2003/08/05 - 2003/08/07
1426位(同エリア1736件中)
akkiy363672さん
- akkiy363672さんTOP
- 旅行記221冊
- クチコミ8件
- Q&A回答6件
- 608,284アクセス
- フォロワー5人
8月2日から始まった青森「ねぶた祭り」も、私たちが訪れたこの日は5日目…、夜に練るねぶたの最終日です。
夕刻になると、浴衣に赤や水色のたすきをかけ、花笠を被ったハネトと呼ばれる踊り子たちが、続々と会場へ繰り出して来ます。
午後6時30分。辺りが少し暮れかかったころ、21台の山車が引き出され、会場内の所定の位置に待機…。
定刻6時50分、花火を合図に全ての山車が一斉に動き出し、鳴り物とラッセイラッライの掛け声とともに、みちのくの夏を送る「青森ねぶた祭」が始まりました。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 船 JALグループ 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
第1日目。
津〜(近鉄)〜名古屋〜(新幹線)〜東京〜(東北新幹線)〜仙台 と向いました。
← 東北新幹線です。 -
東北新幹線「仙台駅」。
きれいな七夕飾りが、章くんたちを迎えてくれました。 -
← 仙台駅前です。
ここから観光バスに乗り、今夜の宿泊地である「花巻温泉」へ向います。 -
← 東北自動車道
交通量は少なく、走りやすい道路のようです。 -
一帯は東北地方の米どころ…。色づき始めた稲穂が繁るなか、屋敷森に囲まれた農家が点在しています。
-
← 花巻温泉で、今夜はお泊りです。
-
第2日目。
花巻を出発、バスで東北自動車道を走り、青森を目指します。 -
← 宮沢賢治記念館
「アメニモマケズ カゼニモマケズ …」の詩で有名な宮沢賢治ですが、彼が農業技術の改良を指導したことや、人力飛行機の設計などの科学者の顔、チェロを愛好した音楽家としての顔などを持つことを、この資料館の展示物で知りました。
37歳の死は、あまりにも早すぎます。 -
十和田湖に着きました。
← 何艘もの遊覧船が行き来していました。 -
湖畔には、ホテル、レストラン、みやげ物店などがたくさんあってにぎわっていました。
-
奥入瀬川の渓流沿いに下り、青森市へ向います。
奥入瀬川は十和田湖の唯一の流出河川…、上流部のこのあたり「奥入瀬渓流」は景勝地として有名です。 -
ブナ林が続く渓流沿いには、いくつもの滝が点在し、この道は「瀑布街道」とも呼ばれています。
-
← 十和田湖への魚の遡上を阻止してきた魚止めの滝でもある「銚子大滝」。
そのほか、「阿修羅の流れ」、「雲井の滝」など多くの景勝地があります。 -
八甲田山が見えています。
青森は、もう近いです。 -
八甲田山の休憩所で小休止…。
明治35年、青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の演習中に、東北地方を襲った記録的な寒波のために発生した吹雪に遭遇し、210名中199名が遭難した事件(八甲田雪中行軍遭難事件)が発生しました。
← 遭難し、雪の中から発見された後藤房之助伍長の像が建てられていました。
なお、陸上自衛隊青森駐屯地に駐屯する第5普通科連隊も、毎年、厳冬期に、八甲田山系での冬季雪中戦技演習を行なっています。 -
夕刻、青森に着きました。
市内は「ねぶた祭り」一色…、浴衣に赤や水色のたすきをかけ、花笠を被ったハネトと呼ばれる踊り子たちが会場へと繰り出します。 -
← 腹ごしらえをして、「これから繰り出すぞォ」と気合を入れる、ちびっ子ハネト。
青森で「ねぶた祭」は、老若男女…一家総出です。 -
高校生の女の子でしょうね。
「ねぶた祭」の関連グッズを持ち回って販売しています。運営資金にしているのでしょうか。 -
午後6時30分。辺りが少し暮れかかったころ、21台の山車が引き出され、会場内の所定の位置に待機します。
定刻6時50分、花火を合図に全ての山車が一斉に動き出し、ラッセイ ラッライの掛け声とともにハネトが跳ね出します。
