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気が付いてみると私のスイス遍歴はどうもドイツ語圏に偏っている。<br />フランス語圏の人達に比べてドイツ語圏の人達の方が日本人には相性がいいし、それに私にとってドイツ語のほうが親しみがある。しかし振り返って考えてみると雪を被ったアルプスがスイス観光の目玉で、売れるツアー、売れる本の情報もアルプスに偏るのは当たり前。それにつられて私も含めて日本ではフランス語圏それもジュラ地方はほとんど知られなかったのだろう。<br />気が付いてからは出来るだけ穴埋めしようと、昨年はルマン湖周辺、今年はベルナーオーバーランド滞在の後でチチノとジュラを巡ろうと計画した。<br />チチノはすでに書いたように天候不順のために2日で撤退した。<br />その後のモンブラン山塊のトレッキングでは幸い天候に恵まれ楽しく歩き回った(その旅行記はこのスイス旅行記の後で書くつもり)。<br /><br />そしてモンブラン一周のトレッキングをシャモニーで終わってすぐにジュネーブ経由でジュラの中心地ヌシャテルに向かう。<br />ジュラ地方での行動は勿論自然指向でシャスラルでの展望とビシュー渓谷トラヴェール渓谷のゴルジュと森林が目当てだった。<br /><br />シャモニーを出るときに雲行きが怪しくなり出し、ヌシャテルに着くと雨が降っている。スイス+私=雨 の式が定着してしまった。その後3日間は曇りか雨で予定した歩きは出来ずもっぱら遺跡、教会、城巡りとなる。<br />4日目にようやく好転してきたので、せめてとジュラの典型的な地勢の袋谷 クリュ・ドゥ・ヴァンに行く。曇りで肝心の展望は望めず大満足ではなかったが片鱗だけでも伺え、行ってよかった。<br />以上はジュラ地方の旅を始めるに当っての序言です。<br /><br />以下はヌシャテル市内の観光報告。<br />ヌシャテル州の都で中世の色を濃く残した街。スイス領内では最大の同名の湖の北岸にあって湖畔から階段状に街が出来ており、そこから湖の向こうにアルプスの連峰が展望できる。<br />ここの歴史はかなり複雑で浅学の私ではちゃんと記述できないが、この地帯はフランスとスイス盟約者団の狭間で揺れ動き、自治の獲得のために長い闘争が続いた。スイス盟約者団の従属邦でありながら一方ではフランス出身の支配者の下になったり、プロイセン王家の支配下に入ったりと二重政治体制という奇妙な歴史をたどった。<br />そのような歴史の背景からフランス的雰囲気を感じる町で(スイスでの)フランス文化の中心地で最も正しいフランス語が話される街だそうだ。<br /><br />到着して駅前のホテルに荷物を預けて慌しく坂下の観光案内所で資料を集めた後に、美術・歴史博物館、ヌシャテル城、参事会教会、自然博物館さらに郊外の考古博物館(ラテニューム)まで回る。<br /><br />追記:最近はどういう訳かスイス以外のフランス語圏の旅が増えたが、昔のように英語を知ってるくせに知らない振りをする人が減ったように思う。お陰でなんとか旅ができるが、それでも田舎で人に出会わない時に案内や時刻表の細かい注記のフランス語が読めないことでずいぶん苦労する。特に今回のような田舎廻りではもう少し読めるようになって置かねばと感じた。<br /><br />写真は列車がヌシャテル駅に入る直前の風景<br /><br /><br /><br /><br /><br />

2006年スイスの旅(12)ヌシャテル

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2006/08/27 - 2006/08/27

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4nobu

4nobuさん

気が付いてみると私のスイス遍歴はどうもドイツ語圏に偏っている。
フランス語圏の人達に比べてドイツ語圏の人達の方が日本人には相性がいいし、それに私にとってドイツ語のほうが親しみがある。しかし振り返って考えてみると雪を被ったアルプスがスイス観光の目玉で、売れるツアー、売れる本の情報もアルプスに偏るのは当たり前。それにつられて私も含めて日本ではフランス語圏それもジュラ地方はほとんど知られなかったのだろう。
気が付いてからは出来るだけ穴埋めしようと、昨年はルマン湖周辺、今年はベルナーオーバーランド滞在の後でチチノとジュラを巡ろうと計画した。
チチノはすでに書いたように天候不順のために2日で撤退した。
その後のモンブラン山塊のトレッキングでは幸い天候に恵まれ楽しく歩き回った(その旅行記はこのスイス旅行記の後で書くつもり)。

