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2006年9月21日<br /><br />われわれが生まれたのは昭和5年(1930年)、世界恐慌のさなかだった。<br />満州事変があったのは、その翌年昭和6年(1931年)である。<br /><br />それからずっと戦時色が強くなり、中学校に入学したのは昭和18年(1943年)、大東亜戦争のピークを迎えていた。<br />中学生時代は、終戦を挟んで世の中が大きく揺れる中で、われわれは青春を迎えた。<br /><br />終戦直前の昭和20年(1945年)には、田舎の寺で合宿生活を送りながら、徹夜で戦闘機を製作するという経験もした。<br />手取川の鉄橋を渡る夜行列車の音を聞きながら、眠気覚ましに大声で歌を歌ったものだった。<br /><br />それから混乱期、極貧の時代、飢餓の時代、復興期を過ごし、社会人となってからは日本経済の急成長期にあって、汗水たらして懸命に働いた。<br />そうしたほぼ60年の間、お互いに共通した経験を持っている。<br /><br />だからいくら語っても、話は尽きない。<br />一同の気持ちは、「われわれの一生は変化に富んで恵まれていた」という点で、一致している。<br /><br />18時に始まった祝宴は、二次会に入り、深更まで続く。<br />昔を語るものもおれば、未来を語るものもいる。<br />

58年ぶりの再会【2】変化に富んだ一生

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2006/09/21 - 2006/09/21

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片瀬貴文

片瀬貴文さん

2006年9月21日

われわれが生まれたのは昭和5年(1930年)、世界恐慌のさなかだった。
満州事変があったのは、その翌年昭和6年(1931年)である。

それからずっと戦時色が強くなり、中学校に入学したのは昭和18年(1943年)、大東亜戦争のピークを迎えていた。
中学生時代は、終戦を挟んで世の中が大きく揺れる中で、われわれは青春を迎えた。

終戦直前の昭和20年(1945年)には、田舎の寺で合宿生活を送りながら、徹夜で戦闘機を製作するという経験もした。
手取川の鉄橋を渡る夜行列車の音を聞きながら、眠気覚ましに大声で歌を歌ったものだった。

それから混乱期、極貧の時代、飢餓の時代、復興期を過ごし、社会人となってからは日本経済の急成長期にあって、汗水たらして懸命に働いた。
そうしたほぼ60年の間、お互いに共通した経験を持っている。

だからいくら語っても、話は尽きない。
一同の気持ちは、「われわれの一生は変化に富んで恵まれていた」という点で、一致している。

18時に始まった祝宴は、二次会に入り、深更まで続く。
昔を語るものもおれば、未来を語るものもいる。

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