2006/08 - 2006/08
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空飛ぶドクターさん
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【家族旅行をツアー風に】
2006年(平成18年)8月21日から29日まで3年ぶりにアメリカへ行って来ました。今回は私としては珍しく、合計7人でのツアーです。私としては2ヶ所とも以前に住んだことのある懐かしい場所で、懐かしい友人、恩人、知人と会ういつもの旅ですが、今回はツアーのリハーサルを兼ねており、夏休み家族旅行プラス知人の退職した看護師二人と娘の友人を連れて行きました。ニューメキシコ州アルバカーキは20年前新婚の頃、基礎医学研究のため留学し住んだところですし、かみさんの遺影も連れて行きました。もう一ヶ所のニューヨーク州ウェストフィールドは五大湖の一つエリー湖沿いの田舎町で私が35年も前に高校生として留学した場所です。奇しくも、出発の8月21日はちょうどかみさんの一周忌の命日ですが、7月末に早目に一周忌と初盆の法要は済ませました。
元々のきっかけは、二人の知人は旅行好きで、年に数回海外旅行に行っているらしいのに、しかも一人は英会話も勉強しているのに、アメリカにはまだ行ったことがないと聞いたからです。どうも一部の日本人によくある誤解で、アメリカは危険で魅力がないと思っているからのようで、アメリカ好きで、アメリカの田舎にも詳しい私にとっては非常に残念で、以前から私が案内してあげると言っていたのです。
最近は、子供を連れて積極的に家族旅行をしていますが、今回も子供4人のうち、一人だけ欠けています。次男が、私と同じプログラムのAFSの高校交換留学生として、8月初旬からシアトルにいます。ホストファミリーとの生活の方が大事なので、私達の今回の旅行には同行していません。今頃は着いたばかりで英語が通じず苦労しているはずです。一年後の成長が楽しみです。
今回のアメリカ旅行の目的地は空港ではアルバカーキとバッファローで、私としては何度も何度も利用した空路です。
【早速トラブル発生】
東京在住の娘の友人と成田空港で合流し、久々のユナイティッド航空でロサンジェルス経由でアルバカーキに夕方4時に着くはずでした。ところが、今回も最初からハプニングです。2時間半と余裕があったはずの乗り継ぎが間に合わず苦労しました。飛行機が少し遅れたせいもありますが、8月10日、英国で旅客機同時爆破テロ計画が発覚した直後で、手荷物は可能なものの、水分の入った容器はダメなどの制限があり、心配したほどではなかったものの警備はやはり厳しい感じでした。ロサンジェルス入国後の審査が、以前はなかった指紋採取や、顔写真の撮影などで思ったより時間がかかり、しかも手荷物検査の所でも、靴を脱いだりしてやや時間がかかり、やばいなぁっと思っていたら、ぎりぎりアウトでした。私だけ走って先に搭乗口へ急いだのでしたが、目の前でゲートを閉められ、乗り継ぐ予定の飛行機が離れて行くのが見えました。
問題はここからです。料金はそのままというのは知っているのでいいのですが、後の便はアルバカーキ直行便はなく、全てデンバー経由だそうです。しかも全員で7人なのに、デンバー行きも、そこからのアルバカーキ行きも取りあえず4人分しか空席がなく、後はスタンバイ、つまりキャンセル待ちということです。冷や冷やして、待っていました。みんなで一番遅い便に合わせれば、何とか全員で一緒に乗れそうですが、それだとアルバカーキに着くのは夜中の11時過ぎになる。それだけならまだいいのですが、本来は午後4時過ぎにゆっくり着くはずだったので、初日のホテルは車で1時間以上かかるサンタ・フェを予定しているので少しでも早く着きたいのです。色々なことを頭で考えながら冷や冷やして待っていると、何とかデンバーまではキャンセル待ちで全員が乗れました。それで、次のキャンセル待ちは、え〜い何とかなるだろうと居直っていると、運よく全員乗れました。
でもまだ問題がありました。やっと何とか夜の10時頃にアルバカーキに全員到着したのに、荷物が出てこないのです。福岡からアルバカーキまでスルーチェックインしていたので、当然、荷物だけ先に着いていると思っていましたが、どうも乗り遅れたとわかった客の荷物はわざわざ降ろすようで、福岡空港での預けた荷物の控えを持ってユナイティッド航空の手荷物係りに尋ねると、荷物は6個とも1時間後の最終便に乗っているそうです。ガーン!せっかく、冷や冷やしながらキャンセル待ちで全員乗れたと喜んでいたのに、結局は最終便と同じ時刻にしか到着しなかったのと同じです。きっと、キャンセル待ちなので、荷物は最終便にしか乗せてくれなかったのでしょう。ここで、鋭い人は気がついたと思いますが、7人なのに荷物が6個とはなしか? そうです。いつものように、荷物の極端に少ない私は、今回も末っ子のかばんを共有して、パスポート等を入れるハンドバッグのみだからです。
