1999/04/30 - 1999/05/04
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azianokazeさん
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1999年のGWに参加した北インドツアー(アショカツアーズ)の記録です。
“インドエッセンス ガンジス河とタージマハール”と銘打たれたこのツアー、3泊(内1泊は車中泊)4日(実質3日)で超有名観光スポットを回ろうというもの。
それは無理というものです。
諸般の事情から無理は承知で参加したツアーでした。
日本人ガイド(面倒見の良いガイドさんでした。)がついたツアーですから、特段のトラブルも不安感もありません。
ただ、その分言われるままに移動して、観光スポットを眺め、お土産を買って帰ってきた、そんな旅行になってしまいました。
「本当にここへ行ったのだろうか?」と思ってしまうぐらい印象の薄い旅行です。
自分の足で街を歩くことも全くなく終わった、旅行記をつくろうにも何も書くこともない旅行でした。
そのため公開することは随分ためらったのですが、自分用の記録として写真だけでもアップしておこうと思い、やや重い筆でこの旅行記を作りはじめました。
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4月30日羽田からバンコク経由でデリーへ。
バンコクの空港周辺は見渡す限りきれいに区画された緑のカーペットのような水田がひろがるのに対し、空から眺めた北インドの赤茶けた大地は荒涼とした印象でした。
その後車で走っても、赤茶けた荒涼としたイメージは変わりませんでした。
旅程表では夕方6時ぐらいにデリーに到着、カニシカホテルに宿泊するスケジュールになっていますが、どんな部屋だったか、その夜食事をどうしたのか一切記憶にありません。
5月1日、朝からアグラへ専用車で移動します。
(写真はアグラ城の“アマル・シン門”付近です) -
ロータリーを多用したデリー市内の道路、道路脇の赤茶けた土、綿花か何かを満載して大きく荷台を覆ったトラック・・・アグラへの移動について記憶にあるのはそんなイメージです。
それから、道を行くジャイナ教の方々の、一切の殺生を避けるということで虫を吸い込まないようにマスクで口を覆い、足元の虫を払いのける箒(もちろん実際に歩くとき使っている訳ではありませんが)を背負った姿は初めて見るものでした。
さて、アグラ城到着。16Cムガール帝国皇帝アクバルによる築城された赤砂岩が印象的な城です。 -
アクバルの思想を反映してイスラム建築にヒンズーなどの様式も取り入れたもので、随所に優美な装飾が見られる・・・ということになっていますが、殆ど記憶にありません。
「ここはハーレムがあった部屋」とか、「壁のここに大きなエメラルドか何かが嵌め込まれていた」とか、そういった説明があったような気はします。
暑さのせいかカメラが一時的に動かなくなってしまいました。 -
アグラ城からはタージマハールが望めます。
“妻の墓廟としてタージマハールを建築したシャー・ジャハン帝は、晩年息子に帝位を奪われここアグラ城に幽閉され、亡き妻の墓廟を眺めながら息を引き取った”というのは有名な逸話です。 -
で、ご存知タージマハール。
一分のスキもないシンメトリックな白亜の建物です。
ムーガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハンが妻のムムターズ・マハルの死を悼み、国を傾ける費用をかけてつくった墓廟ですが、写真等で見慣れていたせいか、さほどの感激はなかったですね・・・。
夫婦愛としては美談かもしれませんが、下々の民衆としては国が傾く事態は困ったものです。 -
この日暑かったことはよく覚えています。
建物の中は熱気と淀んだ空気であまり居心地がよくなく、早々に出てきました。 -
アグラ郊外のツンドラ駅から寝台列車でベナレス(ヴァラナシ)に向かいます。
駅に向かう前にあるホテルのロビーで時間調整をしたのですが、そのときガイド氏に頼んでホテルの部屋のシャワーを使わせてもらいました。相当高いシャワーでした。
(そんなことはよく覚えています。)
駅にはかなり早くついたのですが、駅周辺は停電で真っ暗。
