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東西文化の交差点である旧ユーゴスラビアを象徴するかのような国。<br />「キリスト教とイスラム教」、「セルビア人とクロアチア人・ムスリム」、「ラテン文字とキリル文字」、「共産主義と資本主義」、そして「戦争と平和」が入り混じり、多層かつ多様な文化・歴史が渾然一体となっています。<br /><br />(写真はサラエヴォ旧市街のバシチャルシャ広場。)

ぼすにあ・へるつぇごびな

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2007/01 - 2007/01

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kinchan

kinchanさん

東西文化の交差点である旧ユーゴスラビアを象徴するかのような国。
「キリスト教とイスラム教」、「セルビア人とクロアチア人・ムスリム」、「ラテン文字とキリル文字」、「共産主義と資本主義」、そして「戦争と平和」が入り混じり、多層かつ多様な文化・歴史が渾然一体となっています。

(写真はサラエヴォ旧市街のバシチャルシャ広場。)

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  • クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境。<br />この国境を境に雰囲気は驚くほど変わります。<br />

    クロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナの国境。
    この国境を境に雰囲気は驚くほど変わります。

  • モスタルのバスターミナル。

    モスタルのバスターミナル。

  • モスタルは、20万人以上の犠牲者を出した1992年から1995年の内戦で激戦地となったため、

    モスタルは、20万人以上の犠牲者を出した1992年から1995年の内戦で激戦地となったため、

  • 街中の至るところに銃痕が残っています。

    街中の至るところに銃痕が残っています。

  • こちらは内戦で破壊された建物。<br />一階には営業を続けている店があります。

    こちらは内戦で破壊された建物。
    一階には営業を続けている店があります。

  • カラジョズ・ベグ・ジャーミア。<br />川を挟んでこちら側はムスリム人の居住区で、内戦中は対岸のクロアチア人居住区と対立していたわけです。

    カラジョズ・ベグ・ジャーミア。
    川を挟んでこちら側はムスリム人の居住区で、内戦中は対岸のクロアチア人居住区と対立していたわけです。

  • こちらはコスキ・メフィット・パシナ・ジャーミア。<br />モスタルの石橋が良く見える場所にあります。

    こちらはコスキ・メフィット・パシナ・ジャーミア。
    モスタルの石橋が良く見える場所にあります。

  • ジャーミアの内部。

    ジャーミアの内部。

  • そしてジャーミアのミナレットの上から見たモスタルの石橋。<br />内戦中の1993年に、民族共存の絆が壊れるとともに破壊されましたが、2004年に復元されました(2005年に世界遺産に登録)。<br />

    そしてジャーミアのミナレットの上から見たモスタルの石橋。
    内戦中の1993年に、民族共存の絆が壊れるとともに破壊されましたが、2004年に復元されました(2005年に世界遺産に登録)。

  • まさに民族共存の架け橋ですね。

    まさに民族共存の架け橋ですね。

  • 橋へ向かう途中の旧市街の街並み。

    橋へ向かう途中の旧市街の街並み。

  • 石橋の上です。

    石橋の上です。

  • 橋のたもとには「93年を忘れるな」の標識があり、内戦が遠い過去のものではないことを物語っています。

    橋のたもとには「93年を忘れるな」の標識があり、内戦が遠い過去のものではないことを物語っています。

  • クロアチア人居住区側から見た石橋。

    クロアチア人居住区側から見た石橋。

  • 夏には子供達がこの石橋から川へ飛び込んでいるそうです。

    夏には子供達がこの石橋から川へ飛び込んでいるそうです。

  • 対岸で見つけたモスタルのミニ石橋。

    対岸で見つけたモスタルのミニ石橋。

  • そしてサラエヴォへ。<br />モスタルからサラエヴォまでの道沿いの家は、ことごとく屋根が焼け落ちていました。。。

    そしてサラエヴォへ。
    モスタルからサラエヴォまでの道沿いの家は、ことごとく屋根が焼け落ちていました。。。

  • サラエヴォのホリディ・イン。<br />内戦中にジャーナリストが集まっていた場所で、最前線から300mしか離れていなかったにもかかわらず営業を続けたホテルです。

    サラエヴォのホリディ・イン。
    内戦中にジャーナリストが集まっていた場所で、最前線から300mしか離れていなかったにもかかわらず営業を続けたホテルです。

  • まだ平和であった1984年の冬季オリンピックを思い出させる五輪のマーク。<br />

    まだ平和であった1984年の冬季オリンピックを思い出させる五輪のマーク。

  • スナイパー通り。<br />内戦中は、この通りの動くもの全てが、老若男女を問わず、高層ビルに潜んだセルビア人狙撃兵の標的として撃たれたそうです。<br />(今でもこの通りを歩くと誰かに狙われてそうでかなり怖い。。。)

    スナイパー通り。
    内戦中は、この通りの動くもの全てが、老若男女を問わず、高層ビルに潜んだセルビア人狙撃兵の標的として撃たれたそうです。
    (今でもこの通りを歩くと誰かに狙われてそうでかなり怖い。。。)

