2006/09/22 - 2006/09/22
4363位(同エリア4761件中)
片瀬貴文さん
2006年9月22日
喜寿(満75歳数えで77歳)を迎えて、中学校の同窓会を粟津温泉で開催した。
中学校卒業以来、58年である。
翌日は、皆で昔学んだ学校を訪問する。
畑の中に建って、はるか日本海まで見渡すことの出来た校舎の環境はすっかり変わり、今はマンションの混じった住宅地に変貌している。
この道は、中学生時代には畑の中を通っていて、腰まで雪に埋まりながら通ったものだ。
あちこちに肥溜めがあって、それにはまり込んだ者もいた筈だ。
当時堂々と聳えていた校舎は跡形なく、新しい建物に変わっていた。
子供の目にはべらぼうに広いと感じた運動場は、今見るとそうでもない。
入口の両側にあった初代冨田校長先生と、第三代久田校長先生の銅像は、相変わらずの姿を見せている。
ただし戦時中に供出され、戦後新たに置き換えられたものである。
富田先生のものは昔の銅像の写真が失われ、顔がわからなくて困っていたところ、私が四高先輩にお孫さんを見つけて、復元にこぎつけた。
そのご縁で、ひ孫さんの仲人までやらせていただくことになった。
思い出の深い、代物である。
先輩の慰霊を祀った「厳霜碑」も、昔どおりに建っていた。
戦後いったん土の中に埋められていたものを、復活させたものと聞かされる。
金沢の中心部は、すっかり姿を変えていた。
県庁は移転し、第四高等学校はとっくになく、何より市電が走っていないのが物足らない。
歳月は町の姿を変え、近代的になると同時に、個性や潤いをなくしたように思える。
これから75年に、どんな進歩があるのだろうか。
75年という歳月は、とても長いものなのだ。
われわれの生まれた1930年の75年前は1855年(安政元年)、黒船来航の二年後だったのだから。
とにかく、われわれは長生きしたものだ。
最後に変わり果てた金沢駅の姿をつくづく眺めながら、記念すべき「58年ぶりの再会」は、感慨をもって終わった。
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