そしてモンブラン一周のトレッキングをシャモニーで終わってすぐにジュネーブ経由でジュラの中心地ヌシャテルに向かう。
ジュラ地方での行動は勿論自然指向でシャスラルでの展望とビシュー渓谷トラヴェール渓谷のゴルジュと森林が目当てだった。

シャモニーを出るときに雲行きが怪しくなり出し、ヌシャテルに着くと雨が降っている。スイス+私=雨 の式が定着してしまった。その後3日間は曇りか雨で予定した歩きは出来ずもっぱら遺跡、教会、城巡りとなる。
4日目にようやく好転してきたので、せめてとジュラの典型的な地勢の袋谷 クリュ・ドゥ・ヴァンに行く。曇りで肝心の展望は望めず大満足ではなかったが片鱗だけでも伺え、行ってよかった。
以上はジュラ地方の旅を始めるに当っての序言です。

以下はヌシャテル市内の観光報告。
ヌシャテル州の都で中世の色を濃く残した街。スイス領内では最大の同名の湖の北岸にあって湖畔から階段状に街が出来ており、そこから湖の向こうにアルプスの連峰が展望できる。
ここの歴史はかなり複雑で浅学の私ではちゃんと記述できないが、この地帯はフランスとスイス盟約者団の狭間で揺れ動き、自治の獲得のために長い闘争が続いた。スイス盟約者団の従属邦でありながら一方ではフランス出身の支配者の下になったり、プロイセン王家の支配下に入ったりと二重政治体制という奇妙な歴史をたどった。
そのような歴史の背景からフランス的雰囲気を感じる町で(スイスでの)フランス文化の中心地で最も正しいフランス語が話される街だそうだ。

到着して駅前のホテルに荷物を預けて慌しく坂下の観光案内所で資料を集めた後に、美術・歴史博物館、ヌシャテル城、参事会教会、自然博物館さらに郊外の考古博物館(ラテニューム)まで回る。

追記:最近はどういう訳かスイス以外のフランス語圏の旅が増えたが、昔のように英語を知ってるくせに知らない振りをする人が減ったように思う。お陰でなんとか旅ができるが、それでも田舎で人に出会わない時に案内や時刻表の細かい注記のフランス語が読めないことでずいぶん苦労する。特に今回のような田舎廻りではもう少し読めるようになって置かねばと感じた。

写真は列車がヌシャテル駅に入る直前の風景





同行者
一人旅
航空会社
JAL
  • ヌシャテル駅。中腹にあり、湖岸のメイン街に行くには徒歩、バスの他にルガノのように地下のロープウェイがある。<br />雨が降っており、荷物があるのに観光案内所は坂下で遠いし困った!<br />警官に近くにないかと聞いたら、向かいのホテルはいかがと。入口の値段表では構えの割りに安いのでここに決める。<br />後で出てくるように眺めはいいし、フロントはなかなかのインテリ女性とちょっと雑だが明るく若い女性のコンビでいろいろと世話になる。<br /><br />最初の交渉は若いほうだった。少し高いかなーと迷っていると「展望はガラス張りのレストランやテラスに出ればいいし、防音はしっかり出来てるから眺めの悪い駅側の安い方にした方がいいのでは」と助太刀。

    ヌシャテル駅。中腹にあり、湖岸のメイン街に行くには徒歩、バスの他にルガノのように地下のロープウェイがある。
    雨が降っており、荷物があるのに観光案内所は坂下で遠いし困った!
    警官に近くにないかと聞いたら、向かいのホテルはいかがと。入口の値段表では構えの割りに安いのでここに決める。
    後で出てくるように眺めはいいし、フロントはなかなかのインテリ女性とちょっと雑だが明るく若い女性のコンビでいろいろと世話になる。

    最初の交渉は若いほうだった。少し高いかなーと迷っていると「展望はガラス張りのレストランやテラスに出ればいいし、防音はしっかり出来てるから眺めの悪い駅側の安い方にした方がいいのでは」と助太刀。

  • 写真で左端の道の反対側がヌシャテル駅。同じく中腹にあり、しかも湖に面して芝生の広場があり、湖とアルプスを眺めるのに絶好の位置。ホテルの名前もずばり Hotel Alpes et Lac (アルプスと湖)。

    写真で左端の道の反対側がヌシャテル駅。同じく中腹にあり、しかも湖に面して芝生の広場があり、湖とアルプスを眺めるのに絶好の位置。ホテルの名前もずばり Hotel Alpes et Lac (アルプスと湖)。