仕方がないので、せめて待っている間に私が一人で空港から少し離れたレンタカー・センターへ無料サービスバスで行き、予約してあるいつものバジェットで手続きをし、予約してあった7人乗りのミニバンを借り、空港へ戻って荷物の届いたみんなと合流して出発できたのはもう真夜中近くでした。遅くなったので、I-25(interstate の略で高速25号線)をブッ飛ばしてサンタ・フェに行きましたが、高速を降りてから、真っ暗なせいで標識が見づらく、珍しく道に迷いホテルに着いたのは夜中の2時頃でした。時差ぼけもあり、眠気を我慢して一生懸命運転しました。そこで、看護師の二人に時差ぼけはどうですかと聞くと、私たちは夜勤で慣れているので大丈夫ですとの答えです。なるほど、妙に納得しました。
7人乗りのレンタカーですが、最後尾の荷物置き場が意外と狭く、みんなの大きな荷物が6個も納まらず、一部は足元や2列目席の間に押し込み、やや窮屈ながら何とか7人が乗車可能でしたが、将来のツアーを考えたら全部で6人に抑え、荷物置場の確保が必要だとわかりました。これだけでも、今回のリハーサルが役に立ちました。
【ニューメキシコ州へ】
ニューメキシコ州は名前の通り、メキシコに近く、国境を接しています。アルバカーキに住んでいた頃、南に4時間、つまり約400kmでメキシコの100万都市国境沿いにあるフアレスに行ったことがあります。名前のため、アメリカ人でさえ、メキシコと思っているアホな人が沢山います。最近は全米的にメキシコを中心にスペイン語圏(Hispanic)の不法移民が問題になっていますが、ここニューメキシコ州では、ずいぶん前からメキシコ人が沢山います。ちなみに、長男はここアルバカーキで生まれたので、二重国籍で州都のサンタ・フェの役所でもらった出生証明書がありますが、左側に英語、右側にはスペイン語でと、公文書も二ヶ国語で書かれています。
Albuquerque のつづりは非常に難しく、漢字の苦手な最近の日本の若者と同じく、アメリカ人でもちゃんと綴れる人は半分もいないでしょう。たぶん、この語源はインディアン語だろうと思います。Santa Fe はもちろんスペイン語の綴りです。これだけでも、この地方のユニークさが伝わると思います。今回改めて調べると、ニューメキシコ州には17程度のインディアンの部族が住んでいます。ちょうど日本のアイヌのように、インディアン保護地区に体よく押し込められています。インド人という意味の Indian はもちろん正確でなく、差別用語とも見なされており、今では Native American と呼ぶようになっています。同様に、黒人は African American と呼ぶのが現在の流れのようです。
普段は余り朝食をとらない私ですが、みんなと一緒なのでそういう訳にもいかず、翌朝はみんなでホテルの朝食をとりました。ホテルには余りこだわらない私ですが、ここサンタ・フェではかみさんとの思い出もある La Fonda Hotel へ泊まりました。10年ほど前に6人家族全員で来た時は、このホテルのスイートルームへ泊まりましたが、円高で1ドル80円の頃で、割と安く、生まれて初めてのスイートへ泊まれた懐かしい思い出があります。このホテルはかなり古く歴史的な建物で、典型的なアドビ(日干しレンガ)で粘土をこねたような曲線的な外観が特徴です。この地方特有のものです。蒸し暑い日本と正反対で、日差しは強烈だが空気はヒンヤリと爽やかなこの地方では、日差しをカットする合理的な建物です。ずいぶん前に、宮沢りえのヌード集が話題になりましたが、ここサンタ・フェで撮影されたらしく、きっとバックにはアドビの建物もずいぶん写っていると思います。
美食のイタリアとはほど遠いアメリカですが、朝食は大事にする国です。パンとコーヒーだけに近いコンチネンタル・ブレックファスト(ヨーロッパの朝食)に比べ、オレンジジュースとハム、ソーセージまたはベーコン(時にはステーキ)、卵料理、パンかポテト、コーヒーが定番です。いちいち、わずらわしいくらい色々聞かれるのがアメリカのレストランの特徴で、英語が苦手な人が苦労するはずです。