駅構内より車の中が安全で快適だからということで、車の中で軽食を配られツアー客一同食べます。そろそろ列車の時間も近づいたので駅構内へ移動。
しばらく真っ暗なプラットフォームで時間をつぶし、ようやく列車が入線してきましたが、ここでこの旅一番の事件。
ガイドの兄ちゃんが「停車位置が違う!向こうだ!みんな走って!」と叫びます。
事態がよく飲み込めませんが、とにかく一同荷物を抱えて走ります。
このときは、手にぶら下げて持つタイプのバッグを使っていましたが、重いそのバッグと軽食の残りやお土産の入ったビニール袋を下げて走りました。結構遠くまで走りました。
なんとか無事に全員乗車。
「やれやれ・・・」といったところですが、ビニール袋のバナナは潰れていました。
それと、走ったせいで汗びっしょり。シャワーも無駄になりました。
翌朝、5月2日の5時過ぎにベナレス到着。
写真は到着したベナレス駅構内です。 -
ホームには倒れているのか寝ているのかよくわからない人もいましたが、インドですので・・・。
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ベナレスの駅前。ここからガンジス河岸へリクシャーに分乗してむかいます。
さすがに街は朝早くから人々の活気に溢れています。
駅から河岸までのこの短いリクシャーでの移動が、自由に歩き回ることも全くなかったこの旅行で唯一“街の空気”を感じた時間でした。 -
完全に明るくなったガンジス河岸はお祭りのような賑わいです。
“不浄の地”とも言われる対岸も結構な人出のようです。 -
小船で聖なる河ガンガーに漕ぎ出します。
河岸には建物・寺院がびっしりと建ち並んでいます。 -
死体も流れるという河ですが、このときはそんな物騒なものにも出会いませんでした。
お気楽な観光船で、生死の深淵に思いを致すこともなく、カルチャーショックを感じることもなく淡々と朝日の中を進みます。 -
沐浴を楽しむ大勢の人達。
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午後は初転法輪(しょてんぼうりん)の地、サルナートへむかいます。
お釈迦様はこの地で5人の比丘に“四諦(したい)の説法”を説かれ、これが仏法伝導の開始とされています。なお、“四諦の説法”とは“人間の生存は本質的に苦であること、この苦をもたらす煩悩、煩悩からの解脱、そして涅槃の境地に至る道を説かれた教え”だそうです。(あるホームページの解説を勝手に簡略化・要約しましたので、不正確さはお許しください。)
普段国内では宗教とは全く縁のない不信心者ですが、やはりヒンズーよりはお釈迦様のほうが馴染みます。
付近一帯は遺跡公園のようになっていますが、先ず考古学博物館を見学。
入口近くで、現在のインド国章になっている四頭の獅子からなるアショカ王の石柱頭が来館者を迎えます。
館内にはサルナートで出土した様々な仏像等が展示されています。
きちんとしたガイドの解説で時間をかけて見れば、相当に興味深いものかと思います。
ただ、このときは解説もなく、ツアーの限られた時間で回っただけですので、“猫に小判”状態ではありましたが。
ありがたい仏教の聖地のお土産物屋さんで数珠を買って帰りました。
博物館を出ると、次はムルガンダ・クティー寺院(写真)。 -
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お釈迦様の生涯が壁一面に日本人画家の手で描かれています。
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公園はかつて沢山の寺院・建物が建ち並び、多くの僧侶が学んだ場所ですが、今は遺跡を残すだけです。
午後の強烈な日差しにめまいを感じながら、遺跡の中を歩きます。 -
ダメーク・ストゥーパ。6C頃に造られた仏塔です。
周りの人間と比べてもかなり大きなものですが、近くで見ると細かい模様も装飾されています。
しかし、暑さでクラクラしていましたので、殆ど目にはいりませんでした。 -
こちらはチャウカンディ・ストゥーパ。迎仏塔の意味です。
かつてお釈迦様は断食の苦行中に思うところがあって村の娘スジャータから乳粥の供養を受けて断食を中断しました。
ともに苦行を行っていた5人の比丘はお釈迦様を脱落者と見て彼のもとを去りました。