  • 坂を下ったところはヌシャテル大学関連の建物が沢山ある。この建物はりっぱなのでヌシャテル大学の本部?<br />15年ほど前にメカトロのある分野の日・瑞合同会議で1日だけこの大学に来たことがある。しかしジュネーブからチャーターバスで往復のグループ行動だったのでしかとした場所の覚えがない。

    坂を下ったところはヌシャテル大学関連の建物が沢山ある。この建物はりっぱなのでヌシャテル大学の本部?
    15年ほど前にメカトロのある分野の日・瑞合同会議で1日だけこの大学に来たことがある。しかしジュネーブからチャーターバスで往復のグループ行動だったのでしかとした場所の覚えがない。

  • 湖畔に近い通りにある美術・歴史博物館。<br />ここにもスイスの画家の名作が揃っている。<br />この通りからの湖とアルプスの眺めが素晴らしいそうだが今日の山は雲の中。

    湖畔に近い通りにある美術・歴史博物館。
    ここにもスイスの画家の名作が揃っている。
    この通りからの湖とアルプスの眺めが素晴らしいそうだが今日の山は雲の中。

  • スイス、特にジュラ地方にゆかりの工芸品が並ぶ。残念ながらフランス語の説明のみで類推するしかなく興味が半減。

    スイス、特にジュラ地方にゆかりの工芸品が並ぶ。残念ながらフランス語の説明のみで類推するしかなく興味が半減。

  • ホドラーが描いた1931年の100フランの札。

    ホドラーが描いた1931年の100フランの札。

  • ヌシャテル付近は時計産業が盛んだった。それは宗教改革でユグノーがフランスから移住したときに時計職人が多かったためとされている。<br />この博物館にはいろんな時計がやオルゴールが展示されているが、中でも有名なのがこの18世紀の3つの自動人形(ピアノを弾く音楽家)。

    ヌシャテル付近は時計産業が盛んだった。それは宗教改革でユグノーがフランスから移住したときに時計職人が多かったためとされている。
    この博物館にはいろんな時計がやオルゴールが展示されているが、中でも有名なのがこの18世紀の3つの自動人形(ピアノを弾く音楽家)。