私の親友が最初にアルバカーキに遊びに来た時に、連続7食ステーキを食べるという記録を作りました。その時に、私も朝食にステーキも悪くないなと初めて知りました。油っぽいベーコンなどと違い、アメリカの軽い塩、コショウだけのステーキは意外とあっさりとしておいしいのです。でも、もちろん値段は少し高くなります。
ジュースの種類は、ハムかソーセージかベーコンか、卵はゆで卵か、スクランブルか目玉焼きか?目玉焼きだともっと面倒くさく、そのままかひっくり返すか聞かれます。パンは、原料が普通の麦か、ライ麦か、ドゥ(ドーナツの dough で、練った小麦粉らしい)か?コーヒーか紅茶か?砂糖入りかブラックか?クリームは?紅茶なら、ミルクかレモンか?延々と続きます。日本人のグループだとみんな一緒のメニューということも多いようですが、私はそういうのは嫌いなので、面倒でも7人分の注文を事細かに通訳します。大活躍です。簡単なはずの朝食でも結構手間がかかります。
それはともかく、看護師のSさんとMさんが注文したここのハムは最高でした。ちゃんと骨付きでいかにもおいしそうでした。私は、アメリカのハムは結構好きでおいしいのが多いと思っていましたが、骨付きのハムを見たのは今回が初めてでした。私自身はこの地方ならではの朝食、Huevos Rancheros (英語でたぶん ranch eggs で、牧場の卵の意味)を頼み、目玉焼きとトルティーヤ(例のメキシコ料理の薄いパンのようなもの、インド料理で言えばチャパティー)の懐かしいメキシコ料理の朝食をとりました。
【世界遺産のタオス・プエブロへ】
この初日は、サンタ・フェからさらに北へ1時間半ほどのところにあるタオスのタオス・プエブロが目的地です。インディアンのプエブロ族の集合住宅地で、最近世界遺産に選ばれたようです。実際にプエブロ族が住んでいるところですが、観光客用に一部公開していて、一部の民家はお土産屋を開いています。タオス・プエブロの近くのインディアンのレストランを見つけ、バッファローの肉を食べてみました。少し硬く味は今一でしたが、バッファローの肉を使ったハンバーグは中々おいしかったで
す。
余り知られていませんが、この辺りはカナダから延々と続くロッキー山脈の南端に近く、周りは山に囲まれています。標高も1500mから2000mくらいあります。アルバカーキに住んでいる時に、地方会(医学学会)がタオス・スキー場のホテルであり、いかにもロッキー山脈という山と湖をみんなでトレッキングした楽しい思い出があります。このタオス・スキー場は意外と有名らしく、ヨーロッパからも滑りに来るらしいのです。そのおかげで、ホテルのレストランはヨーロッパのシェフがいて、アメリカにしてはかなりの料理を堪能した記憶があります。近くにあるアルバカーキから続いているリオ・グランデ河(スペイン語で大きな川の意味)にあるかなり深い峡谷にかかっている橋を見てからサンタ・フェへ戻りました。途中では、私にとっては懐かしい何度か訪れたことがあるタオス広場へも寄りました。この地域はアメリカにしてはお土産の宝庫で、トルコ石の装飾品、絵画、砂絵などが有名です。このユニークな土地は詩人や画家などの芸術家に愛され、多くの芸術家がこの地域に住み着いているようです。作家の D.H.ローレンスや女流画家のジョージア・オキーフが住んでいたそうです。
【サンタフェからアルバカーキへ】
翌日は、ラ・フォンダ・ホテルのすぐそばのサンタ・フェ広場をぶらぶらし、アドビ(日干しレンガ)造りのアメリカ最古の家だの、アメリカ最古の教会だのを見学しましたが、ある駐車場では通りがかりの家族に写真を一緒に撮らせてくれと頼まれました。何故かと言うと、Mさんのアイデアで、この日は女性4人は浴衣を着ていたからです。この日の夕方、知人の家でご馳走になることになっているので、ドレスアップ(?)していたのです。サンタ・フェからアルバカーキまでは南北に走る I-25 が早いのですが、みんなにゴーストタウンを見せるために、わざと時間のかかるトルコ石街道を通り、いかにもこの辺らしい、砂漠に近い荒野を通り、途中で寂れた村を通り、サンディア山の東側までやって来ました。ここまで来ると、私には非常に懐かしい道路で、冬の間毎週のようにアルバカーキ市内からこのサンディア山の東側に来て、スキー場に来ていたのです。冬でも日差しの強いこの土地では車の中は非常に暑く、スキー場に向かうのに朝は車では冷房を効かせていた不思議な懐かしい思い出があります。砂漠だけあって雪質はよく、パウダースノーで、ジーンズで滑っていました。そこから東西に走る I-40 に合流し、アルバカーキ市内に入り、I-25 を北上し、懐かしい友人の待つ家へ向かったのです。
