2007/09/04 - 2007/09/04
69位(同エリア85件中)
fukiさん
凹んでいた。
というのも、馬鹿な中国の航空会社のおかげで、西安から西寧までの飛行機が一本キャンセルとなり、その日の西寧発ラサ行きの西蔵鉄道に乗れなくなったため、次の日の鉄道の時刻まで西寧で過ごさなければいけなくなってしまったからだ。ただでさえ一週間でチベット旅行というタイトなスケジュールなのに・・・。
でも、蓋を開けてみたら、奥深い一日となった。
ここにもチベットは在った。
青海省・西寧市。
タール寺~ダライ・ラマ14世の家へ。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
- 中国東方航空
-
大きかったのは、友達の友達の友達(笑)で、日本語が話せるチベット人の女の子と出会えたこと。
彼女が私のために西蔵鉄道のチケットを取ってくれ、前日西寧に着いた日の宿も手配してくれ、タール寺やダライ・ラマ14世の生家までの旅もいろいろと便宜を図ってくれたからだ。
宿泊したこのホテルは「小島基地」という。小島さんという日本人が“日本的なサービス”を提供すべく開設した。チベット人の彼女は、ここで開かれているクラスで日本語を勉強している。
宿はシャワー付ツインで180元(2200円)。快適度100%。朝食もご覧のように素敵度100%。 -
タール寺までのタクシーを拾うため、少し歩く。
中国人?のおじさんが、鳥かごを持って歩いている。
もちろん、中には鳥がいる。にわ二羽とりがいる。
市場に行って売るのだろう、と彼女。この時、中国を感じた。
チベット人の彼女と、彼女がその日ガイドをすることになっていた日本人の男性と一緒に行く。 -
タール寺。
チベット寺、初体験。
僧の袈裟が素敵だ。あの赤。凛々しさ。
一つ一つ回る。もちろん巡礼のしきたりに倣って「時計周り」に。
「いや〜、とても面白いです」と“とても”のところを強調して日本人のMさんが何度も言う。これは敦煌の○○(忘れた)を見た以来の衝撃とか。
異次元。混沌。そして大きな寛容。
私がチベット仏教に惹かれて止まない所以。 -
一番ありがたい?お堂の前。
一列に並んで、人たちが五体投地をしている。
僧もいる。長い髪を後ろで三つ編みにした遊牧民もいる。ジーンズをはいた若い人も、白い作務衣を着た別の宗派(宗教?)の尼さんもいる。
じーっと見てたら涙が出てきた。
人間の傲慢も狡さもややっこしい自我も、
全て投げ出して祈る。何度も何度もひれ伏して、祈る。
そう、きっと私はこんな風になりたかったんだ、ずっと。 -
西寧駅のすぐ近くに、チベット人街がある。
昼食に彼女が連れていってくれた店は、チベット人でいっぱいだった。その場の好奇心のまなざしは、異邦人の我々に一気に注がれていた。
ソファで一緒になったチベットの僧は、なんというか、でかいオーラが出ていた。興味深そうに私を見ていて、目があうとニッとする。「旅行人ノート(チベットの旅には必携のガイドブック)」を見せたら、彼はもちろん日本語は分からないが、写真を指さしながら他のチベット人と何やら話していた。(「ダラムサラ」の頁も見ていた。)席を去る時、「タシデレ〜!△※∞∵!」と豪快な挨拶をしていった。なんだかとても印象に残った人。
ご飯はチベット式の「餃子」。ヤクでダシをとった五目ラーメンに、ヤク肉の餃子がぶち込まれている、という感じ。うまいうまいと絶叫しながら食べる。これで5元(75円)!
(写真に写っているきれいな娘がこの日お世話になったチベット人の彼女) -
ダライ・ラマ14世の生家は、西寧の中心から約70kmの「タクツェル(紅崖村)」という村にある。
「旅行人ノート」の情報だけを頼りに、中国人の方に400元で連れて行ってもらう(移動は彼の自車で)。
平安という街までは高速道路でひとっ走り。
しかしその先がすごい。 -
あっと言う間に、道は赤土のオフロードへ。
斜度の高い山に沿った細い道をくねくねと走っていく。
こんなにスピード出して大丈夫ですか!?
と多少思いつつも、
最っ高に気持ち良いドライブ。
晴天の下に、大きな大きな景色が広がっている。 -
こんな乾燥した一帯にも、
森が広がっている。
森があると、無条件に嬉しい。 -
上る、上る。
ハイホー、ハイホー。 -
清い流れの川!
とても豊かな土地みたいだ。 -
感動したのは、この道中で通った村の家屋が、どれもこれも煉瓦でできていたことだ。
多分ほとんどが大麦だと思うが、村の農地にはその麦わらが束ねられていた。土地の土と藁を混ぜて、彼らの“ストローベイル・ハウス”は造られているんだろう。
村の景色は、すごく「ナチュラル」だった。
ここの人達が生活で使う素材のすべては、無理なく自然に還るようだった。
羨ましい、と私は思ってしまった。
写真には撮れなかったけど、窓越しに
「ヤギの解体」の決定的シーンを見た。
お父さん(多分)がヤギのお腹をナイフで一撫で、内臓がぺろり。
一瞬の出来事。 -
遂にタクツェル周辺に到着。
かなり高度のある、周囲から孤絶した場所。 -
ダライ・ラマ14世の家の前。
ドキドキする。
『ダライ・ラマ自伝記』を読んでイメージしていた場所とちょっと感じが違う。
おじさん(後で本当にダライ・ラマの叔父に当たる人だと分かる)に20元払って、中へ。 -
この生家には、現在叔父さん一家が住んでいる。
ダライ・ラマが生まれたという部屋は、今はお堂になっていて大きな仏像がある。
そこから母屋の入り口へ。タルチョがはためいている。
辺りはとても静か。 -
生活していた部屋、写真の飾ってある部屋をお参りして、再び外へ出る。
・・・とても大きな安心に抱かれているような気分。
その偉大な人の懐に、少しだけ入ったような。
初めて五体投地をする。そうするのがすごく自然だったから。 -
ダライ・ラマの叔父さんと。
日本から二つ数珠を持ってきていたのだけど、その一つの方(四国遍路を歩いた時にずっと身につけていたもの)を献上した。彼がそれを左手に持って写っている。
「トゥジェチェ(ありがとう)」と彼が言ってくれた。
この場所を今年は多く日本人が訪れたそうだ。 -
タクツェルの街を見渡せる丘にあった。ラプツェというのかな?
本当に美しい。清いそよ風が吹いていた。 -
ラプツェから見晴らす、タクツェルの町。
ここに来れたことに感謝。 -
西寧の街に帰って、先の日本人のMさんと落ち合って3人で屋台ストリートで夕飯を食べる。
魚が売ってる!遠路はるばる・・・
チベットのその子に、ダライ・ラマはどんな存在か、と思い切って聞いてみた。
とても優しい、お父さんのような人、その人を思うと涙が出ます、と言っていた。
チベットでは、現在亡命しているその人の話題はとてもナイーブだ。この日に行ったあの場所も、チベット人にとっては遠い所だという(中国人の目があるから)。
中国の作る枠組みに、否応なく組み込まれていきながら、いろいろな感情を隠しては守って、彼らは何を願って生きているんだろう?
彼女は今日も、日本語を勉強しているだろうか。
余韻の大きな一日だった。
夜22:16、青蔵鉄道に乗り込む。
次は鉄道の写真の記録。
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