  • 階段踊り場の巨大な絵画。スイス画家ポール・ロベールの寓意画

    階段踊り場の巨大な絵画。スイス画家ポール・ロベールの寓意画

  • 同じ画家の作品?。

    同じ画家の作品?。

  • 絵の横に書かれた花の名前の解説がある

    絵の横に書かれた花の名前の解説がある

  • ここにはアンカーの傑作が多い。期待してなかったので感激。<br />「ペスタロッチと孤児」

    ここにはアンカーの傑作が多い。期待してなかったので感激。
    「ペスタロッチと孤児」

  • アンカーの傑作「若い生徒」

    アンカーの傑作「若い生徒」

  • アンカーの「日曜の午後」

    アンカーの「日曜の午後」

  • スイスの著名な風景画家カラムの「日の当るモンテローザ山嶺」

    スイスの著名な風景画家カラムの「日の当るモンテローザ山嶺」

  • ホドラーが描いたダン・ドゥ・ミディ

    ホドラーが描いたダン・ドゥ・ミディ

  • ベルトードの「ユングフラウとシルバーホルン」

    ベルトードの「ユングフラウとシルバーホルン」

  • 由緒があるらしい美しいステンドグラスが階段のところに。

    由緒があるらしい美しいステンドグラスが階段のところに。

  • 博物館を出て通りを進むとヌシャテル湖水上交通の中枢の港に出る。

    博物館を出て通りを進むとヌシャテル湖水上交通の中枢の港に出る。

  • 港の向こうは郵便局。その一角に観光案内所がある。

    港の向こうは郵便局。その一角に観光案内所がある。

  • やがて旧市街に入る。その入口にあるのがコンサートホール(手前)。向こう側は市役所(ドイツ風だとラートハウス)。

    やがて旧市街に入る。その入口にあるのがコンサートホール(手前)。向こう側は市役所(ドイツ風だとラートハウス)。

  • 旧市街に入口辺り、向こうにディエーズ塔が見える。

    旧市街に入口辺り、向こうにディエーズ塔が見える。

  • 正義の泉。正義の像の下には8角の泉があり、像の足元には古代の施政をシンボル化した4つの人形がある。<br />

    正義の泉。正義の像の下には8角の泉があり、像の足元には古代の施政をシンボル化した4つの人形がある。

  • 旧市街の向こうにタープル・ド・バー(坂下の教会:プロテスタント教会)が見える。

    旧市街の向こうにタープル・ド・バー(坂下の教会:プロテスタント教会)が見える。

  • バンレー(旗)の泉。もとは城壁の外で一番古い生活用の小さい泉だった。1581年に修復して現位置に移設された

    バンレー(旗)の泉。もとは城壁の外で一番古い生活用の小さい泉だった。1581年に修復して現位置に移設された

  • グリフォン(半獅子半鷲の怪獣)の泉。1657年オルレアン家のアンリ2世が、1688年にオルレアン家のシャルルがお祝いに水の代りにワインを流し込んだと伝えられている。

    グリフォン(半獅子半鷲の怪獣)の泉。1657年オルレアン家のアンリ2世が、1688年にオルレアン家のシャルルがお祝いに水の代りにワインを流し込んだと伝えられている。

  • 城に上がる坂道から城の南面を仰ぐ

    城に上がる坂道から城の南面を仰ぐ

  • 坂道を上がり城壁を回るとコレジャル通りに出る。車で来た皆さんはここに駐車する。ここから小さな南門への途中で街のいい展望が得られる。後の塔は牢獄塔

    坂道を上がり城壁を回るとコレジャル通りに出る。車で来た皆さんはここに駐車する。ここから小さな南門への途中で街のいい展望が得られる。後の塔は牢獄塔

  • この通りを観光用ミニトレーンが通る

    この通りを観光用ミニトレーンが通る

  • 城の南面のテラスからのヌシャテル旧市街

    城の南面のテラスからのヌシャテル旧市街

  • 教会正面のテラスからの旧市街

    教会正面のテラスからの旧市街

  • コレジャル(僧会組織の教会、参事会教会とも)。12世紀の終わりに着工して1276年に献堂される。城側に素晴らしい3つのロマネスク後陣がある。

    コレジャル(僧会組織の教会、参事会教会とも)。12世紀の終わりに着工して1276年に献堂される。城側に素晴らしい3つのロマネスク後陣がある。

  • 正面の2つの塔のうち南側(ここでは右)がオリジナルで、北側は1869年。

    正面の2つの塔のうち南側(ここでは右)がオリジナルで、北側は1869年。

  • 城の中庭。城内見学は館のガイド付きでのみ許される。次のツアーまでここで待たずに途中から前のツアーに合流させてもらう。どうせフランス語の説明ではわからないのだからと、そうしたらドイツ語説明もあった。

    城の中庭。城内見学は館のガイド付きでのみ許される。次のツアーまでここで待たずに途中から前のツアーに合流させてもらう。どうせフランス語の説明ではわからないのだからと、そうしたらドイツ語説明もあった。

  • 中庭の窓の配列が面白くて撮ったが

    中庭の窓の配列が面白くて撮ったが

  • 城内の中規模の広間。騎士の間?城主の居間?

    城内の中規模の広間。騎士の間?城主の居間?

