2007/03/27 - 2007/03/27
61位(同エリア65件中)
ソフィさん
能登で大きな地震があり、「門前町」の名前が報じられている。
この町との交わりは、長小次郎先生とともに始まった。
金沢一中3年生、大東亜戦争終戦の年である昭和20年(1945年)、私のクラス担当は長先生になった。
この先生のご専門は、何なのかはっきりしなかったが、私たちは「公民」を習う。
「公民」は、戦争中の「修身」が終戦後に置き換わった科目であり、その後「道徳」ともなったように記憶する。
もっとも学校で勉強が始まったのは、昭和20年の9月半ばで、8月15日の敗戦の日までは、手取川の河口にある美川の工場で、合宿をしながら戦闘機のエンジン部品を作っていた。
私は三組の副級長格で、美川では合宿所の寺の本堂の責任者であった。
この本堂には、同級生の3分の1、60人の床がびっしりと敷き詰められ、3交代でそれぞれの職場に通うものだから、いつも誰かが目を覚まして起きている状況であり、にぎやかだった。
さて長先生だが、この先生はいつももの静かで、心の奥に微笑を欠かさない風情があった。
一言で言えば「大人の風貌」である。
戦後だが、この先生は、「公民」の期末試験に「君はなぜ生きるのか?」と、出題された。
いつも「修身」の答案はうまくかけなかった私は、この出題が気に入って時間一杯かけ、先生との対話を意識しながら、目一杯楽しく書き込んだ。
先生も楽しかったと見え、90点という高得点を下さった。
このことがあってから、先生との距離はうんと近くなる。
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この旅行記へのコメント (1)
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- ぴんぽいんとさんさん 2019/09/27 09:46:58
- 長小次郎先生にゆかりのある古民家を譲り受けました
- 能登半島の古民家を譲り受けたのですが、長先生にゆかりのある家でした。先生に関する手がかりが少なく調べていたところ、この記事にたどり着きました。片瀬さんと直接連絡を取ることはできませんか?
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