2007/07/01 - 2007/07/01
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のださん
最近は毎週末どこかに出かけているな。
どんだけ暇人やねんっていう話ですよ。
まあ気にせずにいきます。
原宿駅近くに太田記念美術館という浮世絵専門の美術館があります。
「浮世絵はどのようにして生まれたか」という親子で鑑賞するべき展覧会が今日から開催されます。
私は最近浮世絵を観る機会が多くなりましたが、浮世絵に関してはあまり知らないわけです。
そもそも詳しい分野など何一つない私ですが、それはいいとして、せっかくこういう機会がありますので、ここらで浮世絵の基礎について学んでみようと思います。
比較的子ども向けの企画ですが、まあ私にはお似合いでしょう。
日曜日には、日曜映写会と言って、浮世絵に関する映像を流すそうで、それが11時からということなので、それに合わせる感じでいきます。
原宿で神社と言えば、明治神宮と東郷神社です。
これらに参拝します。
今日は「明治デー」と言っても良いかもしれません。
明治神宮は本日七夕まつりだそうです。
明治神宮自体は内苑と呼ばれ、それに対して外苑という庭園が新宿区にあります。
基本として、内苑は和、外苑は洋を基調とします。
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JR原宿駅に着いたのはすでに10時過ぎ。
この駅で前回降りたのは、思い出せないくらい昔だな。
改札を出て、そのまま進むと神宮橋。
現在の橋は昭和57年に造られたものだそうです。 -
そして神宮橋を渡ると、明治神宮入り口です。
言うまでもなく、明治天皇と昭憲皇太后を祀っています。
まああの時代は天皇=神とされていましたしね。
なぜ昭憲皇后と呼ばずに昭憲皇太后と呼ぶのかについては、明治神宮の公式サイトにも記述がありますが、どうも要領を得ず、さまざまな憶測が流れています。
そもそも明治天皇とは誰なのか、とかね。
調べてみると面白いと思います。 -
玉砂利の参道を進んでいきます。
明治神宮が代々木公園の一部を成しているのかどうかは知らないが、ここは森林の中ですね。
ちなみに東京メトロ千代田線の明治神宮前駅の一つ下りを代々木公園駅といいます。
この界隈がなぜ代々木と呼ばれるかの説明もあります。
この地には「代々樅の大木が育った」からだそうです。
やたらと外国人観光客の姿が目に付くな。
人気なのでしょうか? -
なぜか途中にワイン樽。
明治天皇はかなり西洋文化もお好きだったみたいですしね。
これらはフランスから献納されたそうです。 -
その向かい側には日本酒の樽も。
明治天皇は酒を嗜んだそうです。
疑問に思ったが、これらの中身はあるのでしょうか? -
木造としては大きさが日本一と言われる大鳥居までやってきました。
確かにでかい。
台湾から材木をわざわざ取り寄せたそうです。
明治神宮はやたら広いな。
まだ先は長そうです。 -
三の鳥居に着きました。
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やっと社殿が見えてきました。
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さすがに人が多いです。
今日は七夕まつりということで、短冊を飾った笹を運んでいます。
ベンチは並べてありますが、催し物は行われていません。
この後何か始まるのでしょうか? -
拝殿。
お祈りしてきましょうか。 -
笹は奥の本殿(?)前に置かれました。
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拝殿前にある「夫婦楠」。
大正9年の鎮座当時からあり、縁結び、夫婦円満、家内安全の象徴だそうです。 -
神社まで来て、時間がないから早く去るというのも不謹慎極まりないかもしれないが、今日は許してください。
ってしょっちゅう言っている気がする。
明治神宮の御苑なども評判が良いみたいなので、別の機会にじっくりと。
駅前まで戻って、歩道橋を渡ります。
JR原宿駅は、大正9年に明治神宮が鎮座したのを機に現在のものが建てられ、原型を留めているそうです。
参拝客の著しい増加に対応するため改築を試みたが、地元住民の反対にあって、結局当時のまま、とのことです。 -
駅の東側を地図に従って進むと、ちょっと入り組んだところにありました、太田記念美術館。
現在10:40くらい。
ここはちょっと変わっていて、入るときにスリッパに履き替えます。
これは楽でいいね。
内容に関しては、大人が観ても普通に楽しめると思います。
そりゃそうですよね。 -
美術館を後にし、適当に進んで竹下通りに出ました。
ここに来るのも随分と久し振りだな。
すげえ人の数。
この通りに何があるのかは全く知らないし興味もないので、早々と抜けます。 -
東郷神社へはここから入るのでしょうか?
