2001/09/10 - 2001/09/17
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GOLDさん
ときは平和な日々が続いていた21世紀はじめの年・2001年の9月10日、我々は卒業旅行でニューヨークにむけて成田を飛び立ちました。
このとき、翌日起きる悪夢で、ニューヨークが、そして世界中が大変なことになると誰が予想したであろうか…
今回は今までの海外旅行のなかでもっとも最悪だったニューヨーク旅行の報告をさせてもらいます。
なお、2001年9月11日アメリカで発生した同時多発テロ事件は、全世界に深い悲しみをもたらしました。犠牲となられた方々とご家族・ご友人の皆様に、謹んでお悔やみとお見舞いを申し上げます。
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 タクシー
- 航空会社
- JAL
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写真:ニューヨークの街並み
日本航空機で日本からの14時間、日付変更線を越えてやっとニューヨークJFK空港に到着しました。現地時間で朝11時、そして、東に飛ぶ、それも超ロングフライトでみんな時差ぼけでとてもつらそうでした。
しかし、ゆっくりはしておけない。『たった6日間の旅行なので思いっきり楽しまなくては!』ということで一行はマンハッタンのホテルにチェックインするなりすぐさまダウンタウンに出かけていきました。 -
写真:マンハッタンの街並み
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写真:ニューヨークの街並み
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写真:エンパイアステートビル
工事はクライスラービルから「世界一の高さのビル」の称号を奪うために急いで行われ、1930年に竣工したが、世界恐慌の影響でオフィス部分の多くは1940年代まで多くの部分が空室であり、「エンプティ(空の)ステートビルディング」と揶揄されたこともあった。ビルの総床面積は20万4385m2におよび、質量は全体でおよそ33万トンある。6,500個の窓や73基のエレベーター(貨物用の6基を含む)、1,860個の階段などで構成されている。
ビルの最上階である102階部分は地上381mの高さにあり、1950年代に付け加えられた電波塔をあわせると443.5mになる。頂上部分では電飾がされており、日によって色が変化する。なお、電波塔が設置される以前は、尖塔部分に飛行船を係留できるようになっていた。
エンパイアステートビルディングは、世界貿易センタービルが竣工するまで長い間世界一の高さを誇っていた。 -
写真:国連本部
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写真:国連本部の内部
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写真:国連本部の内部
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写真:マンハッタンの街並み
2001年9月11日 火曜日 運命の日
ニューヨークは快晴です。夜はミュージカルか・・・なんて楽しみにしながら、これから、自由の女神を観光するため船の発着場のあるバッテリーパークへ地下鉄で向かいました。 -
写真:燃え上がるワールドトレードセンタービル
地下鉄を降りて地上に出て我々はびっくりです。消防車・救急車・パトカーが走りまくっていたのです。一瞬、ダイハード3のシーンが頭によぎりました。そして、後ろを振り向いたら、想像を絶する地獄絵を目にしてしまいました。なんと、110階建ての貿易センタービル2棟がものすごい黒煙あげながら燃えているのです。 -
写真:燃え上がるワールドトレードセンタービル
ワールドトレードセンタービルを見上げ、これからどうしたらいいか分からず、とりあえず皆が避難しているバッテリーパークへ人の流れに沿って避難しました。 -
写真:燃え上がるワールドトレードセンタービル
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写真:バッテリーパークからの眺め
このテロで、自由に女神のあるリバティー島へは立入禁止で渡れませんでした。 -
写真:燃え上がるワールドトレードセンタービル
「映画じゃないんだから、まさか倒れては来ないだろう・・・!」などと話をしていると、事実は小説より奇なり!タワーが崩れ始めたのです。遠くから悲鳴と煙が私たちの方に襲ってきました。あっという間に埃に包まれほとんど視界がなくなりました。ハンカチで口を覆っても完全に埃を防げず、のどがおかしくなりそうでした。 -
写真:マンハッタンの街並み
2001年9月12日 水曜日
テロの翌朝です。マンハッタンへの車の乗り入れが禁止されているので、いつも渋滞しているマンハッタン内に車がほとんど走っていません。 -
写真:マンハッタンの街並み
こちらは5番街です。
こちらもほとんど車が走っていません。
こんな写真はもう二度と撮れないでしょう。 -
写真:マンハッタンの街並み
