入口で入場料4Lを払って建物の中に入ると、同じ建物の中が小さな博物館になっている。
そこから小道をたどり、林の中に入って行く。
途中で日本人が2人歩いてくるのに出会う。
日本人旅行者はあきれるほどどこにでもいるが、それはごきぶりみたいに同じ所に集まる性質があるせいだ。
ここまで来て出会うとは意外だ。
情報を入手しようと一応挨拶してみると、青年海外協力隊だという。
ここらをうろついてるレベルの低い中米旅行者に比べれば、まあまともな連中だ。
土曜日なのに人が少ないのはとても嬉しい。
パレンケの遺跡に行った時が丁度セマーナサンタの休日にぶつかって、貸し切りバスで来たメキシコ人観光客の大群でまるでTDL(東京ディズニーランド)に行ったみたいだった。
チチェンイツアでは日本からの団体とぶつかって押し合いへしあいして疲れてしまった。
この後訪れたインカの遺跡マチュピチュでも日本人観光客の団体バスの大群とすれ違って、危うく『正月の浅草浅草寺仲店現象』(狭い道に人がいっぱいで進むこともひき返すこともできない状態)を避けることができた。
そのくらい中南米の遺跡も日本人旅行者でいっぱいだ。
『中南米のジャングルの中に静かに眠る遺跡』などという旅行会社の宣伝を信じて行くと、修学旅行並みの込みようなのだが、みんな自分の旅行を素晴らしい経験だと思いこみたい(だって結構高い金をぼられてしまったのだから)ので、誰も本当のことは言わない。
結局、団体旅行でこういった遺跡を訪れる人ってどこかおかしいのだろう。
遺跡と一人で向き合って、死に絶えた文明と対話することができないのならわざわざ高い金を払って来る必要はないのだ。
林を抜けて遺跡へのゲートをくぐり、しばらく歩くと急に開けた。
地図を見るとここが中央広場みたいだ。
そこに確かに興味深い石碑が数本たっている。
グアテマラの有名なティカルの遺跡と比べると、こっちの石碑の彫りがぐっと深いのがわかる。
石碑のマヤ文字が浮き彫りになっているのもきれいだし、双頭の亀の彫刻なんかもある。
可愛いので頭をぽんぽんとたたいたりする。
右に曲がると見慣れた建物がある。
これはマヤのどの遺跡でもぶつかる球戯場だ。
ここの球戯場はチチェンイツアのに比べるとぐっと小さい。
形も一番初めに見たオアハカ(メキシコ)のモンテアルバン遺跡のものを思い出す。
そこを過ぎるとコパンの遺跡の真打ち、碑文の階段が現れる。
階段の中央にマヤの人像数体が立っている。
今はその修復作業をやっているようだ。
更に奥に進むとピラミッドの中に入る道がある。
懐中電灯を取り出して中へ入る。
通路はそれほど深くないが、奥で2つに分かれている。
こういう思いがけないことを予期して懐中電灯を持つというのは旅行者の常識だね。
コパンの遺跡をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、上ったり下りたり、上から見たし下から覗いたり、2時間ほどうろついて遺跡の外に出る。
別の場所にも何やら遺跡があるらしくゲートを出た所に矢印があって道が続いている。
疲れているがせっかくなので、ワーホリ夫妻と3人で励ましあって歩く。
道は林の中を曲がりくねってどこまでも続く。
途中で白人旅行者3人が反対方向から帰ってくるのに会うので、何があるのか聞くが『何もない』との返事。
それでも進むと開けた所に出た。
あれえ!向こうに見えるのはコパン遺跡の管理事務所ではないか。
反対に歩いたのに、出発点に戻ってしまった。
狐につままれたような気分だったがまた歩いて戻ることを考えると嬉しい。
この不思議な体験をワーホリ夫妻と僕は『コパンのミステリーゾーン』と名付けた。
先程バスを降りた場所へ戻る。
ワーホリ夫妻はミニバスに乗って、サンペドロスーラとエルサルバドル国境行きの分かれ道、ラエントラーダへ向かう。
3日後にはまたアンティグアのカフェ『ドニャルイーサ』で会えるだろうさ。
僕はここから朝来た道を逆にたどるだけだ。
簡単なものさ、と考えていたらなかなかバスが来ない。
スペイン語で、いつ国境行きのバスが来るか尋ねてみる。
『国境行きのバスはいつここに来るんですか?』
『国境行きのバスなんかないよ』が答。
おいおい、冗談じゃないぜ。
いくらラテンアメリカの人の答がいい加減だってこんな答は予期してなかった。
少し焦って、また別の人に同じことを聞く。
『バスはないよ。ピックアップならあるけれど』
ほっとした。僕が乗って来たのはまさしくそのピックアップだ。で、そのピックアップはいつここに来るのだろう。
『ピックアップはここへは来ない』
何だって、じゃあどこから乗れるの?