  • 旧共和国議会ビル。<br />内戦時は、激しく損傷した姿で頻繁に報道されていましたが、その後の復興とともに修復が進んでいます。

    旧共和国議会ビル。
    内戦時は、激しく損傷した姿で頻繁に報道されていましたが、その後の復興とともに修復が進んでいます。

  • そしてこちらもサラエヴォ内戦の報道時に頻繁に登場したツインビル(UNISビル)。<br />修復はほぼ完了していました。

    そしてこちらもサラエヴォ内戦の報道時に頻繁に登場したツインビル(UNISビル)。
    修復はほぼ完了していました。

  • 第一次世界大戦の引き金となったサラエヴォ事件の現場。<br />

    第一次世界大戦の引き金となったサラエヴォ事件の現場。

  • オーストリア皇太子がこの橋の袂でセルビア人青年に狙撃され、その後オーストリアはセルビアに宣戦布告。そして第一次世界大戦に発展してしまいました。

    オーストリア皇太子がこの橋の袂でセルビア人青年に狙撃され、その後オーストリアはセルビアに宣戦布告。そして第一次世界大戦に発展してしまいました。

  • 同じ川沿いにある国立図書館。<br />1992年にセルビア人の砲撃により全焼し、建物だけが残っています。

    同じ川沿いにある国立図書館。
    1992年にセルビア人の砲撃により全焼し、建物だけが残っています。

  • 国立図書館に掲げられている、「セルビア人のしたことを忘れるな!」のメッセージ。

    国立図書館に掲げられている、「セルビア人のしたことを忘れるな!」のメッセージ。

  • サラエヴォの旧市街であるバシチャルシァ。<br />この旧市街には多様な文化がぎっしりと詰まっており、そのオリエンタルな雰囲気、エキゾシズムは一度訪れる価値ありです。

    サラエヴォの旧市街であるバシチャルシァ。
    この旧市街には多様な文化がぎっしりと詰まっており、そのオリエンタルな雰囲気、エキゾシズムは一度訪れる価値ありです。

  • サラエヴォには白人のムスリムが多く住んでいます。<br />モスクで白人が礼拝する光景を見るのはある意味新鮮でした。<br />

    サラエヴォには白人のムスリムが多く住んでいます。
    モスクで白人が礼拝する光景を見るのはある意味新鮮でした。

  • 旧市街の中心にある広場。<br />ライトアップされたセビリ(水飲み場)が印象的でした。

    旧市街の中心にある広場。
    ライトアップされたセビリ(水飲み場)が印象的でした。

  • 広場に面したモスク(チャルシイスカ・ジャーミア)。

    広場に面したモスク(チャルシイスカ・ジャーミア)。

  • こちらはガジ・フスレヴ・ベイ・ジャーミア。

    こちらはガジ・フスレヴ・ベイ・ジャーミア。

  • このモスクの清めの泉の上には、8ヶ国語での表記があります。

    このモスクの清めの泉の上には、8ヶ国語での表記があります。

  • モスクのすぐそばにはユダヤ人のシナゴーグがあり、

    モスクのすぐそばにはユダヤ人のシナゴーグがあり、

  • そのそばにはカトリックの大聖堂があり、

    そのそばにはカトリックの大聖堂があり、

  • さらにそのそばには、セルビア正教の教会があります。

    さらにそのそばには、セルビア正教の教会があります。

  • こちらも古いセルビア正教の教会。<br /><br />多様な文化が融合し共存してきたことが分かります。

    こちらも古いセルビア正教の教会。

    多様な文化が融合し共存してきたことが分かります。

  • ベデステンと呼ばれる旧市街のバザール。

    ベデステンと呼ばれる旧市街のバザール。

  • バザールの内部。

    バザールの内部。

  • サラエヴォっ子も納得というチェバプチチ専門店でチェバプチチを注文してみました。<br />

    サラエヴォっ子も納得というチェバプチチ専門店でチェバプチチを注文してみました。

  • そして冬のサラエヴォに雪が積もります。。。

    そして冬のサラエヴォに雪が積もります。。。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • きゃんさんさん 2007/04/01 22:12:33
    内戦後の復興が伺えますね
     こんばんは。

     ボスニア・ヘルツェゴヴィナの
    お写真を見させて頂きました。

     紛争から復興の中にある同国の
    風景が手に取るように分かるお写
    真だと思います。

     しかし、居留地を分けて住まね
    ば暮らせないのはまだまだ紛争の
    傷が癒えていない証拠なのかもし
    れませんね。

     一国をほぼ同一民族で暮らして
    いると分からない感覚なのかもし
    れません。

    kinchan

    kinchanさん からの返信 2007/04/01 23:57:04
    RE: 内戦後の復興が伺えますね
    きゃんさん

    書き込み有難うございます。

    モスタルのみならずサラエヴォでもセルビア人居住区とクロアチア人・ムスリム人居住区が分かれていました。例えばバスターミナル等もそれぞれ2つあり、ベオグラードに行くバスはセルビア人居住区のターミナルからのみ出ているという状態でした。
    (少なくとも日本人である僕には)とても自然とは思えない状態ですが、今後、時間をかけてでもこれら紛争の傷跡が癒されることを祈るばかりです。

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