-
大きなねぶた屋台を回すのは、下で頑張る引き手のみんなです。
リーダーの笛と団扇の合図によって、前後左右に屋台を移動させます。 -
一台の山車は、先導に続いて500人から大勢のものは2000人ほどのハネトの集団がついて歩きます。
ハネトのあとをねぶた灯篭が練り歩き、太鼓・笛・鐘などの囃子衆が続きます。
ハネトやお囃子は一家総出…。お父さん、お母さん、兄ちゃん、姉ちゃん…、小学生の子どもやヨチヨチ歩きの子ども、お母さんの背中に負ぶさって跳ねている赤ちゃんハネトもいました。
青森の子どもたちは、ねぶた祭りの囃しを聞いて育つのですね。 -
← 鉦を打つ手ぶりも、堂々たるものです。
ハネトの集団の中に、仮装した人たちがいました。バケトと呼ばれて、イエス・キリストや一休さんなど、誰が見てもそれとわかるキャラクターに扮しています。カッパや鉄腕アトムなどのぬいぐるみを被っているバケトもいました。
2・3年ほど前までは、黒い衣装に身を固めて、集団で暴れまわるカラス族と呼ばれたならず者たちが居たとか。市民と警察の連携のもと、徹底的な締め出しを図って、今は全く姿を見ないそうです。祭りを守ろうという人々の断固とした意思が、カラスを締め出したわけですね。
一時、酒を飲んだり喧嘩をしたりで、高校生の参加を禁止した時期があったといいますが、その翌年、翌々年と目に見えて祭りに活気がなくなり、やはり若い人たちの参加がなくては、祭りの元気は出ないことが証明されたとも聞きました。
だから今は、子どもからお年寄りまで、青森市民は総出演です。 -
それぞれのねぶたは、企業、団体、町内などが、「ねぶた師」と呼ばれる専門家の設計・指導のもと、一丸となって作り上げます。
JR東日本チームが最優秀の「ねぶた大賞」を受賞していました。
青森NTTチームにはたくさんの青少年が参加していて、ハネトの数は2000名を越えていたと思われ、大迫力でした。
青森PTA連合会のテーマは青少年非行防止ねぶたです! -
前の山車がお披露目中は、後ろの山車はちょっと休憩です。
-
今年の「ねぶた大賞」に輝いた、JR東日本チームのねぶたです。
-
右へ振ると、こんな表情になります。
-
左に振られると、こんな顔です。
見る方向によって、表情が違いますよね。 -
← 見物客の前で踊りを披露するハネト。
沿道の見物人が太鼓を鳴らしたり鐘を打ったりすると、ハネトや囃し子が列を抜けて集まり、そこに踊りの輪ができて、観客と参加者が一体となっての盛り上がりを見せていました。 -
北国の短い夏は、凝縮された人々のエネルギーをほとばしらせながら、ラッセイの掛け声とともに更けてゆきます。
午後9時過ぎ、まだまだねぶたの喧騒は続いていましたが、章くんたちは、この夜の宿泊地「浅虫温泉」へ向かって、青森の町をあとにしました。
「浅虫温泉」は、平安時代の876年に、円仁が発見したとされています。発見後も麻を蒸すことにのみ温泉が使われていましたが、1190年にこの地を訪れた法然が温泉への入浴を広めてから、入浴用途にも使われるようになったと伝えられます。
温泉名も麻を蒸すことに由来し、麻蒸し転じて浅虫となりました。 -
第3日目。
青森港からフェリーに乗って、函館港に渡ります。
北海道観光…ではありません。ねぶた見物の観光客で、青森空港がパンク状態のため、函館空港から帰るのです。
-
青森から函館までず〜っと、フェリーのあとをカモメがついてきました。
ビスケットやパンなどを手にかざしていると、飛んできて、見事にくちばしにくわえていきます。
函館港の「タラコ丼」、美味しかったです。
ねぶた祭の起源は、アイヌ民族の興亡流転に由来する、悲しい伝説を秘めています。
弾けるようなエネルギーの爆発のうちに、どこか哀惜の情感が流れているのは、そのせいでしょうか。
『おもしろうて やがて哀しき …』は、祭りの宿命かもしれません。だからこそ、今年の祭…に力が入るのでしょうね。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
31