2007/03/30 - 2007/04/02
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satoshi.sさん
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4月1日に懐旧懇談会が甲府で開催されるので折角の機会を利用して身延山久遠寺、恵林寺、武田神社等参拝観光して来ました。
一日目(3/30 サンパーク・ホテル内藤泊)
→京都(ひかり404号)→静岡(ふじかわ5号)→身延(途中下車)〜身延山久遠寺参拝〜 身延(ふじかわ9号)→甲府
二日目(3/31 サンパーク・ホテル内藤泊)
舞鶴城公園→山手御門→武田信玄像→恵林寺→ぶどうの丘→かいてらす(昼食・休憩)→甲斐善光寺→みはらし広場→武田神社→昇仙峡→影絵の森→長禅寺
恵林寺
鎌倉時代の元徳2年(1330年)に、甲斐国の守護職であった二階堂氏が笛吹川上流の所領牧荘を寄進し、夢窓疎石を招き開山。二階堂氏邸を禅院としたのが始まりとされる。もとは円覚寺派に属し、関東準十刹の寺格を有していた。甲斐における臨済宗の中心となり、絶海中津や龍湫周沢らが住持となる。応仁の乱で荒廃するが、甲斐武田氏の菩提寺に定められて復興し、京都から高僧が招かれる。永禄7年(1564年)には武田晴信(信玄)が寺領を寄進し、美濃崇福寺から快川紹喜を招く。天正4年(1576年)4月には、快川を大導師に信玄の葬儀が行われた。
天正10年(1582年)4月3日、天目山の戦いで武田氏が滅亡した後に恵林寺に逃げ込んだ六角義弼の引渡しを寺側が拒否したため、織田信忠軍による焼き討ちにあった。この際、快川紹喜が燃え盛る山門の上で「安禅必ずしも山水を須いず、心頭を滅却すれば火も自ら涼し」と偈を発して快川紹喜は焼死したことで知られる。
信長横死後に甲斐を領した徳川家康により再建され、快川の法嗣も招かれた。また、江戸時代の将軍徳川綱吉時代に側用人であった柳沢吉保の墓所にもなっている。また、検地帳簿として『恵林寺領検地帳』が残されている。
三日目(4/1 サンパーク・ホテル内藤泊)
大泉寺→遠藤石材→八幡神社→華光院→妙遠寺→赤坂台総合公園→懐旧懇談会
四日目(4/2)
甲府(ふじかわ4号)→静岡(ひかり407号)→京都→
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 新幹線 JR特急 自家用車
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