その後お釈迦様はブッダガヤの菩提樹のもとで悟りを開き、サルナートへ来られました。
そのお釈迦様をかつて一緒に苦行を行った5人の比丘が迎えたのが迎仏塔、チャウカンディ・ストゥーパの地です。
お釈迦様の尊いお姿に5人の比丘は我知らず自然と付き従ったと言われています。
この後、飛行機でデリーへもどりました。
夜、アーユルヴェーダのオイルマッサージを体験。
またしても停電。ほの暗いランプの灯りの中で全身のオイルマッサージや額にオイルをたらす“脳内マッサージ”シロダーラなどをやってもらいました。
マッサージは気持ちいいのですが、終了後、全身ギトギト、髪からつま先までオイルの匂いがプンプンする状態でホテルまでタクシーで戻るのはいささかやっかいでした。 -
翌日5月3日はもう最終日。
デリー市内のスポットを回ります。
最初がインド門。
6年後ムンバイのインド門へ行くとき両替詐欺にあうことになるとは、このときはまだ知りません。 -
続いてはラージ・ガート。ガンジーの亡骸が荼毘にふされたところ。
広々としたきれいな公園に整備されていますが、あまりよく覚えていません -
こちらはラール・キラー。当日は月曜日で入城できず、外から眺めるだけ。
もったいない話ではありますが、3日で北インドを回るという無茶なスケジュールですから仕方ありません。
レッド・フォート(赤い砦)とも呼ばれるこの城は、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハンが都をアグラからデリーに移すために築いた城です。 -
入れないラール・キラーよりは、駐車場を兼ねた広場に集まっている現地の人達の方が面白そう。
何屋さんでしょうか。 -
こちらは耳掃除屋さんみたい。
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デリー観光最後のスポットがクトゥブ・ミナール。
13Cインド初のイスラム王朝マムルーク王朝のスルタンが、ヒンズーに対するイスラムの勝利を示すために造ったもので、高さ72.5mの堂々たるものです。
下部三層は赤砂岩、その上は大理石と砂岩でできています。
以前は中のらせん階段で塔の上まで上れたそうですが、転落事故が相次ぎ中には入れなくなっていました。
塔の周囲の文様はコーランを図案化したものだそうです。 -
塔のすぐ脇にあるクワットゥル・イスラム・モスク。
ヒンズー寺院を破壊してつくられたインド最初のイスラム寺院だそうです。
塔にしても寺院にしても、こうして写真で見るとなかなか趣のあるものですが、当時はツアー最終日のスケジュール消化として大した感慨もなく見過ごしてしまいました。 -
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この旅行記に書き記したことがらの多くは今回旅行記作成にあたって調べたことがらです。
当時はろくに事前確認もせず、ガイド氏に言われるままスケジュールどおりに動いていただけでした。
後から写真を見ても「ここは何だっけ?」って感じです。
この旅行が印象の薄いものとなったのは単にツアーの過密スケジュールや自由時間がなかったことだけでなく、そうした私の姿勢の問題でもありました。
あらためて旅行記作成で写真を眺め、いろいろ確認してみると、きちんと調べて時間をかけながら回れば世界遺産や仏教遺跡にあふれた素敵な旅になるコースだと思えました。
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この旅行記へのコメント (1)
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- アル中さん 2006/04/03 21:02:24
- すごいですね。
- 旅行記いくつか拝見しました。
すごい!アジア好きの自分として、参考になる物がたくさんありました。
これから、行きたいと思っていたとこをほとんど行かれてます。
インド、ネパール、カンボジア等々・・・
盗難は大変でしたね。
他人事ではないので、気をつけねばと思いました。
これからも、参考にさせて頂きますので、よろしくお願いします。
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