2006/07/14 - 2006/07/14
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night-train298さん
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7月14日(金)St Sebastian 24.4km
アルベルトは元気に一足先に、出て行った。
彼にとっては初めての巡礼だし、かなり体が重そうなので、すぐに追い付くだろう。
すっかり巡礼仲間になった気分だったが、彼にはそれ以降再び会うことはなかった。
アルベルゲでコーヒーやビスケットの朝食を出してくれた。
そしてフィリスおじさんのすすめで、最初はカルテラ(舗装道路)を歩くことになった。
出発は、薄明るくなりはじめた6時50分。
hondarribiaという、バスクの中でも、評判のレストランがたくさんある地域と聞いている町を通る。
朝だし、無念にも通り過ぎるしかない。
今回の巡礼の道は、まず、バスク自治州という地域を通ることも特徴である。
バスクと言えば、今日の目的地で、古くからの王室の保養地で有名なサン・セバスティアンや、有名な牛追い祭りのあるパンプローナもそうだし、私が昨日まで滞在していたEstellaも同じ地域になる。また、この巡礼路で通る、ピカソの絵で有名なゲルニカも、もちろんバスクである。
バスクはバルセロナのあるカタルーニャ地方と同じく、スペインであっても、スペインではない地域といわれ、過激なテロ組織で知られるETA(バスク祖国と自由)が存在することでも有名であるが、古い文化を持つ地域であり、また、独自の言語を有するのであるが、今は皆、カステリャーノと呼ばれる、いわゆるスペイン語を話している。
しかし、現在は小学校で、このウスケイラと呼ばれるバスク語を、教えているということで、子供達は少し話すことができると言う。
また、地名にはこの言葉が残っていて、カステリャーノと共に、二重に表記してある。
第一日め、今日の目的地は、サン・セバスティアンであるが、バスク語ではDonostiaと言うらしい。
さて、しょっぱなから、カルテラ(舗装道)を歩きはじめた私には、長く感じられたこの道も、ようやく険しい登りの山道に入ってきた頃、ひとつの礼拝堂にたどり着いた。
ここからの見晴しはすこぶる良い。
今歩いて来た道や、海が一望できる。
マティウスは、写真を取ってほしいと頼んできた。
この後、さらに急な登りとなる。
私はここでマティウスに申し出た。
「ここから先は、一人で歩けるから、自分のペースで歩いてね、またサン・セバスティアンで会いましょう。」
私は登りになると、急にスピードが落ちるのだ。彼に迷惑をかけてもいけないし、基本的には一人で歩くのが好きなのだ。
そこからは、思いきり自分のペースになった。
やっと頂上に着き、マットを広げて休憩することにした。
そこに出現したのは、マドリッド出身のロベルトだった。
数少ない巡礼者の一人だ。
互いに自己紹介をする。
彼は今朝Irunに着いて、そのまま歩き始めたらしい。
第一印象で、なんとなくその人なりのイメージなりというものを感じ取ることができると思うのだが、私はなぜか、ロベルトがいい人なのかどうか、皆目見当がつかなかった。
そもそも第一印象というものが大事なのはわかるが、当てにはならないと信じている。
しかし、普通なら、なんらかの直感というものが働くはずなのに、彼に対しては全くわからなかった。
ただ、表面上は、物腰の柔らかい、親切な人だということだけはわかった。
ロベルトはフランスの道を三回歩き、この道は初めてだと言う。
彼はすぐに、「英語とスペイン語、どっちで話した方がいい?」
と、聞いてきた。
もちろん英語なら大変ありがたい!
今日はどこに泊まるのか聞いてみた。サン・セバスティアンにはアルベルゲがないのである。
私の持っている資料を見せると、ロベルトは、ユースホステルに泊まるつもりだと言う。
そこは、マティウスも行くと言っていたが、もし満員だったらどうしよう?と心細く思っていたところ、ロベルトはすかさず、自分も後で予約するから、その時に一緒に予約してあげるよと言ってくれた。
なんと気の利く感じの良い人なんだろう!
