1993/08/12 - 1993/08/12
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さすらいおじさんさん
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私が川口を知ったのは1962年製作、早船ちよ原作、浦山桐郎監督、吉永小百合と浜田光夫主演の映画「キューポラのある街」を見たときだ。埼玉県川口市は鋳物の街で「キューポラ」は鋳物をつくるために鉄を溶かす溶銑炉。映画の場面では、小さな鋳物工場のキューポラの煙突がたくさん見えていた。この作品は貧富の差と差別という社会の問題をテーマにしている。娘を高校に進学させることも厳しい零細工場、さらに貧しい在日朝鮮人の人達。貧困と差別に苦しむ在日朝鮮人の人達は第2次世界大戦後の北朝鮮の「地上の楽園」を謳った帰国事業で日本人妻を含む10万人近くが北朝鮮に渡っている。この映画は川口から北朝鮮に帰国する人達の様子を見事に描いている。だが「地上の楽園」を夢見て帰国した人達を待っていたのはさらなる貧困と本国での在日挑戦人だった人達への差別だと言われる。拉致問題とともに「地上の楽園」に騙されて帰国し餓死するほどの貧困に苦しむ人達の救済も国際的な問題であろう。
1993年の川口では残念ながらキューポラの煙突を見つけることはできなかったが川口市の展示ホールで橋桁、街灯など鋳物製品の展示物を見学したことは良い思いでになった。
川口のあと、長野に向かい1998年の冬季オリンピックが決まって活気づく長野駅前や善光寺で戒壇めぐりをして極楽の錠前に触れて宝物館も見た。予想以上に大きな寺だった。
善光寺に近い刈萱山寂照院西光寺は「刈萱(かるかや)道心と石堂丸」で知られる寺。出家した父を訪ねて幼い石堂丸が高野山に登ってようやく父を見つけるのだが、道心は修行の身であることから心を鬼にして父であることを名乗らなかったという悲しい話。刈萱山寂照院西光寺は刈萱道心が没した地で、高野山で知った父と子の悲しい逸話を思い出しながら参拝した。
列車で通った姨捨駅近くには70歳になると老人は山に捨てられるという信州の伝説、姨捨山(おばすてやま・うばすてやま)がある。この姨捨伝説をベースに書かれた深沢七郎の楢山節考(ならやまぶしこう)は、1958年木下恵介監督、田中絹代、高橋貞二らの出演作品と1983年今村昌平監督、緒形拳、坂本スミ子ら出演作品と2度映画化された。今村昌平作品はカンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞しているが私はラストシーンに「姨捨駅」を紹介する木下恵介作品のほうがより心に残っている。
(写真は川口駅前の光景)
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この旅行記へのコメント (3)
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- コクリコさん 2007/02/25 09:37:31
- 川口とは!
- さすらいおじさん、おはようございます。
川口までいらしていたとは驚きました。
我が家から近いですよ。
やはり『キューポラのある街』に思いを馳せましたか。。。
吉永小百合と浜田光夫のキラキラした目が印象に残っています。
私も初めて川口に行った時「キューポラはどこにあるの?」と思いました。
今でもささやかですが鋳物工場はあるようですね。
夫は埼玉っ子でしたので、中学か高校生の時、学校で早船ちよさんの講演を聴いたそうです。
埼玉県庁の写真もありますね〜まぁ、お近くまでいらしていたのですね。
さすらいおじさんが、ぐっと身近に感じられました。
長野の善光寺さんにも詣でられたのですね。石堂丸の物語は子供頃『善光寺さま』と言う善光寺にお参りした時に買った漫画本にあったのでとても懐かしいです。
日本も名所旧跡だけでなく、目立たない埼玉の中でもさらに目立たない川口にも足をとめられたとは、何票も投票したいですができないので1票投じます。
- さすらいおじさんさん からの返信 2007/02/25 11:58:26
- RE: 川口とは!
- コクリコさん
色あせてしまった写真をご覧いただき、ご評価もいただいてありがとうございます。
川口は『キューポラのある街』が強い印象なのですが、実は1970年の大阪万博で働いていたころお目にかかり、文通を1年ほどしていたかた(女性)が川口(確か弥平町?)にお住まいで家族で鋳物工場をされておられると伺っておりました。
『キューポラのある街』の映画が好きになったのも1970年頃です。この出会いは進展せず終わりましたが、川口という街をみたいなあ、と思っていたのです。恥ずかしながら、今となればほろ苦いけれどいい思い出です。
埼玉の桜草公園を拝見しましたが、機会あれば埼玉にまた行ってみたいと思いました。
- コクリコさん からの返信 2007/02/26 18:01:37
- RE: 大阪万博
- さすらいおじさん、大阪万博と川口が結びついていたのですね。
若い頃のほろ苦い思い出、微笑ましいですね。
私も大阪万博行きましたよ〜。その後は奈良・京都には行っても大阪には一度も行っていません。もう37年も行ってないということですね。
外国人が珍しくて一緒に写真を撮ったり、サインしてもらったり(^^;)、当時の子供には珍しいことばかりでした。
川口在住ではないので「弥平町」という町名は知りませんでした。
新聞に吉永小百合が『キューポラのある街』以来、久しぶりに川口で映画のロケをしたと書いてありました。
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