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写真:マンハッタンの街並み
ロックフェラーセンターです。 -
写真:ニューヨークでテロの号外が発行されていました。
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写真:マンハッタンの街並み
ロックフェラーセンターです。 -
写真:マンハッタンの街並み
数々の映画の舞台ともなった、歴史と伝統を誇るニューヨークのシンボル的ホテル、ザ・プラザです。
今世紀初頭、当時の大富豪たちが集まり、「世界一豪華なホテル」を建てた、というのがザ・プラザの歴史の始まり。以来90年を経て、現在メトロポリタン美術館などと並んで最重要文化財に指定されている建物は、近代ホテルでは考えられないほどに贅を尽くしており、単なるホテルの枠を越え、ニューヨークを象徴する歴史的存在です。 -
写真:セントラルパークにて
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写真:セントラルパークにて
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写真:セントラルパークにて
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写真:メトロポリタン美術館
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写真:メトロポリタン美術館
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写真:メトロポリタン美術館のミイラ
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写真:メトロポリタン美術館
メトロポリタン美術館のバルコニーからセントラルパーク越しにマンハッタンの街並みを望む -
写真:メトロポリタン美術館
メトロポリタン美術館のバルコニーからセントラルパーク越しにマンハッタンの街並みを望む -
写真:マンハッタンの街並み
いよいよ明日帰国です。 -
写真:ジョン・エフ・ケネディー国際空港
2001年9月14日 金曜日
いよいよ帰国日です。市内の日本航空の支店で飛行機が飛ぶということを確認して空港に向かいました。
しかしテロの関係者がニューヨークで逮捕されたことに伴いふたたび空港閉鎖にあいました。結局、日本に帰ることができなくなりこれから3日間空港でキャンセル待ちという日が続きました。その時また問題がおこりました。 -
写真:ジョン・エフ・ケネディー国際空港
全日空は飛ぶのかな… -
写真:ジョン・エフ・ケネディー国際空港
2001年9月15日 土曜日
今日も朝から空港で帰国便のキャンセル待ちに並びました。
日本からの飛行機は到着していますが1機しかありません。しかし、すごい数の人たちがキャンセル待ちに並んでいます。 -
写真:タクシーでマンハッタンへ
やはり帰国便に乗ることが出来ず、荷物と一緒にマンハッタンに逆戻りです。そして、来た時にタクシーから見えたワールドトレードセンタービルはやはりありませんでした。 -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
2001年9月16日 日曜日
今日も朝から空港で帰国便のキャンセル待ちに並びました。
そして、やっと乗ることが出来ました。
これで日本に帰れます。 -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
飛行機はマンハッタン島の北部を上昇中。
マンハッタンの先端のワールドトレードセンターのあった場所からはまだ煙が上がっていました。 -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
飛行機はマンハッタン島の北部を上昇中。
マンハッタンの先端のワールドトレードセンターのあった場所からはまだ煙が上がっていました。
さよならニューヨーク! -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
「ただいま当機は、ナイアガラの滝の上空を順調に飛行しております。」 -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
JL005便は五大湖の上空を順調に飛行しています。 -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
JL005便はカナディアンロッキーの上を順調に飛行中。もうすぐアラスカに入ります。 -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
さよならアメリカ合衆国! -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
JL005便は日本に向かって順調に飛行中。もうすぐ日付変更線を通過します。 -
写真:いよいよ帰国です。JL005便
JL005便は日本に向かって順調に飛行中。やっとマップに日本が見えてきました。
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