  • 大広間で説明するガイド

    大広間で説明するガイド

  • 城内の大広間。壁面に歴代の王の紋章が並ぶ

    城内の大広間。壁面に歴代の王の紋章が並ぶ

  • 城から教会へ通ずる道。この右にクロスターの回廊がある。

    城から教会へ通ずる道。この右にクロスターの回廊がある。

  • どうしてか心が和むので私は回廊が好きだ。ここも素敵な回廊だった。

    どうしてか心が和むので私は回廊が好きだ。ここも素敵な回廊だった。

  • 回廊の中庭から教会を臨む。

    回廊の中庭から教会を臨む。

  • 教会内部。ボールトがきれいな色。星空をイメージして作ったのか。

    教会内部。ボールトがきれいな色。星空をイメージして作ったのか。

  • ボールトをズームして。黄色はどうも星形だ

    ボールトをズームして。黄色はどうも星形だ

  • 大窓のステンドグラス

    大窓のステンドグラス

  • 中庭から教会の鐘堂を

    中庭から教会の鐘堂を

  • 教会下の牢獄塔。10世紀に作られたといわれている。

    教会下の牢獄塔。10世紀に作られたといわれている。

  • 市内の観光を終えて4kmほど郊外の考古学博物館(ラテニウム)に足を伸ばす。着いたのが30分前で慌しい見学だった。いつか もっとゆっくりと。昔のガイドブックでは市内にあったのを2001年にここに移し元の建物は自然科学博物館になった。<br />ラテニウムの名は1857年に発掘されたラ・テーヌ遺跡にちなむ。この遺跡からアイルランドから広くルーマニアまで広がった第二鉄器時代のケルト文明の遺物を多く出土し、ここに展示してある。BC5〜1世紀のケルト人の鉄器文化をラ・テーヌ文化と呼ぶほど有名なそうだ。このスイスに定着したケルト人の一族がヘルベチア人でスイス連邦の正式呼称をコンフェデラチオ・ヘルベチカ(CH)というのはここに由来する。<br />帰りのバス停で話し掛けられた中年女性の考古学者とヌシャテル駅まで一緒して坂下からの地下ロープウェイを知る。今年の異常な天気も話題に。

    市内の観光を終えて4kmほど郊外の考古学博物館(ラテニウム)に足を伸ばす。着いたのが30分前で慌しい見学だった。いつか もっとゆっくりと。昔のガイドブックでは市内にあったのを2001年にここに移し元の建物は自然科学博物館になった。
    ラテニウムの名は1857年に発掘されたラ・テーヌ遺跡にちなむ。この遺跡からアイルランドから広くルーマニアまで広がった第二鉄器時代のケルト文明の遺物を多く出土し、ここに展示してある。BC5〜1世紀のケルト人の鉄器文化をラ・テーヌ文化と呼ぶほど有名なそうだ。このスイスに定着したケルト人の一族がヘルベチア人でスイス連邦の正式呼称をコンフェデラチオ・ヘルベチカ(CH)というのはここに由来する。
    帰りのバス停で話し掛けられた中年女性の考古学者とヌシャテル駅まで一緒して坂下からの地下ロープウェイを知る。今年の異常な天気も話題に。

  • 屋外には旧石器時代に湖畔にあった建物を再現したのが数軒ある。

    屋外には旧石器時代に湖畔にあった建物を再現したのが数軒ある。

  • 石棺は1876年にオービニエールとコロンビエールの間の湖畔で発掘された。BC3000年頃と推定されている。

    石棺は1876年にオービニエールとコロンビエールの間の湖畔で発掘された。BC3000年頃と推定されている。

  • 陶板に書かれた模様。ケルト風?

    陶板に書かれた模様。ケルト風?

  • 大理石に彫られた文字

    大理石に彫られた文字

  • 湖岸(オーベルニェ、ブヴェのいずれかだが)で発掘された青銅期末期とされるケルト文明の子舟

    湖岸(オーベルニェ、ブヴェのいずれかだが)で発掘された青銅期末期とされるケルト文明の子舟

  • アウグストゥス大帝の大理石胸像

    アウグストゥス大帝の大理石胸像

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この旅行記へのコメント (5)

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  • demokoさん 2006/10/14 00:32:01
    こにちは
    このコンサートホールは そういうふうに名前が出ていますがコンサートホールとして機能していません。向こうの大きな建物は 裁判所です

    4nobu

    4nobuさん からの返信 2006/10/14 11:33:25
    RE: こにちは
    demokoさんはじめまして。
    ご指摘とご訪問有難うございます。
    damokoさんはヌシャテル、それとも近郊のご滞在でしょうか。
    コンサートホールは「古いホール」とどこかに書かれたように最近のコンサートは他のホール(Pommier通りのCCNなど)を使う事が多くなったでしょうか。
    それでも少しは利用されているようでHPにコンサートの予定が出ておりました。
    それから隣のタウンホールと誤解するような書き方でしたね。確かに大きい町のコンサートホールはこれぐらい立派ですからね。
    そのほか誤字や表現間違いを一杯見つけ先ほど修正しました。ほんとうに有難うございました。

    demoko

    demokoさん からの返信 2006/10/14 16:13:43
    RE: RE: こにちは
    すみません、このコーナー初めてで わからない中で書いていました。今ヌシャーテルのコンサートは テンプルドバ でよくやっています。もちろん市内のコンセルバトワールのホールでもよくやっていますが。
    写真すばらしいのと 細かいところまで調べてあって また訪問させてもらいます。
  • とらいもんさん 2006/10/13 09:11:51
    お疲れ様
    お早うございます。
    ヌーシャテル、わかりました。

    4nobu

    4nobuさん からの返信 2006/10/13 23:34:35
    RE: お疲れ様
    とらいもんさん今晩は
    訪問いただきありがとうございます。しかし未完成で申し訳ありませんでした。
    さきほどようやく書き込みを終えましたので報告いたします。

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