私は初対面の人に携帯の番号を聞くことは普段はないが、この道では、それが命綱になることもあるので、遠慮なく聞いておく。
また、もし何かでホステルに泊まるのをやめた場合にも、彼の連絡先を知る必要があった。
そしてロベルトは、ガイドブックを持たずに歩いていると言う。必要がないというのだ。
それは私も同感である。ガイドブックを読みながら、『右に行くと、3つの分かれ道があるので、真ん中の道を行き、ロトンダ(ラウンド アバウト)を通り越し、サッカー場に出たら、そこを右に曲がる・・・』なんて、こと細かく書かれていて、それでも彼らは道に迷うのである。
確かにこの道は、矢印(黄色い矢印に導かれて歩く)が整っているし、大草原でひとりぼっちという場所でもない。
さっき別れたマティウスは、典型的なスペイン人の巡礼者で、かなり忠実にガイドブックを見ていた。それに比べるとロベルトは、私から見ると、かっこ良く思えた。
しかし、彼の見かけや雰囲気は、かっこいいものとは言えなかったし、どちらかと言うと、「軽い人」のように見えたので、信用できるのかわからなかったが、去年の教訓を生かし、この道とて、数少ない巡礼者との繋がりが大切だと思うのであった。
またしばらく歩いていると、ホアンという男性に出会った。
大学で、コンピューターサイエンスを教えていると言う。
すでにフランスの道を歩いたことがあると言うが、よく聞けば、兄弟三人で、サンティアゴから100km手前の町(おそらくサリアあたり)から歩いただけのようで、すでにこの時点でへたばっていた。
彼の連れは、さらにへたばっている様子で、後方を歩いていると言う。
感じ良く、スペイン語で、「初めまして!よろしくね!!」というと、びっくりした様子で、一緒に歩き出した。
しかし、第一印象は良かった彼だったが、仲間になれそうもない気がした。
道を下って行くと、大きな河口があり、そこにあったbarで飲み物を買い、水辺にいると、一組の女性同士のペアがやってきた。フランス人で、Irunより手前から歩き始めているようだった。
そこからは、私は彼女らと一緒に歩きはじめた。しかし、彼女らは英語は少しだけ、私はフランス語がしゃべれないので、無言での意思疎通となるのだが、ここからのコースが、さらにきついものとなり、また、景色が格別のものとなるものだから、言葉なんか要らなかった。
一緒に歩いているだけで、連帯感が湧いてくる。もとより、一緒に歩こうなんていう取り決めさえしていないのだ。
私たちは、この海に注ぐ大河を船で渡った。これも立派な巡礼路なのだ。
今回は、船を使うことも多い。交通手段というよりは、渡し船で、泳いで渡る人はまずいない。(荷物があるし)
向こう岸に着くと、親切なおじさんが分かりやすい道を教えてくれた。
それは単純で、確かに分かりやすいものだったが、登りがとてもきついものだった。
岬のとったんまで歩いたら、そこから一気に階段をあがる。その階段は、天国まで繋がっているんじゃないかと思われるほど、どこまでも続いているのだ。
しかし、くの字型になった階段を登りながら、足を止めれば北の海が、荒々しくも美しく輝いて見えるのである。
終わりのない道などないはずなのに、この階段は長かった。
私はこの頃やっと気が着いた。
この道を、甘く見ていたと。
海で泳げる道、緑の多い美しい道。
それを意味するのは、険しい道であること。
地図に表記された距離と、歩ける時間というものは比例しない。1km歩くのにも相当な時間がかかるのだ。
一日目からこれでは、先が思いやられた。
やっとのことで、頂上に着いた。
その頃には、持っていた水がなくなり、暑さも増してきた。
少し歩いていると、水飲み場を指す標識に出会った。私たちは、水を求めて緑の公園の中を、ずんずん下っていった。
そこはまるでオアシスだった。
緑に囲まれているので、とても涼しい上、おいしいお水を飲むことができた。
私はそれまでの喉の乾きを埋めるように、お腹がタッポンタッポン音がするまで水を飲んだ。
そこを出たころ、ようやく山の上から、いよいよサン・セバスティアンの街が見えてきた。
遠く真下には、海水浴客で賑わう砂浜が見える。今まで見てきた海とは反対側の、別世界がそこにあった。
この頃から、フレンチの二人は、今日はキャンプ場に泊まると言い出したので、ここれ別れることにした。
彼女たちとは、この日以来会っていない。また、大学教授のホワンにも会えなかった。
その後は、街まで一気に下っていく。
これもキツイものだった。
どこにも休める場所がなく、やっと坂道の終点近くでもあり、街の入り口でもある、民家の階段に腰を下ろした時だった。
そこに通りがかったのは、先ほど山の上で出会ったロベルトだった。
私より先に歩きはじめたのに、何で後から来たのか?
