2005/11/24 - 2005/11/25
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ぱんぱーすさん
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絵日記その3、万里の長城編です。
こういうのを見ると「やっぱり中国はスケール違うわ~」と
しみじみ感じてしまいます。必要性があったとはいえ、
これを何千kmも造り続けた昔の中国人に脱帽です。
皇帝さんじゃないですよ、実際に働いてた(働かされてた?)
労働者・一般人にですよ。
あと、盧溝橋もちょびっと載せてます。ひねくれ者の俺は
何の変哲も無いこの橋に激しく感動。日中史を語る上で
欠かせない地点ですからね。
それではどうぞ。
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4日目。天安門広場前門西側の観光バス乗り場へ妹と共に朝一で行き、万里の長城へ。明十三陵だっけ?時間があったらそっちも行きたかったが、あいにく時間がないのでパス。結構真っ直ぐな高速をえっちらおっちらバスは走り、山道をくねくね上り、入り口へ。
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バスを降りてからも、自らの脚でもう少し登らなければなりません。土産品店街を抜けさらに歩くと、出迎えてくれたのは巨大な門。まるで砦。大阪城にもこんなのあったか?ここの建造目的を思い出させてくれる1枚です。
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砦付近から撮った長城。木曜日だというのに観光客は意外と多め。はるか遠くの山頂付近に砦のようなものが小さく見えますが……まさかそこまで行く羽目になるとは。
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入城口を入ったところ。なだらかな坂道が続いています。さぁて、今からちょちょいっと上っていってやろうと思っていましたが……。
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すぐにこんな急坂に。写真だけだとわかりにくいですが、下に見えている駐車場と対比させると、坂のきつさがわかるかと思います。妹は若いなぁ、まだ俺よりずっと元気だ。洒落にならんトコに来ちまった……。
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かなり上ったところで1枚。高校時代のように身軽で活力に満ち溢れた俺なら「くそー、長ぇぜ〜」な感じで軽口叩きながら上れたんでしょうが、社会に疲れた20代後半の今では「いや、マジ辛いってコレ」てな深刻な感じです。
はるか下の方に長城が見えるが、本当にアソコから上ってきたのか俺……? -
上を見ると、まだまだ急勾配が続いてくれています。昔の兵士は匈奴や北方民族の来襲に備えて、この勾配を鎧兜に身を固めて上り下りしてたんだろうなぁ……すげ。というか、こんな山奥までも馬を使って攻め込んできていた匈奴や北方民族もすごい。
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ようやく長城の頂上。なんか記念撮影してくれるみたいです……左の「照快相」は写真の事で、看板の表には「万里の長城登頂記念」みたいな文字が描かれています。ただ、やっぱりお金を払わないと撮らせてくれません。くそっ。
……こんなトコにも土産物屋。ここまで毎日荷物を背負って上ってくる写真屋や土産物屋の従業員もすごい。 -
長城頂上からの風景。かなり景観は素晴らしい。
着陸前の飛行機から下界を眺めると、動いているはずの車や人がとてもスローモションに見えるが、ここから見た風景もそんな感じ。空気もおいしいし、疲れが爽快感に変わる瞬間。 -
長城はどこまでも続いている。東の果ては北京はおろか大連を遥かに越え、北朝鮮国境の街、丹東まで続いていた跡があるとか。西の果てはどこなんだろう……?
しかし11月下旬は激しく寒いですわ。風も吹きさらしでびゅーびゅー吹いてくれますし。モモヒキ履いてこなかったのは大失敗。寒さ対策には気を使いましょう。 -
下る途中で長城を逸れ、少し開けたところへ。どうやら、降りる為の別ルートがあるような感じです。
こんな所にも写真屋が店出して待ち構えてますが……誰も目もくれません。そりゃ長城頂上で撮った感動の後にこんなトコで写真撮りたがる人は多くないでしょう。
しかし、眺めは相変わらず素晴らしい。 -
長城の途中にはコースターが設置されていて、疲れた人はここでお金を払って、一気に下までくだる事ができます。
別に歩けないほど疲れてた訳じゃないですよ、まだまだ若い男なんですから。決してそんな……ほんのちょっとだけ興味があった、それだけなんですよ! -
結局乗ってる俺。スイマセン。
長城から見てるとそこそこスピードが出ていて面白そうに見えたのだが、実際乗ってみるとそれ程の爽快感は無く、カーブ時の傾斜もそこまで大した事もなく……歩いて下りてもよかったかな。 -
コースターの終点は、何故か熊園の入り口になっています(無料……?)。かなり飼い馴らされていて、逆にツマランかったです。餌もらう為に必死だったのを見て逆に冷めました。というか何故にこんなトコに熊やねん。
今回上ったのは「女坂」といい、比較的緩やかな方だったようです。という事は……入城口入って逆サイド、人があんまり上ってなかった方が「男坂」かぁ……女坂でへろへろになってた俺がさらに勾配のきつい男坂に上りに来る事はあるのだろうか……?
長城はここまでです。 -
北京に戻り、買い物をしたい妹と別行動。バス乗り場がうまく見つからず、タクシーを拾って北京南西部にある盧溝橋を目指します。
旅行書だとよくわからなかったが、結構距離ありました。タクシー代結構かかった……。
そんなこんなで日も沈む夕暮れ、到着。運ちゃんが言うには「この時期のこの時間じゃ、タクシーなんて来やしないから、観光を終えて戻ってくるまで待っててやる」そうだ。確かにタクシーはおろか、バスも車も1台も止まっていない状態だった。とりあえず、そのままいてもらう事を願い出、橋へと向かう。 -
盧溝橋。かなりおなじみのアングルですかね?
