2006/01/01 - 2006/01/01
53位(同エリア71件中)
よっしーさん
新鄭市は鄭州よりバスで約2時間。
新鄭の中心は、鄭韓故城の巨大な城壁で囲まれたようになっており、城壁を崩して国道を通している。そのため、巨大な城壁を通ると街への入り口。巨大な城壁が私たちを迎えてくれました。
新鄭は、東周王朝期初期の大国鄭の都として、そして戦国時代の七雄の一国、韓の都として栄えたところ。
新鄭のシンボルは、鼎と巨大な城壁だろう。
それがどんなものか、とくとご覧あれ。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス
- 航空会社
-
鄭州駅。
駅前のバスターミナルから、新鄭へ約2時間あまり。 -
バスターミナルの中。
市民が気ままにバスが来るのを待っています。 -
新鄭のシンボル鼎。
最初に訪れた鄭風苑の入り口に巨大な鼎がドーンと私たちを出迎えてくれました。
かつて鄭の子産が、中国で最初に成文法としての刑法を布告した際、鼎に文字を刻んで公布したそうです。
成文法の布告は、当時、礼によって社会を統治していた時代において、その根底を覆す大きな改革となったため、相当な猛反発があったそうですが、すでに周王朝が弱くなり、下のものが上を脅かすようになり、礼の力も形ばかりとなった当時において、法治による秩序維持への道は必然でした。
そのさきがけとなったのが、子産でした。 -
非常にのんびりしたのどかなものだった
-
先に見える楼閣の乗っかっている土台は、れっきとしたかつての城壁
-
再現された城門
-
城壁の版築
-
鄭伯庄公の像。
小国鄭の歴史において、鄭の隆盛を作り上げた名公。
彼は、春秋の五覇にこそ含まれないものの、東周王朝における最初の覇者と言えます。 -
鄭韓故城の碑。
最高地点で18メートルに上る城壁が今も残っています。
中原のど真ん中に位置し、交通の要衝でもあるため春秋時代、幾度となくここが戦乱の中心となってきた。周囲に天然の険も少ないため、城壁を高くし守りを固めた。と考えられる。 -
延々とどこまでも城壁が続く
-
城壁の周辺も、何か土塁のような形になっています
-
城壁の裏面
-
このレンガはいつの?
-
これはまったくの予定外だったが、現地で鄭王陵博物館なるものを発見。
迷わず入ると、中は見事な貴族墓遺跡。 -
昔の戦車の再現
-
地層を紹介していました
-
当時の地層
-
発見された戦車。巨大な車坑です。
-
-
貴族墓
-
貴族
-
子供
-
並んで埋葬されている二人の貴族
-
これは、本当にすごい発見です
-
-
四角い区画は、貴族の遺体が発見されたところ。
というか、中心に眠る貴族の殉死者なのか?
そのところはよくわからない。 -
紹介し忘れてたけど、さっきのは大夫の墓
-
貴族墓地一号車馬坑
-
最初に発見された車馬
-
鄭王陵博物館を見学したあとは、新鄭博物館へ。
新鄭博物館も、表紙にある大きな鼎が出迎えてくれた。すでに閉まっていたのだが、入り口の省の軍人さんが、開館してくれた。 -
新鄭見学も終わり、宿のある鄭州へ戻る。
夕食を、美国加州牛肉面大王にて。
全国チェーンです。 -
中はこんな感じ。
-
たっぷりのパクチなる香菜。
わたし、セロリすらたべられないのに、これにはいつものことながら大苦戦します。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
33