『プエンテ(PUENTE)のところで待てばつかまるよ』が答。
はてさてプエンテって何だっけ。
これは困った。
いつも肌身離さず持っている、LAで買った小型の『コリンズジェム英西辞典』を、今回はアンティグアのホテルに置き忘れてきていた。
まあいいや、プエンテが何でもその場所さえ解ればいいのだ。
方向を教えてもらって歩き出す。
途中で3〜4人の人にプエンテはどこにあるか聞きながら歩く。
最後の人に『プエンテはどこですか』と聞いたら、こいつは馬鹿じゃないかという顔をして『ここだよ!』と言われてしまった。
そこは橋の上だった。
なーんだ。プエンテって橋のことだったんだ。
スペイン語の動詞活用を接続法過去までほとんど暗記してるからって、こんな簡単な単語を忘れるようではまだまだ、だね。
もちろんフランス語の PONT NEUF、英語のPONTOON の語幹PONTはスペイン語ではPUENTEと変化することぐらい、ちょっとでも欧米の言葉に通じていれば常識だったよなー。
ちょっと恥ずかしいかも…。
早起きでぼーっとしていた上に、遺跡を歩き回ったので正常に頭が働かない。
若者が2人、橋のたもとに座り込んでいるので、仲間に入って座り込む。
ここに国境行きのピックアップが来ることを、彼らに話しかけて確かめる。
30分ぐらいだらーんと待っていた。
ピックアップを待つ間考えていたのは、まあ特に急いでいる訳じゃないのだからコパンの町に泊まっちゃおうかということだ。
なかなか人も親切だし、町もソカロ(中央広場)をはじめ石畳の小綺麗な町だからね。
しかし遂に、我が待望のピックアップは到着した。
朝乗った時は日本人3人とアメリカ人の兄ちゃんの4人だけだったが、こりゃどうだ…、なってことだ。
助手席に3人乗ってるのを始め、ピックアップの荷台には荷物と人間と鶏がひしめきあっている。
何とか詰めてもらって隙間を作り乗り込むがつかまる所がない。
小麦粉の袋みたいなものの上に乗り、その袋の端をしっかりつかむ。
朝と違って今度は上り坂で、しかもこんなに人や荷物を載せているのだからそんなにスピードは出ない。
しかし、でもでこぼこ道で突然ぼーんと飛び上がる時がある。
僕の下の小麦の袋ごと跳び上がるのだからヒヤッとしてしまう。
乗っている人や荷物を少しづつ降ろしながらピックアップは国境に着いた。
ここまで来たのは3人だけだった。
僕の他は地元の人のようだ。
ピックアップを降りて背伸びをする。
ぐったり疲れてしまった。
運転手は料金は5Lだと言う。
僕は料金が2Lだと知っているので2L丁度渡して、さっさと国境のポストへ向かう。
運転手が僕の背中で、何か叫んでいるが気にしない。
また別の馬鹿な日本人旅行者からボリなさい。
グアテマラへの再入国は朝もらった紙にホンジュラスの出国スタンプをもらいグアテマラに提出すれば済んだ。
これでコパンの遺跡を見て無事再入国出来たというわけだ。
チキムラ行きのバスは国境に止って待っている。
これが最終のバスだという。
運よく間に合ったらしい。
ほっとしてビールを飲む。
GALLO(雄鶏)という名前で、 1,5Q(75円)だ。
チキムラに戻って昨日のホテル『リオホルダン』に行くと何故かとても喜んでくれた。
部屋代1泊7Qを6Qにまけてくれた上に、シャワー付きのいい部屋をくれた。
この翌日コパンと対立関係にあったというキリグアの遺跡を訪れる。
ここでは『バナナリパブリック』の帽子をかぶったアメリカ人(実は旅行の神様)と遭遇した。
僕は『バナナリパブリック』のTシャツを着ていた。
それは別の機会に話そう。
だって、ピックアップの話を書いているうちに、あの揺れを思い出したのか、どっと疲れが出てしまったのさ。

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