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アーラは母親のナージャさんと二人暮らし。二人は一戸建ての家に住んでいる。彼女はソフォーズで働いている。庭先でジャガイモをつくり、裏庭で鶏を数羽飼っている。この卵が現金収入になるようだ。アーラもよく手伝う。夕食に鶏肉と野菜を煮込んだ料理をご馳走になった。私たちのために飼っていた大事な鶏をつぶしてくれたのだった。庭先の人目につかないところにむしった鶏の羽が落ちていた。ナージャさんもアーラも英語はまったくダメ。ナージャさんはドイツ語が少しできる。英語のかわりにここではドイツ語が教えられていたのだろう。おかげで少し話が出来る。<br /><br />ナージャさんは「どうしてウィーン経由で来るのか。ハバロスクかモスクワ経由の方が近いではないか」という。<br />「地図上ではそうだけど、ヴィザをとったり、ロシアの国内航空のことを考えると、ウィーンまわりの方が早いし、ラクなんだ」と答えるがなかなか分かってもらえない。しかも私たちの旅程にベラルーシの後、ハンガリーが1週間も組み込まれているのを見て、なぜもっとベリキボールにいないのか、となじる。<br />気持ちは痛いほど分かるし、感謝してはいるんだけど、早く引き上げるのは迷惑をかけたくないという、こちらの配慮でもある。<br /><br />ナージャさんと散歩すると、人々が私たちを見て、「イポーニア(日本)」と言っている。学校のそばを通ると、窓から子ども達がのぞき、飛び出してきた。「ズドラーストビッチェ」声をかけるとうれしそうに返事をしてくれる。しかし、会話はここまで。片言では、残念ながら日本を説明することが出来ない。<br /><br />アーラやエレーナが通った小学校にも行った。校長先生が案内してくれ、わざわざ校庭に植えてあったチューリップを切ってくれた。みんな遠来の客に気を使ってくれて、温かい。<br /><br />ここの人たちは花をプレゼントする習慣があるみたいだ。初めてベラルーシを訪れたとき、デニス親子がチューリップを2本、持って待っていてくれた。ベリキボール滞在中も、セルゲイさんがチューリップを持ってきてくれたし、運転手が車を止めて、リラを折ってくれた。そうそう、これで困ったのは、子ども達が日本で公園の花を折ってしまう事だった。日本では花を取ってはいけないと説明したのだった。<br /><br />ホイニキのルスランの家にも行った。ここは5人家族。<br />姉のオクサーナは大学生。いままでは大学の授業料は無料だったが、制度がかわって有料になり、働いて学資を稼ぎながら通っている。兄は高校生。二人とも優秀なようだ。でも、ルスランは勉強嫌い。私たちは、重いけど露和、和露の辞書を持っていった。<br />彼らは露和を用意してあって、互いに辞書を引きながらの会話となった。ロシアは人口あたり世界でも一番図書館の充実している国。ベラルーシもそれは倣っているのかもしれない。<br /><br />昨年、レストランで出た料理を、美味しいと言ったので覚えてくれていて、夕食につくってくれた。カルドニというハンバーグにジャガイモをまいて焼いたもの。ベラルーシには300種類ものジャガイモ料理があるそうだ。<br /><br />どこの家にも例外なく大きなテレビがある。テレビは中央集権にとって上意下達の手段として必要。その代わり、電話はすくない。国民同士、横の連絡をさせない政策だと以前本で読んだことがある。正しいかどうかは知らない。<br />ロシアとベラルーシのテレビが入る。ドイツの映画もずいぶん放映されていた。日本の古いアニメ「南の国のフローラ」を見た。<br />もちろん吹き替え、でも主題歌だけは日本語だった。<br /><br />店のことをマガジンという。どんなものを売っているのか興味があったので、マガジンにも連れて行ってもらった。<br /><br />夕食後散歩した。年寄り達は夕方のひととき野外で過ごす習慣なのか、どこの家の前にもお年寄りが座っている。そのひとり、ルスランのおばあちゃんにも出会った。そこでおばあちゃんの写真をポラロイドで撮って渡すと、はじめは真っ黒な紙を何だろうといった面もちで眺めていたが、そのうち自分の映像が現れると不思議そう。それを見て、近くにいた人たちが寄ってきて写真をのぞいた。おばあちゃんは「この人が撮ってくれたんだ」と私を指さしている。みんなが撮ってくれと言ったらフィルムがないので困る、とそっとその場を立ち去った。100mばかり行って振り返るとまだ人だかりはできていた。<br /><br />ベリキボールに戻り、セルゲイさん一家、アーラ母娘、日本に来た他の子ども達の家族、4家族でオージェロ川へピクニックに行った。白樺林の中で、たき火をし、大鍋に鶏、ジャガイモ、タマネギ、人参etc.といった野菜をいれ煮込む。<br />ソーセージ、ハム、ニシンの薫製、パン、ビーツの漬け物、洋なしやリンゴのコンポート、塩トマト、生野菜などいろんなものが並ぶ。もちろんウォッカも欠かせない。<br /><br />子ども達は河原でたのしそうに遊んでいる。オージェロ川も大きな川。みんなは「オージェロ モーリエ(オージェロ海)」だと言う。当然このモーリエ(海)の水は塩辛くない。<br /><br />子ども達が日本に来たとき何回も海で遊ばせた。そのとき、塩水に驚いたようだった。ここの人はあまり塩分をとらない。リンゴの皮を剥いて塩水につけて出したら、子ども達は食べなかった。アンドレイさんが「なぜ塩水につけるのか」ときいたので、「酸化すると赤っぽくなるから」というと、見た目だけなら不必要だと言った。それも一理ある。以後塩水につけるのはやめた。<br /><br />大きな船に乗せて、伊豆大島につれて行った。広い海も喜んだが、ベラルーシには火山が無いので、彼らはことのほか喜んだ。重いのに溶岩を拾って行った。<br /><br />日の傾くまで野外をたのしみ、みんなで大きな声で歌を歌いながら帰った。楽しい、楽しい思い出となった。<br /><br />別れの日、地境まで送るのが慣わしだといって、揃って地境の白樺林まで送ってくれた。振り返ると、白樺林の間に手を振るみんなの姿が小さくなっていった。<br /><br />