先輩医師がここ、アルバカーキを真夏に、しかも冷房なしの車で通ったことがあるらしく、私が冬にはスキーができると言っても信じてくれませんでした。確かに、地理的にも南だし、真夏は日差しも相当強く、良質のスキー場があるなどとは信じがたい地形ではあります。
アメリカは高速道路が発達しており、連邦制の国で、州をまたぐという州間という意味で、Interstate と言い、I−番号と通常呼ばれています。高速道路は Throughway とか Freeway とか呼ばれ、ほとんどの州で無料です。日本語で使われる Highway とはあまり呼びません。 合理的なこの国らしく、東西に走る線は偶数で、南北に走る線は奇数で全て基本的には2桁です。偶数の10が一番南の東西線でアルバカーキを通っているのは40です。後で訪れるニューヨーク州(カナダとの国境でもちろん北端)には I-90 が東西に走っています(地図を確認したらシアトルまでつながっています)。他方、南北に走る奇数の高速は西からつまりカリフォルニア州に I-5 が通っており、アルバカーキには I-25 が通っており、もう一ヶ所私が住んだことのある中西部のシンシナティには I-71 と I-75 が通っていました。東海岸には I-95 が通っています。そして、大都市ではそれらの高速道路を補うように環状線などがあり、その場合は百の桁の数字を加え、例えばバッファロー市内には I-90 に連続して、I-190 と I-290 が環状線を形成し、例えば空港からはI-290 を経由してナイアガラの滝に向かうことができます。
【アルバカーキの友人宅へ】
友人の名は George Montoya で典型的なメキシコ系の名前です。彼はスペイン語はネーティブです。奥さんの Eileen には四分の一、インディアンの血が流れているそうですが、彼女もメキシコ系で、昔はスペイン語ができていたそうですが、もうほとんど忘れたそうです。子供はちょうど我が家と同じで男の子3人と女の子1人ですが、まだ家にいるのは高1になる娘の Rachel のみでした。モントーヤ家は郊外にあるので、中流階級の彼らの家も日本の感覚で言えば、かなりの豪邸で走り回れるくらい広い裏庭(芝生)があります。夕食は予想通り、メキシコ料理を準備してくれていました。配慮してくれて、少し辛さは抑え気味にしてくれていました。各自が皿を持って、屋外の芝生の上のテーブルでピクニックのような夕食を楽しみました。
それから、約束通り、娘さんのサッカーの試合を応援しに行きました。会場は、学校ではなく、最近できたらしい巨大なサッカー場で、たっぷり6面のサッカーコートがありました。さすがにアメリカの高校女子サッカーで、技術はともかく、体格はいいし体力だけはすごそうでした。偶然でしょうが、私の友達は娘がサッカーをしている人が多く、6,7年前にもペンシルバニア州のハリスバーグの友人の娘の試合を応援しに、板チョコレートで有名なハーシーまで連れて行ってもらった思い出があります。
試合後は、娘さんのレーチェルを連れて家へ戻り、今度はデザートのチーズケーキを食べながら歓談しました。Mさんがレーチェルに娘の浴衣を着せて写真を撮ってあげると大喜びで、奥さんのアイリーンも浴衣を着たそうでした。そこで、Mさんのをアイリーンに着せてあげると娘以上に大はしゃぎで、何枚も写真を撮ってあげました。この「浴衣作戦」は大成功でした。
【アルバカーキ散策】
翌朝は、まずホテルの近くのオールドタウンを散策しましたが、サンタ・フェ、タオスと訪れた後なので、もう同じようなお土産屋にはみんな少し飽きていたようです。ただ、さそりの入ったキャンディとか、ゲラゲラ笑い出す小さなオモチャとか、いかにもくだらないけど面白いアメリカ的なオモチャを見つけ買っていました。
この日は、のんびりと懐かしいアルバカーキの町の案内をしました。ほとんど、通りの名前まで覚えている道路ばっかりなので私にはドライブするだけでも懐かしさいっぱいです。まずは、Central Avenue(中央通り)をドライブしました。住んでいる時はあまり意識もしていませんでしたが、この通りは別名、有名なルート66です。確かに、古き良き時代の面影があり、平屋のモーテル(日本のエッチィのとは違って本来の部屋の前に駐車場のあるモーターホテル)や平屋のお店等の建物が続きます。日本と反対に広大な土地があり、土地代が安く建築費の方が高いらしく、ほとんどの建物は平屋です。途中で、長男の生まれた Presbyterian Hospital の前も通過しました。ひょうきんな長男は、そう言えばこの辺でおぎゃ〜と泣いたのを思い出したとふざけていました。
