1999/01 - 1998/01
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buchijoyceさん
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ルクソールの一日
アザーンの声で目が覚めた。部屋が東向きなので、朝日が昇るのが見える。
ナイルの岸辺を散歩する。ナイルはたっぷりとゆったりと流れている。ボチャンと音がしたのでそちらを見ると、キングフィッシャー(カワセミの仲間)が魚をくわえて飛び上がった。大きさもヤマセミに似た黒と白のキングフィッシャーだ。
車窓から見た畑の作物を確かめたくて、近くの畑まで歩いていく。
西岸に行くには以前はフェリーを利用していたようだが、今では立派な橋が架かっている。ルクソールはエジプト第一の観光地。国の力の入れ方も違うのだろう。
西岸は古代は「ネクロポリス(死者の町)テーベ」といわれ、ルクソール住民の墓所だった。有名な王家の谷があるところだ。
今日のガイドはアリさんとシャバさん。シャバさんは日本でアラビア語を教えていたのだそうだ。日本人のためにわざわざ日本語の出来るシャバさんをスタッフに入れてくれたのらしいが、このシャバさんの日本語がこれまた大変。シャバさんがつまると、そっと隣のアリさんに英語で説明して、と頼む始末。
王家の谷にいく途中の丘の上に早稲田ハウスがある。「寄りますか?」「隊員がいるときは旗があがっているそうだ。旗がないから今日は留守」と断る。ここでは吉村作治さんはヨシムラセンセイと呼ばれて有名。「吉村先生の本、みんな読んでいるよ」、というと「それでは歴史にくわしいでしょう」と。
王家の谷は草ひとつない河岸段丘にある。しろっぽい丘の上の空は真っ青。もうすでに大型観光バスが押し寄せ、駐車場はいっぱい。土産物屋が所狭しとならび、観光客に声をかける。シャバさんが、2年前のテロ事件で、日本人観光客が来なくなって、本当に困り、時計を売ったりした、という。
公開されている王墓の前は行列が出来ている。なんのことはない、団体客にガイドが説明しているので、入り口に人だかりができているのだ。団体客は結構こんなことで時間をとられる。ピカソのゲルニカの前で団体客に、ガイドがながながと説明したのには腹がたった。団体が完全に作品をふさぎ、見えなくしてしまった。説明をきく人たちは作品を見ずガイドの方を向いている。説明は離れたところでしろ、と文句を言った。だから迷惑にならないように、二人だけで見学してくる。
色鮮やかな壁画。表面はガラスで覆ってあるが、こんなに大勢の人が入れ替わり立ち替わり入って影響ないものか、とその一人であるにもかかわらず、心配している。
近くにツタンカーメンの墓もある。夫が ぜひ見たいというと、ここは別料金だという。チケットはどこで買うの?と聞くと、いくらだからアリさんにはらってくれという。入場料を見て、夫がアリさん、料金上乗せしているよとささやく。
ツタンカーメンの墓は小さい。副葬品はカイロ博物館にあり、ここには彼のミイラだけが眠ってる。ツタンカーメンの時代は宗教的に大変な時代。案外、暗殺されたのかもしれない、と当時をしのんでいる。
シャバさんがツタンカーメンの奥さんは「ティティ」「違うでしょ」と私。「そちらの方が詳しいのでした」「まったく。嘘おしえちゃだめだよ」と笑って言う。
ハトシェプスト女王葬祭殿。ここも二人だけでほっつき歩いてくる。今は修復中でテラスまでは上がれない。ここの警備もすごい。あのテロで撃たれた人が小田原にいるが未だに後遺症が残っている。作業をしているオジさんが、先ず手を出し、写真を撮れ、という。モデル料を払ったのだからとせいせいと写真を撮らせて貰う。隣のオジサンも同様に言うがそちらは無視。
段丘にへばりつくようにクルナという村がある。墓の上に出来た村だ。この村は盗掘者が住み着きできた村なので、家々の地下には副葬品が眠っているという。
シャバさんが「日本はビッグだ」というので「日本は戦争がなかったから、繁栄したんだ。平和ならこうして観光客も来るではないか。平和が一番大事」とこんなところで、平和論をぶってしまった。中東戦争など、エジプトの現代史を知らないわけではないが、先ずは原則論。「そうですね。エジプトはずいぶん戦争をして来ましたから」とシャバさん。
再び橋を渡って、東岸のルクソール神殿に行く。神殿の前のオベリスクの一本はパリのコンコルド広場にあると説明がある。「知ってるよ。パリのオベリスクの方がきれいだ。大事にしているから」というとしょげている。「でも、こっちの方がやはり雰囲気があるよ」とあわててフォローする。
よくぞ、こんなものを作ったかと思わされるほどの壮大な神殿だ。
「あの屋根の石はどうしてのせたんだろうね」と訊くと、「まだ解明されていません」と答える。
神殿前に列ぶ、スフィンクス像の顔をじっくり眺めて行ったが、顔立ちは東洋的な顔立ち。表情も実にやさしい。古代エジプト人はこんな顔をしていたのだろうか。
つづいてカルナック神殿。地震で石像がずいぶん倒れてしまったのだという。シャバさんに「エジプトでも地震があるの?」と聞くと、「あんまりないけど、この時はひどかった」という。「それにしてはエジプトの建築中の建物は鉄筋が縦に数本細いのが入っているだけ。横にはまったく入っていない。大丈夫なのかしら。日本は地震国だから、ああいうのを見ると気になってしょうがないの」「だから地震がくるとめちゃめちゃになってしまうんですね」とシャバさん。
疲れたから、どこかで食事をしたいけど、連れていってくれる。ご馳走しますよ、というとアリさんがひとり50ドルだという。お昼に50ドルのものはいらない。エジプト料理でいいのよ。すると、ひとり40ポンド、しかも前金でくれという。5人で200ポンド。ビュッフェ形式。あいかわらず、これは何だ、これはどうしてつくるの、と聞いている。男たちだからか、料理のことはあまり知らない。
「この後どうしますか」と訊かれ、「ルクソール博物館に行きたい」と夫が言うと、ひとり50ドルだとアリさん。「えっー高すぎるよ。そんなのやめなさい」と私が言うが、「せっかくだから見たい」と夫。ともかくいったんホテルに引き上げることにする。ホテル前でお別れ。いつもならチップをたっぷりはずむのに、今日は夫はなんにもあげない。
シャワーを浴び、タクシーを拾って、ルクソール博物館に行く。4時から開館。タクシー代15ポンド。入場料40(20×2)ポンド、カメラ代10ポンド。50ドルはどこからでた数字なのだろう。
小さいけどここの博物館はよく整理されている。なるほど、クルナ村(盗掘者の村)発掘品がかなりある。ここは一見の価値がある。特にハトホル神の立像が気に入った。
帰りは3キロ余、ナイル河畔を夕日を眺めながら歩いて戻る。
夜ひと騒動あった。銀行に両替に行くと両替機を利用して下さいといわれ、2万円いれたら1万円分しかでて来なかったと夫が銀行窓口と両替機の間を行ったり来たりしている。明日の1時に来いといわれたが、朝出発するのだからと粘ると、ホテルのマネイジャーも味方してくれ、1時間後、行員が来て開けてくれ、二枚重なった1万円札を確認し、返してくれた。そのかわり始末書をとられた。といってもアラビア語で書いてあるからなんにも分からない。サインしただけ。恐いことになるぞーと私が脅かしている。
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