ベラルーシ1995年 4

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1995/05/03 - 1995/05

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buchijoyce

buchijoyceさん

アーラは母親のナージャさんと二人暮らし。二人は一戸建ての家に住んでいる。彼女はソフォーズで働いている。庭先でジャガイモをつくり、裏庭で鶏を数羽飼っている。この卵が現金収入になるようだ。アーラもよく手伝う。夕食に鶏肉と野菜を煮込んだ料理をご馳走になった。私たちのために飼っていた大事な鶏をつぶしてくれたのだった。庭先の人目につかないところにむしった鶏の羽が落ちていた。ナージャさんもアーラも英語はまったくダメ。ナージャさんはドイツ語が少しできる。英語のかわりにここではドイツ語が教えられていたのだろう。おかげで少し話が出来る。

ナージャさんは「どうしてウィーン経由で来るのか。ハバロスクかモスクワ経由の方が近いではないか」という。
「地図上ではそうだけど、ヴィザをとったり、ロシアの国内航空のことを考えると、ウィーンまわりの方が早いし、ラクなんだ」と答えるがなかなか分かってもらえない。しかも私たちの旅程にベラルーシの後、ハンガリーが1週間も組み込まれているのを見て、なぜもっとベリキボールにいないのか、となじる。
気持ちは痛いほど分かるし、感謝してはいるんだけど、早く引き上げるのは迷惑をかけたくないという、こちらの配慮でもある。

ナージャさんと散歩すると、人々が私たちを見て、「イポーニア(日本)」と言っている。学校のそばを通ると、窓から子ども達がのぞき、飛び出してきた。「ズドラーストビッチェ」声をかけるとうれしそうに返事をしてくれる。しかし、会話はここまで。片言では、残念ながら日本を説明することが出来ない。

アーラやエレーナが通った小学校にも行った。校長先生が案内してくれ、わざわざ校庭に植えてあったチューリップを切ってくれた。みんな遠来の客に気を使ってくれて、温かい。