かつては悠久の流れを刻んだ永定河(盧溝河)も、今ではすっかり干上がっており、橋はモニュメントと化している。ちなみに生活道路として今も使用されており、地域在住の住民は無料で通過できるようだ……顔馴染みになれという事か? -
1937年7月7日、中国軍の演習で起こった(?)発砲を口実に、日本軍がこの橋を渡り北京へ進軍、ここに日中戦争が始まりました。この大砲跡は、当時の事を忘れないようにと、河の対岸(日本軍)に照準を合わせてあります。
現在対岸に住んでる人にはいい迷惑(勿論玉は放てませんが)。 -
橋の入り口。旅行客は俺1人のみ。地域住民がちらほらいるだけで閑散としています。土産物屋が何件か店を出していましたが、オフシーズンのこの時期には売れないだろう、どうやって生計立ててるのかな……と、夕暮れ時の哀愁と相まって、ちょっとセンチメンタルな気分になっちゃいました。
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狛犬。この橋には沢山の狛犬が鎮座しています。これはちょうど橋の中央部にある狛犬。何でもこれらの狛犬には1つとして同じ表情の狛犬が無いらしいが、わざとそのように造ったのか、それともただ単に彫刻家に同じものを彫る才能が無かったのか……謎は深まるばかりです。
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この橋はマルコ・ポーロ来訪当時のものではなく、何度も改修を重ねて今日に至っているとのこと。そんな中で、中央部の石の仕切りが大きい部分は、当時のままで残っている箇所だそうです。中世の息吹を感じられる貴重な財産です。
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盧溝橋で見る夕暮れ。晩秋の寒風が容赦なくダメージを与えてくる。ふっと郷愁にかられる、そんな瞬間。
橋を戻ると、タクシーの運ちゃんが待ってくれていた。日本人嫌いが多い(らしい)北京人にしては、親身に相手をしてくれる。こんな人もいるんだ……ここには載せていないが、北京人からの嫌がらせも数度あったので、北京に対する不信感が芽生えていたここ数日。だが、この運ちゃんに心を救われた気がした。 -
しんみりしちゃったので最後は明るく!前門南にある有名北京ダック店「全聚徳」で、1番高いコースを妹におごってやりました。あー、しまった!俺らのテーブルで鴨切ってる時に写真撮るんだった!仕方なく別のテーブルでやっていたのを勝手に横撮り。横取りはしてません。
以上で北京絵日記はお開きです。ありがとうございました!
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この旅行記へのコメント (2)
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- huwaさん 2006/07/29 05:21:39
- 万里への思い
- 万里の長城…ずうっと憧れていますけど、まだ行ったことがありません。行けばどんな風に感動するのかなあと想像してみてます。何よりもまず壮大な建築美に、目を見張ってしまいそう!
山頂とか見晴らしのいい高所に築かれた砦は世界中にあるけれど、山頂をつなぐ尾根全部に沿って城壁を造ろう、という発想は、中国でしか生まれなかったのでしょうか。それともその発想を徹底的に実現してしまえたのが中国だけだったのでしょうか。この比類のない景観を写真で見るたびに、そんなことを思います。
それにしても、観光するだけでも大変そうな急勾配! 建造したり修復したりの労役や、防衛のための兵役についた人たちは、地形の険しさをどれほど呪ったでしょう。冬の寒さも厳しそう…。遠いところからも徴発されて、故郷が恋しかったでしょうね…。
そんなつらい仕事にかり出された人たちも、長城を美しいと思ったのでしょうか。はるか西の砂漠まで、あるいは東の海まで続くという気の遠くなる距離を思って、感慨に打たれたりもしたのでしょうか。どうお感じになりました? きっと古人の思いを想像されたことと思いますけど…
- ぱんぱーすさん からの返信 2006/08/02 21:20:22
- ちょうじょう
- この旅行記の表紙にも書きましたが、私の評価するのは「長城建設を構想した」始皇帝ではなく、「実際に駆り出されて強制労働に従事させられた」一般の人々なんです。当時の世情が長城を造る事を求めていたというのは確かにあるでしょう。そしてそれを実行に移した始皇帝の行動力にも評価すべき点はあると思います。が、実際に何千キロもの長城を造るために、補償も何もなく強引に徴発され、死ぬまで働けと命じられた罪もない人々はどんな心持ちでこの事業に参加したのでしょう。家族や子孫の安定のため?北方馬賊の脅威を逃れるため?人々にあったのはただ「こんな気の遠くなる事業にどうして従事させられなくてはならないのか」だったのではないかと思っています。私が見てきたのは峻険な峰の数々。今と違って道路なんて勿論まともに整備されていなかった当時では、ちょっと大き目の石を1つ運ぶだけでも相当の苦労があったのだと思います。西方ならば、砂漠のど真ん中まで長い距離をかけて大石を運んでこなくてはならないという、また別の苦労があったはずでしょうし、皇帝の奴隷のように扱われ、誰かが死ねばまたすぐ次の誰かをどこかから徴発してくる……人々の不満と不安はいかばかりであったと想像すると、とてもその先導者を積極的に評価する気にはなれないのです。
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