2006/10/15 - 2006/10/15
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神田明神氏子その五さん
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ある機会がありまして、浜松町の船宿「縄定」を出て、東京湾から隅田川に入り、両国橋を越えたところで、神田川に入り、浅草橋、秋葉原、御茶ノ水、水道橋、飯田橋の辺りで、こんどは南に下って日本橋川、安国通りの下を横切る俎板橋、雉橋、一ツ橋、鎌倉橋、神田橋、日本橋等をくぐって、豊海橋から元の隅田川へ、永代橋、佃大橋、勝鬨橋等の下をくぐって。元の浜松町の船宿まで戻ってくるという2時間の船下りが実現しました。
- 同行者
- その他
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 船
- 旅行の手配内容
- その他
-
浜松町の古川の船溜まりを出た船は、JR山手線のガード下と首都高速の下を潜って湾岸に出て、
左に進むと、左手に竹芝桟橋、そして?浜離宮の木々と汐留の再開発ビル群が見えてきます。 -
移転が予定されている築地魚市場を過ぎると、目の前には今は開かずの橋?「勝鬨橋」があります。
勝鬨橋は昭和15年(1940)完成、戦後の45年(1970)に閉切りとなって、現在に至ってます。
勝鬨橋の出来る前は、佃島と築地を結ぶ交通手段は佃の渡しだけでした。 -
勝鬨橋を潜ると、
同じく左手に文明開化のシンボルだった明石町の?聖路加病院の再開発ビル群が見えてきます。
本当は、聖路加病院チャペルの輝く金の十字架が望めると最高なんですが、今は川辺に聳え立つ
レジデンシャル・エリアの裏側になってしまって見えません。 -
聖路加を過ぎると、佃大橋、超モダンな吊橋「中央大橋」を越えると、大川と呼ばれた
隅田川に入ります。隅田川を遡っている途中で、ガラス張りの水上バス?「ヒミコ」と
すれ違いました。「ヒミコ」は、宇宙戦艦ヤマトの作者 松本零士 がデザインした観光船。
2004年に就航し、現在隅田川とお台場のコースに就航しています。 -
墨田川に架かる伝統的な橋は十一橋あり、一番川下から、「永代橋」「清洲橋」、右手に小名木川の河口を見て、首都高速の隅田川大橋、そして「新大橋」、小松川線の高速橋、両国橋と続きます。更に(JR総武線鉄橋)を越えてからは「蔵前橋」「厩橋」「駒形橋」「吾妻橋」「言問橋」「桜橋」「白髭橋」と続きますが、船はそこまで遡らず、
両国橋を潜ったところ(この辺り粋な柳橋地区)で、左に河口のある神田川に入ります。
この辺りにも船宿が多く、粋な木造りの?屋形船が舫ってありました。 -
神田川にかかる橋は、柳橋、浅草橋、左衛門橋、美倉橋、和泉橋、そこからJR山手線の鉄橋下を潜って、?万世橋(の右手に秋葉原の電気街が広がります)に出ます。
-
今はさいたま市大宮区に移転した旧交通博物館の煉瓦塀を左に眺めながら、昌平橋を越えると、濠はだんだん深くなり、美しいアーチ橋の?聖橋が見えてきます。橋の右手上は湯島の聖堂です。
聖橋の左上は御茶ノ水駅のホーム。ここを通る中央快速、総武線は、途中で上下に交差しますので、この辺りは、一番上を本郷通りの人・車、その下を総武線、中央線、川面スレスレに丸の内線、一番下を我々を乗せた船が通るという、都内でも珍しい五層の立体交差になっています。
お茶の水橋の下を通ると、未だ未だ深い渓谷は続きます。 -
水道橋駅を通り過ぎて暫くすると神田川はこの先、飯田橋辺りで南下し、日本橋川に入ります。新川橋、堀留橋、南堀留橋を潜ると、その次は俎板橋(まないたばし)。
この橋は、靖国通りに架かっている橋。この辺りの護岸壁には蔦の大きな葉が垂れ下がって見事。
宝田橋、雉橋、一ツ橋、錦橋とつづきますが、雉橋を越えた辺りから、右手は江戸時代の?石組みの護岸壁が残っています。大体、毎日新聞のリバーサイドビルの裏側辺りです。 -
ここを過ぎると、神田橋、鎌倉橋で、江戸の初期から江戸城築城の石材、木材の積卸しの場所「鎌倉河岸」があって賑わっていました。神田―東京駅間の中央線のガードを越えると、日銀(昔金座のあった辺り)裏の、新常磐橋、旧常磐橋(江戸初の石積み橋)、常盤橋と江戸城の総門、常盤橋御門前の橋に乗り入れます。その先、今の大和證券の角にあるのが、迷子探しの石碑にあった「一石橋」。
西河岸橋を越えると、この運河の名前の由来となった