ここの人たちは花をプレゼントする習慣があるみたいだ。初めてベラルーシを訪れたとき、デニス親子がチューリップを2本、持って待っていてくれた。ベリキボール滞在中も、セルゲイさんがチューリップを持ってきてくれたし、運転手が車を止めて、リラを折ってくれた。そうそう、これで困ったのは、子ども達が日本で公園の花を折ってしまう事だった。日本では花を取ってはいけないと説明したのだった。

ホイニキのルスランの家にも行った。ここは5人家族。
姉のオクサーナは大学生。いままでは大学の授業料は無料だったが、制度がかわって有料になり、働いて学資を稼ぎながら通っている。兄は高校生。二人とも優秀なようだ。でも、ルスランは勉強嫌い。私たちは、重いけど露和、和露の辞書を持っていった。
彼らは露和を用意してあって、互いに辞書を引きながらの会話となった。ロシアは人口あたり世界でも一番図書館の充実している国。ベラルーシもそれは倣っているのかもしれない。

昨年、レストランで出た料理を、美味しいと言ったので覚えてくれていて、夕食につくってくれた。カルドニというハンバーグにジャガイモをまいて焼いたもの。ベラルーシには300種類ものジャガイモ料理があるそうだ。

どこの家にも例外なく大きなテレビがある。テレビは中央集権にとって上意下達の手段として必要。その代わり、電話はすくない。国民同士、横の連絡をさせない政策だと以前本で読んだことがある。正しいかどうかは知らない。
ロシアとベラルーシのテレビが入る。ドイツの映画もずいぶん放映されていた。日本の古いアニメ「南の国のフローラ」を見た。
もちろん吹き替え、でも主題歌だけは日本語だった。

店のことをマガジンという。どんなものを売っているのか興味があったので、マガジンにも連れて行ってもらった。

夕食後散歩した。年寄り達は夕方のひととき野外で過ごす習慣なのか、どこの家の前にもお年寄りが座っている。そのひとり、ルスランのおばあちゃんにも出会った。そこでおばあちゃんの写真をポラロイドで撮って渡すと、はじめは真っ黒な紙を何だろうといった面もちで眺めていたが、そのうち自分の映像が現れると不思議そう。それを見て、近くにいた人たちが寄ってきて写真をのぞいた。おばあちゃんは「この人が撮ってくれたんだ」と私を指さしている。みんなが撮ってくれと言ったらフィルムがないので困る、とそっとその場を立ち去った。100mばかり行って振り返るとまだ人だかりはできていた。

ベリキボールに戻り、セルゲイさん一家、アーラ母娘、日本に来た他の子ども達の家族、4家族でオージェロ川へピクニックに行った。白樺林の中で、たき火をし、大鍋に鶏、ジャガイモ、タマネギ、人参etc.といった野菜をいれ煮込む。
ソーセージ、ハム、ニシンの薫製、パン、ビーツの漬け物、洋なしやリンゴのコンポート、塩トマト、生野菜などいろんなものが並ぶ。もちろんウォッカも欠かせない。

子ども達は河原でたのしそうに遊んでいる。オージェロ川も大きな川。みんなは「オージェロ モーリエ(オージェロ海)」だと言う。当然このモーリエ(海)の水は塩辛くない。

子ども達が日本に来たとき何回も海で遊ばせた。そのとき、塩水に驚いたようだった。ここの人はあまり塩分をとらない。リンゴの皮を剥いて塩水につけて出したら、子ども達は食べなかった。アンドレイさんが「なぜ塩水につけるのか」ときいたので、「酸化すると赤っぽくなるから」というと、見た目だけなら不必要だと言った。それも一理ある。以後塩水につけるのはやめた。

大きな船に乗せて、伊豆大島につれて行った。広い海も喜んだが、ベラルーシには火山が無いので、彼らはことのほか喜んだ。重いのに溶岩を拾って行った。

日の傾くまで野外をたのしみ、みんなで大きな声で歌を歌いながら帰った。楽しい、楽しい思い出となった。

別れの日、地境まで送るのが慣わしだといって、揃って地境の白樺林まで送ってくれた。振り返ると、白樺林の間に手を振るみんなの姿が小さくなっていった。

  • オージェロ川へのピクニック

    オージェロ川へのピクニック

  • エレーナのママ

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  • セルゲイ

    セルゲイ

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