聞いてみると、「ちょっと事情があってね」という。私がスペイン語で話しかけたのかは覚えていないが、なぜかここでのやり取りは、スペイン語だったので、私もそれ以上追求しなかった。
う〜ん、怪しいヤツだと思った。
しかも、まだホステルの予約をしていないという。
もうすぐ着く時間だというのに。
ありえない。やっぱり彼は怪しい。
ロベルトは、慌てて、今電話しようと言い、すぐに予約を取ってくれた。
休む間も結局なく、一緒に歩きはじめることにした。
ロベルトについて行けば、必死で宿を探す必要がないからだ。
それにしても、こんなに疲れたことはない。
なのに、サン・セバスティアンの街は容赦なかった。
目指すホステルは、街のいわば出口に位置し、この街を横断しなければならない。
人で賑わう大きな海岸を三つ越える。これはかなり厳しかった。
とても暑い上、足はもう一歩たりとも進みたくないと言う。
荷物もやけに重たく感じるのである。
私は、一言も口を利けないほど、消耗しきっていた。
ロベルトは、絶えず誰かに電話をしている。どうも、この近くに知り合いがいて、そこに泊まろうと考えているらしいが、なかなか繋がらない様子だった。
じりじりと照りつける太陽、海水浴ではしゃぐ人たちの中で、重いリュックを背負い歩く私たちは、異質な存在であった。
この日が一番辛かったというのは、後日ここを歩いた仲間の共通した感想だった。
やっとのことで、私たちはホステルに到着した。
ロベルトは、友達と連絡がとれたらしく、チェックインをせずに話し込んでいた。
口調によると、相手は女性のようで、私の疑惑は深まるばかりだった。
これまでの巡礼では、アルベルゲか安宿に泊まることはあっても、ホステル滞在は初めてであった。
ここには、アメリカ人の高校生の団体客がいて、逃げだしたくなった。
シャワーも汚いし、部屋にいてもうるさい。
一息ついて、外に出た。今日は食事をする気にもなれず、果物などを買って済ますことにした。
ホステルの地下にはpcがある。これを使おうと降りてみると、そこにマティウスと、もう一人の男性がいた。
その人は、ラファといい、たまたまマティウスと同じマヨルカの出身で、今日このサン・セバスティアンに到着して、明日から歩き始めるという。
聞けば二年前に私が去年の夏に歩いた「銀の道」を巡礼したという。
「銀の道」を歩いたというだけで、特別なものを感じた。しかも彼も夏にである。
これ以上の説明も自己紹介も要らない。この共通点があるだけで充分である。
私はたくさん「銀の道」について話したいと思ったが、今後ゆっくりしていくことにして、明日の道の予習をしようと、地図を出し、その高低差に恐れをなしていると、ラファは
小さく手をふり、笑いながらこう言った。
「見ない、見ない」
ラファは英語が上手だったので、最初は風貌からもドイツ人だと思っていた。実際ドイツ人だと思われると言っていたが、生粋のマヨルキンであった。
明日の目的地になる二か所の候補地を決めて、それぞれの部屋に戻った。
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