「境内禁煙」とあるのでこちらで良いのでしょうが、今日はフリーマーケットの出品でぎっしり。
いつもこんなことやってんの? -
一旦鳥居から出て、改めて入り直します。
ここが正門かどうかはわかりません。 -
海軍経理学校正門敷石。
海軍経理学校は、昭和20年まで71年の歴史がありました。
場所も何度か変わったそうですが、こちらの敷石は築地にあったものを持ってきたものだそうです。 -
海軍特年兵之碑。
先の大戦において、14歳という若さで国のために命を投げ出す覚悟をした有志兵を慰霊しています。
16歳以上の少年兵よりもさらに若いことから、特別年少兵、略して特年兵。
昭和の白虎隊とも呼ばれたそうです。
14歳って・・・自分がそれくらいのときどうだったか思い返してみると、恥ずかしくて仕方ありません。
そばには、香淳皇后が慰霊のため詠った御歌も。 -
「殉国」とあります。
先の大戦で潜水艦とともに沈んでしまった1万人を超える乗員たちへ捧げる慰霊碑です。 -
旧海軍館に展示してあった魚雷のレプリカ。
実物よりちょっと小さいそうです。 -
それでは、社殿へ。
おっと、結婚式に参加しているらしい団体が上がっていきます。
邪魔してはいけないので、後から上がります。 -
拝殿。
結婚式のために扉が閉まってしまいました。
東郷は自分を英雄視してほしくなかったそうですが、死後は当然のように祀られました。
ここは東郷を主として海軍の戦没者も合祀しています。
竹下通りの近くで、しかも今日は境内でフリーマーケットが開かれているにもかかわらず、社殿は人も少なく静かです。 -
「海の宮」とあります。
海軍関係者を祀っているのでしょうか? -
回廊には、東郷の生涯を説明するパネルが並んでいます。
薩摩で生まれた・・・ってところから。
略歴がわかる、というほどでもないかもしれないが、見て回ると面白いです。 -
黄海海戦において、ロシア艦隊に大打撃を与えましたが主力艦は旅順に逃げ帰ったため、バルチック艦隊が合流する前に、何としても旅順を陥落させる必要があります。
海軍が陸軍に旅順攻略を要請します。 -
「旅順艦隊が全滅した」
この流れでいくと黄海海戦で全滅させたということでしょうけど、この時点では全滅まではさせてはいないですよね?
203高地を占領してそこから旅順艦隊を砲撃します。
これにより全滅するわけですね。
そこに至るまで膨大な数の戦死者を出してしまい、陸軍を指揮していた乃木希典が非難を浴びます。
しかしこれは大本営の戦略がまずかったという話もあります。
一方で、文豪でもあり軍医でもあった森鴎外が軍内に脚気を蔓延させたと非難する声もあります。
結局、陥落させたのも乃木の力だと言えますよね。
一部では兒玉源太郎の功績だとする説もありますが、確証はありません。
ちなみに、与謝野晶子が弟に向けて「君死にたまふことなかれ」を明星に発表したのも、この旅順攻防戦のときですね。 -
バルチック艦隊の輸送船が上海に入港したとの知らせを受け、東郷は敵が朝鮮海峡を通過することを確信します。
この知らせが遅れていたら、歴史は大きく変わっていたと言われています。
「旗艦三笠」というのは、六・六艦隊の発案者で、日本海軍の父と称される山本権兵衛が軍予算を流用させてまでイギリスに発注して完成させた奇跡の軍艦です。
三笠と言えば東郷がセットですが、山本の功績も大きいわけですね。
三笠は記念艦として今も横須賀にあり、内部見学もできるようです。
ちなみに、山本が海軍で行った大リストラには、山本と同じ薩摩出身の東郷の名前も候補に挙がっていたくらいです。
閑職の舞鶴鎮守府初代司令長官であった東郷は日露戦争で呼び戻され、連合艦隊司令長官に指名されました。
明治天皇にその理由を聞かれ、山本はこう答えたと伝えられています:
「東郷は運の良い男ですので選びました」
実は東郷のほうが年上なんですよね。
沖ノ島西方でバルチック艦隊の姿がとらえられます。
旗艦三笠にZ旗が高々と掲げられます。
「皇国の興廃この一戦に在り、各員一層奮励努力せよ」
乗組員の心を引き締めるこの言葉は、名文家としても知られる秋山真之の草案だとされています。 -
連合艦隊がバルチック艦隊と対峙しますが、東郷はギリギリまで部下には何もさせません。
そして両艦隊の間が8,000mまで近づいたとき、取り舵一杯を命令します。
これが後世語り継がれる「東郷ターン」です。
連合艦隊がTの字の横棒、バルチック艦隊が縦棒とみなして、「T字戦法」と呼ばれますが、これは元々「丁字戦法」です。
俗に言うT字路も間違いではありませんが本来は丁字路です。
それは良いとして、逃げ場を失ったバルチック艦隊は壊滅します。
史上まれに見る完勝劇。
これにて日露戦争における雌雄が決しました。
近年では、日本海海戦においてはT字戦法は採用されなかったとする説が有力となってきているようです。
敵に腹を見せるのはやはり不利であり、結局は通常の並航戦だった、とする説です。
黄海海戦では採用されましたが主力を逃してしまったので、その失敗を踏まえて日本海海戦を迎えました。
採用されてもされなくても、勝った最大の要因は、日本海軍の訓練の賜物でしょう。 -
社殿から下りて、庭園のほうに向かいます。
東郷記念館がありますね。
この1階には水交会の本部。
水交会は、旧海軍戦没者と海上自衛隊殉職隊員の慰霊などを行い、その精神を伝承している団体です。 -
こちらにある鳥居は、元々築地にあった水交神社のものだそうです。
2代目、ということです。
水交神社は、日清戦争に際し、戦勝を祈願し、戦没者を慰霊するために創建された、と説明があります。 -
鯉。
庭園では定番です。 -
明治神宮前駅まで行こうとしてその途中。
第一駆逐隊の石燈籠。
第一駆逐隊は日露戦争直前に最初の駆逐隊として編成されました。
大正11年に改めて野風、沼風で再編成、後に波風、神風が加わりました。
大東亜戦争では、波風、神風は生き残ったものの、野風、沼風は沈没してしまいました。
この燈籠は、駆逐艦神風会が奉納したものだそうです。 -
こちらが正門と言って良いのでしょうか?
明治通り沿いで、方角としては多分南東。
これで原宿を去ります。
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