2006/09/02 - 2006/09/02
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morino296さん
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<<2006年のお祭りシリーズ>>
鹿島神宮は、約2660年前に造られたと言われます。
9月1〜2日に行われるお祭り「ご神幸(じんこう)」では、5台の人形山車が曳かれます。
お祭りに山車が登場したのは、安政4年(1857)、その後、台数が増えて、明治7年に5台となったそうです。
鹿島神宮の案内板によれば、
祭神である武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)のところへ天照大御神(あまてらすおおみかみ)の命令を伝えに来られた天迦久神(あめのかぐのかみ)が、鹿の神霊とされているところから、鹿島神宮のお使いは鹿(神鹿)となっています。
鹿といえば、奈良の春日神社が有名ですが、鹿島がルーツだそうです。
神護景雲元年(767)、藤原氏が春日神社を創建するために、鹿島の大神の分霊を鹿に乗せて1年がかりで奈良まで運んだ鹿が住み着いたもの。
(東京江戸川区の鹿骨をはじめ、東海道で鹿の名が残っています。)
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楼門は、寛永11年(1634年)に水戸初代藩主の徳川頼房(光圀の父)により奉納されたものです。
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巫女(みこ)による浦安舞の奉納
午前10時、楼門(ろうもん)の脇で行宮祭(あんぐうさい)が御神輿の前で行われます。 -
拝殿
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重要文化財の本殿と樹齢1200年の杉
社殿は、本殿・拝殿・石間・幣殿の4棟で構成されています。
現在の社殿は、元和5年(1619)に二代将軍徳川秀忠によって奉納されました。 -
奥宮
徳川家康によって慶長10年(1605)に本殿として奉納された建物を元和5年の造営の時に移築したもの。 -
要石(かなめいし):御幣の前にある小さな石
要石が地底の大なまずの頭を押さえているので、鹿島地方では、大きな地震がないと伝えられています。
見かけは小さい石ですが、地中深く埋まった巨岩で、
水戸の徳川光圀(みつくに)が、大きさを確かめようと、七日七晩この石の周りを掘ったが、掘った穴が翌日の朝には元に戻ってしまい、確かめることができなかったと伝わります。 -
御手洗池(みたらしのいけ)
水は、神代より枯れることがなく、今でも「お茶を立てるときの水に」と、汲みにくる人が絶えないそうです。 -
大鳥居前で記念撮影をする大町区の山車
皆さんがとても楽しそうです。 -
13時、新町通りに集合
一斉踊り・通し砂切りが行われます。
お囃子は、佐原ばやしで、江戸中期以降、成田詣・東国三社詣の人の往来で伝えられたと言われます。 -
年番の山車を先頭に、5台の山車が並び、佐原囃子に合わせ、一斉踊りが披露されます。
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13:40 役引き
山車5台が並んで各町内を曳かれます。
新町区:聖徳太子(年番のため人形を外し、鹿嶋神宮の榊を飾っています)
山車:新造平成4年、人形:平成4年製作 -
大町区:塚原ト伝
山車:昭和5年製作、人形:平成18年製作 -
仲町区:天照皇大神
山車:新造平成5年、人形:平成14年製作 -
角内区:武甕槌大神(たけみかつちのおおかみ)
山車:新造平成元年、人形:平成元年製作 -
桜町区:日本武尊
山車:明治42年製作、人形:昭和62年製作 -
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剣聖 塚原ト伝
戦国時代の剣豪で、天真正伝香取神道流の流れを引く剣術流派、新当流(鹿島新当流)の開祖。
延徳元年(1489)鹿島神宮ト部座主職吉川家に生まれ、塚原城主土佐守安幹の養子となり、塚原新右衛門高幹といい、その後「ト伝」という。
卜伝は将軍足利義晴、義輝、義昭,足利義昭にそれぞれ兵法を教え、特に義輝と伊勢国北畠具教に「一の太刀」を伝授したと伝わります。
卜伝は24才からの50年間に、出陣39回、その間19回の真剣勝負にもかかわらず、83才という長寿をまっとう出来たのは、人並み以上の精神、肉体、
そして絶対不敗の剣「一の太刀」の威力であったといわれています。
(参考資料:お祭りガイドマップ(鹿嶋市観光協会)、鹿島神宮参拝のしおり)
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