次に、以前住んでいたアパートに行ってみると、名前が変わっただけで以前のままでした。私たちの住んでいた townhouse もそのままでした。2階建ての長屋が3軒つながっています。敷地内にはプールとアスレチックジムもあります。よく、犬を連れて散歩していたこのアパートの敷地外の近くの民家もドライブして、この辺の一般家屋をみんなに見せました。この辺の民家はアドビの造りも多くユニークです。すぐ近くのいつも行っていたスーパーは無くなっていました。
【サンディア山へ】
標高2000mの高地にあるアルバカーキの東側には、ロッキー山脈ほぼ南端のサンディア山があり頂上は3500mあります。麓からの世界で最長らしいゴンドラに乗ると15分ほどで一気に頂上へ登れます。約10年前に家族でサンディア山に来た時は、皮肉にもここで生まれた長男が高山病になり、息苦しいと言い出し、すぐに下山せざるをえませんでした。今回は7人もいるので誰かが高山病になるかもしれないと薬まで準備していましたが、供えあれば憂いなしで、幸い誰も高山病にはなりませんでした。前回と違い、2、3日この辺りの高地で過ごしてから山に登ったおかげかもしれません。
それで、今回はゆっくり頂上で過ごすことができました。頂上からは裏側(東側)に私がいつもスキーで滑っていたリフトが見えます。ここの頂上のレストランは意外とおいしいのを覚えていました。やや遅い昼食としてメキシコ料理のチリ、ナチョス、野菜サラダ、ズッキ―ニのフライ、オニオンリングなどをみんなで頼みました。ズッキーニはまだまだ日本では馴染みの少ない野菜のようで、Mさんがズッキーニのフライを見て感心していました。私は、アメリカ式のシンプルな塩茹でもおいしいと教えてあげました。オニオンリングも珍しかったようで、いかリングと思ったようでビックリしていました。ここの食事は屋外でアルバカーキの市街地を眺めながらの絶好の景色です。もともとほとんど雨の降らない乾燥した土地ですが、ジョージによるとこの5年くらいは結構夕立が多いそうで、この日も突然雷が鳴り始めましたが、高地からなので眼下に雲と雷がきれいに見えました。不思議な光景でした。
この日の夜は翌朝のフライトが早いので、空港近くのモーテルに泊まりました。昼が遅かったので、夕食は近くで軽くハンバーグを頼みましたが、野菜やチーズなどのトッピングが選べ中々おいしかったです。一般的に、アメリカのハンバーグはおいしいと思います。日本のは、つなぎで肉の味が薄まっていますが、アメリカのはほとんど100%牛肉のミンチでおいしいと思います。それはともかく、ここでは懐かしい単語を思い出させてくれました。大雑把なこの国では炭酸飲料水などは安い値段で飲み放題が多いのですが、ここも例外ではありませんでした。refill(お替り)が free(無料)と書いてあるところも多いのですが、ここでは bottomless です。「底なし」という意味で飲み放題なのです。しかし、私としてはストリップ劇場での topless(日本語のトップレス)に対する刺激的な bottomless(意味は想像して下さい)という意味も持つこの言葉のほうに親近感を感じます。
翌朝慌ただしくないように、夜遅く一人でレンタカーを空港に返しに行きました。この安モーテルは夜遅くはシャトルサービスがなく、タクシーで帰って来ないといけないのですが、いつものように私にはせこいアイデアが浮かびました。目の前に24時間エアポート駐車場があるのです。駐車場の名前をしっかり覚えておくと、やはり空港ではその駐車場の無料シャトルバスを見つけました。ちゃっかり乗り込もうとすると、駐車券かなんかを聞かれました。一瞬躊躇して、仕方がないので正直に、実はすぐそばのモーテルに行きたいのだと言うと、いいよと乗せてくれました。このへんが、大雑把なアメリカ人のいいところです。それどころか、駐車場に戻る前に、私のモーテルの玄関までちゃんと送ってくれました。さすがに、丁重にお礼を言ってチップは渡しました。
(2)に続く
旅行好きを仕事にするため、「空飛ぶドクター」を目指しています。そんな私が「海外旅行時の健康管理」に関する本を4月21日から出しました。悠飛社(03-5327-6052)坂本泰樹。「機内にお医者さんはいませんか?」空飛ぶドクターの海外旅行と健康管理。
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