?日本橋に差し掛かります。さすがに道路元標のある立派な石造りの橋で、ブロンズの四隅の親柱、欄干の中央の飾り柱(麒麟と獅子)、道の真ん中の道路元標etc. 見事な作品です。平仮名の橋の銘板は、最後の将軍徳川慶喜の手になるものと言われています。
何十年か前まで、橋の北詰西寄りの川岸に美しい赤レンガ造りの帝国製麻のビルがあったのですが、
今はありません。筋向いの野村證券ビルは、これは褐色の煉瓦ビルですが、戦前からの建物です。
この日本橋が石組みの橋に架け替えられたのは、明治も終わろうという44年(1911)の事でした。
それまでの木橋の復元されたものは、両国の江戸東京博物館の常設展示となっています。
江戸末期迄は、日本橋北側に魚市場、南側は四日市という大きな市場だったなんて想像出来ます? -
次の江戸橋の南詰東寄りには、大正ルネッサンスの建物三菱倉庫のレトロなビルが今も健在です。と言っても、実際の竣工は関東大震災後の昭和5年(1930)でしたが。
この辺りから、渋沢栄一の作り上げた旧国立第一銀行、東京証券取引所等が立ち並んでいた兜町界隈ですが、この辺りの二橋、兜橋と鎧橋はいずれも源義家由縁の名前です。
さらに茅場橋、湊橋を潜って、日本橋川河口に架かる
?豊海橋で、元の隅田川に戻ります。
再び、隅田川を東京湾まで下り、出発点の浜松町 古川の船宿「縄定」まで戻ってきました。
所要時間予定通り、ぴったり2時間。これはお見事でした。最後は少し雲が多くなりましたが、
コースの大半、青い空と白い雲、それに心地よい風に恵まれて実(みのり)多い船ぶらり旅でした。
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この旅行記へのコメント (5)
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- シベックさん 2007/02/02 00:38:04
- 船で行く都心
- 神田明神氏子その五さん、はじめまして。
私のページへおいで頂きありがとうございました。
かなり前ですが、一時水道橋に住んでいたこともあり、
(40年も前)懐かしく船旅拝見しました。
今は船で都心を回れるのですね。驚きました!
松本零示デザインの船、超未来的ですね。
こんな船で東京見物したいものです。
シベック
- 神田明神氏子その五さん からの返信 2007/02/02 09:47:55
- RE: 船で行く都心
- 水道橋にお住まいでしたか。神田川も聖橋ー水道橋間は、濠も深く、景観も素晴らしい。又、歴史的にも(今回の船旅のブログには、載せませんでしたが)
見るべきものが多くあり、もっと詳しく載せるべきでしたが、良い画像が出来なかったせいもあり、あのブログからは外したしまいました。本当は昔の玉川上水を駿河台の方へひいた水道橋(今の水道橋の名称のの源となった)に就いても触れたかったのですが、これは船旅じゃなくて、陸上の神田川の両側を歩く時にでも、もう一度取り上げてみたいと思っています。
シベックさんのブログ、1月27日の「節分草」に心惹かれてしまいました。森の妖精、って本当にそんな感じでした。鳳来寺、行って見たいです。以前に何方かのブログ出、これまた山中に咲く「蓮華升麻」にもいかれてしまいましたが、山の中でひっそり咲く花って、なにか惹かれますね。
-
- 義臣さん 2006/12/08 16:16:36
- はじめまして
- はじめまして。
素晴らしい船旅(?)
見慣れた風景も船上からの風景がとても新鮮に見えて
意外でした。
- 神田明神氏子その五さん からの返信 2006/12/08 16:45:18
- RE: 有難うございます
- もう船下りの時期から2ヶ月が経ってしまいました。本当は屋形船なんかで一杯やりながら、なんていうのを夢に見てたのですが。剣客商売の秋山小兵衛の様に、若い女房のお春に櫓をまかせて、大川、小名木川なんて言うのが実現しないかなあ、というのが来年の夢?です。
義臣さんの小石川後楽園の紅葉見事でした。カメラの腕で実際より美しく表現されているのでは、と思ったりしています。大絶賛です。
- 義臣さん からの返信 2006/12/09 08:44:17
- RE: はじめまして
- お褒め頂き光栄です。
下手な鉄砲です。
それでも此処は以前から好きな場所でも有るのが
原因に一つかとも思ってます。
屋形船で、一杯、、うーん良いでしょうね。
アルコール苦手な私でも気分良くなりそうです。
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