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 現在は石見銀山と呼ばれているが、その石見国、石州へ向かう道が「石州街道」、又は著名な銀山があるので「銀山街道」或いは「石見銀山街道」と呼ばれる道である。<br /> 石見の銀を運んだ道が「銀山街道」で、後白河法皇の時代仁安3年(1168年)に湊を開いた尾道との往来が、最も盛んであった。その起点の尾道と一つ目の御調宿(みつぎ)との間は、立ち寄るべき史跡はない。この御調宿の西、古代山陽道に高羽山西山麓に佛通寺がある。応永4年(1397年)小早川春平が佛徳大通禅師を迎え、創建した臨済宗の禅刹である。<br /> 明治9年(1876年)天龍寺派に入っていたが、明治38年(1905年)臨済宗佛通寺派として独立、参禅道場をもつ西日本唯一の大本山として今日にいたっている。<br /> 御調宿は宿場の面影は全然ない。一部常夜灯、辻堂が残っているのみです。御調町には昭和63年文化勲章を受章した、彫刻家圓鍔記念館(えんつば)があり、数々の彫刻が見られる。

石見銀山街道(石州街道)をゆく?

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2007/05/26 - 2007/05/26

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ひま人

ひま人さん

 現在は石見銀山と呼ばれているが、その石見国、石州へ向かう道が「石州街道」、又は著名な銀山があるので「銀山街道」或いは「石見銀山街道」と呼ばれる道である。
 石見の銀を運んだ道が「銀山街道」で、後白河法皇の時代仁安3年(1168年)に湊を開いた尾道との往来が、最も盛んであった。その起点の尾道と一つ目の御調宿(みつぎ)との間は、立ち寄るべき史跡はない。この御調宿の西、古代山陽道に高羽山西山麓に佛通寺がある。応永4年(1397年)小早川春平が佛徳大通禅師を迎え、創建した臨済宗の禅刹である。
 明治9年(1876年)天龍寺派に入っていたが、明治38年(1905年)臨済宗佛通寺派として独立、参禅道場をもつ西日本唯一の大本山として今日にいたっている。
 御調宿は宿場の面影は全然ない。一部常夜灯、辻堂が残っているのみです。御調町には昭和63年文化勲章を受章した、彫刻家圓鍔記念館(えんつば)があり、数々の彫刻が見られる。

同行者
友人
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
観光バス
  • 佛通寺、巨蟒橋(きょぼうばし)<br />門前の渓流、佛通寺川に架かる屋根付きの橋。佛通寺川は、往古より「活龍水」と呼ばれ、佛通寺本寺の結界である。橋を渡る者は一切の俗塵を捨て去ることが必要とされ、不心得者が渡ろうとすると、どこからともなく蠎蛇(うわばみ)が現れ威嚇したという。

    佛通寺、巨蟒橋(きょぼうばし)
    門前の渓流、佛通寺川に架かる屋根付きの橋。佛通寺川は、往古より「活龍水」と呼ばれ、佛通寺本寺の結界である。橋を渡る者は一切の俗塵を捨て去ることが必要とされ、不心得者が渡ろうとすると、どこからともなく蠎蛇(うわばみ)が現れ威嚇したという。

  • 佛通寺山門

    佛通寺山門

  • 佛通寺、山門に刻まれている家紋、小早川家、浅野家の家紋で歴代の藩主の力がわかる。

    佛通寺、山門に刻まれている家紋、小早川家、浅野家の家紋で歴代の藩主の力がわかる。

  • 石見銀山街道、御調宿近辺

    石見銀山街道、御調宿近辺

  • 石見銀山街道、御調宿常夜灯。

    石見銀山街道、御調宿常夜灯。

  • 圓鍔記念館(えんつば)<br />文化勲章受賞者、圓鍔勝三の彫刻を展示。

    圓鍔記念館(えんつば)
    文化勲章受賞者、圓鍔勝三の彫刻を展示。

  • 宇津戸宿、観音寺。

    宇津戸宿、観音寺。

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